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白銀  作者: めがね
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美しい人

 ハンは扉を閉めると、大きく息を吐き出した。予想していたとはいえ、とてつもない疲労感に襲われる。女性は嫌いではないが、露骨すぎるタイプは自分には合わないとわかっている。

 それにしても。行方不明の妹を探していると言っているのに、帰り際、今度時間がある時にお茶でもと言われた時は、流石に少しだけ顔が引きつった。

「ーーーーーーさて、と」

 ハンは辺りを見渡した。彼女は市場を見に行くと言っていた。カラアゲは鶏を揚げたものだと聞く。食べすぎで、胃に負担をかけていなければ良いのだが。

 彼は市場に向け歩き出した。すれ違う女性が全てこちらを振り返る気配がするが、そんな事を気にしていては歩行ができない。以前レイとそんな話をした事があったが「そう言うところがクールで素敵って言われる所以なんスよ」と嫌そうに言われた。こちらとしては、見てほしい人間にだけ、見られたいというのが本音なのだが。

 彼女と暮らし始めて、そろそろ5年が過ぎようとしていた。当初はわからないことだらけの彼女の面倒を見ているような節があったが、今ではしっかりと自立した生活がお互いできていると思っている。

 小さな家に2人で暮らすことに、叶うことがないと思っていたはずのそれが手に入った時、本当にそれが現実であるのか何度も確認をしてしまうような感覚を、ハンは持っていた。

 彼の薄い青の瞳は、水の輝きだと言われた。茶の髪は、落ちる葉の憂いだと言われた。落ち着いた声は、響く低い弦の音色だと言われた。陶器のような肌に、180を超える長身。年齢はそろそろ36になるが、20代に間違われることもある。若く見られる事が良い事なのかはわからないが、自身の容姿が秀でていることは、よくわかっている。それを最大限、利用する方法も。それに見合う能力も手にしている。

 だが、それでもーーーーーーいつか、手をすり抜けて消えてしまう気がする。本当に守りたい人は、誰よりも強いのだ。だからこそ、いつか消えてしまうような気がしていた。

 ハンは半円の入口を抜けると、市場をゆっくりと歩いた。

 彼女の軍部への忠誠心は誰よりもあった。今は皆無に等しいがそれゆえ、昔はあの力を発揮する時に瞳の色が変わることから、「白銀の悪魔」と呼ばれ敵味方関係なく恐れられていた。

 あの力は、特異なものだ。この銀河は一つの力を源に様々な発展をした。彼女のあの力は、その根本の力を消す事ができるのだ。何故そんな事ができるのか、何故そのような能力を持つ人間が存在するのか、誰も真実はわかっていない。

 この銀河には彼女を含め、3人がその力を所持していると言われている。まだその力の存在が公になる前に、この国はいち早く情報を掴み、子供であった彼女を含む3人を拉致したらしい。軍部で育てられた彼女は、当たり前のように忠誠心を持っていた。

 能力を持つ人間を手にしていたセイトが、どれだけ各国と戦いを繰り広げてきていたか、歴史がほぼ戦いであるという言葉が物語っているだろう。最強と言われた艦隊は、彼女の力によりこのセイトを征服者にしようとしていた。かの国との戦いで変わったとはいえ、まだこの国の中枢では蠢く輩が数々いる。今でこそ、彼女の存在は軍から離されているが、平和がずっと続くとは思えなかった。

 それでも。

 ハンはつと足を止める。鼻腔をつくバターの甘い香り。これはパン屋だ。明日の朝食用に買わなければと思っていたのだった。

「すみません。そのブリオッシュを4つとマフィンを2つお願いします」

 その露店には何種類もの、パンが売られていた。毎回同じようなものばかりを買ってしまうが、たまには違う種類を試してみるのも悪くない。

「……これは、珍しいパンですね」

 ハンが指差先には、茶色のパンがあった。

「ああ、これは焼き上げるんじゃなくて、揚げているんだよ」

「揚げる…なるほど」

 外はカリカリなのだろう。確かに美味しそうだ。だが、この辺りでは見ない調理法である。

「なんでも第三皇国の特産品らしいよ」

「ーーーーーー……そうですか」

 ハンは顔を顰めそうになる。

 第三皇国。

 あの国とはあまりよい思い出がないのだ。だが休戦後、人の往来と貿易が盛んになってきていた。確かに物珍しい異国のものに、人々は興味を惹かれる。

「おまけに一つ付けておくよ」

 と、揚げたパンを紙袋に入れられる。

不要だ、と返したい気持ちを抑え、「ありがとうございます」と、ハンは賞賛される笑みを返した。

 先日の件以来、あそこの国にはこれまで以上に注意をする必要があると痛感した。まさか、夜市で接触してくるとは思いもしなかったが、あの国の連中は…特にあの皇子の行動力は油断ならない。

 皇子、と言ってはいるが実質、皇帝であると言われている。セイトとの戦いの折、自国の腐敗を全て排除し、休戦をさせた張本人だ。あの国も、以前に比べると随分と静かになったものだが、それでもあの皇子だけは油断ならない。

 あの蕩けそうな美貌に、長く美しい髪。己の国の女性ならば誰でも手に入れる事が出来る立場と容姿を持っていながら、あの男はどうにも彼女に興味があるようだった。最初は、やはり白銀の力に惹かれたのだろう。だが後半になるに連れ、だんだんと個人的な感情が見え隠れしていた。思い出すだけで、気分が悪い。

 嫌なことを考えるのは時間の無駄だ。

ハンはまた奥の道へと、足を進めた。

 果たして。

 嫌なことを考えないと決めた直後に、嫌なものが目に入るのだから、世の中はなかなかに厳しいものだ。

 ブリオッシュの入った紙袋を抱えながら、ハンは通りをのんびりと歩く。視線はすでに、目標を捉えていた。

 この薄暗さ、顔を隠すような服装に、目を覆うメガネ。そんなもので化けることなど不可能だ。あの漆黒の髪と目は、どんな時でもハンの目に止まる。

 ふわりと香るのは、異国の香だ。足を止め露店を見ると、そこには1人の店主がいた。

「…いらっしゃい」

 若い店主の男はこちらを見ずにそう言う。どうやら、商売には向いていないらしい。

「ーーーーーーっ……」

 次の瞬間、ハンは紙袋を抱える手と反対の手で腰元に忍ばせていたナイフを取り出した。そのまま店主に向かいそれを繰り出す。予想通り、店主の男はそれを避けると、ブリオッシュの袋を目掛け、拳を繰り出してきた。

 明日の朝食を無駄にはできない。

 ハンはナイフを空中で逆手持ちに変えると、男の拳を避けながら再びナイフを振り下ろした。

「………い、って………」

 それは店主の頬を掠め、声を上げさせた。その一瞬に、ハンはナイフを手にしたまま腕を構え、男の首にその腕を当て、背後の壁まで男を押し付ける。力を入れると、男の首が腕と壁との間でしまった。

「ーーーーーーっ、…く…っそ……」

 この状況でも蹴りが繰り出される。なるほど、なかなかの体術ができる男のようだ。ならば、こちらも手は抜けない。それでも身長がハンよりも10センチは低い。上から押さえつけるようにして、腕で首を壁へと更に押し付けた。

「彼女はどこだ?」

「…っ…はな、せッ……」

 黒い髪に黒い目。

 彼女が行くと言った市場にその姿があるのならば、無関係ではありえない。こちらとしても、手加減をする必要はない。

「彼女は、どこだ?」

 2度目の質問の時、ハンはその奥に気配を察知した。

 もうここまで来ると、嫌な予感しかない。ハンが腕の力を少しだけ抜くと、若い男はその隙に足をハンの腹を目掛け突き出す。それを避け、大きく後ろに飛ぶと、

「……その辺りで、勘弁してくれないか」

 奥から聞こえてきたその声は、やはり知っているものだった。

 持っているナイフを喉元に投げつけたい衝動に駆られるが、彼女の姿が確認できない以上、奴らには話をする口が必要だ。

「相変わらず、彼女の狗はよく吠える」

 そこにいたのはまさしく、第三皇国の皇子であった。

 名を、クアロア。

「メイ。大丈夫か?」

 近くで首元を押さえ荒い息を繰り返している先ほどの青年は、

「なんなんスか…こいつ…っ」

 ハンに挑戦的な目を向けていた。

「かの人の狗だ」

 と、クアロアは笑った。

「今は、夫だとか?」

「ーーーーーー彼女はどこですか?」

 3度も同じことを言わせるような連中は碌なやつらではない。ハンは心の中で罵倒しながらもそう尋ねた。

「残念ながら先ほど別れてしまったよ。カラアゲを探しに行くと言っていた」

 ハンはそれだけ聞くと、すぐに踵を返した。こんな所に長居は無用だ。

 後ろで何か声が聞こえてきたが、聞く義理はない。ハンは食品の露店が並ぶ通路へと急いだのだった。






「この国の連中、頭がおかしくないですか?!」

 メイは締められた首をさすりながら言う。クアロアはそれに笑った。

「彼らはおかしくない方だよ。中枢にいる連中はもっと狂っている。昔の私の国のように…」

「ーーーーーー………」

 その言辞に、メイは押し黙った。






 山ほどの袋を持っているケイを見つけた時、ハンは安堵と共に呆れ返ってしまった。食に強い興味を抱いてくれた事は喜ばしいが、量がおかしい。

「味がたくさんあるんだ」

 ケイは袋を指差し味の説明をする。中身は全部、カラアゲだ。

「しかも冷凍保存ができるらしい」

 輝くような瞳で見上げられると、こちらは折れるしかないのだ。

「わかりました。でも油分が多いので、1日の量は決めますよ」

「わかっている」

 そう言いながらも、ビールに合うらしい、と彼女は嬉しそうに言う。喜んでいるのならばそれに越した事はない、とつい甘いことを考えてしまうのだ。

 市場を出、酒屋に向かう途中、

クアロア(あの皇子)に会ったな?」

 そう問われ、ハンは頷いた。

「ええ…()()()()()()()。あともう1人、夜市で会った男にも」

 ケイは袋の中のカラアゲをひとつ手で摘むと、口の中に放り込んだ。

「…かの国が、「その人」とやらに絡んでいるようだ」

「そのようですね……歩きながら食べるのは行儀が悪いですよ」

 もうひとつ摘むと、ハンにそれを差し出してきた。肉と油の良い匂いが胃を動かす。誘惑に勝てず、ハンは少しかがみながら口を開けた。するとその中に、ケイがカラアゲを放り込む。

「…あの男と会うのは気が進まないが、そうも言っていられなくなるかもしれないな……カラアゲ、美味しい……」

 ケイがもうひとつ食べようとしたところで、ハンは紙袋を取り上げた。

「ーーーー軍部ではなく、あなたに接触をしてくるところが許せないのですが」

 ケイは笑った。

「あの男は頭がいい。だから、私のところに来たのだろう」

 だとすると、「その人」の件は国の中枢が絡んでいるということだろうか。

「ーーーーーーあまり、力は使わないでください」

 そう言うと、

「……わかっている」

 ケイはどこか悲しそうな笑みを見せたのだった。







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