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星輪のギメルス  作者: アドム・ザナヴ
第二章 エフェス編 星なき夜の火種  エセル編 北辰の望郷
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エセル編 第10話 沈黙と忍耐

星霊暦五〇四年一月十四日、月曜日。


「関所に入る者、全員に告ぐ! これより緊急の身辺調査を行う! 我々が探しているのは、カラッチで我らが兵に手を出した不届き者の女たちだ!」

部隊長らしき男の甲高い声が、チャバハル港の城門前の喧騒を切り裂いた。


(見つかった……!)


エセルは一瞬、身を硬くした。しかし、男たちの視線は自分たち個人ではなく、城門の関所の役人たちへの威嚇も込めて行列全体に向けられている。思い過ごしであったことに、エセルの心臓はどうにか落ち着きを取り戻した。


アルケテロス教の兵士たちは、明確な指揮官がいないのかその動きは統率を欠いた烏合の衆のようだった。彼らは手近な商隊から横暴な検問を始めた。


(……早くチャバハルに入りたいのですから、城門の近くから検問を始めなさいよ)

敵の手際の悪さに、エセルは心の中で冷静に悪態をついた。しかし、その不手際こそがこちらにとっては好機となる。彼女は熱々の肉を布に包んだまま、行列に並ぶメルの元へと急いだ。


「ぬわー! なんという間の悪さ! あともう少しで街に入れたというのに!」

メルは、まさにフラストレーションが爆発寸前といった様子で拳を握りしめていた。

「メル、お疲れ様! はい、メルの分のデューンリザードの尻尾の塩焼きよ!」

「エセル様! ありがとうございます! 早速いただいても?」

「どうぞ! 食べて、食べて!」


メルは本当に腹が減っていたのか、熱々の肉に夢中でかぶりつく。その勢いに先ほどの怒りも少しは収まったようだった。


「ところでメル、どうしましょう。お母様たちと分かれてしまいましたが、合流した方が良いのかしら」

メルは口の中の肉を急いで飲み込むと、ふぅ、と一つ息をついてから答えた。

「いえ、ここは並んでいる分、下手に動くと目立ちます。まずはここからじっくりと様子を見ましょう。動くとすればイマ様たちの方がまだ身軽でしょうから」


「女たちを探していると言っていましたが、このままではすぐに見つかってしまうのでは?」

「そこなのですよね……ああ、私がカラッチで奴らに手を出さなければ! 本当に申し訳ございません!」

メルが心底悔しそうに顔を歪める。


「いいえ。あの時のメルの対応は最善だったと思うわ。そうでなければ、あの時点で私たちがただの旅人ではないと広まっていたかもしれないのですから」

「姫様……ありがとうございます!」


二人が言葉を交わしながら見ている間にも、アルケテロス兵の横暴はエスカレートしていく。彼らの検問はもはや女たちを探すという名目さえ忘れ去られているようだった。荷物の中から価値のありそうなものを見つけては難癖をつけて巻き上げ、少しでも見目麗しい女性がいれば、「もしかして、お前かぁ?」といやらしい笑みを浮かべて腕を掴む。


周囲の商人たちから小さな悲鳴や押し殺したような怒りの声が聞こえ始め、城門前の空気は一触即発の緊張感に包まれていく。


「……あれは野党と何が違うのですか」

エセルは蔑んだ目で彼らを見つめながら、メルに問いかけた。

「あれはアルケテロス教の軍という肩書きを利用した野盗です」

メルはきっぱりと答えた。


自分たちのせいで関係のない人々にまで被害が及んでいる。その事実に、エセルの胸に熱い怒りが込み上げてきた。

「メル、奴らをこらしめることはできないのですか?」

「始末するのは簡単でしょう。おそらくあの程度の兵では、魔法通話機を持っている可能性も低い。ただ……」

「ただ?」

「ここは城門の前です。騒ぎを起こし、もし奴らを始末したところでチャバハルの街が我々を厄介者と見なすかもしれない。そうなれば私たちはこの街に入ることさえできなくなります」


メルの答えは的確だった。ここで感情に任せて動けば全てが水泡に帰す。しかし、目の前の理不尽をただ見過ごしていいのか。エセルの心の中で怒りの炎がまだくすぶっていた。

問題は自分たちの容姿だ。ローブで顔を隠しているとはいえ、イマやハムサ、そしてメル自身の、人目を引く美しさは、いずれあの下劣な兵士たちの目に留まるだろう。


「奴らの手に落ちるという選択肢はありません。もう駄目だと思ったら……やっちゃいましょう!」


半ば開き直ったようなメルの言葉に、逆にエセルの覚悟が決まった。ローブを深く被り直し、地面の土をそっと自らの頬に塗りつける。

その時だった。兵士たちの集団がついにこちらへと近づいてきた。

自分たちのところまで、あと五メートル。

エセルが息を呑んだ、その瞬間。


「ボフゥンッ!」


兵士たちの背後で、突如として濃い煙が立ち込めた。


「うわっ! なんだ!」

「煙で……見えねぇ!」

兵士たちが慌てて剣を抜く。何が起こったのか分からず呆然とするエセルの背後から、ひそやかな声がした。


「姐さんたち、静かに頼みますぜ」

「(八兵衛!)八兵衛!」

エセルが小声で応えると、隣でメルが安堵の声を上げた。いつの間にか空八兵衛が、一行の元へと合流していたのだ。


「ありゃ、あっしの特製の煙玉でさあ。まあ、忍の必需品でありやすね」

八兵衛が悪戯っぽく笑う。その間にも煙は、ボフッ、ボフゥンッ!と次々と広がり、城門前の一帯を濃い霧の中へと閉ざしていく。

「八兵衛! お母様たちは大丈夫ですか?」

「ご安心くだせぇ。霧隠れの魔法護符を使ったんで、あっしでも見つけきれねえくらいだ。奴らに見つかるわけがねぇ」

「そうですか!」


「ところで八兵衛! これからどうするんだ! 煙が消えたら奴らは余計に検問を厳しくするだろ!」

「手はすでに打ってありやすが、もうひとつ策をこうじやすかね。エセル嬢、ここから奴らのラクダの後ろに風の魔法を起こせやすかい?」

「ええ、できます」


「上等。メルの姐さんは、ちいとばかし商人の人たちにはすいやせんが、煙に紛れて積み荷を何個かぶん投げて荒らしてやってくだせぇ」

「わ、私にそんな真似をしろと!」

「エセル様が捕まってもええんですかい?」

「ぐ……八兵衛、覚えてろよ!」

「終わったらちゃんとここに戻ってくるんでさあ!」


メルが煙の中へと駆け出す。エセルはアルケテロス兵のラクダたちに、心の中でそっと謝った。

「ラクダさん、ごめんなさい!」


彼女がイナウレスに触れると、兵士たちのラクダの後方で突風が巻き起こった。

「うわぁぁぁああ!」

驚いたラクダが甲高い鳴き声を上げて暴れ出し、兵士たちを振り落とす。ほぼ同時に、少し離れた場所でガシャンガシャン!と大きな積み荷が崩れる音が響き、八兵衛が声を張り上げた。


「ど……泥棒だー!!!!!」


その声に、「泥棒!?」「野党もいるのか!?」「八兵衛ッ!貴様!」「積み荷を守れ!」と商人たちも大慌てになる。八兵衛はすかさず持っていた石を、他の商隊のラクダに投げ当てた。パニックは伝染し、城門前は暴れるラクダと散乱する荷物、そして人々の怒号が入り乱れる大混乱に陥った。

大混乱の中、メルが不満そうな顔で戻ってきた。


「ここは混乱が恐ろしくて動けませんでした、というような演技をして下せえ。エセル嬢もメルの姐御も、度胸がありすぎて冷静すぎるのが不自然でさあ」

八兵衛の助言に、エセルはこくりと頷いた。


大方の兵士がラクダの対応に追われる中、部隊長らしき男と二人の兵士だけが舌打ちをしながらこちらへと近づいてくる。

「おい、そこのお前たち、顔をみせろ!」


ここまでか。エセルが戦うことを覚悟した、その時。

メルがさっと立ち上がり、自らローブのフードを取った。


「ほう、お前か。たしかにいい女だな」

部隊長が下卑た笑みを浮かべる。

「見つけたぞ! カラッチの女狐どもの一人がいたぞ!」

メルは何も答えず、両手に剣を持ち構える。


「俺の女になるんだったら、生かしてやってもいいんだぜ」

その言葉に、メルの眉がぴくりと動いた。散り散りになっていた兵士たちが徐々にこちらへと集まってくる。

エセルがメルの背後でマターナを発動させようと神経を集中させた、まさにその瞬間。


「――てめえら、俺たちのシマで何粋がってやがる」


地の底から響くような威圧的な声と共に、屈強な男たちが城門の中から現れた。その数およそ二十。城壁の上には弓を構えた者たちもいる。

男たちはエセルたちには目もくれず、アルケテロス教の兵士たちを取り囲んだ。


「俺たちはタハトン・ファミリーだ。これ以上、勝手な真似をしやがったら、ぶっ潰すぞ」


タハトン・ファミリー。カヴァラ港を中心に、南ミズラハ地方を裏で仕切る反社会組織。その名を知らぬ者はこの地に住む者の中にはいない。

アルケテロス教の部隊長は、その名を知らなかったのかもしれない。しかし、二十人を超える屈強な男たちにいつの間にか完全に包囲されているという、圧倒的に不利な状況は理解できた。彼の顔がみるみるうちに引きつっていく。


「我々は、アルケテロス教の正規軍だぞ!」

「知ったことか。ここはチャバハルだ。この街の法は俺たちに決まっとる。とっとと失せな」

「貴様らの法であろうと、我々を蔑ろにするのは不当な差別ではないか!」

「だまれ。野党まがいの連中が法を語っておねだりしてくんじゃねぇ、気持ち悪い。それともなんだい? 街ん中まで煙玉を投げ入れてぶっ放した罪で、正式に裁判にでもかけられたいってか?」

「そ、それは、俺たちじゃねぇッ!」


タハトン・ファミリーのリーダー格らしき男は、アルケテロス兵の必死の弁明を鼻で笑うようにあしらった。まるで駄々をこねる子供を諭すかのように。

部隊長は顔を真っ赤にして最後の威嚇を試みる。


「ロゴス教の異教徒め、何様のつもりだ!世界の覇権を握る、アルケテロス教と一戦交えるつもりか!」

「ん? そりゃ、差別発言か? 何にせよ、宗教を盾にするしか能がねえような自信のねえ奴はちっとも怖くねえな」

「……ッ!」


言葉の刃でも勝負はついていた。タハトン・ファミリーのリーダーは、まるでとどめを刺すかのように、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで言い放った。


「郷に入っては郷に従え。この道理が分からねえなら、後は戦うしかねえなあ……どうする?」


アルケテロス教の兵士たちはもはや何もできずに、すごすごと引き返していくしかなかった。彼らは散乱した荷物の中から自分たちのものだけを慌てて拾い集めると、数頭のラクダを失ったまま夜の闇へと消えていった。


「たく、威張っても恥かくだけだってのに。馬鹿な連中だぜ」


タハトン・ファミリーのリーダーの言葉に、エセルは妙な親近感を覚えていた。彼は間違いなく「悪党」なのだろう。しかし、彼の行動は結果としてこの街の秩序を守り、無用な血が流れるのを防いだ。

身内や書物からだけでなく、学ぶべきものはどこにでもあるのだ。エセルはそのことを静かに心に刻んだ。


嵐が過ぎ去った。

エセルはまだ早鐘のように鳴る心臓を抑えながら、自分たちを一瞥もせずに去っていくタハトン・ファミリーの男たちの広い背中を、ただ見つめていた。


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