乳母の忠告の結果
幼い時に公爵令嬢と婚約が決まった。
「は……初めまして、僕は……」
緊張しながら挨拶をしたのだが、公爵令嬢は表情こそ笑みを浮かべているが、その目は笑っておらず、作り物めいていた。
「ねえ。どうしてかな」
彼女とのお茶会を終えて、乳母に尋ねると、乳母は少し迷うような素振りをして、
「実は……」
乳母の話では彼女は本来別の人と婚約をする矢先だった。それが隣国の王子で彼女が嫁ぐことで我が国の不利になると父である王が判断して横槍を入れたと。
本当は別の人と結婚が決まっていたのにそれを邪魔されたという立場ならあの行動も納得できる。できるが……。
「じゃあ、僕はずっと彼女に恨まれたままなのかな」
あんな笑っていないのに笑っている嘘の笑みをずっと貼り付けられ続けるのか。
「それを嘘のままにするか。本物にするかは殿下次第ですよ」
それに関して乳母はそんなアドバイスをくれた。
「スワン嬢。スワン嬢は絹織物が好きだと聞いたので一緒に絹織物を見に行きませんか?」
「――ええ。確かにわたくしは絹織物は好きですが、急に言われても……」
笑っていない目で断りの文句を言おうとするのが見えた。そこで引き下がろうと思ってしまったが、乳母がそっと首を横に振るのが見えたので、
「急ですか? 数日前に公爵に話をして今日の予定を入れてもらっていたのですが……」
と教えられたとおりの言葉を告げる。
事前に予定がない日を確認して入れてもらったのは事実だ。それでいて、それを令嬢本人に伝えたら仮病を使って断られるだろうと言われたので――事実何回も誘いの言葉を入れていたが当日になって体調を崩したと断られ続けてきたのでそんな方法をとることにしたのだ。
ちなみに公爵はそんな手段をとるのを最初は断ったけど、ここは王子として政略結婚とはいえ交流もないのは流石にと言葉を濁して告げたので了承してくれた。
「そ、そうなんですか……」
不満げな顔。それでも一瞬だけですぐに笑みを浮かべるのは淑女の教育を受けただけあるだろう。正直、ここで心が折れそうになるが、それではダメだろうと勇気を振り絞る。
「ええ、なので少し遠出ですが、出かけましょう」
何なら準備をするのを待っていますと告げて逃げ場を塞ぐ。
「――そういうことなのね」
スワン嬢の表情が険しいものに変わる。今身にまとっているドレスは外出用のそれでいて動き易い仕様になっている代物。そして、僕の髪の色である若草色がさりげなく使われているのだ。
「……分かりました」
仕方ないという感じで告げてくる様にいろいろ思うことはあったが乳母が頑張ってくださいとアイコンタクトをしてくれたので頷く。
何度も話をしようとするが話は一言二言続いてすぐに途切れてしまう居心地の悪い馬車に乗ってしばらくして向かうのは絹織物のある店……ではなく、絹を作っている工場。
「何ですか。ここ?」
「……本当は、お店の方がいいかもしれないと思うけど、僕は王族だから」
工場の中では絹を織っている女性の姿。
「どうやってドレスの一枚一枚が作られていくかそれを見てもらいたいんだ。――王族に嫁いでもらうからには」
「…………」
煌びやかなドレスしか見たことない人がどうやって作られるのか興味ないだろうけど、僕は王族だ。知らないでは許されないことが多いと乳母が教えてくれた。
『綺麗ごとでは守れないものが多いからこそ王族はそれを見て、国を守るためにどんな行いをしてもどれだけ地や泥に汚れてもそれを気にしないで前を見るのです。そう、さながら――』
「白鳥の様に優雅に見せて、足元での努力を忘れるな。ああ、スワン嬢の名前はまさしくそれですね」
「えっ…………」
王族として必要な物をすでに持っていると告げるとスワン嬢が目を大きく見開く。今までずっと貼り付けた笑みを浮かべ続けたスワン嬢から引き出した初めての反応。
「民の暮らしを知らなくて民が求めるものを知らずに案山子の王になるのではなく、白鳥の様に優雅さとその努力を隠して振舞っていきたいので……って、恥ずかしいですね。言うと」
と変なことを言ったと顔を赤らめて告げると、
「ファルコ殿下は……」
初めてスワン嬢から声を掛けられる。
「不思議なことを考えるんですね……」
不思議なことと言われて、恥ずかしくなる。子供らしくないと言われている気がして、
「気持ち悪いですか……?」
尋ねると言葉を濁される。つまりそういうことだろう。少しは前進した気がしたが、逆効果だったかと顔に出さないが残念に思った。
ちなみに蚕の繭と幼虫も見せてもらったが、スワン嬢は蚕は気持ち悪いと見ようとしなかった。
スワン嬢との交流は成功なのか失敗なのか分からないが……一進一退というのが一番近いだろうと乳母は苦笑いを浮かべながら告げていたからそうなのだろう。
そんなこんなで日々を過ごし、12歳になり王都の学園に入学が決まった時だった。
「……殿下。わたくしからの警告です」
乳母が神妙な顔つきで告げた。
「楽な方に逃げたくなるのは人間としてあり得ますが、殿下は民を幸せにしたいと努力をしてきました。それを無駄にしたくないのなら流されないでください」
意味は理解できなかったが常に乳母が告げた言葉は人生の指針になってきた。
政略結婚で嫌われていると思うなら好かれるように努力しろ。
綺麗ごとだけでは国は守れない。
今までの暮らしが恵まれているのはそれだけ期待が大きいと言うことでそれを重いと思ってやめたいのなら恵まれた暮らしを捨てろ。それが出来ない者に文句を言う資格はない。
乳母は厳しかった。だが同時に優しい人だった。
厳しい言葉を言う人は僕の未来を案じるからこそ告げる。甘い言葉を告げる人は未来を潰す存在であることもある。
そんなある日。
「殿下はすごいですねっ」
学園で知り合った少女が大げさに思えるほど褒めてくれた。
先日学園内で迷子になっていたのを助けて、最初は自分を王子だと知らなかったみたいだが、知ってからわざわざ謝罪に来て、気が付いたら常に傍にいるようになった。
「ねえ、君……」
「あっ、名前言っていませんでしたね。クレインです!!」
そろそろ授業だから戻ったらと言おうとしたのに遮られる。名前など当然知っているが、言ったら覚えてくれたんですねと大げさな反応が返ってくる気がして、呼ばないだけだ。
彼女の対応に疲れて、離れると、
「待ってください」
と付いてくる。
「離れてほしいけど」
きっぱりと告げると、
「そんなつもりは……」
涙ぐむ。
ああ、どうすればいいのか。
「そうですね……スワン嬢に助けてもらったらどうですか? 婚約者と一緒ならその女子生徒も常識があるのなら近付かないですし、近付いてきたら婚約者と一緒に居るのでと断れます。――そこで何らかの動きがあるのなら王族や公爵家に無礼を働く輩という風に流れを変えられますので」
そこで必要なのはスワン嬢を矢面に立たせるのではないことです。
乳母の忠告に、そこまで親しくないスワン嬢に……婚約した理由が負い目だったので頼ってはいけないと感じていたが、それでも縋るつもりで声を掛ける。
だから。
「――分かりました」
どこか嬉しそうに微笑んで、了承されたことに驚かされた。
「殿下~♪」
今日もこちらに向かってくる彼女に気付いて顔を歪めそうになる。
「――あら、どちら様ですか。ああ、名乗らなくて結構。覚える価値もなさそうですので」
さりげなく庇ってもらい、そのまま距離を置いていく。
「ありがとう助かったよ」
どんなに近づかないでほしいと告げても通じていないから困っていたのだと話をするとスワン嬢が顔を赤らめて、
「それくらい当然です。こ、婚約者なんですから……」
などと告げてくる。
「婚約者……」
実は自分と婚約しているのは嫌だったのではないかと思っていたからそう言ってもらえるのが嬉しい。
「うん。スワン嬢が婚約者でよかったよ」
顔を緩ませて告げると、
「デレデレしない」
などと叱られてしまったが、スワン嬢に対して負い目があったので婚約者として認めてもらえて嬉しかった。
と、乳母に報告したら。
「よっしゃ!! ファルコ×スワン嬢ルート来たぁぁぁぁ!! 推しと推しのカップル最高~!!」
とガッツポーズして、
「殿下。スワン嬢と仲が進んでよかったですね」
と喜んでくれた。
その後乳母は小声で、
「後、数か月でスワン嬢の婚約者候補が留学して来る設定だったけど、元サヤにさせるものか……」
などと何か決意をするように言っていたが何だったのか。
乙女ゲームの攻略キャラと悪役令嬢だった二人の話。
乳母は王子×スワン嬢箱推しのプレイヤーだった。




