レイ
これは。
彼女が死ぬまでの2年間の話だ。
数多存在する銀河の一つに、とある不思議な力を持つ銀河がある。国々が星をめぐりその力を使い争い、人々と共に消滅と誕生を繰り返していた。
その中のひとつの国「セイト」は、鍛え上げられた軍と、その力により国の平和を守っていた。
その「セイト」に住むケイは、その日唐突に目覚めた。ゆっくりと覚醒することが増えてきたのだが、こうして起きるのは久々だ。戦闘時、小さな物音でもすぐに目を覚まし、枕元の銃を手にしていたが、今はその時ではない。
ベッドの中で大きく伸びをする。カーテンの隙間から朝日が見えた。鳥のさえずりも聞こえてくる。今日も、良い天気だ。
上半身を起こした時、寝室の扉が開き、入ってきたのは1人の男だった。
「おはようございます、ケイ」
彼はハンと言う。眉にかかるブラウンの前髪の奥には、湖のような少しだけ薄い青の瞳がある。美しい男だ。
「おはよう」
「今朝はマフィンにしましたよ」
男は両手で大きな木のトレーを持っていた。上には出来立てのマフィンにジャムとバター。そして鼻腔をくすぐるのは、淹れたてのコーヒーだ。街の一角にある専門店の味が格別だった。
大きなトレーをケイが眠っていたベッドに置き、自らも片足を曲げベッドに乗り上げる。
「ありがとう」
休日の朝は、こうしてこの男が朝食を準備する事が多い。ケイが起きる前に準備をし、起きたタイミングでこうして持ってきてくれるのだ。
「ジャムはこの間の夜市で買ったものです」
朝食はいつもおいしかった。朝ごはんをしっかりと食べる習慣がついたのは、本当に良い事だ。2人分にしてはやや多い量のマフィンを2人で平らげ、他愛もない話をするのだ。
「そういえば昨日、本屋さんに会いましたよ」
本屋さんとは、街中で本屋を営んでいる青年の事だ。
「元気だった?」
「ええ。あれで本屋とは相変わらず笑わせてくれます」
ハンは少しだけ眉を寄せた。
「面白そうな本が入荷したのでぜひ来てください、と」
「ーーーーーーなるほど。あまり良い予感がしないな」
ハンは苦笑した。
「ですね…でも、無視できないでしょう。そうだ。帰りに、新しくできた店で肉料理を買いましょう」
「肉料理?」
ケイの心が動く。
「なんでも、他の星の料理で「カラアゲ」というらしいです。鶏のもも肉を揚げたものです」
きっと間違いなく美味しいだろう。
食べ物で釣られるわけにはいかないが、人間、食べることに興味を失ってはいけない。
その休日は、街の本屋に行くことになった。
農道を歩き、街へ入る。休日のせいか人通りが多かった。
街はレンガの道で整備がされていて、建物も多くはレンガ造りだ。本屋は通り沿いに面しており、レンガの壁には蔦が綺麗に広がっている。あの賑やかな男の趣味とは思えないが、窓には古い砂時計が置かれていた。手に収まるサイズのものだが、見るといつもそれは上から下へと砂を落としていた。
「カラアゲとは、一つの味しかないのかな」
「まずは、本屋です」
背を押され店の扉を開ける。付いていたベルがチリン、と音を立てた。
店内はひやりとしていて静かである。店は四角い作りをしており、天井近くまでの高さがある本棚を四方の壁に配置している。中央にはその半分ほど、ケイの身長ほどの本棚が2つと、椅子が1つ置かれていた。店主はだいたいこの椅子で寝ている事が多い。あまりに静かすぎて寝てしまう気持ちはわかるが、商い中であると自覚を持って欲しいものだ、と彼女は前々から思っていた。
今日もその椅子に座り、腕を組み、首を90度に折り曲げ寝入っている。
「……あいつは、警戒心をどこかに捨ててきたのか?」
「……まぁ、平和、ということなのではないですか」
思わず呆れ、ケイは肩をすくめた。
ハンは椅子のそばまでいくと、
「レイ。起きろ」
そう言い、寝入っている男の肩を譲った。レイ、と呼ばれたその男はゆっくりと顔をあげる。まだその表情は半分眠っているように見えた。だがケイの姿を確認すると、甘ったるい笑みを浮かべる。
「いらっしゃい」
レイというこの男は確かまだ20代だ。後半であったはずだが、定かではない。ハンとそれほど身長は変わらないようだが、筋肉質である分大きく見えた。クセのある茶の短い毛先が好き勝手な方向を向いている。いわゆる、甘いマスクというもののせいで、浮いた話をよく耳にしていた。
「…それで?」
面白い本があるとは、ケイたちに話があると言う事だ。彼は座っていた椅子から立ち上がり、それをケイに向けると、すっと右手で促した。彼女が腰を下ろすと、その隣に膝をつく。
「ちょっと小耳に挟んだんですが、どうにも最近、若い女性が失踪しているらしいですよ」
「ーーーーーー…失踪?」
話は続いた。
レイによると、最近この街の城壁外で、若い女性が失踪するという事件がいくつか起きているというのだ。平和になってきたとはいえ、街の外は危ない場所もある。彼女たちが住んでいるローカルエリアはまだ人の住居がいくつかあるが、もっと奥地に行けば建物などがない鬱蒼とした場所も多々あるのだ。
「それに、少し奇妙なことに」
攫われた女性は、聞かれるのだ。
お前は、「その人」かーーーーと。
「ーーーーーー……「その人」…?」
「妙な言葉遣いですね…」
ハンはそう言い、手を顎に添え考え込む。
「文法を間違えているとしたら、他の国の人間、もしくは他の星の人間かもしれません。でも可能性としては、他の国の人間が高いでしょうねぇ」
レイは笑いながら言うと、膝をついたままケイと視線を合わせる。
「ただ、他の会話は問題なかったようですよ。発音もおかしくなかった、と」
「……ならば、その言葉そのままと言うことか」
男は鮮やかな緑の瞳をしている。それがスッと細められた。
「「その人」というのは何らかの固有名詞」
「その可能性はありますね」
お前は「その人」か、と。
ならば重要なことは、「その人」が何を指すかだ。
ケイは小さく唸る。
「レイ。どこでそんな話を聞いたかは知らないが、つまりは攫われた女性の中に帰還した者がいると、言う事だな?」
彼女の言辞に、彼は嬉しそうに笑った。
「その通り」
両腕をぐるぐる回しながらレイは立ち上がる。肩か首がボキボキとなる音がケイにも聞こえてきた。
「ふぅ。肩が凝った。攫われた場所から自力で逃げてきたらしいです」
彼は部屋の中央に配置されている本棚から一冊の本を取ると、最後のページを開く。
「この本の作者です。住所がここに書いてあるので、ぜひ行って話を聞いてみてください」
「ーーーーーーわかった」
ケイは少しだけ迷った後、その本を受け取ったのだった。
「あ!そうだ!オススメの本!」
ケイたちが帰ろうとすると、レイは突然そう叫んだ。もう一つ奥にある部屋から1冊の本を手に、すぐ戻ってきた。
「これです」
レイは2人に表紙を見せる。
「ーーーーーーこれが、オススメの本?」
「はい。『正しい子作りの方法』」
顔を顰めたケイに、男は大きく頷く。
「必要でしょ、こういうの」
「ーーーーーー………」
「ーーーーーー………不要だ」
彼女の上から、ハンの低い声が落ちてきた。そしてそのままケイの手を引くと店を出て行こうとする。
あの甘い笑みの男も何か意図があってその本を取り寄せたのだと信じたいが、どうにもこの数年、彼はのんびり過ごしすぎているようだ。しかし、それは悪いことでは無い。
ケイは振り返りレイを見る。男は小さく笑みを浮かべていた。そして、右手を持ち上げると彼女に向かい敬礼をする。
「ーーーーーーよろしく頼みます、艦長」
その言葉だけ聞き取る事ができた。いい加減、そう呼ぶなと言ったところで、このハン同様、なかなか言葉使いは直せないものなのだろう。
ハンは店の扉をやや乱暴に閉める。扉につけられたベルが大きく揺れていた。
レンガの道をどんどん進む男の背を見ながら、彼女は思う。
そもそも若い女性が1人で、城壁の外に出たのだろうか。危険ばかりとは言い切れないが、推奨はされていない。攫われたのは夜だったのか、昼間だったのか。明るかったのならば、目撃されている可能性もある。
「……理由を、聞かないとわからないな」
ずんずんと進んでいたハンは、ようやくその歩みを止める。
「ーーーーーーあいつ、まだあなたに気があるようですね」
「…………は?」
噛み合わない会話に、ケイは素っ頓狂な声を出す。
「全く…平和ボケが過ぎる。あいつの任務のひとつはあなたを守ることでしょう」
「ーーーー監視、とも言えるけど」
苦笑気味に返すと、美しい切れ長に睨まれる。ケイはわざとらしく、肩をすくめた。
「レイの事は取り敢えず置いておいて。まずは、その作者に会いに行こう。城壁を出た理由を聞かなければ」
「ーーーーーーええ」
ハンは美しい顔をやや険しくしながら、今度はゆっくりと歩き始める。
2人は街中にある、1人の女性の家を目指した。
了