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第38話


 カンタルが馬で連れ去られたのは、一瞬の事であった。


 寂れてしまった貴族屋敷を睥睨しつつ、ファラ・セルディノス・エリラウアが、腕組みをして考え事をしている。


 肩を揺すられて、シスターベールが揺れた。

 今にも走り出しそうなリョカが言う。


「ねえ、カンタルが奪われたんだけど!」

「……大丈夫でしょう。あれ、レイナ姫だったし」


 セルディとて、即座の奪還を考えなかった訳では無い。

 ただし、それにはどうしても戦力が足りなかった。


 『緋毒』を背後に控えたまま、空から降って来た執事を相手にするのは、無策に過ぎる。

 あれは、王家に仕える最強の剣だ。


 クラウス王子が何を考えて妹に付けたのかは知らないが、ここで『緋毒』相手に使い潰すには惜しすぎる人材だろう。


「それじゃあ、どうするのかな!」


 リョカが苛立ちを隠していない。


 ここでカンタルを奪い返しても、また即座に奪い返されるだけということも理解しているだろうが、彼女の中に居るシノの気持ちも無視できない。


 切り札は、何枚あっても良い。

 彼女の機嫌を取るためなら、多少は説明する必要がある。


「いくら姫様でも、国境線は超えられないもの。それに、フォルデノン王国がカンタルを傷つける心配は無いわ。どういう手を使うにしろ、暫くはガーオレン王国内に留まるはずよ。今困るのは、『緋毒』との交渉ね」


 セルディの細められた視線が、拳を構えた老執事に向けられる。

 ルフェンと拳を交えている最中にも関わらず、老執事――――シュミットが髭を揺らして笑った。


「少々お待ちを、セルディ様」

「シッ」


 裂帛の気合と共に、ルフェンが身体を滑り込ませた。

 老執事が余所に気を取られている隙に、一手先んじる。


 近接戦闘と言うよりは、既に間合いを潰して接触戦闘となっていた。

 投げる、関節を極める、倒す、と此処からでも無数の選択肢があるが、ルフェンの流派には別の技術が練磨されている。


 零距離からの打撃。

 体内の筋肉の収縮と、関節の隙間を使い、骨を揃える。


 打撃は相手から見えない角度で、筋肉と骨の間を抜いて内臓を打ち抜く。

 彼女の師匠クラスであれば、同じことを触れるだけで再現できるであろうが、無い物ねだりをしても仕方がない。


 シュミットの身体が、僅かに浮く。


「ほう、中々だ。流石はマスター・ロウゼンの直弟子だけはある」

「……師父をご存じか」


 ルフェンが距離を取って、構えを解いた。


 彼女の拳には、重く響く手応えが残っている。

 打撃が貫通していれば、手応えなど残らないものだ。


 つまりは、打撃を散らして返されたのだろう。

 それほどまでに、実力差に開きがある。


 老執事が、口元を緩めた。


「ロウゼンとは、幾度となく武を交えた仲だ。腐れ縁とも言う。あの男を師父と呼ぶのであれば、君は娘も同然だろう。私としては、拳を収めて欲しいのだが」

「その申し出は、有難く思う。ただし、武人の端くれとしては、主の命令も無く引くわけにもいかん」

「そうか、主の命令があればよいのだな?」


 シュミットが片眉を上げて、セルディに合図を送る。

 それを受けたセルディが、諦めて肩を落とした。


 フォルデノン王国側の思惑通りに話が進んでいることが、とても気に入らないとは言え、この場で老執事に貸しを作ることは大きな強みだ。


 話を受けない手は無いが、『誰』が『誰』に貸しを作ったかは教えてやらねばならない。


「よろしくてよ、シュミット殿。これはレイナ姫の貸しでは無く、あなたへの貸しで良いわね?」

「無論に御座います。姫様には何の関りもありませんな」

「結構。では待ちなさい」


 セルディが振り返って、庭園の門を見た。

 すると、黒い石板がゆっくりと起き上がる。


「ぬごぅっ! 何しやがった!」


 潰されたはずのファルマが、土まみれになって石板を押し上げ、立ち上がっていた。

 憤怒の形相をした伯爵が、モノリスに捕まったまま引き摺って、のしのしとセルディに近づいてくる。


「……おい、小娘。何だこれは」

「説明する必要があるかしら。『不死のファルマ』さん」


 伯爵と修道女が、互いに火花を散らすほど睨み合った。

 先に鼻息を出して力を抜いたのは、ファルマの方だった。


「わかった。わかったから、エングレスから剣を引け」


 彼の見つめる先に、リョカが居た。

 異形の剣を抜き放ち、倒れて意識の無いエングレスの首を狙っていたのだ。


 リョカが剣を引くと、ファルマの視線が戻る。


「つまんねぇなぁ、おい」


 苦笑いを浮かべた彼が、その場に居る人間たちを見て、現状を理解した。

 そして試すように、セルディを見て嗤う。


「で、どうするつもりだよ。戦争が始まるぞ。『緋毒』の虐殺を、止められると思ってんのか」

「ええ、止められるわ。方法はあるけど、それが費用対効果に見合っているかどうかね。あなたも色々と企んでいるみたいじゃない? 謀略って、裏をかかれると弱いものなのよ」

「ああん? 小娘が偉そうに――――」

「さっきから勘違いしてるようだけど、口の利き方に気をつけなさい? 目上の者は敬わなければ駄目よ」

「ぐぅっ!」


 急に、ファルマが背負っていたモノリスの重さが増した。


 膝から崩れ落ちそうになって、歯を食いしばって耐える。

 口の中を切ったのか、彼の口元から一筋の血が流れた。


「……あぁ、そうか。そう来やがったか。なるほどこいつは『想定外』だ」


 そのままモノリスに押し潰されると思われたが、ファルマの動きが止まる。

 彼が顔を上げた。


「あんたみたいなのが教会にいるのは、皮肉だな」

「――――」


 セルディが、動けないファルマの耳元に、聞き取れないような小声で呟く。

 それを聞いたファルマが、少しだけ地面を見つめた後で、モノリスを押し返した。


「わかった。従おう」

「いいでしょう、許します」


 澄ました顔のセルディが、膝を着いた伯爵に向かって鷹揚に頷く。

 シュミットの眉が動いたが、それだけだった。


 二人の間で、どのようなやり取りがあったかなど、聞けば教えて貰えるものでもない。


 そこで老執事が考えたのは、フォルデノン王国に対する損益――――というよりは、レイナの損得についてだった。


 この戦いが終わった後で、暗殺などの取り決めが為されても困る。

 しかし、執事の反応に気付いたセルディが、苦笑いを浮かべた。


「シュミット殿。もちろんカンタルは返して貰うけど、あなたと敵対するつもりは無いのよ。レイナ姫を暗殺して、復讐に燃える『王国最強』を誕生させてどうするの」

「はっ。その言葉を聞けて、安心しましたぞ」


 温和な好々爺の笑みで応対するシュミットだが、眼光だけは鋭かった。

 言外に、お前ならやりかねん、との嫌味である。


 常人なら胃の痛くなりそうな雰囲気だが、セルディとて、この程度のやり取りは権謀術数にも入らない。

 彼女が軽く微笑みを返して話を終わらせ、膝を着くファルマへ命じた。


「では伯爵。そこのメイドを下がらせて頂けるかしら」

「ああ。ルフェン、下がれ」

「…………」


 何か物言いたげな視線をしたルフェンだったが、素直に後ろへ下がった。

 部下の不満に気付きもせず、ファルマが続けて言う。


「エングレスを起こしても良いだろうか。あいつは役に立つぞ」

「構わないわよ。それじゃあ――――」


 セルディの視線が、リョカに向けられた。

 それに気づいたリョカが頷き、異形の剣を振り上げた。


 そして、大きく振りかぶって投げる。


 異形の剣が回転しながら飛んでいき、蔦に絡まれた植木を切り飛ばした。

 剣が地面に突き刺さり、植木の上半分が落ちてくる。


「て、敵ぃぃぃっ」


 植木の切り株の向こう側から、震えたアサが顔を出した。

 セルディが笑う。


「逃がすと思った? 残念でしたぁ。……事情はリョカから、ちゃんと聞いてるからね。大人しくついてきなさい」

「敵?」


 本気か、と言いたげな顔でセルディを見つめるが、間にリョカが入って来る。


「今、シノ様はカンタルが居なくなったことで、泣き疲れて寝ているかな。……起こそうか?」

「敵うぅぅぅぅぅぅぅ」


 唸ったアサが地面に倒れ込み、草を両手で握りしめた。

 彼女の嘆きを一番理解してくれるであろう人間は、既に拉致されて居なくなっていた。


 そもそも居たところで、パンツを奪われた仕返しに、見捨てられていそうではある。


 気が緩んだところで、セルディが手を叩いた。


「さ、色々あったけど、やることやりましょう。これから『緋毒』――――エリンさんと交渉するんだけど、シュミット殿はどうされます?」

「同道させて頂ければ、有難いですな」


 老執事が、不敵な微笑を浮かべた。

 恐らくは、レイナ姫から命令を受けているのだろう。


 カンタルを奪った事への報復の可能性がある。

 相手は『緋毒』なのだから、抗弁さえ許されずに毒殺されることはあり得るだろう。


 それも承知している覚悟でないと、一緒に来るとは思えない。

 もしくは、セルディたちが乗り込むことを前提で、レイナ姫が作戦を立てていたのだと考えられる。


「……相変わらず、自分の興味があることに関してだけは、頭の回る娘さんね」

「ええ。もう少し、他の事にも目を向けて貰いたいものです」


 シュミットが、孫娘を思うような柔らかさで言った。

 己が捨て駒にされているなど、微塵も恨みを感じていない様子だった。


 忠義、親愛、といった類のものだろう。

 セルディが、作り笑いを浮かべる。


「愛ゆえに、でしょうね。では行きましょう」


 彼女が先頭に立って、屋敷へ向けて歩き出す。

 すると、今まで自分の小姓を面倒見ていたファルマが、小走りに近づいてきた。


「俺が言うのも何だが、屋敷に入って即、毒殺される可能性があるぞ」

「そうねぇ。まあ、その時はその時よね」

「あまり『緋毒』を侮るんじゃねぇよ。あと、この黒い石板を何とかしてくれ」

「侮る? そんな訳ないでしょう。最大限の敬意は払っているつもりよ。それと、モノリスはそのままにしておくわ。だって、あなたとはこれから、色々とありそうだもの」


 意地の悪い顔をしたセルディだった。

 苦いものを含んでしまった表情で、ファルマが口を閉じた。


 屋敷に辿り着き、セルディが自らの手で扉を開く。

 もう使われなくなって久しい、歴史を感じさせるほどに寂れてしまった玄関ホールが広がっていた。


 硬質な足音が、屋敷の奥から響いてくる。

 玄関ホールの正面にある階段の踊り場へ、全ての生命を見下した女が現れた。


「あら」


 『緋毒』の射るような視線が、その場の全員に突き刺さった。

 殺気が込められた睥睨に、彼女の覚悟が伺える。


 お前たちに生きる価値はあるのか、と言いたげな表情で笑い、傲慢さを隠していない。


「みなさん、お揃いのようね。探す手間が省けて何よりだわ」

「失礼――――」


 代表して、セルディが前に出た。

 それを遮って、エリンが言う。


「ええ、ごきげんよう」


 広間に向けて、『緋毒』が流し込まれた。

 赤い霧が、誰も逃がさないように降り注いだ。


「ガッ」


 一番先に、ファルマ伯爵が喉を押さえて崩れ落ちる。

 広間が緋色に染まるのに、時間は必要なかった。


「――――な女ね!」


 セルディが口元を袖で隠し、モノリスを起動させた。

 左右に展開した黒い石板が、互いに共鳴し、赤い霧に正面から対抗した。


 耳障りな音を発し、空気が振動する。


 薄氷の割れるような衝撃と共に、赤い霧が散ってしまった。

 不機嫌な顔で、エリンの口が動く。


「……生意気ね」

「お互い様でしょうよ」


 セルディが口元を歪めて笑い、修道服の袖口から、乳白色の液体が入った小瓶を取り出した。


「この小瓶の中身は、分かるわよね? あなたが全力で毒を開放したところで、私たち全員を止められるかしら」

「あなた、カンタルの何なの?」


 腕組みをしたエリンが、憎悪を込めた瞳になった。

 その程度で、セルディが怯むことも無い。


「私の全てを捧げようとして断られた哀れな女、とでも名乗りましょうか」

「……そう。それで、カンタルを奪ったのは誰の仕業?」


 セルディの返答に、少なからず満足を覚えたエリンが周囲を見渡した。


 その場に居る者の視線が、シュミットに集中する。

 老執事が、朗らかに笑った。


「それでは、レイナ・ゴルト・ルウィング様の名代として、エリン様にご提案致しましょう。カンタル殿の共同所有権について、ご興味はおありですかな」


 静まり返った玄関ホールで、命を駒に暴れ回ることを生業にしていた王国最強の剣が、その本性を現していた。




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