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星輪のギメルス  作者: アドム・ザナヴ
第二章 エフェス編 星なき夜の火種  エセル編 北辰の望郷
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エフェス編 第9話【マイムハレムの悲劇】 託されし剣

クレインの制止を振り切って、エフェスは燃え盛る故郷へと走り出した。 煙が目に染み、喉を焼く。熱せられた空気が肺を締め付ける。しかし、そんな痛みなど もはや彼の感覚にはなかった。


村へ続く小道に最初の亡骸があった。頑固で無口な農夫のカレブだ。その胸には見たこともない奇妙な穴がいくつも空いていた。 「……嘘だ」 次に見つけたのは、いつも笑顔でおすそ分けをくれた宿屋の女将ミリアムだった。その隣には薬草師のエリヤも倒れている。 「……嘘だろ」

知った顔が次々と血に塗れたモノとして彼の目に飛び込んでくる。斬られた痕、貫かれた痕、そして服を不自然にはだけさせられた女性たちの無残な姿。 その一つひとつが、エフェスの心に熱した鉄の杭を打ち込むように消えない傷を刻みつけていく。


「ちくしょう……ちくしょう……ちくしょうッ!」


涙で視界が滲む。それでも彼は足を止めなかった。 その時、聞き慣れた声が彼の耳に届いた。


疾風矢(ウインドアロー)!」


マシューだ! 彼の家の前で親友がたった一人、弓を構えていた。その背後には彼の両親とまだ幼い妹が、血の海に沈んでいる。


「マ……」

声をかけようとした、その瞬間だった。 マシューの背後に音もなくアルケテロス教の兵士が忍び寄っていた。振りかざされた剣が鈍い光を放つ。


「マシュ――――――ッ!!!」


エフェスの絶叫は、兵士が剣を振り下ろす方が速かった。 親友の背中を一筋の赤い線が奔る。マシューの体が糸の切れた人形のように、ゆっくりと地面に崩れ落ちていった。


ブツン、とエフェスの頭の中で何かが切れた。 マシューを斬った兵士は、新たな獲物を見つけたかのようにニヤリと笑い、魔法機関銃の銃口をこちらへ向けた。 しかし、エフェスはもう恐怖を感じていなかった。 彼の血の一つでもあるトンボの亜人種の血に由来する驚異的な動体視力と狩人としての本能が、初めて見るはずのその兵器の射線を完璧に読み切っていた。


ドドドドッ!

銃声と共に放たれた弾丸を、エフェスはまるで舞うように交互にステップを踏んで回避する。最短距離で兵士の懐に潜り込むと、腰のショートソードを抜き放った。


野獣二段切り(ビーストスラッシュ)!』

怒りと悲しみ。その全ての感情を乗せた刃が兵士の両腕をいとも容易く斬り飛ばす。返す刃で無防備になった首を一閃した。 人を斬った。 人を殺した。 しかし、彼の心には罪悪感も高揚感も何も生まれなかった。ただ、空っぽの虚無だけが広がっていた。


エフェスは血に濡れた剣もそのままに、倒れている親友の元へと駆け寄った。 その手をためらいもなく握りしめる。

「マシュー……マシュー……うぅ……」

「……エフェスか……。……俺さ……あいつらの、一人に……矢を、当てて……やったんだぜ……」

掠れた声でマシューは、最後の力を振り絞って笑ってみせた。


「マシュー……ちくしょう……」

「……ごめん……な、エフェス……。……俺たちの……かたきを……とって、くれよ……な……」

「マシュー……!」


エフェスがその名を叫んだのと、握っていた手から最後の温もりが消えたのは、ほぼ同時だった。 マシューは目を見開いたまま動かなくなった。 エフェスは誰に教わるでもなく、そっとその瞼を下ろしてやった。


「……マシュー……ごめん……」


友の亡骸をここに置いていきたくはない。しかし、まだ確かめなければならない人がいた。エフェスは唇を噛み締め、自らの実家へと再び走り出した。





村の中心、集会所の前まで辿り着いた時、彼は二人の人影を見た。 息を切らし激昂した様子で誰かを怒鳴りつけているメハンデス。 そして、その前にまるで虫けらでも見るかのような冷たい目で見下ろすように立つ巨大な男。

エフェスは咄嗟にまだ燃えていない家の陰に隠れ、息を殺した。


「ラグザニート少佐! あなたはなんて愚かな真似をしているんですか! こんなことをして、一体何の利益があなたにあるというのですか!」


ラグザニートと呼ばれた大男は何も答えない。


「この村をあなたの物にするとしても、皆殺しにするなど非生産的にもほどがある! あなたは生粋の馬鹿なんですか! すぐにあなたの小隊を止めなさい!」


メハンデスの、普段の穏やかな姿からは想像もつかない激しい言葉。 ラグザニートの顔に初めて苛立ちの色が浮かんだ。


「……わかりました。あなたがその気なら、私の権限であなたの小隊を止めさせます。しかし困りましたね。村人の労働力をあてにしていたのですが、こうなってしまってはあなたの隊にここに残ってもらって、何十年も働かせましょうかね」


メハンデスはそう言い放つと、ラグザニートに背を向けた。 そして吐き捨てるように、最後の言葉を残した。


「たく……だから馬鹿は無能で嫌いなんですよ」


その瞬間だった。 ラグザニートが持っていた槍を、まるで棍棒のように横薙ぎに振るった。 ゴシャッ、と鈍い音が響き、メハンデスの頭から血飛沫が上がる。彼はそのままくの字に吹き飛ばされ、地面にぐったりと倒れた。


「無能はてめえだ。この村で一緒に殺されるんだからな」

ラグザニートはそう呟くと、メハンデスの亡骸には目もくれず村の奥へとゆっくりと歩き去っていった。 エフェスはただ震えることしかできなかった。 敵同士のはずのあの二人の間に何があったのか。そして、あのラグザニートという生命の匂いが全くしない、絶対的な「悪意の塊」。


(母ちゃんは……爺ちゃんは……無事か……!)


恐怖を祈りでねじ伏せ、エフェスは実家へと向かった。 その道すがら、彼は信じられない光景を目にする。


母マリアが戦っていた。 相手はラグザニート隊の中でも一際巨大な二人組。


「兄貴! この女、いい女だけど、やばい! 強い!」

「女! 女! 女!」


獣のような雄叫びを上げる巨漢二人を、母はたった一人で圧倒していた。 その剣捌きは日々の稽古とはまるで別物だった。激しく、荒々しく、それでいてどこまでも美しい。

その時、母の紫色の瞳がこちらを捉えた。


「エフェスッ!」


マリアが叫ぶ。その声に応えるように、彼女の剣がエフェスの動体視力でさえ追うことのできない軌跡を描いた。


「あんたら邪魔! 尾撃薙ぎ(テイル・スイープ)ッ!」


ザシュッ、と軽い音。 二つの巨体がまるでパンが包丁で切られるように、あっけなく一閃された。

次の瞬間、エフェスは母の胸の中にいた。 汗と血と、そして懐かしい母の匂い。


「エフェス……。本当に、よかった……」


その声は震えていた。 エフェスは母の顔を見ることができなかったが、彼女が泣いているのだと分かった。 言葉が出てこない。ただ、母の温もりと匂いが凍てついていた彼の心を少しだけ溶かしていく。 あまりの安心感に、彼の口から思わず場違いな言葉がこぼれた。


「母ちゃん……。二日も家出して……ごめんなさい……」

「……ぷっ!」


母が吹き出すのが聞こえた。 マリアはそっとエフェスの肩に手を置き、顔を覗き込んだ。その瞳は涙で濡れていたが、口元はいつもの優しい笑顔だった。


「ははっ! あんた、それを今言うかい! もうそんなことはどうでもいいんだよ」

マリアはエフェスを強く抱きしめた。


「あんたが生きてる。こんなに嬉しいことはないんだよ」


その言葉に、堪えていたエフェスの涙腺が完全に壊れた。

「母ちゃん……っ!」

その時、家の裏からヤコブが姿を現した。


「マリアさんや! エフェスはまだか!」

「今、帰ってきました!」

「おお! エフェス! よう生きとった!」

ヤコブもまた涙を浮かべて孫の無事を喜んだ。しかし、その表情はすぐに厳しいものへと変わる。


「エフェス、もう時間がない。わしらはできるだけ村に残っている者を助けるが、お前はフィリピにいるタダイ叔父さんのところに行くんじゃ!」

「いやだよ! 母ちゃんや爺ちゃんが戦うなら、おいも戦う!」

「駄目じゃ! おぬしにはまだ勝てる相手ではなか!」

「……マシュー達のかたきを、おいは討ちたかと……」


マシューの血で汚れた自らの拳を見つめ、エフェスは声を絞り出した。 その言葉に、マリアとヤコブは苦渋の表情を浮かべる。


「エフェス。お願い。家出をして反省した分だけ、今回はお母さんの言うことを聞いて……。あなたはラバに乗って南のフィリピまで逃げて。お母さんは後で絶対タダイ叔父さんの家まで行くから。そこで良い子で待ってて」


いつになく真剣な母の言葉に、エフェスは何も言い返せなかった。 俯く孫の前に、ヤコブが一本の剣を差し出した。 儀式の時にだけ使われるトーダー教の星剣、オールエッシャー。


「エフェス。この星剣も持っていくんじゃ。この剣さえ奴らに奪われなければ、トーダー教の信仰はまだ途絶えん」

「この剣を……父ちゃんに……?」

「そうじゃ。お前のお父さんに渡すんじゃ」

「……うん。わかった」


エフェスが頷いた、その時だった。 地の底から響くような重い声が、彼らの背後から聞こえた。

「ここにゴミどもが、まだいたじゃねえか……」


ラグザニートだった。

「エフェス! 急いで!」

マリアはエフェスを無理やりラバに乗せ、オールエッシャーを鞍に括り付けた。


「母ちゃん、爺ちゃん! 絶対にフィリピで待っとるけんね!」

「当然じゃ」 ヤコブはいつもの優しい笑顔に戻っていた。 マリアの顔は強く、そして美しかった。

「もちろんよ、エフェス。さあ、行きなさい!」

マリアがラバの尻を強く叩いた。


「絶対やけんねー!」


エフェスは遠ざかりながら何度も叫んだ。 その姿が見えなくなるのを、二人はじっと見つめていた。


「……エフェス。愛しているわ」


マリアがそう呟いた。 その背後からラグザニートの嘲笑うような声が聞こえる。

「最後の別れは済んだか」


マリアはゆっくりと振り返った。 その顔から母の優しさは完全に消え失せていた。そこにあったのは、我が子を脅かす者を八つ裂きにせんと欲する、獰猛な母親の顔だった。


「この村に手を出して、ただで済むと思うなよ、この糞脳筋野郎」

「こやつだけは……この世に生かしてはいかんのう……」


マリアとヤコブの静かな、しかし燃え盛るような闘気がラグザニートを包み込む。 そんな二人を見てラグザニートは不敵に笑った。 そして、その体がバキッ、ゴギギッ、と骨が軋むおぞましい音を立てながら膨張を始めた。


「はっ! 上等だ! 貴様らがどれだけ無力でちっぽけな存在か、分からせてやる……! この選ばれし存在にひれ伏すがいい!」


ラグザニートの体が二倍近くにまで巨大化し、その全身が獣のような硬い毛で覆われていく。 その姿はもはや人間ではなかった。 ただ破壊と殺戮だけを喜びとする、巨大な猿の化け物だった。


「逃げたきゃ逃げろ!早く逃げねぇと、皆殺しだ!ゲハハハハーッ!」


マリアは舌打ちした。

「チッ……。人工・神鬼化(マフテア)ってやつかい!」

「マリアさん! 関係ない! 全力でいくぞい!」

「……はいッ!」


二つの魂が光を放つ。 その輝きと轟音を背中で感じながら、エフェスはただひたすらに南へとラバを駆り立てていた。

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