EP05.師匠
アレクシア・ベル・フルール:(32)
フィエレス・エテルファルシア:(42)
以前の師匠であれば、とうの昔に私の存在に気がついていたはずだろう。
全てのモノはその内に、少なからず魔力を持つものだ。
魔力感知に長けた者であれば、その魔力感知範囲に異なる魔力が侵入したことを感じることなど朝飯前なのだから。
それが今では、その背後に立っていても気がつかない。
それが、とても腹立たしい。
「……師匠」
「ふぇ!? えっと……どなたかしら? 勝手に家に入られるのはちょっと……」
驚かせてしまったようだ。
彼女は心底驚いた表情をしている。
もしこれが演技であれば……と思うがそんなことはないだろう。
当然だ。彼女は私の見立て通り、私がいることに気がついていなかったのだから。
「突然の訪問、お詫びいたします。ですが、私とあなたは既知の仲です」
「そうなんですか? ええと……その顔に……名前は……」
私の顔をじっくりと眺めた後、思い出そうと必死に記憶を辿っているようだ。
きっと、そんなもの彼女に残ってはいないのに。
「……そうだわ、思い出した!」
「えっ?」
「あなた、アレクシアよね? ええ、そうだ、間違いないわ! この歳になると忘れっぽくなって困るわね」
「私のこと……覚えて……!」
これは一体どういう事だろうか。
私の聞いた話では目の前で嬉しそうに笑う彼女―――フィエレス・エテルファルシアは全ての記憶を失っていると言っていた。
だが、少し老いたなとは思うが目の前にいる彼女は、確かに私の師匠で、フィエレス・エテルファルシアその人だ。
「コーヒーを淹れるから座って待ってて。どうせあなたのことだから、お茶嫌いは治ってないんでしょ?」
……!
そうだ、私は昔からお茶の渋さが好きになれず敬遠してきた。
それを知っているのは、わずかな親しい者たちだけ。
そして、師匠もその一人だ。
老害め……。師匠は何も忘れたりなどしていないではないか。
きっと、気に入らない私のことを少しでも揺さ振ろうとしたのだろう。
最初にそれを聞いた時は、確かに感情のままに城を飛び出してきてしまったが、嘘とバレてしまえばむしろ、感謝したいぐらいだ。
図らずも師匠と再会する機会を得ることができたのだから。
「はい、コーヒーでお願いします」
言われるまま席に腰を下ろし、コーヒーが出来上がるのを待つ。
師匠は昔と変わらないな……。
魔法でお湯を沸かす、または直接お湯を生成してしまえば早いのに、コーヒーは手間をかけるから美味しいと言って、いつもお湯から沸かすのだ。流石に豆から挽くようなことはなかったけれど。
そして、淹れたてのコーヒーが入ったカップがテーブルに置かれる。
「ありがとうございます、師匠。……頂きます」
カップを手に取って一口だけ口に含む。
……美味しい。
学生時代に何度も味わったこの味。
つい懐かしくなって涙が零れた。
「あら……泣いてしまうぐらい美味しかった?」
少し意地の悪い表情を浮かべ笑う師匠。
「そうです……師匠の淹れたコーヒーが大好きで……大好きで……」
つい大人げもなく泣いてしまった。
そんな私を後ろから優しく抱きしめてくれる師匠。
このぬくもりも変わっていない。
やはり師匠は、師匠だ。
「そろそろ落ち着いたかしら?」
「はい、お見苦しいところを見せてしまいました……」
どうしてだろう、恥ずかしいところを見られたはずなのに嬉しい気持ちが湧いてくる。
きっと、今のだらしなくほころんだ私の顔を部下が見たら卒倒してしまうかもしれない。
「それじゃあ、用件を聞こうかしら? 用が無かったら姿も見せてくれない人なんだから」
対面に戻った師匠が話を切り出してきた。
「そ、そんなことは……! うっ、い、今は顔を見せることが仕事のこともあるんです! 師匠になら用が無くても顔ぐらい見せに来ますよ……」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。……でも本当は?」
「あ、あります……用事……」
「ふふっ、そうでしょうね」
師匠には私のことなど全てお見通しのようだ。
それが、すごく嬉しい。
そう思うと最初のやり取りも、私をからかうためにあの老害を利用して仕組んだことだったのかもしれないと思う。
師匠は魔法が自身の全てのような人なのだ。
だから、師匠が記憶を失って、魔法も失って、なんてことはたとえ天と地がひっくり返ったってありえないのだ。
「まずは娘さん……フレイアの高等部入学おめでとうございます」
「ありがとう。あの娘、あなたに憧れて魔法騎士になるって頑張っているのよ?」
「それは……何と言うか……光栄です」
気恥ずかしい。
師匠の愛娘であるフレイアに憧憬を向けられているなんて思いもしなかった。
私なんかよりもずっと、母親である師匠の方が何倍もすごいのだから。
「私に似て、ほとんど魔法が使えないって言うのに、健気なものよね……」
「…………………………え?」
師匠は、今、何と言った?
「まったく魔法を使えないわけじゃないらしいのだけど……まったく魔法を使えない私では教えてあげることもできなくて……。あっ、そうよアレクシア! 今度あなたがフレイアの面倒を見てあげて? きっと、あの娘もすごく喜ぶわ!」
師匠は、まったく魔法を使えない、と言ったのか?
そんな……そんなはずはない!
「えっと……アレクシア? どうかした?」
気がつくと勢いのままに立ち上がり、椅子を倒してしまっていた。
師匠は、心配するように私の顔を覗き込んでいる。
こんな顔の自分を見せたくなくて、つい顔を逸らしてしまう。
「すみません。少し……動揺してしまって……」
「え、ええ……」
沈黙が室内を支配した。
私はここに確かめに来た。
15年前、失踪した大魔法使い―――フィエレス・エテルファルシアを。
一時期完全に姿を消していた彼女だが、最近になってその所在が明らかになった。
フレイア・エテルファルシアなる少女がバルメデアラ魔法学院高等部に入学してきたという。
その少女のことを調べると母親の名はフィエレス・エテルファルシアとなっていた。
同姓同名、珍しくはあるが、ありえない事ではない。
それに少女は小等部からバルメデアラ魔法学院に通っていると言うではないか。
傍から見れば失踪した大魔法使いの縁者と思われる人物が入学してきたが、ずっと姿を隠していたのに偽名も使わず再び表舞台に現れるのか、と思うだろう。
だから、その時はうやむやになってしまったが、今になって彼女が本当にあの時失踪した大魔法使いフィエレス・エテルファルシア本人であるとわかったのだ。
一度は喜びに沸いた気持ちが、奈落に墜とされた。
師匠は……フィエレスは、魔法と魔法に関する記憶を全て失っている。
認めたくないがあなたの言ったことは本当だったよ。
言葉は正しくないが、それはある意味で正確に的を射ていた。
魔法は本当に師匠の全てだった。
だから、それを失った彼女の状態は全てを忘れていると形容してもいいだろう。
本当に記憶の全てを失っていてくれたなら、どれほど良かっただろうか。
中途半端な光をちらつかされては、それが手に触れられるモノだと勘違いし、それに触れようと一生懸命に手を伸ばしたくなってしまうではないか……!
「……すみません。そろそろ時間なのでお暇させて頂きます」
「用事の方はよかったのかしら?」
「ええ、先ほど終わったので大丈夫です。それと、また時間ができたら顔を見せに来ます」
「ええ、いつでもいらっしゃい!」
嬉しそうに笑うフィエレスに踵を返し、家を出た。
家を出るとしばらく歩き、人気のない路地に入り、通信端末を開いた。
「ゼディアラ、私だ。……ああ、今しがた終えてきたところだよ」
副官であるゼディアラを呼び出して報告をするためだ。
「あいつの言っていたことは本当だった。フィエレス・エテルファルシアは―――死んだ」
それだけ伝えると通信端末を閉じた。
誰もいない暗い路地、私は一人―――笑った。
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