死にゆく聖女に愛の呪いをかけられた男の話
「死にゆく聖女は愛の呪いをかけた」のヴェスパー(聖女の夫)視点。
ひっそりと1人で生きるつもりだった。この世界に転生した私は、前世の記憶を持ちながらも、それを使うつもりは全くなかった。
政略的な結婚にも、家の繁栄にも興味がない。それは周囲の人にとってさぞ異様に映ったことだろう。「変人」と言われることもあった。
しかし、リースト侯爵家の長男として生まれたからには、やはり結婚をしなくてはならず。王に命じられたのは聖女との結婚だった。
聖女。自身の命を削ることで治癒魔法を使うことができるという。そんな聖女を国から逃さないため、未婚の私に結婚するようにという王命が下った。
結婚をしろというのなら、するしかない。ほぼ初対面の状態で結婚に臨んだ。
聖女――アウロラ・ベルク伯爵令嬢。それが私の結婚相手だ。
結婚式は問題なく終わり、彼女と2人きり。前世でも今世でも、女性と話す経験は少ない。何を話せば良いか困っていた私に、彼女は言った。
「ヴェスパーさま。体調が悪いのですか? 治癒魔法を使いましょうか?」
命を削っているはずなのに。当然のように、彼女は治癒魔法を使うことを提案してきた。
「治癒魔法は、命を削って使うのではないの?」
「おっしゃるとおりです」
「それなのに、なぜ私に使うの?」
そんな簡単に治癒魔法を使わない方が良いのではないか。そう思って尋ねると、彼女はきょとんとして答えた。
「私は聖女ですから。頼まれるままに、命じられるままに、魔法を使います」
それは、酷く異様なことに思えた。自分に前世の記憶があるからだろうか。彼女も、世間の人々も、聖女が命を削って治癒魔法を使うことになんの違和感ももっていない。
彼女を「聖女」のままにしていては駄目だ。そんな焦燥感が湧き上がった。
「……アウロラって呼んでもいい?」
「もちろんです。名前で呼ばれることなんて滅多にないので、嬉しい」
そう言って笑うアウロラは無邪気で、美しくて、可愛くて。そんな彼女と話していると、この異世界に自分の居場所ができた気がして。
彼女を好きにならないことなんて、無理だった。
◆
そんな彼女は、目の前のベッドで苦しそうに呼吸をしている。聖女として、治癒魔法を使い続けたせいで。
もう死の間際だということは明白だった。
「やめてくれ、アウロラ。いかないで」
そう言ってアウロラにすがりつくが、彼女は起き上がることもできない。ゆっくりと彼女が口を動かし、私の名を呼んだ。
「ヴェスパーさま」
「アウロラ。愛しているよ」
愛している。本当に。彼女と出会って世界が変わった。結婚を命じられたのがアウロラで良かったと強く思う。
ルビーのような美しい赤の瞳を私の方に向けた彼女は、掠れそうな声でもう一度私の名を呼んだ。
「ヴェスパーさま」
「アウロラ、どうしたの?」
何か私に伝えたいことがあるのか。そう思って私の名を呼んだ彼女に顔を近づけた瞬間。彼女は私に口づけをした。それと同時に、動かなかったはずの左腕に温かい感覚が広がる。
動かせなくなるほどの左腕の怪我を、治すことをアウロラは前にも提案してくれた。それでも、私は治さないでとアウロラに言っていた。彼女の命を削ってまで治癒することは望んでいなかったから。
それなのに。アウロラは最期の瞬間、口づけとともに治癒魔法を使った。私の左腕を治すのに最後の力を使ってしまった。
「アウロラ!」
勝手に涙がこぼれ落ちる。アウロラの名を呼ぶことしかできない。彼女は私を見て、満足げに笑って。そして動かなくなった。
◆
アウロラのいない世界は濁って見えた。自身の生きている意味も分からず。食事はおいしいと思えないし、どんな景色を見ても美しいとは思えない。
アウロラのいない世界で、生きていける気がしなかった。最後のアウロラとの口づけを、永遠に忘れることはできない。何十回、何百回と思い出す。
アウロラ。愛するアウロラ。どうして彼女は私を置いていったのだろう。どうして。どうして。
そんな私は、神に祈ることしかできなかった。
毎日、毎日。狂ったように神への祈りを捧げ続けた。どれくらいの期間経ったかも分からない。アウロラのいない世界では、時の過ぎ去る感覚なんてどうでもよかったから。
そしてある日。目が覚めたら。
10歳のときまで、時間がまき戻っていた。
◆
時が巻き戻る前に何度か考えたこと。
前世の知識を使えば、病気を減らすことができるのではないか。最大限の努力をすれば、前世の記憶と侯爵という地位を使って戦争を長引かせないよう、介入できるのではないか。
前は「前世の記憶を使うと、この世界の常識を変えてしまうのではないか」などと言い訳を作って何もしなかった。
その代償が、アウロラの死だ。
時がまき戻るという奇跡。絶対に、無駄にはしない。
愛するアウロラのことを考える。彼女はどこまでも「聖女」だった。
彼女は、命を削ることを「不幸」とも思っていなかった。そんなの、やりきれない。もっと、自分を大切にしてほしい。
自分より10歳年下のアウロラは生まれたばかりだろう。聖女としての仕事は10歳から始まってしまう。だから、それまでに解決をしなければ。
こうして私はこの世界を変えることを決めた。それが例え、この世を歪めることになったとしても。
◆
そこから10年。私は20歳になった。アウロラは10歳になったことだろう。
「聖女」を道具ではなくすことができた、と思う。
手洗いが大事。石鹸やマスクの幅広い普及。換気の重要性。公衆衛生という概念。この世界の人間が知らなかったこと。それを周知させた。戦争が起きそうな原因も全部潰した。介入できそうなところは介入した。
それらは、『聖女』が治癒魔法を使わないために、流行病や怪我を減らしたかったからだ。
それは上手くいったと信じたい。聖女が必要な状況は減ったから。
そんなある日、気がついた。アウロラに求婚しないと。他の男に取られてからでは遅い。魅力的なアウロラは誰かに見初められるかもしれない。
私は政略結婚の必要もない。ある程度の功績を立てたはずだ。仮に必要だという人間がいるのなら、それ以上の前世の知識を利用とした国への貢献をしても良い。
アウロラが生きて、笑っていてくれたのなら。できるのなら私の1番近くで。それが私の願いだ。それが可能なら、利用できるものは何度でも利用する。
◆
プロポーズ、いや、今回は婚約の申し込みだ。しかし、その贈り物が真っ赤な薔薇だというのは前世の記憶を引きずりすぎだろうか。
その薔薇の赤よりも、アウロラの瞳の赤の方が美しい。早くその赤を見たい。そんなはやる気持ちでアウロラの家へと向かう。彼女の前で跪いた。
「どうか、私と結婚してください」
「え……?」
真っ赤な瞳をこぼれ落ちそうなくらい見開いた彼女を見て、少し焦りが生まれる。
彼女が何も覚えていなかった場合。私はただの変質者じゃないか。大きな花束を持って、いきなり求婚をしにきた変人。
不味い。このままではアウロラに気持ち悪がられて終わりだ。
「なぜ、あなたが私に求婚なさるのですか?」
「なぜ? それはアウロラ、嬢。あなたと結婚をしたいからです」
ああ……。口を開けば開くほど、墓穴を掘る気がする。アウロラのことを思わず呼び捨てしそうになった。
もう駄目だ。きっと、アウロラに拒絶されて終わりだ。
「リースト侯爵閣下。今、私のことを……。いえ、なんでもありません」
彼女のその言葉が引っかかった。アウロラが何を言いたかったのか。
1つの可能性を思い当たった。しかし、それはあまりにも自分にとって都合が良すぎる話だ。
「アウロラ。もしかして、覚えている?」
「はい。何が起こったのかは分かっていませんが」
良かった。本当に良かった。アウロラも、覚えていた。感極まって、思わず彼女を抱きしめる。薔薇の花束を落としてしまったが、それよりも彼女を抱きしめる方が大事だ。
「待ってください、ヴェスパーさま。婚約も、していないのに。抱きしめるなど」
その言葉に我に返る。もしかして、遠回しに結婚を断られているのだろうか。
「今度は、結婚してくれないの?」
彼女が生きているだけでいい。そう思っていたはずなのに、アウロラの気持ちまでほしいという自分の傲慢さを自覚して、息が苦しくなった。
美しい赤の瞳を見開いた彼女が息を呑んだ。そしてゆっくりと口を開く。
「結婚します」
「良かった」
気持ちが跳ね上がる。今までと比べものにならないくらい心が軽い。
しかし、はっとした顔をしたアウロラが、気まずけに言った。
「ヴェスパーさま。私はあなたと結婚したいです。それでも、難しいのではないですか?」
「なんでそう思うの?」
じっと彼女を見つめると、アウロラは柔らかい瞳のまま、はっきりとした口調で言い切った。
「前は聖女という価値があるからあなたと結婚できました。今回は聖女の地位はそこまで高くないです。だから、侯爵のあなたとの結婚は難しいかと」
そこで納得をした。
時が戻る前の結婚は王命。結婚という名目で、聖女を国に縛り付ける目的だ。反吐が出そうになる理由の、結婚。
しかし、今回は違う。私が国を平和にしたから。聖女と結婚するような王命は出ないはずだ。
その状態で、私とアウロラが結婚する理由はどこにもない。そう言いたいのだろう。
そんな些細なこと、どうにでもなる。思わず口角が上がった。
「私がなんとかする。してみせる。アウロラの家の名誉を少しも傷つけることなく、君と結婚する。絶対に」
国を平和にした褒賞としてもいいが、それだとアウロラの家が「道具」のように見えてしまう可能性がある。
ただ、私がアウロラと結婚したいといえば問題ない。理由付けがなくてもできるはず。
国を平和にした、「ヴェスパー・リースト」なら可能だ。
いきなり変な知識を広めだし、それが上手くいった私はさぞ脅威だろう。それでいい。
アウロラを愛するところを見せつけ、アウロラだけが私を止められることを示唆したらいい。
それでも結婚を反対する人がいるのなら、見ものだ。
国を平和にできるということは、国を混乱に陥れることもできるのだから。
不安げに私を見つめるアウロラに私は笑みを向けた。
「ヴェスパーさま」
「なに?」
「なにか、変わりましたか?」
「私は私のままだよ。君を愛している私は、何も変わっていない」
何も変わっていない。覚悟が決まっただけだ。アウロラを喪うことなどしないと決意した。ただ、それだけ。
しかし、少し黙った彼女はぽつりと言った。
「ヴェスパーさま、ごめんなさい」
「何への謝罪?」
急に謝られてきょとんとしていると、アウロラは躊躇いながらも口を開いた。
「私が死ぬ直前、あなたに治癒魔法を使ってごめんなさい。あの後、ずっと忘れられなかったでしょう?」
「……忘れた日はないよ」
ずっと。ずっと覚えていた。彼女を喪う瞬間を。私に口づけをしながら治癒魔法を使った瞬間を。忘れなど、しない。
「あれは呪いのつもりだったのです」
「呪い?」
「私を忘れないでという、呪い。非道で残酷なもの」
呆気にとられた後、じわじわと湧き上がるのは歓喜だった。
自分だけではない。彼女だって、私に忘れてほしくなかった。
「あはは。そうか。呪いか。言い当て妙だね」
「……怒らないのですか?」
おずおずとアウロラに尋ねられ、笑みを浮かべながら答えた。
「怒らないよ。私だってアウロラのことを忘れたくなかったから」
むしろ本望だ。彼女が忘れないでほしいと願ってくれていたのが、嬉しくて仕方がない。
呪い。それを聞いて、ふと思いついた。
「それなら、私も君に呪いをかけよう」
「え?」
「本来なら、この世界には『ないはずのもの』を『ある状態』にした。私は、この世界を歪めたんだ。君に魔法を使わせないために」
彼女はきょとんとしながら問うてくる。
「本来ならこの世界になかったもの、ですか?」
「手洗いが大事。石鹸やマスクの幅広い普及。換気の重要性。公衆衛生という概念。絶対にこの世界の人間なら知らなかったこと。それを周知させた。戦争が起きそうな原因も全部潰した。それらは、『聖女』が治癒魔法を使わないために、流行病や怪我を減らしたかったから」
全て前世の記憶。本来はなかったはずのものを「存在させた」後、この世界がどうなるかは分からない。
前世に生きた地球のように、環境は破壊されるかもしれない。空気は汚染するかもしれない。資源は足りなくなるかもしれない。
それでも、私は実行した。「聖女」を道具から人にするために。
「なんでそんなことができたのですか?」
「……ごめんね。本当は、前もできたんだ。私は知っていた。それでも、いろいろ言い訳を作ってやらなかった。そのせいで、君は……」
自分が何もしなかった。それがアウロラを死なせた。それを忘れてはならない。
「だから今度こそ。絶対に君を死なせない」
これは、誓いだ。愛するアウロラへ。
彼女にだけ聞こえる声の大きさで囁いた。
「アウロラ、愛しているよ」
「私もヴェスパーさまを愛しています」
ああ。これ以上の幸福があるだろうか。愛する人が生きていて、愛していると言ってくれる。
例え世界から批判されても。私はあらゆる手段を使って彼女を守る。