第39話
静かな水面のように、静まり返ってしまった玄関ホールだった。
しかし、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
澄まし顔で立つシュミット以外の面々が、彼の言葉を理解して殺気を放つ。
それでも老執事の表情は変わらない。
「さて、ご意見を聞かせて頂きたいのですが」
言葉を促す彼の微笑に反応したのは、屋敷の主人たるエリンだった。
「とても下らないわ。耳を貸した自分の愚かさに、怒りさえ覚えるわよ」
「……皆様も、同意見のようで御座いますなぁ」
シュミットが、殺気立つ者たちに囲まれているにも関わらず、安穏とした余裕を見せる。
この程度の死地など、何度も潜り抜けてきたと言わんばかりの態度だった。
そして、一人だけ異形の剣に手を掛けようとした者がいた。
それを見逃すシュミットでもない。
「お静かにお願いしますぞ。この場に居る全員、私の間合いに入っております」
突然、玄関ホールの入り口にあった花瓶が割れる。
老執事に、動いた形跡は無かった。
セルディがモノリスを睨んでから、シュミットに向き直る。
「……色々と正気の沙汰じゃないわね。その技術は、天命によるものでは無いでしょう」
「生憎ながら、非才の身でしてな。正気で事は成りませなんだ。いわゆる、狂気に身を落とさねば出来ぬことも御座います」
平然と、言葉が重ねられる。
やりたいことがあったから、方法を問わずに出来るまでやった。
人では到達できないと考える領域に、真っ向から対峙して踏破した者が語っていた。
「まあ、それでも無敵という訳では御座いません。間合いの外から『緋毒』で覆われていれば、どうにもなりませんでしてな」
「ちっ」
修道女らしからぬ舌打ちが響く。
老獪な笑顔と共に、シュミットが視線を上げた。
「間合いに入り込めたのは、セルディ様のお陰といったところですかな。無論、生きて帰れるとは思っておりませぬが、この老首と引き換えにカンタル様を姫様が独占することもあるでしょう」
それに対し。ファルマが拍手を送る。
「いやぁ。やるじゃないか、ジイさん」
命を代償にして交渉のテーブルを作ったのは、フォルデノン王国側であった。
それはガーオレン王国側のファルマ伯爵にとって遅きに失したと言わざるを得ないが、交渉とは札遊びに似ている。
運と、流れと、手札によっては逆転も可能だ。
『死なない』ファルマにとって、命を盾にしての交渉は意味を成さない。
「お褒めに預かり恐縮ですが、ファルマ伯爵。貴方様のことは、暁光の傭兵団長――――
コウエン様から詳しく話を聞いております。多少、手元が滑ってもお許しください」
「へぇ、あの野郎が、何だって?」
「具体的には、殺さずに脊髄の神経を握り潰し続けていれば良いと聞いております。私こう見えて、握力には自信がありますので、無理はなされない方がよろしいでしょう」
「あー……この場に居なくてもムカつく野郎だな」
ファルマが一歩下がる。
役に立たない手札を見る目で、セルディが呟く。
「何がしたかったの?」
「まあ、俺の身の安全を確認したかっただけだな」
悪びれずに言うファルマだった。
セルディが呆れた顔をして伯爵を押しのけ、前に出る。
「ところで、共同所有権とか言ってるけど、この場の誰もを納得させることが出来るのかしら」
「利害の一致こそが、交渉の条件だと存じております。ですので、共同所有権の分配方法としては――――各勢力の戦闘能力に準じる形としてはどうでしょう。もちろん、最終決定権はカンタル様に委ねます」
「……はぁん」
嫌そうな顔をして、セルディが腕を組み、踏ん反り返った。
結局は、戦争回避のための緊張緩和となる策だろう。
戦闘能力とは、誤解を恐れず単純に表せば、国家財政における戦争負担の割合に過ぎない。
軍隊というものは、居るだけで金を食らい続ける底なしの沼だ。
しかし、軍隊が無ければ無いで、山賊相手に金貨を見せびらかすのと同じことになる。
汗水垂らして稼いだ金を――――大切にしている家族たちを、黙って奪われる真似が見過ごせる訳が無い。
だからこそ、儲けた金をつぎ込むわけだが、手段と目的が入れ替わることは、いつでもあり得ることだ。
カンタルを得るために、国家財政が破綻するまで軍隊を増強することは無いだろうが、『緋毒』を無視することは出来ない。
彼女に対抗できるのは、今のところカンタルだけだ。
『緋毒』に一人勝ちさせないためには、カンタルの所有権を増やさねばなるまい。
それはつまり、軍隊の増強――――国家負担の増大という構図が出来上がる。
完全な無駄金ではないところが、とても狡猾だ。
フォルデノンとガーオレン、そして『緋毒』の三勢力を作り上げて、カンタルに相互監視させる腹づもりである。
戦力増強という不安因子はあるものの、戦争回避と各国の経済的負担を合わせたものだ。
カンタルと言う存在がいなければ成り立たないが、それこそレイナ姫の政治的バランス感覚については称賛できる。
決断と行動が伴っている点についても、及第点だ。
セルディにしては、面白くないことこの上ない。
国家に属さない『教会』組織としては、フォルデノンとガーオレンの二国の間で上手く立ち回れ、という仕事を増やされた訳だ。
これはこれで、やりようもあるのだが、主流から外された感は否めない。
「けれども、ねぇ」
セルディに、呆れの混じる微笑が漏れた。
確かに理想的な問題の解決法だが、これはあまりにも『理想的』に過ぎる。
机上で考えられた上品な論理は、現場の邪で汚い現実にぶち壊されるのも、現実と言う奴だ。
どこにだって、難しい話をされたらテーブルを引っ繰り返そうとする野蛮人がいることを忘れてはいけない。
セルディにも、カンタルを手に入れるためなら猿以下の言動とてやってのける覚悟がある。
若き天才の王族だとて、本人が直接交渉の場に来ていない時点で、敵を恐れていると言っているのと同じことだ。
いつだって、危機的状況を覆して見せるのは、人間の意地なのだ。
望み、願い、頭が馬鹿になるまで考え抜いてこそ、光がある。
頭に被っていたシスターベールを取り払い、セルディが高圧的に笑う。
「それは、フォルデノン王国としての正式な王命に従って行われていることかしら」
「……いえ、姫様の御提案ですな。教会にも利の有る話だと思われますが?」
訝し気な顔をしたシュミットだった。
利のある話を蹴ってまで、交渉を引っ繰り返す気か、と言いたいのだろう。
「その通りよ」
彼女の瞳に、嘘は無い。
人間が利だけで動くと思うな、貴族の親玉の手下風情が。
視線だけで、そう言い返す。
「愛が利益しか無いものなら、私たち人間は、既に滅んでいるのと同じことです。ならば、王国最強の剣が斬るのは、もう居ないはずの人間なので罪にはなりませんよ。シュミット殿の好きにされれば良いでしょう」
やれるもんなら、やってみろや。
そうセルディが煽っていた。
「私の愛したカンタルが、それを認めるとは思わないけどね」
修道女らしくない、妖艶な瞳で嗤う。
聖母の顕現は、彼女の至上命題だった。
それが叶うのであれば、世界が滅亡しても構わないし、己の命など取るに足らない。
片目を歪めたエリンが、口元に手を添える。
「何か、勘違いをしているようね」
「……勘違い、ですかな」
言葉に反応したシュミットの眉が上がった。
もう面倒事が塔の如く積み上がっているので、これ以上は御免被りたいのが現状である。
互いの緊迫感が高まって、いつ破裂しても不思議では無かった。
エリンが自身の胸に手を当てて、宣言する。
「私の方が愛しているわ!」
シュミットが目を細める。
「……ああ、いえ。誰がどれほど愛しているという話では御座いません。それは後程、カンタル様と存分に協議して貰って結構で御座います。その為にも、各々の落とし所を見つけませんと、多くの者の手が血で汚れましょう」
「そんなに争うのが嫌なら、まず御自身が降りたらどう?」
エリンが口を歪めて吐き捨てる。
老執事が、溜息を堪えて言った。
「それで争いが無くなるのであれば一考致しますが、結論の出た議論をする意味などありますまい」
「ええ、分かっているじゃない。結論はもう、出ているのよ。そうでしょう、アサ」
エリンの声で、その場の全員の意識がアサに集中した。
彼女が、話を何も聞いていなかった顔で、自身の顔を指さす。
「……敵?」
「――――ほぅ」
シュミットが咄嗟に、何もない腰元に手をやって、抜剣の構えを取る。
戦いの中で相手の意識を逸らすのは、戦術として初歩中の初歩だ。
言葉で釣るなど、老執事に対して侮辱にも等しい児戯に過ぎない。
『緋毒』の警戒が最優先にも関わらず――――シュミットの意識が広範囲に広がった。
それには、理由がある。
何の予備動作も無く、周囲の人間を間合いに捕らえる凄腕の剣士が構えを取ったのは、『敵』が増えたからだ。
玄関ホールの窓と言う窓から、人影が飛び込んで来た。
それぞれが片刃の短刀を持った小柄な黒装束たちで、巻き付けた布の所為で表情は伺えない。
ただし、その全てが殺意を込めた視線を向けている。
アサが、表情を変えずに言った。
「まー、いい機会なんで、サクッといきますか」
銀髪の少女が、掻き消える。
気付けたのは、シュミットとリョカだけだ。
しかし、二人とも動けずにいた。
アサが向かったのは――――エリンの前だった。
黒装束たちが持っている短刀と同じものが、『緋毒』に刺さっている。
「なに、をしているの」
「ウチにとって最大の脅威は、貴方ですからね。殺れるときに殺っとかないと、『隠れ里』のオババに怒られちゃいますから」
年相応の笑顔を向けて、手の中から空の小瓶を落とした。
カンタルから手に入れた、『緋毒』に対する最大の切り札が、使われた後だった。
エリンが崩れ落ち、アサが後ろを振り返る。
「ついでに、カンタル先生にも『隠れ里』へ来てもらいましょうかね」
彼女の声で、黒装束たちが一斉に短刀を構える。
殺意の嵐が渦巻き、剣戟の前触れとして撒き散らされたのだった。




