第4話
「へぇー」
カンタルは口を半開きにして、石造りの建物を見上げている。
分厚い石の積石構造で建てられていて、四階くらいの高さはありそうだった。
「何を呆けてるかな、君は。もしかして、教会も見たことが無い田舎者だったりする?」
「はあ、まあ、確かに」
総石造りの教会を見たことが無いことは、事実だった。
歴史的な感動と言えばいいのか、総コンクリートのビルよりは趣きがあると思えてくる。
ただし、建造物に鉄筋が入っていないことが不安でもあった。
その反応を見たリョカが、呆れて踵を返す。
「もういいから、入るよ」
正面の大きな両開きのドアから入るのかと思えば、教会の裏側に回る。
勝手に他人の土地へ侵入する罪悪感と戦いながら、カンタルも後を追った。
すると彼女が、住人が生活しているだろう宿舎の勝手口の前に立つ。
そして、ノックもせずにいきなり侵入した。
「セルディは居るかな」
「――――んあ?」
口に焼き菓子を詰め込んでいる、年若いシスターと目が合った。
確実に見つかっているのに、視線をそらさず、ゆっくりと静かに咀嚼し、飲み込んでから居住まいを正す。
口直しに優雅に紅茶を飲んで、シスターが澄ました顔で言う。
「何の御用事かしら」
「ふん、今更格好つけても遅いでしょ。『鑑定』よ」
リョカが黒い外套を広げ、乱暴に椅子へ座り込み、小皿の上にあった焼き菓子を摘まむ。
目を細めたシスターの視線が、小さな口へ放り込まれる焼き菓子を追いかけていた。
「……都合のいい時だけ、勝手なことを言うのね」
皿の淵を指で引っかけて、自分の方へ引き寄せるシスターだった。
石でも噛み砕くようにして焼き菓子を食べてから、リョカが呟く。
「依頼を一件、片づけてあげるわ」
「マジで!」
シスターがテーブルに身を乗り出して、胸が揺れる。
黒い修道服では隠しようも無い、スタイルの良さがあった。
買い物を楽しむ乙女の如く、前髪の銀髪をいじりながら物騒な言葉を残す。
「あー、トコラ街のデイブル一家を襲って貰うのもアリかなぁ。セルモン家の三男も暗殺して貰いたいし――――」
「そういうのは、後にしてくれるかな」
リョカの眼が据わる。
それだけで、その場の空気が一変した。
相手が旧知の仲であろうと、剣を抜くのにためらいの無い殺意が込められていた。
シスターが、微笑みを返す。
「わかってるわ。茶化してごめんなさい。あなたの悲願ですものね。……でも、そちらの彼の緊張をほぐしておかないと、『鑑定』も難しくなるわよ。ねえ?」
妖艶な毒の華を思わせる、シスターの表情だった。
ここで彼女がリョカに斬られても、毒を撒き散らして倒れるタイプの女性だろう。
その瞳が、カンタルを捉えて離さない。
「あなたの名前は?」
「カンタロウです」
「……カンタロウ?」
シスターの眉が、少しだけ寄せられる。
些細な疑念を抱かせるには充分な仕草だったが、リョカが口を挟んだ。
「カンタルよ」
「カンタルね。ええ、わかったわ。私はセルディ。よろしくね」
こわいこわい、と笑って言いながらセルディが立ち上がって、カンタルの腕に絡んで来た。
押し当てられる二つの柔らかみに、カンタルの脳が混乱する。
「な、何で? 何をして?」
今まで経験したことの無い女性の香りと柔らかみに触れ、彼は動揺の極致にいた。
人間は経験不足に晒されると、身体が固まってしまう。
それを見逃すセルディでもない。
身体のあちこちを触れたり揉んだりして、最後に自分の手の匂いを嗅いでいた。
「んー、これはちょっと」
「く、臭かったですか」
カンタルは心配そうに言う。
それを笑って、セルディが手を振って見せた。
「別に臭くないわよ。私としては臭くても問題無いけれど……むしろ逆に、あなたには不思議なくらい匂いが無いかしらね。あと、女の匂いがするわ」
「え?」
何故か心臓が跳ね上がるカンタルだった。
他の女といたでしょう、と言外に詰め寄られている気がしたのだ。
思い当たる節は――――リーナのことしかない。
やましいことはまったく無かったのに、冷や汗が流れる。
「女って、何?」
今にも剣を抜きそうなリョカの態度に、セルディが含み笑いを漏らす。
「大丈夫よ、いやらしい匂いはしないから。まあ、この子の場合、どうしていやらしい匂いがしないのか、心配なくらいではあるんだけど」
「この子、ですか」
カンタルの経験として、若い女性に子ども扱いされることは珍しく無い。
元来、引っ張っていくよりは見守ることが多い立場だった。
新入社員から生意気な態度をされても、怒ったことは無い。
だから、セルディが胸を張って下から見つめてきても、どうということはない。
「私の方がお姉さん、だと思うわよ」
「そうですねぇ」
「お、わかってるじゃない」
むしろセルディの方が、飲み屋で一杯ひっかけたおじさんのように背中を叩いてきた。
そのまま彼は、腕を絡め取られて外に出る。
「とりあえず、礼拝堂の『神の石板』に触れてみよっか」
「大丈夫ですか、それ」
「それは触れても良い、って意味? それとも女神様を疑っているの?」
腕を押さえられている手に、力が込められていた。
そっと彼女の眼を見ると、嗤っているのに笑っていない。
彼は眼を逸らした。
「えっと、俺なんかが触れても良いんですかね。女神様は偉い方でしょう?」
よくよく考えてみれば、カンタルは女神様と会って話をした経験がある。
彼が転生したいと願って転生して貰ったのだから、恩がある相手だと言えよう。
悪い事にはなるまい、と腹を括る覚悟は出来た。
「……ふぅん」
すん、と鼻を鳴らしたセルディが、絡ませていた腕を解いた。
その代わりに彼の手を掴んで、石造りの礼拝堂へ進んでいく。
無遠慮に開けられた礼拝堂の中は、特に変わったところは見当たらなかった。
木製の椅子が並び、祭壇には縦長の巨大な『透明の板』が祭られている。
『神の石板』とは、ちょうど人が通るドアより一回り大きな形をしていた。
「神父さん、ちょっとお邪魔するわね」
「これはセルディ様、すぐに下がります」
初老の白髭を生やした男性が、敬意を込めて会釈し、失礼のないように配慮しながら礼拝堂から出て行った。
ちらりとも、カンタルや怪しい風体のリョカを見ることも無かったのは、信頼の表れだろう。
三人で祭壇の前に立ち、セルディが振り返って、腰に手を当てて言う。
「ちなみに説明しておくと、スキルというのは女神様から与えられる使命――――いわゆる天命のことを指すのよ。あなたが天命を受け、何を成すのかは、あなたの行動次第です」
「えっと。それだと俺の行動によっては、スキルが何も成さないということですか」
「少し違うかしらね」
彼女が深く頷き、黒い外套の女を見た。
「たとえば、リョカは人を害するスキルを持っていますが、これも女神様の御意思です。人の功罪善悪に関係ありません。無論、天命を受けても何もしない者は居ますが、スキルは使えます。誓約ではありませんから」
「はあ」
勝手に与えているのだから、使うも使わないも本人の自由――――ということだろうと、カンタルは考えていた。
それを感じ取ったのか、セルディが指を差してくる。
「ただし、女神様は、天命を与えた者を見ておられます。何を成したかによって、女神様の祝福が得られることもあるでしょう。スキルは成長し、もっと大きな可能性を秘めているのです。私たち『教会』は、そのお手伝いをさせてもらっています。ですから天命の何たるかを、お伝え出来るのですよ。さあ、手を出して」
言われるがままに、カンタルが手を差し出した。
その手をセルディに取られ、掌が『神の石板』へ触れた。
「何だ、これ」
冷たいイメージを抱いていたが、人肌ほどに暖かい。
それだけでも異質であったが、更には、『神の石板』が心臓の脈動を波打っていた。
脈動を掌で受け止めていると、彼の心音と同化してく。
頭の中に直接イメージが浮かび、暗い混沌から可能性が浮かび上がってくる。
曰く、人間の見ている光景など矮小な一面でしかない。
人間の器で、多面体の世界を一度に見るためには、人間の殻を出なければならない――――。
「生き、てる――――あれ?」
彼は気付くと、にこにこと笑うリョカに手を繋がれていた。
そして足元には、崩れ落ちて彼の足に縋りついているセルディがいる。
礼拝堂のドアが開かれ、先ほど席を立った神父までもが。カンタルを見るなり膝をつく。
他の修道者たちが集まってきたところで、手を繋いでいたリョカが頬を膨らませた。
「ははさま、あっち行こう」
「いいよ、大丈夫」
カンタルは『神の石板』から手を離して、リョカの頭を撫でた。
すると、頭の中に鳴り響いていた心音が消えてしまった。
同時に、リョカから手を叩き落とされる。
「……いつまで馴れ馴れしい事してるのかな?」
「いや、ごめんなさい」
その場にいた全員が、照れ隠しだろうなぁと思ったが、口に出せる者も誰もいなかった。
憮然とした表情で、彼女がセルディに言う。
「何かわかった?」
「これはエグいわ。完成さえすれば、歴史に残る聖母スキル並みだわ。私のスキルも無効化どころか、掌握されても不思議ではないわね。……この子をくれたら、『教会』まるごとあなたにあげるけど、駄目かしら?」
シスターが、呆れた様子で訊ねていた。
リョカの反応も早い。
「駄目に決まってるでしょう。何? ここで私と戦いたい?」
「ああ、うん、わかってたわ。それは仕方ないとして――――あなたはこの子をどうしたいの」
『神の石板』で、天命の可能性を『鑑定』したとして、そこに至る道は長い。
それこそ、スキルの成長条件すら不明だ。
ならばどうするかというと、人生経験を積む以外に無い。
スキルの強力さは、等しく、訪れる試練の過酷さを表していることが多いからだ。
必然と偶然が重なって、運命が形作られていく。
セルディが、途方もない道程を見つめる眼になった。
リョカがそれを睨む。
「決まってるわ。私の――――『呪いの暗黒姫』の母になってもらうのよ」
「それを女神様が望んでいるのかは、わからないけれどね」
「関係ないわ」
「そうね、でも、それはこの子と天命が決める事よ。今はまだ、完成されていないもの。天命の完成は、運命を辿ることよ。あなたが近くにいるよりは、この子の好きにさせて成長を見守るのが一番だと思うわ。『教会』として言えることはそれくらいね」
薄笑いを浮かべたリョカが、カンタルの首根っこを掴んだ。
「スキルが本物であればいい。死なない程度に修羅場へ放り込めばいいのでしょう」
「や、やめておいたら? それだと、単に修羅場慣れするだけで、スキルが成長するとは限らないわよ」
セルディが焦っていた。
折角の貴重な天命持ちを、どうして鉄火場に投げ捨てることが出来ようか。
スキルとは、その名に由来して成長を遂げる――――。
「そうだ! ねえ、あなたのスキル名は何かしら?」
「え、えっと」
シスターがカンタルに飛びついた。
彼女がサービスとばかりに身体を押し付けてくることに困惑していた彼だが、実はリョカに力づくで持っていかれないようにしているだけだった。
動揺を隠せないままに、彼は言う。
「あの、オカンスキルです」
「オカン、って何」
すぐさま、容赦のない言葉がリョカから放たれる。
女神様に転生を助けられたカンタルとしては、全てを明かすことは良くないと感じていた。
そこで、異世界云々の話だけは誤魔化すことにする。
「俺の故郷で、母親のことです」
「やっぱりね……。聖母スキルとか慈愛スキルとかで無く、あなたの故郷の呼び方で現れたスキルだったら、あなたのイメージする天命で何とかしないと成長は無いわ」
「マジっすか」
周囲の反応からするに、彼自身の持つスキルが凄いものであることは理解していた。
ただ、名前だけは何とかならなかったものか、と『神の石板』を見上げると、漆黒に染まっていた。
「お?」
「え――――え?」
同じく『神の石板』を見上げたセルディが、一先ず現実を受け入れられなくて立ち尽くす。
そして、現実を受け入れることが出来ずに感情が溢れ出した。
「え、嘘でしょ。何で? スキルの『鑑定』で機能停止って、何? 何なの? こんなの私の予定には無いわよ? はあ? あり得ない!」
シスターが半泣き状態で、恨みがましい視線をリョカへぶつける。
リョカも少しは悪いと思っているのか、気まずそうに視線を避けた。
「……依頼の数は、増やしてくれてもいい」
「そんなことで足りるわけないでしょ! こうなったら、彼の天命の成長には、我々『教会』も関与します。最終的な所有権はあなたで構わないけれど、教育方針については口出しさせてもらいますからね!」
「それは――――」
リョカが珍しく難しい顔をしていた。
カンタルがスキルを成長させることに問題は無く、その意味では『教会』と利害が一致している。
成長した結果のカンタルはリョカのものであるし、問題があれば奪い取ればいい。
面倒なスキルの成長を『教会』へ押し付ける代わりに、頼まれごとの依頼を片付ければいいのだから、割が良い話ではある。
「――――いいよ。それでいこう」
「まったく、まったく!」
セルディが天を仰ぎ、やるせない気持ちを落ち着けようとしている。
「あー、よかった」
自分の話なのに蚊帳の外へ置かれていたカンタルは、『神の石板』を壊した責任を負わされなくて安心していた。
彼は真っ黒になってしまった『神の石板』を見上げ、もうちょっと格好いいスキルが良かったです、と呟くのだった。




