第7話
早朝の厨房に、余裕と言う贅沢品が入り込む隙間など無かった。
荒れ狂う煮炊きの炎と、熱される釜が温度を上げていく。
刃物が飛び交い野菜を切り刻み、ついでに調理人の指まで危うくする。
調理が終わっても、気を抜いてはいけない。
配給車に乗せられたパンの山が、疲労で足取りの覚束ない調理人を跳ね飛ばしかけていた。
最後の配給車を送り出してからは、厨房の清掃が始まった。
それが終われば、昼の下拵えと調理が始まる。
「……あれ。終わりが無いんじゃないのか、これ」
カンタルが冷えた大釜を洗いながら呟く。
朝、昼、晩、と過ぎて行っても、また次がある。
何もしなくても朝は来るが、大忙しでも朝は来るのだ。
彼が軽く絶望しかけていたところ、特徴的なエプロンをつけたエルネがやってきた。
彼女に笑顔で背中を叩かれる。
「やるじゃないの、助かったわ」
「あ、ええ。ありがとうございます」
「その大釜を片付けたら、もういいわ」
エルネが、厨房の隣にある従業員用の食堂を指さす。
そこでは妙齢の婦人たちが、厨房の熱気に耐えられず薄着で休憩していた。
「あー、すんません。あっちで休みます」
流石にそこへ入っていくのは気まずいので、厨房外の木陰で休むことにした。
エルネも苦笑いを浮かべる。
「まあ、私らは気にしないけど、若い娘もいるからね。それでいいけど、水だけはしっかり飲んどきなさいよ。おつかれ」
「え? 仕事は終わりですか」
「はあ? まだ働く気なの? やめなさい。疲れた足手まといは、必要ないわ」
ひらひらと手を振って見せるエルネだった。
言葉とは違い、表情に険が無い。
「一応、兵隊さんが来るときは、毎食輪番でいかないと無理だから。……それでも働きたいっていうなら、まあ、そうね」
「……無理に探さなくてもいいですよ?」
何やら帰れそうだったところに、追加の仕事を善意で任されるとあれば、彼のメンタルが締め付けられる。
エルネが、にこりと笑った。
「それじゃあ、貴賓室に御飯を届けて貰えるかしら」
「え、いいんですか」
身分的な問題で言うカンタルだったが、彼女が仕方なさそうに肩を竦める。
「ちょっと、気難しい方でね。ご飯を突き返されても心配しなくていいわ。置いてきてさえくれれば、次の当番が回収して帰るから。頼んだわ。配膳は、あれを使ってね。案内は屋敷前の衛兵に言えばいいから」
「あ、ありがとうございます……」
心の中で大きな溜息を吐いたカンタルは、気合を入れ直した。
夜まで厨房に立つことを思えば、この程度はまだ楽な方だ。
一人分の食事が乗せられた小型の配膳車を押して、厨房から出る。
廊下を通り抜けて、別棟の兵舎へ続く扉の前に衛兵が立っていた。
「何の用だ?」
「貴賓室へ食事を運びに来ました」
「……ああ、アレにか。無駄になるかもしれんぞ。といっても、命令だものな。よし、案内する」
衛兵が別の者に合図をしてから、先立って歩き始めた。
カンタルも、遅れないようについていく。
兵舎の貴賓室といえば、高級将校などが詰めている場所だろう。
それを衛兵が、アレなどと言うからには、問題があってしかるべきだ。
彼の憂鬱な気分に、拍車がかかる。
最悪、持ってきた食事を頭から被る想像までしてしまうカンタルだった。
それなりに剛健な扉の前で、衛兵が止まる。
「帰り道はわかるな?」
「は、はあ」
「では、俺は帰る。余計なところへ顔を出すなよ」
「ええ、居てくれないんですか?」
「仕事があるんだ。お前も適当に話をはぐらかして、さっさと帰らないと『説得』されるぞ」
じゃあな、と靴音を鳴らして帰っていく衛兵だった。
「説得? 話が長いってことか」
それにしては意味がわからん、と考えたカンタルだが、まずは食事を届けねば話にもならない。
扉をノックして、女性の声が帰ってきた。
「どうぞ」
「失礼します」
扉を開けて、配膳車から女性へ視線が移る。
装飾がついた淡い色のワンピースを身に着けた――――リーナ・アルトスが口を開けて立っていた。
硬直が溶けてすぐに、ワンピースの裾を摘まんで走り出し、扉から頭を出して周囲を伺った。
後ろ手で扉を閉め、大きく息を吸ってから、カンタルを指さした。
「あ、あなた! 何やってるんですか!」
「えっと、その、御飯を届けに来たよ?」
「いやいやいや、それどころじゃないでしょう! 忍び込んだら駄目です! 殺されても文句が言えませんよ!」
急に感情が高ぶった所為なのか、リーナの足元が揺れた。
彼が見る限り、彼女の顔色も悪く、元気が無いように感じられた。
カンタルの心で燻っていた火が、燃えてしまう。
「御飯」
「とにかく、私が何とかしますから帰ってください」
「嫌だ」
「――――は?」
再び、リーナが口を開いたまま固まってしまった。
その隙に、配膳車から食事をテーブルに並べてしまう。
「はい、食べてくれ。食べてくれたら、言う通りにしよう」
「何言ってるんですか、あなたの命が危ないんですよ!」
心配と怒りが混ざったリーナの声に、彼は視線を向けなかった。
半ば無視しながら、そっぽを向いて返事をする。
「それはいいんだ。だから御飯食べてください。あ、そういえば、恩返ししてくれるって言ってたね? それ使うので、御飯どうぞ」
「ああ! もう! 何なんですか!」
力いっぱい苛立ちを吐き出したリーナが、乱暴に椅子に座った。
淑女とは思えぬ乱暴な食べ方で、食事を始めた。
パンを噛みしめるごとに、彼女の瞳から大粒の涙がこぼれた。
彼は水を用意して、テーブルに置いた。
「……何なんですかぁ」
「しっかり御飯は食べないと、元気が出ないよ」
「そんなこと、聞いてません」
「うん。リーナはよく頑張ってる。ご飯も食べずに、この部屋に来る人を説得してたんだろ。だから、まずは御飯だ。御飯が食べれたら、また戦えるようになるさ」
彼は無意識に、リーナの髪を梳かすように何度か撫でた。
彼女が口を尖らせる。
「本名を……呼び捨てですか。髪も勝手に触ってますね」
「あ、ごめん」
慌てて手を引っ込めるカンタルだった。
その行為を続けるだけの精神力を、彼は持ち合わせていない。
リーナも気にせず、食事を続ける。
「別に……いいです。一つ貸しですから」
「へ? ああ、うん。いいよ。何でも言ってくれ」
「……何でも?」
彼女が眼を据えて、強い視線をぶつけてくる。
カンタルは苦笑いで答えた。
「無理なことは無しで頼むよ」
「不可能でなければいいんですね」
「まあ、そりゃあ、うん」
「それなら大丈夫です。はい。大丈夫」
「?」
勝手に一人で納得したリーナが、それ以降は黙々と食事を続けるのであった。
男性兵士の食事と同じものを用意していたはずだったが、それを見事に平らげられてしまう。
カンタルが食器を片付けていると、口元を拭う彼女が横を向く。
食事もひと段落したところで、お互いの情報交換となった。
リーナが項垂れて言う。
「本当に情けない事ですが、ドイデン家との交渉は難航しています。私はアルトス家の存続を願ったのですが、聞き入れてもらえませんでした」
「ほう。それで、女性というのが発覚したのは?」
彼はリーナの姿を見て言った。
彼女がワンピースの裾を少しだけ隠す。
「最初にドイデン家から、娘さんと婚姻を申し入れられたのです。ですが、それでは一緒に生活していれば、いずれ私が女性であることは判明してしまいます。ですから、その、娘さんと秘密の話をしようと考えたのですが……」
「あっさり露見してしまったと」
正直すぎて交渉ごとに向いてない感じのリーナであった。
それは彼女も感じているのか、更に項垂れた頭が低くなる。
「はい……。それ以降は、逆に私をドイデン家へ嫁入りさせて、アルトス家を吸収することが目的になったようでして」
「えっと、アルトス家に婿を入れるのは?」
「それだと私が女性であると認知されます。そもそも王に嫡子としての爵位を頂いているので、性別が欺瞞だとすれば、家は取り潰しだと思います」
「確かになぁ」
大前提として、リーナが女性であることが、王様に発覚されてはいけないことなのだ。
その弱みをドイデン家か握ったことで、強気に出るのは当然だろう。
リーナをアルトス家の隠し子か何かに欺瞞して、家格を乗っ取ることは不可能ではない。
「ところで、あなたはどうしてここに?」
「あー、うん。言うのが遅れたけど、俺はカンタルって言うんだ。リーナが困ってそうだったから、心配で追いかけて来たんだけどね。あまり役に立てて無いな。途中で変な目に会うし、スキルとか言われるし」
「スキル?」
彼女がいきなり顔を上げた。
息をするのを忘れるくらいの、食いつきようだった。
カンタルは顔の前で手を横に振る。
「そんな大したものじゃないよ」
「――――いえ、そんなことはありません」
リーナが、強く鋭い眼をしていた。
彼女が女神に祈り、感謝し、カンタルの手を握った。
「私の『最後の手段』を使うことが出来ます。お願いできますね。今すぐ貸しを返してもらえませんか」
「……ちょっと怖いんだけど」
女性から手を握られてうれしい反面、真剣過ぎる表情を見せられて腰が引けているカンタルだった。
「大丈夫です、あなたが痛くなることはありません。私の――――スキルを使います」
勝利の確信を得たリーナが、彼を見つめながら手を強く握りしめていた。




