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これは。
彼女が死ぬまでの2年間の話だ。
数多存在する銀河の一つに、とある不思議な力を持つ銀河がある。国々が星をめぐりその力を使い争い、人々と共に消滅と誕生を繰り返していた。
その中のひとつの国「セイト」は、鍛え上げられた軍と、その力により国の平和を守っていた。
「セイト」に住むケイは、強風につい片目を閉じた。長い髪が風になびく。夜はほとんど光がないここは、街をぐるりと囲む城壁の外だからだ。城壁とは言っているが、中心地にある城は今や単なる憩いの場であり、施錠ができる門があるわけでもない。元々門は存在していたが、休戦以降不要だと判断された場所では取り外されたのだ。ある意味、平和の象徴であるとも言えるだろう。だが門がないからこそ、こうして深夜近くになっても自由に人が行き来できてしまうのだ。実際のところ、守るべく城は別の場所にあり、外からの侵入を防ぐための防護壁はもっと外側に存在している。それは主に港にあり、陸地の守備はやや甘くなっているのだろう。もっともこの「セイト」が最大限に警戒をするべきはかの国だけだった。あの国とは休戦状態であるから、その結果が、今のこの門がない城壁なのだ。
城壁は煉瓦でできている。ひとつひとつ積み上げたのだろう。これを造った先人達の努力は計り知れない。
「…それで、このあたりで男たちに誘拐されそうになったのか?」
ケイがいうと、ヒビキは少し周りを見渡し、
「はい。夕方に城壁の外から馬できたんです。その時、背後からとっても綺麗な夕日が街を照らしていました。城壁の間から見えてその光景が見えて……灯りが見えた。あの色は、紫だった」
「紫…?」
街にある商店は、灯りによってその職種を表していることが多い。
紫色の灯りなど、正直見たことがない。
ケイは今抜けた城壁を振り返る。そこからは、赤や青の灯りは見える。だが紫はやはり無い。
「ならこの場所ではなかったんじゃないか?」
「…うーん…でも確かに、北の街道を通ったから、ここだと思うんですけど…」
彼女はそう言いながら、城壁へと続く道と、街の入口を交互に見ている。
「ーーーーーーヒビキのことを襲った人間のことは見たのか?」
「はい…ただ、一瞬で」
背後から襲われ、反射的に腕を引き相手に繰り出そうとしたものの、布のようなものを頭から被せられたのだろいう。その時に一瞬だけその姿を見たのだ。
「黒い髪と、黒い瞳」
黒い髪と黒い瞳。それをもつ人間は、この国にはいない。それはとある国の特徴だ。
「ーーーーーー間違いないか?」
ケイは低い声を出す。今日の日中、彼ら二人はその特徴の人間たちに会ったばかりだ。
「あの国の者たちが城壁の外で、セイトの若い女性を誘拐している、と?」
「ちょっと待ってください。ますます意味がわらかない。なぜ、休戦中のあの国が…?」
ケイはため息を着くと、人差し指でグイグイと額を押さえた。
ちゃんと頭の中を整理しないと、混乱をしてしまう。セイト、第三公国、そしてライス。そして彼らが言う「その人」。
「……とことで、ヒビキはどうやってその誘拐犯たちから逃れてきたんだ?」
失踪事件で戻ってきたのは、昼間にハンが出会った女流作家だけであったはずだ。
「青い布みたいなものを被せれらんですけど、視界は奪われていなかったので」
男たちを文字通りぶん投げてきたというのだ。
「私が反撃するとは思わなかったんでしょうねぇ。数発殴りあったんですけど、勝ち目がないと思ったのか、逃げて行きました」
「ーーーーーー相手は、やり手だったか?」
「そうですね。割とできる方でした、私とはほぼ互角」
ケイは小さく舌打ちをした。
単なる賊の誘拐ではない。この失踪にはかの国々が関わっている。そして実行したもの達は手練れだ。その者たちはこの国最強の船艦と言われたあの船で艦長直属の部下だった彼女一人相手に、ほぼ互角の戦いをした。
つまりーーーーーー。
「女流作家がそこから逃げ出せる可能性は限りなく少ない」
「ーーーーーーっ!」
隣りでハンが息を飲む。
「戻るぞ、ハン!」
「はい!」
ケイは城門の中へと走った。走りながら振り返ると、
「ヒビキ!お前は家に帰れ!」
そうして家の鍵を彼女に向かい、放り投げる。それを見事に受け取ったヒビキは、「艦長たちのお家に?」と大きな瞳をもっと見開いた。
「しっかりと戸締りをしておけ!」
ハンもそう叫ぶと、その後は振り返ることなく、昼間向かった女流作家の家へと向かったのだった。
外から見る限り、昼間と違うのはこの静けさだけだ。
日中は陽の光がさんさんと降り注いでいたが、今はほとんど光がなく、家々の間は真っ暗だ。家の扉に掲げられている灯りで、かろうじて周りが見える程度だ。
その中のひつとの扉に向かう。背をつけると、そっと耳を押し当てた。
中から音はしない。
ケイはハンを指さすと、その人差し指をぐるりと右回りに一回りさせる。男は頷くと、家の壁沿いに、右回りへ歩き出した。その手には、銃が握られている。ケイはそれを見届けると、また耳を済ませた。やはり中から音はしない。
今日のハンの訪問で警戒し逃げ出したのかもしれない。だがまさか、あの時はこんな事になるとは思いもしなかったのだ。
ケイは扉から数歩下がる。少し背を屈め、体をやや横向きにするとそのまま扉に勢い良く体当たりをした。ドン、という大きな音と共に体に衝撃が走る。2度目にぶつかった時、木製の扉はこれまでと違う音を出した。蝶番が緩み始めたのだ。ケイは首を左右に折る。ぼきっと音がする。肩以外にも首も凝っているな、と場違いな事を思い、次には扉に向かい片足を繰り出した。
大きな音を出し今度こそ壊れかけた蝶番に引っ張られる形で扉が開いた。
中は真っ暗であった。
ケイも懐から銃を取り出すと両手でそれを構える。うっすらと辺りが明るく見え出したのは、恐らく自分の瞳のせいだろう。弱い光ではあるが、白銀に輝きはじめる。
ケイはその瞳で周りを見渡し、部屋へと足を踏み入れた。
入ってすぐに大きな部屋があった。奥に続くのはキッチンだろうか。通りとは反対側の壁にひとつのベッド。その横に小さな机と椅子が2脚。本棚にはたくさんの本が入っていた。
ベッドの上には窓が一つある。窓に映る動く影は、この家を右回りに様子を見ているハンだ。
ケイは足音をたてず、奥のキッチンへと向かった。
ゆっくりと扉を開ける。軋む音が妙に響くのは、この家が静かすぎるからだ。キッチンはさらに暗く、小さな窓から辛うじて入る月明かりで、調理器具が確認できた。
キッチンへと一歩足を踏み入れる。
次の瞬間だった。
風が動く気配に、ケイは真後ろを振り返った。開いた扉の後ろに気配を見る。大きく後ろに下がると同時に、そこから出てきた輩がケイに向かい何かを振り下ろしてきた。
しゅん、と風を切る音に、ケイは奥歯を噛み締めそれを避ける。そしてそれは、知った音だった。
「ーーーーーッ!」
月に光ったのは、振り下ろされる刀だ。もう一度ケイに向かってきたそれを今度は銃の筒部分で受け止める。手が痺れるほどの強さ。やはり力の強さではもたない。
下に力を流すように相手を押し返し、もう一度距離を取る。
ケイは銃を構えると、相手を見た。
暗い中に浮かび上がる姿。
それには見覚えがあった。
「ーーーーーやはり、皇子の騎士か」
そう言うと、相手はやや驚いたように肩を震わせる。こちらの姿は見えていなかったようだ。
「確か……バック……」
「ーーーーーー白銀の、女か」
男が刀を下ろした姿を見、ケイも銃をおろした。よくやく慣れてきた視界には、やはり見知った男がいた。
「ちっ。お前らか。めんどくせぇな」
相変わらず口が悪い。
裏口から侵入したハンもキッチンに入ると、男に向かい銃を構えていた。ケイが手でそれを制すと、彼も銃を下ろす。
「それはこちらのセリフだ。私たちの国で何をしている?」
見えてきたのは、黒い髪に黒い瞳。
男の名は、バック。
第三皇国の人間だ。
そしてあのクアロアの騎士と呼ばれている男だった。
了