エフェス編 第8話【マイムハレムの悲劇】 騒ぐ森
「──それは、本当ですかクレイン!」
アルケテロス教開拓軍の野営地に、メハンデスの珍しくも鋭い声が響いた。その問いを受けたのは、大きなゴーグルを額にかけたホビット族の小柄な青年だった。工兵兼魔法技師であるクレインは、恐怖と混乱で青ざめた顔を必死に縦に振る。
「はい!博士! 確かに、ラグザニート少佐がこの村を皆殺しにすると……!」
「なんてことだ……。粗暴な男だとは思っていましたが、これほど愚かとは……。それで、小隊は全員ガラーシャ村へ向かったのですか?」
「そのようです。周りの兵士たちも……雄叫びを上げてやる気でした」
「隊長が隊長なら、やはり部下も部下か。意志が無い者は、悪い部分だけを見倣ってしまう……」
メハンデスは、まるで世界の全ての愚かさをその目で見てきたかのように諦めを含んだ声で吐き捨てた。深いため息をつき、一瞬「なぜ私がこんな後始末を」という責任者の苦悩を顔に滲ませたが、すぐにやるべきことを定めた者の表情へと変わる。
「クレイン! あなたは非戦闘員の魔法技師です! 決してここを動かず、拠点に戻って隠れていなさい!」
メハンデスはまだ震えの止まらないひ弱な青年にそう厳命すると、一人マイムハレムの関所へと続く道を足早に向かった。
「事が起こる前に……止めなければ……!」
◇
午前十時半頃。マイムハレムの関所を守る門番ゲデオンの鋭い目が、森の木々の間からこちらへ向かってくる一団の姿を捉えた。アルケテロス教開拓軍の者たちだ。しかし、その様子は明らかに異常だった。
(……おかしか。人数が多すぎる)
昨日、村長たちとの会合に訪れたのはメハンデスとラグザニートの二人だけだったはずだ。だが今こちらへ向かってくるのは、ラグザニートを含めおよそ十四名。昨日の報告にあった総勢二十二人とは違うが、それでもただの挨拶にしてはあまりにも物々しい。しかも彼らは一切の歩みを緩めることなく、まっすぐに関所へと向かってくる。
ゲデオンの顔つきが、温厚な狩人のリーダーから戦士のそれへと変わった。
「奴らが動いた! 急いで村のみんなに伝えてくれ! おそらく攻めてくるぞ!」
「は、はいッ!」
隣にいた若い見張りの一人に叫ぶと、伝令は緊張と焦りに顔を引きつらせ、今にも腰が抜けそうな走り方でガラーシャ村へと続く道を駆けだした。
残されたのは、ゲデオンを含めわずか五名。 マイムハレムの関所は辺境の地のそれらしく、簡素な木造の物見やぐらと門、そして決して高くはない石造りの塀があるだけだ。本気で攻められれば、ひとたまりもないだろう。
ゲデオンは最悪の事態を覚悟し、残った四人の仲間に声をかけた。
「よかか。奴らが攻めてきたら、門番のおい達は生きては帰れんかもしれん。じゃが、相手は全員で二十二人。この関所で一人でも多く奴らを殺し、村には一兵たりとも行かせんごと!」
「お……おうッ!」
四人の顔にも緊張の色が浮かぶが、その目には故郷を守る者としての覚悟が宿っていた。 ゲデオンと他の二人は物見やぐらの上へ。残る二人は門の内側で閂を固く閉ざし、壁の狭間から迫りくる敵を監視する。
ラグザニート隊が門から五十メートルほどの距離まで近づいた時、ゲデオンが腹の底からの大声で呼びかけた。
「アルケテロス教の開拓軍! そこで止まれい!」
百メートル先まで届くほどの大音声。聞こえぬはずはなかった。しかし、彼らは止まらない。 三十メートル。ゲデオンは再び声を張り上げる。
「アルケテロス教の開拓軍! 聞こえているだろう! そこで止まれい!」
高まる緊張の中、ゲデオンの脳裏にふと疑問がよぎる。なぜ十四名しかいない? 残りの兵はどこだ。
「前はおいが見とっけん! お前は周りに奴らの仲間がおらんか、見張ってこい!」
右隣の見張りにそう指示を出した、まさにその瞬間だった。
ドンッ!
マイムハレムの森では決して聞くことのない、乾いた破裂音が響き渡った。 あまりの突然の音に、ゲデオンの思考が一瞬停止する。はっと我に返り左右を確認した彼の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。 左にいたはずの見張りが、その脇腹から血を流しうめき声を上げて崩れ落ちていたのだ。
「おい! しっかりしろ!」
駆け寄ろうとするが、思考が追い付かない。どこからだ。潜んでいたのか。何を使った。次の指揮は。先に手を出してきたのは奴らだ。反撃せねば。 混乱が思考の渦となってゲデオンの頭を爆発させようとした。彼は、その衝動を断ち切るように自らの頬を力任せに殴りつけた。
「ふーッ……! 考えとる暇はなかッ!」
ゲデオンは天を仰いで叫んだ。
「お前ら! やられる前にやるぞ! 弓をひき剣をとれ!」
「う……うおおおおおおッ!」
ゲデオンの咆哮に応え、残った三人もまた自らを鼓舞するように雄叫びを上げた。 その様子をラグザニート隊の中から、一人の女兵士が嘲笑うように見ていた。斥候兵のエルザだ。
「あら、田舎者の中にも男はいるものね。外見はタイプじゃないけど、私も遊んでみようかしら」
「エルザさん! そりゃないですよと、兄貴も申しております!」
巨漢のバルガス兄弟の弟アイザックが軽口を叩く。副官のゲルドがそれを冷静に諌めた。
「お前ら油断するな。俺たちは一人でも欠けたら、戦況的に一気に不利になるんだぞ」
そのあまりに不謹慎な会話の最中、ゲデオンが放った矢がラグザニート隊の兵士の一人の額を正確に貫いた。
「あーあ。もったいない。一人減っちゃった」 エルザが心底つまらなそうに呟く。 「いいからお前らさっさと働け!」
ゲルドが檄を飛ばす。
そしてゲデオンが最後の警告を叫ぼうとした。
「おまえら、誰一人としてこの村から……!」
その言葉は、最後まで紡がれることはなかった。 ラグザニートが隣の兵士から無造作に槍を奪い取ると、こともなげにゲデオンに向かって投げつけたのだ。 それは軽く投げたようにしか見えない、あまりに無駄のない動きだった。しかし、放たれた槍は唸りを上げて空を裂き、ゲデオンが反応する暇さえ与えず、その屈強な胸板を深々と貫いた。
「ヴ……ゴフッ……」
ゲデオンは自らの胸に突き刺さった槍を、信じられないという目で見下ろす。脂汗をかき血を吐き出しながら、彼は故郷の空を一瞥すると、無念の表情のまま物見やぐらから力なく落下した。
残された三人の見張りは、自分たちの、そして村の守護神であったゲデオンのあまりにあっけない最期を目の当たりにし、その顔から完全に戦意を喪失させていた。 ラグザニートはそんな彼らを、虫けらでも見るかのような冷たい目で見下ろすと、自らの部下たちに静かに、しかし有無を言わせぬ覇気を込めて告げた。
「いちいち遊んでるんじゃねえ。目の前に人がいたら殺れ。お前らもやる気がねえなら、俺が殺すぞ」
ピリッと、ラグザニート隊の兵士たちにも緊張が走る。 先ほどまで軽口を叩いていたバルガス兄弟もゴクリと唾を飲み込み、エルザは恐怖しながらも、その瞳を嗜虐的な喜びに爛々と輝かせていた。
そしてラグザニートは、ただ一言命じた。
「殺れ」
その言葉が引き金となり、十数丁の魔法機関銃が一斉に火を噴いた。 乾いた破裂音が、平和な森に、何度も、何度も響き渡った。
◇
午前十一時半頃。 レイブードヤアルの森の中、エフェスは鳥たちのただならぬ鳴き声と羽ばたきで、浅い眠りから目を覚ました。
(……なんや、今の音は……)
どれくらい眠ってしまったのだろう。木々の葉の間から空を見上げ、太陽の位置で大まかな時間を確認する。 仮眠をとったおかげか頭はすっきりとしていた。そして不思議なほど気持ちも前向きになっていた。 朝、あれほどまでに心を支配していた母への苛立ちや家に帰ることへの羞恥心が、まるで森の朝霧のように晴れていたのだ。
「……うん。帰って母ちゃんに謝るか。このまま逃げとるだけじゃ格好悪か。堂々と帰って思いっきり怒られた方がずっとマシやね」
自己完結。それは少年が大人になるための最初の小さな儀式だった。 エフェスは家から持ち出した道具をてきぱきとまとめ、帰る準備を始める。
「よし! そうと決まれば、なんか土産の一つでも狩って帰っかね!」
気持ちが切り替わった影響か、足取りは驚くほど軽かった。
「エセルにこげなみっともない姿は見せられんしな……」
脳裏に数日前に別れたばかりの、愛しい少女の笑顔が浮かぶ。エフェスは少し照れくさそうに、そして自分を省みるように苦笑いを浮かべると、ガラーシャ村へと続く道をまっすぐに進み始めた。
しかし、村に近づくにつれて彼の本能が森の「異変」を敏感に感じ取っていた。 鳥たちが逃げるように南へ飛んでいく。獣たちの気配が全くしない。そして言葉では言い表せない、森全体のざわめき。
エフェスは足を止め、耳を澄ませた。 村の方から何か硬いものが割れるような乾いた音が、断続的に聞こえてくる。そして鼻腔をかすめる、何か焦げ臭い匂い。
胸騒ぎが彼の心臓を鷲掴みにした。 エフェスは先ほどまでの軽い足取りが嘘のように、全速力で村へと駆けだした。 森を抜けようとした、その時だった。
視界が開けた先に、彼はそれを見た。 空へと立ち上る、巨大な黒い煙。 その煙の根元に目をやると、彼の全ての思考を停止させる光景が広がっていた。
家々が、燃えている。 彼が生まれ育ったガラーシャ村が、燃えているのだ。
「……何かよ……あれは……」
エフェスの口から、理解を拒絶する乾いた言葉が漏れた。 思考が回らない。ただ、目の前の悪夢のような光景を瞬きもせず見つめることしかできなかった。
その時、彼の視界の端に動く人影が映った。 木陰でこちらに背を向け、村の方を見ながらその小さな肩を震わせている。昨日関所で出会ったメハンデスと同じような機能的な服。そして大きなゴーグル。 アルケテロス教の小さな男だ。
(誰や、あいつ……?)
放心状態のまま、エフェスはまるで夢遊病者のようにその小さな人影にふらふらと近づいていった。 そして、ほとんど無意識のまま声をかけた。
「……ねぇ、あんた……」
その声に、小さな体はビクッと大きく跳ねた。 ゆっくりとこちらを振り返る、その顔。 それは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった、まだあどけなさの残る若いホビット族の青年の顔だった。
(なんで……泣いとると……?)
エフェスは混乱したまま、問いかけた。
「ガラーシャ村で……何が起こったと……?」
「あ……あ……」 青年は言葉にならない嗚咽を漏らすだけだ。 エフェスは最悪の答えを、自らの口で紡いでしまっていた。
「もしかして……あんたらの仲間が……やったんか……」
その言葉は、まるで引き金だった。 青年はわっと泣き崩れると、エフェスの肩をその小さな手で力強く掴んだ。
「早くここから逃げるんだ! もうこの村はなくなってしまう! 君だけでもいい! 早く逃げてくれ!」
青年の悲痛な叫びが、エフェスのまだ麻痺していた思考に重く、重く響き渡った。
「しっかりしろ!」
その言葉で、エフェスの心の中で何かがぷつりと切れた。 理解と拒絶。悲しみと怒り。全ての感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、彼の喉から絶叫となって迸った。
「うわあああああああああッ! なんで! どうして! おい達の村が襲われんばならんと! なんの理由があっとか! おい達はなんもしとらんやろうが! ふざけたことばぬかすなッ!」
クレインと胸に名前が刺繍された青年は、本当に悔しそうに、そして申し訳なさそうに泣きじゃくりながら答えた。
「……すまない……。僕や博士では……彼らを止められなかった……。なんで……こんな非道なことが……」
謝罪の言葉。しかし、それは今のエフェスには届かなかった。 なぜ敵であるはずの彼が泣いて謝るのか。 なぜ泣いて謝るなら、こんな悲劇が起こるのか。
そしてエフェスは悟ってしまった。 この青年に何を言っても何も変わらない。目の前のこの地獄は、決して覆らないのだと。
彼はもはやクレインの制止の声も耳に入らないまま、ただ衝動のままに燃え盛る故郷の中心へと走り出していた。
「待つんだ! そっちに行っちゃ駄目だ! 君も殺されるぞ!」
その声は、もう彼を止めることはできなかった。 ただ、皆の無事を確認したい。 ただ、皆の顔が見たい。 マシュー、モー、マキリ、レラメッド、ゲデオン、エリヤ、サラ、オルマ、ヤコブ……。 そして、母マリアに。 ただ、ひたすらに会いたかった。




