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第42話


 レイナが思案の表情を一変させて、恥じらう顔でカンタルを見た。

 静かに近づいてきて、彼の隣に立つ。


「お礼が遅れたわね。ありがとう、我が夫」

「えーっと、誰ですか?」

「あれ? 兄様から聞いてない? おっかしいなー。でもまあ、気にしないで。貴方が何者でも、逃がす気は無いから。あと、愛人は三人まで面倒見るから、事前に伝えておいてくれると助かるわね。……セルディさんだけは、どうかと思うけど」

「うん?」


 カンタルは困惑した。


 まず前提として、馬で拉致された相手がいきなり夫呼びしてきたら、どんなに美人だろうと遠慮したくなってくる。


 精神構造の違いと言うか、会話が出来ない恐怖心があった。


「……姉御、少し耳を」


 熊男がレイナを引き寄せ、小声で何かを教えていた。

 邪魔するなと顔に書いてある彼女だったが、次第に表情が納得したものになる。


 レイナが大きく頷くと、熊男が離れた。


「初めまして、っていうのも不思議ね。私、レイナ・ゴルト・ルウィングよ。貴方は私が養うから、何も心配しなくていいわ。……でも、たまに相手をしてくれると嬉しいかな。さっきのは血が出て痛かったけど、我慢するから」

「っあ、えええええええ! 姉御ぉっ?」


 熊男が驚愕の表情を張り付かせた。

 その反応に、レイナが首を傾げる。


「え? 男の人は好きなんでしょう? ちょっと恥ずかしいし、頭の芯まで痺れるけど」

「んなあぁぁぁぁぁぁ! こんなとこで、何やってんですかねぇ!」

「だって、私だって恋する前に殺されたくないし」

「いやまあ、戦いの前に高ぶるっていうのもありやすがねぇ、何もここでしなくても……」

「興奮したわ。初めてだったけど、悪くないわね」


 腰に手を当てて、満面の笑みで答えるレイナだった。

 大事な娘の性癖を垣間見た父親の表情で、熊男が肩を落とした。


「……そうですかい。まあ、姉御が良いんなら、それで良いんですかねぇ。ちょっと後でシュミット様に相談しやす」

「へ? 好きにすればいいと思うけど。まあ、それはそれとして、状況が変わったわ」


 顔を上げた熊男が、レイナの顔を見た途端に表情を正した。

 やり取りされる言葉とは裏腹に、目が真剣であった。


「へい」

「恐らく、『隠れ里』が動き出したわ。ガーオレン王国でクーデター騒ぎが起きるはずよ。我が国でも起こるわね」

「そいつは――――」


 熊男がカンタルに視線を送る。

 こいつの前で喋ってもいいのか、という仕草だが、レイナは意に介さない。


「いいのよ。私は決めたの。この人と添い遂げると。……変な荷物を背負わせることになるけど、そこは愛と財産で何とかしたいところね」

「あ、いやちょっと、俺の意見を聞いてくれませんか」


 勝手に覚悟完了されていることについて、物申したいカンタルであった。


 先程の自己紹介からして――――クラウス王子の妹に間違いないだろう。

 流石は王族といったところで、兄弟多めで個性も飛び抜けた者が揃っている。


 確かに噂として『姫将軍』の婚約者になったことは聞いていたが、意味が分からない。

 しかし、今は好都合にも、本人が目の前にいる。


 はっきりとお断りしなければならない。

 どうせ、ろくでもない謀り事に決まっているし、彼女はおっさんなどに見合う女性ではない。


 地位も名誉も容姿も整った彼女に、何も持たぬカンタルが隣に立つなど、フォルデノン王国にとっても損失であろう。


 結婚とは神聖な契約で、もっとこう、ゆっくり関係を築いて段階を踏む必要があるのだと、カンタルは固く信じていた。


 だから、彼は童貞だった。


「何かある? 駄目かしら」


 小首を傾げるレイナに、カンタルが口を開こうとして、光の玉に遮られた。


「この山猿と結婚するんですか?」

「……そんなわけないだろ。むしろ、こんな美人に俺が似合わないよ」

「え、えぇ、そうかなぁ」


 照れて頬を染めるレイナであった。

 ちなみに、光の玉の言葉はカンタルにしか聞こえていないし、姿も見えていない。


 髭面を歪めた熊男が、吐き捨てる。


「姉御を傷物にしておいて、断ったら只じゃ置かねぇってんだ……痛ぇ」


 振り向きもしないレイナに殴られて、熊男の顔が髭しか見えなくなった。

 レイナが視線を逸らして言う。


「えへへ、ちょっと嬉しい」


 この王女が美形なのは確かであるが、性格と行動力に難があり、あまり褒められ慣れていない環境にいた為、異性からの賞賛が殊の外に響いたのだった。


 光の玉が、横に半回転する。


「何ですか、この山猿は。変な菌類でも食べたのですか?」

「王女様だよ。そんなの失礼過ぎるだろ」

「なんだ、そんなことで悩んでいたのね!」


 レイナがむふー、と息を吐き、両手を腰に添えた。


「――――王女、辞めるわ」


「だからさっきから何言ってんですか姉御ぉ!」


 熊男が頭を抱えて地面に伏した。

 まさかの王族離脱の発言に、驚愕以外の何を以って応じれば良いというのだろう。


 レイナが瞳に冷淡さを取り戻し、諭すように言う。


「ま、これも兄様には相談済みなのよ。この『隠れ里』の一件で、私はフォルデノン王国にとって悪人になるはずでしょうから」

「……そいつは、どういうことでやすかい」


 顔を上げた熊男――――タマガルスの目が剣呑に光る。

 評判というものは、決して馬鹿にできない影響があるからだ。


 事実を知らずとも、悪人という看板には石を投げつけて構わないと考える人間は多い。

 一人二人なら問題無いが、民衆という集合意識が纏まり始めると始末が悪い。


 レイナが、カンタルを一瞥してから話し始めた。


「元々、事の始まりはガーオレン王国が、暁光の傭兵団に『隠れ里』の討伐を依頼したことなんだけど」

「暁光の傭兵団、ですか」


 カンタルが知った名前を聞いて呟き、それに彼女が応える。


「ええ。暫く前まで、暁光の傭兵団といえば、泣く子も黙る大傭兵団だったのよ。それこそ国軍に迫る勢いさえあったわ。まだ、シャルネ・エルトベルトが団長だった頃かしら。……そんなのが自国を根城にして暴れていたら、放って置くわけないわよね」


 レイナの瞳が、深いものになる。

 カンタルも複雑ながら、戦力均衡について考えさせられた。


 彼女が、カンタルに多少の政治的見解を持つことについて理解し、微笑んで見せる。


「自分の家の近くに、いきなり得体の知れない武装集団が住み始めたら嫌よね」

「それは、当然です」


 カンタルは、浅く頷いた。

 彼女の頬が緩んだ。


「傭兵団がこれ以上大きくなる前に、手を打つのは国の仕事とさえ考えられるでしょう? 手綱を握られるか、もしくは滅ぼされるか。その判断を、ガーオレン王国が暁光の傭兵団に突き付けたのよ。もちろん、武威を以ってね」


 戦力差を背景とした恫喝、というのは外交の範疇だ。

 考えようによっては、戦争でさえ外交の一種と捉えられる。


 何処の世界も、原始的な理屈は、原始的であるがゆえに強い。


 レイナが肩を竦めて言う。


「何度か王国と傭兵団で話し合いが持たれたらしいんだけど、平行線だったみたい」

「それもまあ、理解できます」


 カンタルとて急に、明日から指示に従ってね、と知らない人に言われても納得できない。


「だから、王国派と独立派に分かれるのは自明の理よ。内部分裂させる工作も、王国側はやってたんだけど。……ちなみに、王国派にいたのがファルマさんで、独立派がコウエンさんだったのよ」

「なる、ほど」


 色々と、納得できることがあった。

 王国派であったファルマ伯爵がガーオレン王国へ取り込まれるのは、簡単に考えられる。


 そうなのよねぇ、とレイナが呟いた。


「当時のガーオレン王国が何を考えていたか知らないんだけど、折衷案が出たらしいの。当時からダンジョン討伐の仕事があって、その討伐任務が成功すれば、まるごと一軍として傭兵団を迎え入れても良い、としたのよ」

「もしかして、それが『隠れ里』?」

「そうね。これだって得体の知れない武装集団なんだけど、会話さえ出来ない異形の集団はダンジョン認定されても無理ないわ。移動式の要塞型ダンジョンよ」


 彼女が呆れた表情を浮かべる。


「王国側としては、ダンジョン討伐の戦費が要らなくなるし、邪魔者も消える。傭兵団は戦力と資金が目減りして、その気になれば潰せるほどに弱体化して貰えばいい。よしんば討伐が成っても、一軍として取り込めば戦力強化になる、といった具合ね」

「でも、そうはならなかった?」

「当たり前よね。そんな都合よくいくわけないのよ。傭兵団も、軍に入るかどうかはともかく、ダンジョン討伐は仕事みたいなものだったから引き受けたんでしょう。成功すれば、ダンジョンの財宝と報奨金、更にこれから王国との交渉もやり易くなるもの」


 レイナが腕組みをして、その小さな胸を押しつぶしていた。

 その目は、少し曇っていた。


「結果だけ言うと、引き分けよね。数年かけて追い続けて、『隠れ里』が半壊して逃亡したわ。暁光の傭兵団も見過ごせない損害――――シャルネさんを失ったことで、王国派と独立派に真っ二つに割れて、王国派が完全にガーオレン王国へ吸収されたのが顛末ね」

「ふぅん」


 カンタルは、リョカの事を考えていた。

 その『隠れ里』討伐時に拾われたのが、シノだったのだろう。


 独立派だったコウエンが、リョカを連れてフォルデノン王国側へ寄るのも無理はない。

 敵の敵は味方、と言うことなのだ。


 レイナが片目を瞑る。


「まあ、そんなこんなで逃亡した『隠れ里』なんだけど、あれは決して諦めて無かったのよ。密かにガーオレン王国やフォルデノン王国に入り込んで、色々と面倒なことをしてくれていたのよね」

「ああ――――」


 カンタルは理解した。

 『隠れ里』というのは、いわゆる小国と同じだ。


 確かに一個軍としての打撃力こそ大国に敵わない。

 ならば、諜報などで暗躍するのが主軸となるだろう。


 全滅させられるくらいであれば、何を犠牲にしても敵に痛撃を与えねばならない。


 彼女の口元に力が入った。


「『隠れ里』がやってたのは、破壊工作と反乱分子の育成ね。フォルデノン王国においては、市民の扇動と下級貴族の切り取りが主だったわ。私もそれに気付いてから急ぎで私兵を作ったんだけど、御父様たちの理解が得られなくって――――つい、勝手にやっちゃった」


 兄様はわかってくれてシュミットを付けてくれたんでしょう、と彼女が笑う。


「ガーオレン王国においては、ファルマ伯爵と何らかの取引があったんだと思うわ。そんなの毒を飲み込むようなものなのに……私が『隠れ里』なら、王国ごと乗っ取りを仕掛けるでしょうね」


 タマガルスが、胡乱な目をして言った。


「それで、姉御が悪人ってぇのは?」

「それ? フォルデノン王国の反乱分子が、立場の弱い私を利用しようとしてきたから、逆に旗頭になって掌握を仕掛けて、反乱分子の偉い人になってやったわ!」

「ぶふぅっ」


 噴き出して倒れ込むタマガルスだった。

 レイナの眼が細まる。


「汚い。……ともかく、あっちの情報は筒抜けだから、兄様が軽く鎮圧をしてくれるわよ。問題ないわ」

「問題だらけでしょう! 逆賊じゃあねぇですかい!」

「仕方ないじゃない。速度と費用を考えると、これしかないわよ。ついでに王家の後継問題も無くなるし」


 彼女の思惑は、合理的に問題が処理されていた。

 ただし、タマガルスにしてみれば、王女の気持ちが考えられていないようで腹立たしいものが残る。


 それを知っていて、レイナが笑って見せた。


「王族なんて、私には似合わないのよ。でもフォルデノン王国は、兄様がいれば安泰よ。『隠れ里』に関しては、今回の反乱で対策が取りやすくなるわ。腰をどっしり構えれば、大国の有利を生かせられるもの。『隠れ里』に虫食いにされたガーオレン王国だって、兄様の敵じゃない」


 問題は、と彼女の視線が、逃げてきた方向へ向けられた。


「『緋毒』だけだから、旦那様を連れて逃げてきたんだけど。……ちょっと、戻らないといけないかも。シュミットが危ないわ」

「あの人の危機が想像できねぇんでやすが……」

「『緋毒』が本気を出さなければ、ね」

「ちょっと、何が起こってるんですか?」


 カンタルは身を乗り出した。

 ボロい貴族屋敷に変な人が訪ねてきたと思ったら、いきなり拉致されて前後関係が良くわかっていなかった。


 深刻そうなレイナを見て、何も思わないはずがない。


 彼女が苦笑いを浮かべて言う。


「強いて言うなら、『緋毒』と『フォルデノン』と『ガーオレン』と『教会』と『隠れ里』の勢力が剣を持って殺し合う一歩手前、みたいな感じかな?」

「うわぁ――――」


 その光景を簡単に予想することが出来て、カンタルは青ざめた。


 止めねばならない。


 愛する者たちに、殺し合いをさせてはならない。

 持てる力の全てを振り絞って、怒ってやらねばならない。


 彼が光の玉を見た。


「お呼びですか?」


 光の玉が近づいてくる。

 カンタルは急いで飛びついた。


「喧嘩を止めたいんだ」

「それは構いませんが、スキルを全力で使いたいなら我を身体に戻すべきです」

「身体に、戻す?」


 彼の顔が間の抜けた顔になる。

 光の玉が、頷いた。


「我を口から出しましたよね。だから、戻るんです。穴が開いている所なら何処でも良いですが、出来れば首から下の穴は勘弁して貰いたいですね」

「あぁ、そういう感じなんだ……」


 カンタルは、尻から光の玉が入っていく様子を想像して、確かにこれは無いわ、と思った。

 しかし、スキルが使えるのであれば、作戦は組み立てられる。


 その最後のピースは、フォルデノン王国にある。


 カンタルが振り向き、レイナの手を取った。


「頼みごとがあります」

「またするの?」


 彼女が頬を染めた。

 頼めばやらせてくれそうな雰囲気だが、そういうことでは無い。


 レイナの耳に手を添えて、作戦のあらましを伝える。


「……旦那様の頼みだから、何とかするわ。タマ! 兄様に手紙を届けなさい!」

「へい! ところで、姉御はどうしやす?」

「急ぎなのよ。馬に乗れない旦那様を、パーティー会場へ届けに行くわ」


 洗練された淑女の笑みで、王子様のようなことを言うレイナであった。




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