ヒビキ
これは。
彼女が死ぬまでの2年間の話だ。
数多存在する銀河の一つに、とある不思議な力を持つ銀河がある。国々が星をめぐりその力を使い争い、人々と共に消滅と誕生を繰り返していた。
その中のひとつの国「セイト」は、鍛え上げられた軍と、その力により国の平和を守っていた。
「セイト」に住むケイは、自宅の椅子に座ると大きくため息をつき、天を仰いだ。
「つまり、クアロアが「その人」とやらを捕らえたのだそうだ」
「ーーーーーー…………」
「そのことを自慢したかったと言っていた……」
知ったことか、という顔をしている。ケイは隣に座っているハンを見ながらそう思った。関わりたくない、という思いがその横顔から滲み出ている。
だがーーーーーー。
「その者は奇異な力を持つらしい」
「奇異…?」
それは、人を消す力だという。
「正確には、自分や他の人間を違う場所に瞬間的に移動させる力だ」
「ーーーーーーっ、それは…!」
ハンは焦ったような表情を向ける。それはそうだろう。彼女自身も、クアロアからその話を聞いた時は驚いてしまった。どうやらここ数年、その奇異な力が古代の書物に描かれていたとわかったことで、力の存在が公になり、国々はこぞってその力を手に入れようとしていたらしい。一線から遠のいたケイにまでは、その話は降りてきていなかった。いや、もしかしたらどこかで意図的にこの話はケイの耳に入らないようになっていたのかもしれない。
つと、彼女は横目で男を見る。先程の驚き方からすると、ハンがそうしていたわけではないようだ。尤も、今ケイと同じ時間を長く過ごすこの男ならば、ケイに届く情報を制限する事もできるかもしれない。だが、これに関しては彼ではないだろう。
「果たして、どうやってその書物から「その人」とやらを見つけ出せたのか…」
「第三皇国の人間が、ですか?」
ケイは首を横に張る。
「ライスだ」
今は、第三皇国とあまり良い関係を築いていないライスは、セイトにとってもやや厄介な存在になりつつあった。
「ライスの人間が、セイトに伝わる書物から「その人」を見つけ出したらしい」
だが、セイトにある書物を、ライスの者が手にできる可能性は限りなく少ない。
他国からの入国にはしっかりとした審査がある。今休戦中の第三皇国はこの国に入ることが出来るが、殆ど国交がないライスにはほぼ無理だ。
「ライスの人間がセイトに入り、書物を盗むなど無理な話ですね」
「だろうな。となると、この国で手引きをした者がいるか……」
「ーーーーーーライスの手引きをして、得になることがあるでしょうか」
「……さぁ…」
全くわからない。
だが、この国にあった書物から力のある者の存在を知り、その人物をライスが拉致した事は確かだ。そして今は、第三皇国にそれは奪い取られた。
「ライスが何もしないわけがない」
「…ですね」
ハンは椅子から立ち上がると、キッチンへと向かった。お湯を沸かす音がする。
「…聞かれないので答えませんでしたが、こちらで大きな収穫は無しでした」
「だろうな」
おおよそ一般人からの情報は使用できる可能性が低い。
ハンはお茶を淹れると、テーブルにカップとソーサーが置かれた。
「ーーーーーーライスか。あの国の人間は、エメラルドグリーンの瞳に、金の髪」
ケイはカップを受け取り礼を言うと、一口茶を飲んだ。いつも通り、熱すぎず適温だ。
ハンはテーブルに先ほど買ってきたカラアゲと、サラダを準備しだした。戸棚からバケットを取り出すと、木のまな板の上でそれをスライスする。バターとオリーブオイルも置かれた。
「ですがライスの者が「その人」を奪い返そうとしているのだとしたら、クアロアは今、セイトにいる場合では無いのでは無いでしょうか」
確かにその通りだ。おそらく相当の苦労をして得た「その人」を奪われ、必死に奪い返そうとしているライスは手段を選ばないだろう。元々あの国は自国のためならば、小国を占領し、大国との戦争を繰り広げていたはずだ。ならば国の皇子ともあろう者が、他国にいるなどおかしな話だ。それともーーーーーー。
「それ以上に、セイトに来なければならない理由があるのか」
「ーーーーーー…もっとも、クアロアが真実を話していると仮定した場合の憶測ですけどね」
それはそうだ。
いかんせん、情報が少ない上に、自分たちが何か行動を起こす理由は、今の所無い。気になっていたのは、若い女性の失踪事件だが、どこかの賊が人を攫っている可能性もある。あるのだが…。
「レイが話した失踪事件と、クアロアの話、その二つが「その人」で共通していると思うと、やはり単なる人攫いでは無いのだろうな…」
「ですがやはり何故、セイトで…?」
普通に考えるならば、奪われた第三皇国で探すはずだ。
「…まだ、俺たちが知らないことが多そうですね」
「そうだな……確かにあの男が全てを話しているとは思えない」
「ーーーーーークアロアは他に、何か言っていましたか?」
ケイはお茶をもう一口飲むと、
「ああ。「その人」は可愛らしい若い女性だ、と」
「………そうですか…」
クアロアから大した情報は手に入りそうにない。だが、ケイに直接伝えてきた事には意味があるはずだ。そしてそれは、間違いなくケイの力と関係している。
「だが結局のところ、今の状況では何もわからないという事か」
「……ですね」
ハンはフォークとナイフを置く。
「今夜のサラダには海藻をふんだんに使いましたから、ちゃんと食べてください」
「ーーーーーー………」
「肉と米ばかりではダメです。お互いもうそんなに若くもないですから」
「ーーーーーーわかった」
果たして。
そこまで気にかける事があるだろうか、とケイはふと思った。確かに年をとった。だがこの先の事を考える必要が、果たしてどこまであるのだろうか、と。
「………あなたが考えていることは大凡わかります」
「…………………」
ハンの表情は決して柔らかいものではなかった。
言い訳のようにケイが口を開いたその時だった。
微かな物音に、2人は視線を合わせる。
ここはローカルエリアだ。人はほとんど住んでおらず、夜には人通りもない。だが僅かに、扉を風が叩いた。
2人が微動だにせずいると、しばらくもしない内に、扉をノックする音が響く。
ケイの目が険しくなった。
これまでここに訪問者がなかったわけでは無い。たが公にこの場を訪れるような人間は皆無に近い。2人の夫婦が暮らしている一軒家、という認識であるならば、もしかしたらここを訪う者もいるかもしれない。だが、そこにケイとハンがいると知る者がもし訪れたとしたら。
「ーーーーーー俺が開けます」
ハンの低い声が息だけで言う。
ケイは小さく頷くと、懐にある銃の形を確かめた。
ハンは扉に耳を付ける。誰かがいれば、必ずそこに音が発生するのだ。だが男はすぐに耳を離すと、
「……なんで……」
やや狼狽えたようにそう呟き、数歩後ろに下がった。その仕草に、ケイは嫌な予感がする。そうした予感は、ここ数時間に限らず当たるものなのだ。
「ーーーーーーヒビキです」
言い終わる前に、扉が大きな音を立て開いた。
「艦長!!!!!!」
家中に響き渡るよく通る声。
昔、戦艦でこの声を聞いた時はつい身構えたものだ。おおよそこの後、面倒な事が待ち受けている事が多かったからだ。
「……久しぶりだな…ヒビキ」
ケイは口の端がやや引き攣る感覚を抑えながら、笑みを浮かべる。
そこにはーーーーーー。
歳の頃ならば20代前半だろう。ひとりの女性が大きな瞳にたくさんの涙を浮かべつつ、今にも泣き喚きそうな表情で仁王立ちし、こちらを見ていたのだった。
ケイは、共に生活をしているハンの料理に舌鼓をうつ。やはり料理ができる人はすごい。人は食べ物によってこんなにも幸福感をえることはできるのだ。そして重要なことは、味覚が合うということだ。単に「美味しい料理」というだけで、一致するとは限らないのだ。そこが料理の面白いところだ、とケイは思っている。自分の舌に合う料理が苦手だという者もいるのだ。そして往々にして味覚が一致する者たちは気が合う。ハンもケイが美味しいと思う食べ物に同じ反応をするからこそ、こうして毎日美味しい食事がとれるのだ。
それは、幸せなことだといえる。
だが残念なことに、今はその幸せをのんびりと噛み締めている時間はない。先程まで涙を目にいっぱい溜めていた女性も、ハンの料理を食してはいるが、まだその表情は固かった。
彼女の名前はヒビキ。以前さら溌溂としたイメージがあったが、変わらず元気なようで安心もした。だが同時に、厄介だとも思っていることも事実だ。
「…副艦長の料理って本当に美味しかったんですね」
ポツリと言われ、
「信じてなかったのか?」
「だって…艦長がする副艦長の話は半分以上盛ってるって班長が言ってたんです」
大きな木製のサラダボウルを、ケイに渡したハンは顔を顰め、
「あいつの言動は半分聞き流せと昔から言っているだろう」
そう言うが、前にも似たような事を誰かに言われたことを思い出し、ケイもまた顔を引き攣らせる。自覚がなかったわけではない。あばたもエクボという言葉が存在し、確かにその可能性が否定できない事も彼女はわかっていた。とは言え、彼の言動がいつだって一言多い事も事実だ。先日も彼の本屋で、何か言っていたではないか。
「……それで?何か私たちに話があったんだろう?」
デザートを配り終えたハンが椅子に座るのを待ち、ケイはそう切り出した。
これは当時から自負している事のひとつであるが、自分の部下たちは優先順位をしっかりと付けることが出来る人間だ。だからこそ、彼女はここに来てまず話し始めず、久々の再会に涙を浮かべていたのだ。ヒビキは年若い優秀な船員だった。だから当時、上官の渋い顔を他所に自分の部下に抜擢したのだ。
「ーーーーーー誘拐されそうになったんです」
「…誰が?」
「私」
まさか、と笑ったハンにヒビキは真剣な表情を崩さなかった。確かに彼女は見た目からすると、細身の若い女性だ。だがその実、本気でかかればケイ同様、男一人軽々と放り投げられるだろう。だからこそ、誘拐されそうになった、という話は確かに笑い話のようにも聞こえる。
「…それは、どこで?」
ケイの言葉に、ハンも居住まいを正した。
「街の外れです。城壁の外で」
「ーーーーーー………」
つい先ほど聞いたばかりの話と、無関係であるとは思えず、ケイとハンは思わず押し黙ったのだった。
了