お父さんの後悔
「おい、楓。今週末、久しぶりに釣りにでも行くか。」 僕はその名前が好きじゃなかった。女の子みたいな名前だと友達にはバカにされるし、もっとかっこいい名前をつけて欲しかった。
「ん、え?どうしたの急に」 予想外のお父さんの誘いに言葉が詰まった。
「まあいいから。」
「いいじゃん。楽しそう。」
「じゃあ日曜日の朝、ちゃんと起きろよ。」 と冗談混じりにお父さんは言った。
ただ、それだけの無駄のない会話。それでも、普段は気難しく無口なお父さんからの誘いはすごく嬉しかった。
小さい頃から、あまり遊んでもらった記憶もなく、授業参観にもきてくれたことがない、それで喧嘩に勝ったこともあったっけ。図工で描いた家族の絵だって、お父さんに褒めて欲しくて描いたのに、「すごいな」の一言だった。家の中でも特別あまり言葉を交わすことのなかった僕はいわゆるお母さんっこだった。
「お母さん!お父さんが今週釣り行こって。なんかあったのかな」 一人で夜ご飯の片付けをしていた母に、僕はくっついて話した。
「珍しいね。何かいいことでもあったのかしら。」 そう笑った。
「釣りかー、初めて行くな。サメとか釣ったらどうしよう」
「沖にそんなのいるわけないでしょ」
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今日までの一週間、やけに長く感じた。寒さもあり足少し強ばる、少し緊張しているのかな。
お父さんが車を出して、少し遠くの釣りができる堤防に向かった。車では特に言葉も交わさず、ただ横に座ってあまり見たことのない外の景色を眺めていた。特に気まずくはなかった。いつものことだ。「お母さんは、なんでこんな人と結婚したんだろう」っと幼いながらに考えていた。冷たい、静かな人。
気づいたら眠っていた僕は、お父さんに「もうすぐ着くぞ」 とそう言われ起こされた。
「わーすごい。海だね」
「ああ、久しぶりだな」
「うん、綺麗だー」
そう少し言葉を交わして、浜辺の駐車場に車を止めた。
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「釣りってやったことないや」
「俺が教えるたるけん、大丈夫」 お父さんは意地でも、自分のことをお父さんとは呼ばなかった。
釣りがお父さんの趣味だなんて知らなかった。僕はとことお父さんのことを知らないなと感じた。
お父さんは、組み立て式の小さな椅子を二つ作っている間、僕は低い岩でできた壁から、海に体を伸ばして「綺麗だな〜」なんて言っていた。
「よし、できたぞ楓、やってみるか?」
そう言って子供用の釣竿を渡してくれた。
「うん。重たいね」
「ここに立てかけな、竿の先が動いたら、一気にここの糸を巻くんだぞ」
「わかった」
また、しばらく沈黙が続いたけど、お父さんと肩を並べて、海の音を聞いているのは悪くはなかった。
「おー、きたぞー」そう言って、お父さんは横で早くも一匹目を釣った。
「いいなー。」
「でもこれはちっちゃいな。」
「楓もすぐ釣れるよ。」
「そうだ、!一番大きいのを釣ったほうが、相手の言うことを聞くって言うのはどう?」
「いいぞ、言っておくが、俺は釣りうまいぞ?」
そう言って数分、お父さんはもう四匹目を捕まえていた。
「もー疲れたー、無理だよー」そう弱音を吐くと竿が揺れた。
「引いてる!巻いて巻いて」 お父さんは僕の手の上から手を貸してくれた。
「重たいな。相当大きいかもな」
「見えた、でっか」海ので魚の影がどんどん近づいてきていた
「おーすごいな俺の釣った魚のどれよりもおっきいぞ。」お父さんはそう笑った。
「こりゃ、母さんも驚くぞ」 お父さんの笑顔を見るのはいつぶりだろう。。。とても嬉しかった。
「そういえば、あの約束。」「勝ったんだから、お願い一つ聞いてね。」
「何が欲しいんだよ、」
「宇宙に行きたい。」
「何言ってんだ、無理に決まってんだろ」お父さんは笑ってた。
「冗談。じゃあ、一ヶ月後にある小学校の卒業式に来てよ。」
「なんだよ、そんなんでいいのか?」
「うん。だって授業参観にも来てくれたことなかったでしょ?」
「まあな。。。わかったよ、もう、そんな歳になったんだな」そうお父さんはつぶやいた。
今日は、少しお母さんがこの人を選んだ理由がわかった気がした。。。
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翌日、月曜日、僕は友達に釣った魚のことを自慢していた。学校の授業なんて集中できないほど、まだ昨日の思い出が頭を走る。いつもの何倍も長く感じた学校も終わり、家に帰るのが楽しみだった。昨日は帰って疲れてすぐ寝たせいで、お母さんに釣りの話ができなかったから。
「ただいまー」。家の鍵は開いたまま家には誰もいなかった。食卓の上に置き手紙があり、おばあちゃんが四時にくるとのことだった。四時までは、まだ三十分もある。僕はとりあえず宿題をやって、終わってまだ時間があったので図鑑で、昨日釣った魚を調べることにした。
「これだ」45ページ、アカイサキ。赤くて綺麗なあの魚の名前。
そうしていると駐車場に車を駐車している音が聞こえた。
「おばあちゃんだ!」
おばあちゃんに会うのは一ヶ月ぶりぐらい。靴を履いて、玄関を飛び出た。
「久しぶり、楓」と相変わらずゆっくり話した。
「久しぶり!!」僕もそう返した
「お母さんどこにいるか知ってる?」と僕が聞く
「今からお母さんのところに行くよ、車乗って。」
僕はそのまま車の後部座席に乗った。
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着いた先は病院だった。
「お母さん病院いいるの?」
「うん、楓のパパが入院してるんだって」
僕は耳を疑った。なんか怪我でもしたに違いない、昨日あんなに元気だったお父さんがなんで急に入院なんて。
病室に向かった僕とおばあちゃん。5314号室、引き戸のドアを引くと、少し暗めの部屋に、青い服病院の服を着て、たくさんの医療器具の着いたお父さんが目に飛び込んできた。お母さんは横のソファーに座っていた。
「おかえり、でもないけど学校お疲れ様」っと母が言った。
お父さんどうしたの?
「お父さん、体悪いんだよ。しばらく入院だって」
「でも昨日平気だったじゃん」
「うん。今朝、楓が学校に行った後、急に倒れて救急搬送されたみたい」
しばらくお父さんは口を開かなかった。
「そうなんだ、お父さん大丈夫?」
「まあな」と三文字だけ言ってまた口を閉じた。。。。
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午後6時、今日はおばあちゃんちに止まることになった。今日、お母さんが帰らないことから幼かった僕でも、少し嫌な予感はしていた。木でできた古い家に、久しぶりのおばあちゃんちの匂い。僕はご飯ができるまでテレビを見て時間を潰した。お母さんがいないのと、お父さんの入院、いつもと違う場所で全然落ち着かなかった。
「ご飯できたよ。おじいさん部屋から呼んできて」
「はーい、おじいちゃん。ご飯できたってー」
ご飯は、味がしなかった。口に合わないし、薄味っていうのもあるけど、喉を通らないそんな感じだった。
「楓、明日も学校でしょ」
「今日は、早く寝なさいよ」
おじいちゃんもおばあちゃんも、お父さんのことはあんま触れないようにしようとしているのがわかった。
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翌朝、おばあちゃんが学校まで車で送ってくれた。朝休み、外で遊ぶ気にもなれず、学校にある魚の図鑑を眺めていた。
すごく落ち着つかず、学校に着いたばかりというのに帰りたかった。
「なんかあったのか?楓今日元気ないぞ。」
「なんもないよ、眠いだけ。」そんなふうに気力のない返事と言い訳をすることしかできなかった。
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3時間目の途中、職員室の先生が授業中僕のことを呼びにきた。
「楓君、おばあちゃんがきてるから、鞄まとめて帰る準備して。」そう言われた
「はい。」僕は鞄をまとめながら、すごい嫌な予感と緊張に駆られていた。
職員室でおばあちゃんと学年主任の先生が話していた。要件は案の定、これから病院に行くらしい。
車に乗り込んだがそれまでおばあちゃんとは一言も話さなあった。
見慣れた景色と、病院に近づいているとわかった時から僕の心拍数はどんどん早くなっている。
病院に着いた。広すぎる駐車場を、おばあちゃんは僕の手を引っ張って走った。
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お父さんは死んだ。病室に入ったその1秒で誰も何も言わなくても、言葉で説明するよりも何倍も詳しく状況が飛び込んできた。間に合わなかったのだ。僕の嫌な予感は的中してしまい、横ではお母さんがお父さんの手を握って泣いていた。47歳という若さで死んでしまった。僕は膝から崩れ落ちた。静かに目頭が熱くなり目から大きな声を出して泣いた。視界は真っ暗になり、さらに心拍数が早くなって耳が熱くなる。何も考えたくなかった。嘘だと言って欲しかった。僕はしばらくの間お父さんの死を受け入れられずにいた。今にも目を開けて、何か言いそうなくらい、自然に寝ているような感じだった。画面に映し出された0の文字ともう交差することのない心拍数の周波数はみょうに現実味がなかった。それでも涙は止まらなかった。。。。なんでだろう、お父さんなんて、今までそんな好きじゃなかったのに。。。
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後から聞いた話だが、お父さんはステージ4の重い癌だったらしい。それをずっと隠して、そしてそれに気づかずに釣りではしゃいでいた自分に腹が立った。もともと無口だったお父さんでも、いなくなるとやけに家が狭く、そして静かに感じる。
いつもなら着いているはずのテレビもご飯を食べる夕食時も。
普段は大好きなお母さんも、一緒になってお父さんの病気を僕には隠していたと思って少し嫌悪感を抱いてしまっていた。その成果かわす言葉もしばらく少なかった。
葬式にも火葬にも足は運ばなかった。色々察してくれたのかお母さんも何も言わなかった。
今覚えば、お父さんとの思い出なんて本当にない。フラッシュバックする思い出は全部、お父さんの笑顔を見れたあの釣り。きっと、お父さんは僕のこと好きじゃなかった。鬱陶しい厄介者とでも思ってたんだろう。だからあの時みしてくれたあの笑顔と楽しかったあの日は忘れられなかった。
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あれからもう8年がたって、今年でもう成人だ。この歳になってようやくお父さんの死を受け入れられるようになった。
仕事に東京に出ていた僕も、正月に久しぶりに地元へ帰った。久しぶりに会った母さんは随分と老けていたが、元気そうで嬉しかった。
「ほら、昔通ってた小学校とか連れて行ってあげよっか。」
「お、いいねー懐かしい」
母さんの運転で、街を一周した。
「あの学校ボロボロのまま、なんも変わってないなー」「あ!あの神社も」「懐かしー」
そんな話をゆっくりしていた。
「そうだ、父さんのお墓連れて行ってよ。」
母さんは、狐につままれたような顔でこちらを見ていた。
それも無理はない、あれから俺は一回も父さんの墓に行ったことないから。
「うん。わかった」何も聞かずに、ただあったかい声で母さんは言った。
「お父さんもきっと開いたがってるよ、もう10年も経ったんじゃない?」
「そんな経ってないよ、父さんも天国で老けてるんだろうなー」
「父さんも、って私そんな老けてないです。」なんてそんなくだらない会話もこの場所を思い出させる。
「ほら、ここがお父さんのいる神社だよ」母さんが言った
「へー」
父さんの死を受け入れられる今だからこそ、しっかり父さんと墓の前で話ができるともった。
道しな、花屋でお母さんがお供えで買った花は、カエデだった。
「カエデの花だ。」
「そう。お母さんの一番好きな花、あんたの名前と同じでしょ?」
「うん」
「あんたが生まれる前、何週間も悩んだ挙句、お父さんが私の好きな花に因んでつけた名前よ」
「知らなかった。。。」すごい喪失感と、父さんのことも母さんのことも全然知らなかったんだな、っとそう思った。
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父さんの墓の前、花を添えて母さんと一緒に祈った。
「父さん、今ならわかる。父さんが母さんを大切にしていて、誰よりも思っていたことを。僕はあれから、父さんが死んだなんてしばらく信じられなかった。8年もここに顔出せずにいてごめん。」
「あ、そうだ。覚えてる?あの時の約束。 俺の卒業式来るって話。来る前に死んじゃうなんて、もうありえないよ。あれからも色々大変だったんだからね。でも今は、お父さんの代わりにお母さんを支えてるから心配しないで。ゆっくりもう休んでてね。」
「父さん、俺のこと好きだったのかな」っと目を開けてぼそっと言ってしまった。
母さんは僕の5秒後ぐらいに目を開けて「じゃあいこっか」っと言って車に戻った。
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お墓参りの帰り道はやけに静かっだった。
しばらく沈黙のなか母さんが口を開いた。
「お父さんがあんたのこと好きだったかっていった? 」
「聞こえてたのかよ。」
「うん、あの人が一番、あんたのこと考えてたよ」
「え?」
「あの人は不器用でしょ?、愛情表現とか苦手な人だったけど、あんたのいないところではいっつもあんたの話してた。」
「ほら、あの時喧嘩した時の授業参観だって、覚えてる? 周りのお父さんより歳のいった俺なんかが行って、楓恥ずかしいだろうっていって行かなかったのよ」
「楓が小学校で描いたあの絵だって、お父さんの寝室に額縁と一緒に飾ってる。知らなかったでしょ。」
「うん・・・」
「そういえばお母さん、あんたに渡さないといけないものがある。」
「泣くのを我慢していた僕にお母さんはそういった。」
泣きそうな顔を見られたくなくて、すこしそっぽをむいた。
「ほら、これお父さんからの手紙。」
お母さんが手渡してくれたそれは、小綺麗な封筒に楓へ。と書かれていた。
封筒を開けて手紙を読み始めるた。
「口では恥ずかしくてちゃんと思い伝えられんで、手紙で許してくれ。今までがんのこと隠してきててごめんな。お母さんも隠してたのは許してやってほしい。今まで父親らしいことできんでごめんな。卒業式だっていってやれそうにないわ。楓は、お父さんが楓のこと嫌いって思ってるかもしれんけど一番愛してる。自分の不器用さが嫌になる程、愛してる。それも口で伝えられたらいいんやけどな。今となっては後悔することだらけや。死んでも、俺は空から見とるでな、お母さんのことも支えてやってくれ。愛してる。 お父さんより。。。」
あの時とは違って、母に気づかれぬよう車の助手席で静かに涙した。