EP34.翼の集いVII-夕食
ほの温かく鼻をくすぐる吐息。
そっと頬に触れられる感触。
乱暴ではないけれどこそばゆく、誰かが私に悪戯をしている。
悪戯のせいで眠りから覚め、目を開けるとばっちり犯人と目があった。
「………………今、何しようとしてたの?」
「……こほん。ようやく起きましたわね」
咳払いをし、話題を逸らそうとするロゼッタだが、そうはいかない。
朱が差した頬に、私に覆いかぶさるような体勢。
さて、この状況をロゼッタはどう言い訳するのか。
「うん、おはよう。で、何しようとしてたの?」
「くっ……聞いたら後悔しますわよ……?」
悪戯を仕掛けたロゼッタが後悔することはあっても、仕掛けられた私が何を後悔するのか。
駆け引きにもならないのでばっさりと切り捨てる。
「はいはい。後悔なんてしないから」
話題の転換に失敗し、苦々しく唇を噛むロゼッタはぼそっと呟いた。
「…………いましたの」
声が小さすぎて聞き取れなかった。
「ん、なんて?」
聞き返すとロゼッタの瞳は潤み、一瞬言い淀んだが、観念したのか大きな声で言い放った。
「……っあ。……み、見惚れてしまいましたの! あなたの! 寝顔に!」
途端、顔が熱を帯びる。
ロゼッタの顔も耳まで真っ赤だ。
「あ、ありがとう……? いや、違っ……変態っ!」
つい褒められたと感謝してしまったが、よくよく考えればそうではない。
見惚れるまではいいがその先、ロゼッタが何をしようとしていたのか。
今、私とロゼッタの距離はあまりにも近すぎる。少し動けば顔と顔が触れてしまいそうなほどに。
私は自分にかけられていた薄手の毛布を身を守るように抱き寄せた。
「んなっ!? だ、誰が変態ですか!!?」
「ロゼッタに決まってるでしょ! だだだだって、見惚れてキ、キ、キスしようとしてたんだから!!!」
「ちちち違いますわ! これは……そう! 熱でも出したのではないかと思い確かめようと!」
「お嬢様方、楽しそうですね」
「「きゃああああああああああああ!?!?!!?」」
ロゼッタと二人悲鳴を上げる。
話しかけてきたのはベッドの側に立っていたエリン。
いきなり話に入ってくるのだから心臓に悪い。
そもそもいつからそこにいた。
エリンがいることも忘れて暴挙に出るロゼッタでもあるまいし。
「夕食の準備ができましたので呼びに参りました。……ああ、どうしてそこにいるのかと顔に書いてありましたので」
顔など見なくても、私たちの反応だけで十分察せるだろう。
やはりエリンはただの使用人であるはずがない。
それに思い出した。私たちは入浴しながら、エリンの話を聞いていた。
どうしてエリンはいろいろなことができるのか、という話だったがそれは貴族の振舞いにも繋がる話であり、私は感心し得心しかけたところ、のぼせてしまったのだ。
あまりにも出来過ぎたタイミングに、エリンが何かしたのでは、と恐怖した。
「それと、言葉遣いが戻っています。フレイア様」
「! し、失礼しました! 気をつけます……」
常に丁寧な言葉遣いを心がけるべきなのは確かだ。
しかし、これでは主従が逆転しているようにも思える。
「どうして私がエリンのことを知りたがったのか……理解できたでしょう?」
「う、うん……」
小声で話しかけてきたロゼッタに頷いた。
「こそこそと話すことは好ましくないですよ? ……お嬢様方」
「「はいっ!!」」
こそこそ話も見逃されない。
エリンの指導なら案外楽に貴族マナーを身につけられるかもしれないと思ったが、どうやらそんなことはないらしい。
週末までに貴族マナーを身につけなければ、奥の手――何をされるかすらわからないのだから、スパルタ指導の方がまだいい。楽をできるかもと思った報いか……。
「さあ、もう一方をお待たせしないよう、お嬢様方も食堂にお急ぎください」
そう言うとエリンはさっさと行ってしまった。
「来たんだ、アレクシア。最近あまり姿を見ないからメンヘラを再発したのかと……」
「……言葉遣い、戻ってますわよ」
「うっ!? さ、さあ、私たちも行きましょうか……って、いつまでその体勢でいるの!?」
「こ、これはエリンが割って入ったせいでタイミングを……! 今離れますわ!」
そそくさとベッドから降りたロゼッタ。
冷静に考えると言葉遣い以前に、私たちの状態を注意すべきだったのではないだろうか。
そう思っても話は終わっているのでいまさらではあるが……。
私もベッドから起き上がると、枕元に置かれていたカーディガンを寝間着の上から羽織った。
寝間着はおそらくエリンが着せてくれたのだろう、ロゼッタの着ている寝間着の色違いとなっている。
「はあ……夕食の前なのに疲れた……んっんっ、疲れました。私たちも行きましょうか」
さっきまでのことを根に持っているらしく、ロゼッタがじっと睨んできた。
私たちはエリンとアレクシアが待つ食堂へと急いだ。
◇
食堂に入ると大テーブルに豪華な夕食が用意されており、側ではエリンが控え、アレクシアは――いなかった。
その代わりにすでにテーブルに着き、食事を始めている王国軍の軍服を着た知らない女性がいた。
「ん? おー、遅かったから先に食べてるよー?」
軍人らしき女性は私たちに気付いて話しかけてきたが、食事の手は緩まない。
私を振り向き知り合いか、と問うような視線を向けてきたロゼッタ。
知り合いで軍人と言えばアレクシアぐらいなもので、元を含めてもクレストール先生の二人しかいない。
食事を続ける彼女に心当たりはなく、私は首を横に振った。
互いが知らない相手にロゼッタは怪訝な顔をし、エリンを問いただした。
「……エリン、こちらは?」
「フレイア様の護衛と伺っていますが?」
「フレイアの護衛はアレクシアのはず……この方ではありません! あなたは誰なのです!?」
正体を明かさぬまま、依然として食事を続ける彼女をロゼッタは糾弾した。
「落ち着きなよ。君たちが遅かったから先に食べてたの。任務が終わってすぐに来たのに待たせるものだから……もっと早く集まってたら先に説明したって」
今は普通の夕食時より少し遅い時間。
私がお風呂でのぼせて眠っていたからだ。
待たせてしまったのは悪いと思うが、それ以上に彼女の飄々とした態度が私たちに怪しく思わせた。
「私はゼディアラ・パルルミナ。アレクシアの副官だよ、聞いてない?」
「……あっ! たまにアレクシアの話に出てくる名前!」
アレクシアは常に私の護衛をしているわけではない。
王国軍を率いる騎士団長なのだから、当然と言えば当然だが。
私が学院内にいる間は比較的安全なので、別の任務に出向くことが多々ある。
その報告の際などに彼女――ゼディアラの名前を度々聞いたことがあった。
「ほうら? 早とちりをするから」
「それは……よく知りもしない人物が屋敷にいたのでは疑いもしますわ!」
「それはそうなんだけどさ……君には五大貴族としてのメンツがあるわけで、そんなんで大丈夫なのかな? ――翼の集い」
今この場が初めての顔合わせなのに、すでに一触即発状態のように睨み合うロゼッタとゼディアラ。
このままでは話を進めるどころか、夕食すらままならないので意を決して割って入る。
「ゼディアラ……さん? えっと、私たちアレクシアが来るのだと……?」
「ゼディアラでいいよ。学生相手にこっちも畏まる気なんてないし……変に気を張られて週末のパーティーでへましてくれたら困るからね」
「その口ぶり……まさか……」
続く言葉を察して嫌な表情を浮かべるロゼッタ。
「そそ、アレクシアはパーティに行けない。だから代理として私が来たってわけ」
「最悪ですわ……こんな方を代理として寄越すなんて。アレクシアは何を考えていますの?」
ロゼッタが悪態をつきたくなる気持ちも少しわかる。
代理を立ててくれたことはありがたいが、ゼディアラからは、なんて言うか……そう、誠実さを感じない。
私が言えたことではないが、貴族のパーティーに向けた人選とはとても思えなかった。
そんな戸惑う私たちを見て、ゼディアラはくくっと笑った。
「ホークリング家の御令嬢、失礼致しました。アレクシア閣下は適任として私を選んだのです。ただの護衛任務と気を抜いていたこと、謝罪いたします」
先ほどまでの態度を豹変させ、堂々とした態度で頭を下げるゼディアラ。
その変わりようはまるで別人で、言葉では謝っているが私たちを馬鹿にしているのだ。
簡単に冷静さを欠いてどうすると。
それが理解できないロゼッタではない。歯噛みし、どうしようもできないことに怒り、背中を震わせた。
「……私も少しばかり取り乱してしまいました。お許しを、ゼディアラ」
「御令嬢が謝ることなど……」
「ロゼッタ……名前で結構です」
睨み合うロゼッタとゼディアラ。最悪の雰囲気だ。
待たせてしまったこちらに非があるのは確かだが、これはあんまりではないか。
しかし、私が割って入ってもおそらく状況を悪化させるのみ。
どうにかならないかと周囲を見回すと、エリンと目が合った。
「……!」
声には出さないが短くその口が動いた。
お任せを、と。
そして、エリンはすぐに動いてくれた。
「……ゼディアラ様、申し訳ありませんがお戯れはそこまででお願いいたします。これ以上はホークリング家の使用人として、それなりの対応をせざるを得ませんので」
「……それは、怖いね。ああ、クソったれ、大人気無いとわかっていても恵まれた君たちがムカついてね……この度は本当に失礼した」
深く頭を下げたゼディアラ。
今度の謝罪は私たちを馬鹿にするような感じはない。
ロゼッタと顔を見合わせると、私たちは頷いた。
「頭を上げてください。失礼があったのはこちらも同じ……今までのことは忘れ、夕食にしましょう。冷めてしまってはせっかくの料理が台無しですから」
「……いいのか、私で? 別の者を代理として手配しても……」
ゼディアラが全てを言い終わるより先にロゼッタが言葉を遮った。
「構いません。今は楽しく夕食を囲むのが優先……それにここであなたを追い返しては、それこそあなたの言う通りですから」
「……そう、か。今はまだ未熟だが、その資質は確かにあるということか……」
ゼディアラは独り言のように納得すると食事を再開した。
ロゼッタの「楽しく夕食を囲む」という言葉を無視し、私たちの着席を待たないのはゼディアラらしい。
私たちも席に着き、エリンお手製の御馳走を頂く。
わかってはいたことだが、美味しい。どの料理も絶品だ。
お腹が空いていたことを加味しなくても、本当に美味しい。
「フレイア様、お口に合いませんでしたか?」
無言の食卓の静寂を破ったのはエリン。
私が無言で料理を食べ進めていたため、用意した料理が口に合わなかったのかと心配した……ということではないらしい。
その目は、もっと積極的に話をし、食卓を盛り上げろと言っている。
つまりは、言葉遣いに慣れるためもっと話せということだ。
やはり、楽などさせてくれないらしい。
「……そんなことありません、とても美味しいです」
「それは良かった。何の感想も頂けなかったのでお口に合わなかったのかと……」
感想を言わせるお膳立てまでして……。
ええい、自分らしくないから恥ずかしいとか、羞恥心はこの際忘れる。
むしろ、さっきゼディアラがしたように私も別人のように演じればいい。
「あまりにも美味しかったもので、つい夢中になってしまいました。エリンの料理を毎日食べられるロゼッタが羨ましいです」
「週末までは毎日食べられるじゃないですか。別に、それ以降も歓迎しないわけじゃないですし」
ロゼッタはその顔に心にも無いことを、と言っているがそんなことはない。
週末のパーティーさえ終わってしまえば、今のように余計なことは考えず御馳走を楽しめばいいだけだけなのだ。
ただ、次があるかはそのパーティ次第……そのためにも今はできることをしなければならない。
「人前でイチャイチャして……君たちずいぶんと仲がいいね。羨ましいよ」
「んにゃ!? いいいいイチャイチャなんてしてませんわ!!」
「えっ、なにをてんぱってんの?」
ゼディアラからすれば会話に混ざるため、適当に選んだ言葉だったのだろう。
しかし、それは私たちに少し前の……アレを思い出させた。
思い出すだけで頬が熱い。ロゼッタなんてご覧の通りだ。
話を掘り下げられる前に強引にでもこちらから別の話に切り替える。
「ろ、ロゼッタはたまに壊れるから置いておきましょう! それよりもアレクシアが来ない理由とか詳しく聞かせてください!」
「……まあ、別にいいけど。アレクシアは例の発作、しばらくのことは私に任せるってどこかに行った」
「発作!? アレクシアって何か病気を……?」
「あー……まあ、あれは病気と言ってもいいでしょ。フィエレスの研究報告書が見つかったって聞いた日から……」
「あっ、わかりました。もう大丈夫です」
全部を聞かなくても察せた。
理事長室でお母さんの研究報告書に目を通した日からアレクシアの姿をほとんど見ておらず、つまりはそういうことだ。
お母さんが関わった時のアレクシアは鞘を失った剣。上手く納めなければ、周囲を滅茶苦茶にしてしまうアレクシアのメンヘラモード。
今回はまだ実害が出ておらず、ゼディアラを代理として立てるぐらいの理性は残っているみたいだが、少し心配だ。
「アレさえなければアレクシアは完璧超人なんだけど……欠点が欠点過ぎる……」
ゼディアラはアレクシアの副官……過去幾度とアレクシアのメンヘラに振り回されたのだろう。
私も殺されかけたりした、その苦い表情からは苦労が窺える。
「で、評議会のトップを相手にするんだ、他の団員ではな……」
「……協力、ありがとうございます」
「正直、騎士団の仕事かと問われれば疑問だが、欠点以外でアレクシアが間違うことはないからね」
「……そうですね」
アレクシアは信頼されている……んだよね?
そこまで長い付き合いではないがアレクシアとは濃い時間を過ごしてきた私だ。
ゼディアラの言葉の正しさは理解できているつもりだ。
「あの……さっき私たちを恵まれているって言ったのは……?」
「違うかい? アレクシア、学院の理事長、前師団長、そこの使用人さんだって……みんな優秀で君たちに手を差し伸べてくれる」
「まさか、私などが優秀だなんて……」
「「「………………」」」
エリンの小粋な冗談に私たちは何も言わない。
「これで恵まれていないなんてことはありえないだろ?」
王国騎士団の団長、歴史ある魔法学院の理事長、王国騎士団の前師団長、謎多き使用人。そんな人たちがみな私に協力してくれているのだ。
言われなければ気づきもしなかった。
「事件に巻き込まれたのことは不幸かもしれないが、それとこれとは別だからね」
「はい……!」
確かに女神教会に目を付けられたことは不幸だったけれど、私の周りには助けてくれる人たちがいてくれることを再確認させてくれた。
それはとても心強い。
「……私も助けて欲しかった」
「えっ?」
何かをぼそっと呟いたように聞こえたが、聞き取ることができなかった。
「私は先に休ませてもらうよ。部屋まで案内してよ……使用人さん」
「はい、こちらへ」
さっさと逃げるように食堂を出るゼディアラをエリンが追う。
食堂には私とロゼッタだけが残された。
少しの沈黙の後、ロゼッタが口を開いた。
「……フレイア、私……悔しかったです」
「……ロゼッタ」
「ゼディアラの言ったことは本当で……私はホークリング家の者として、もっと……」
力なく項垂れるロゼッタ。
ゼディアラは私たちが恵まれ、周りの大人たちが手を差し伸べてくれると言った。
しかし、それは言い換えてしまえば、自分たちの力が及んでいないということ。それをわからないほど子供でもない。
「私たちは子供だから……じゃ、割り切れないよね」
「ええ……」
「そのまま俯くの? ゼディアラの言う通りになるのは嫌だったんじゃないの?」
「わかってはいるのです……けれど、すぐに切り替えれるほど、大人でもない……」
その気持ちは痛いほどわかる。
私も、そうだったから。
そして、立ち直るまでロゼッタたちは支えてくれようとした。
それを今度は私がする番。
「ねえ、ロゼッタ……今日一緒に寝てあげよっか?」
「いきなりなんですの? 気持ち悪い」
恥ずかしいのはわかるが、人の善意を気持ち悪いで一蹴するのはどうかと思う。
「ロゼッタは一人っ子だからわからないかあ……すごく安心してすっきりするんだけど」
「はあ? あなたも一人っ子では……いえ、たとえグラスがいたとしても似たようなものではないですか」
「それが違うんだよねえ……あー、残念残念」
「くっ……言葉遣いが普段に戻っていますわよ?」
こんな時ぐらい素直になればいいのにまったく、ロゼッタも頑固者だ。
「それは失礼。ですがホークリング家の御令嬢がこんな簡単な提案も受け入れてくれないなんて……」
「そ、そんな安い挑発なんてしても……」
「でしたら私がご一緒してもよろしいでしょうか?」
「………………」
もうその展開は飽きたよエリン。
ゼディアラを客室まで案内してきたエリンが音もなく戻っていた。
「フレイア様がお眠りになるまで貴族のマナーを手取り足取りお教えいたしますので……」
「ロゼッタ様、どうか今夜は私と一緒に寝ませんか?」
エリンと二人で一夜を過ごしたら次の日には私の人格が別人になっている気がするので、それだけは絶対に避けたい。
友人のピンチなのだ、ロゼッタ様ならもちろん助けてくれるよね?
「まったく、あなたたちは……今日だけ、ですからね」
仕方ない風に装っても顔が赤いよ、ロゼッタ様。
それから私たちは談笑しながら楽しく夕食を囲んだ。
夕食を終えるとロゼッタと二人、部屋へと戻って寝るまで他愛のない話で盛り上がった。




