第36話
爽やかな青空の下で、貴族庭園の大自然は隆盛を誇っていた。
その一角で、何だかわからない種類の蔦を掴んでいる男が居た。
「終わりが無いな、これ」
カンタルは鎌を使って蔦を切り取り、地面へ放り投げる。
流石に造園業まで嗜んでいない彼にとって、貴族の庭など手に負えない。
ならばどうして草刈りなどしているかというと、ルフェンから言い渡された修行であった。
時折、カンタルの意図しないところで、剛速球のパンくずが飛んでくる。
今も、ぺちり、と頬にパンくずが当たった。
「いてっ」
「ほら、手が止まっているな?」
パンを片手にもぐもぐしながら、ルフェンが現れた。
それだけ見れば、仕事をさぼってパンを盗み食いしている態度の悪いメイドでしかないが、一応は武術に関して見識の有る女性だ。
しかしながら、カンタルにとっては初めての修行である。
「どこまで草刈りするんですか?」
「決めてないぞ。強いて言うなら、カンタルが出来るようになるまでだ」
言いながらパンを頬張るルフェンだった。
朝食も山ほど食べていたというのに、まだ胃の中に食べ物が入るのが恐ろしい。
カンタルは溜息を吐いてから、言いつけを思い出す。
「草刈りだけに集中するな、でしたっけ?」
「草刈りしながら周囲に気を張れ、と言った。師の言葉を勝手に変えるな。……ま、それもそうだが、基本的には体力作りだ。あって困るものではない」
「めっちゃ疲れます」
「それはそうだ。それが目的だからな」
得意気に微笑むメイドであったが、エプロンの前ポケットから水袋を取り出して食べかけのパンと一緒に渡してきた。
首を傾げるカンタルだったが、素直に受け取る。
「何ですか?」
「水と、塩を練り込んだパンだ。食べておくといい。私はこれから、来客を出迎えてくる。私が居ない方といって、手を抜くなよ?」
「食べる……ですか」
カンタルには困惑があった。
これは間接キスというやつでは、と割とどうでもいいことを考えていた。
ルフェンが頷く。
「己の体力の使い方を学ぶのもまた、修行だ。一生懸命やって倒れることも経験だがな、それをやる体力すらないだろう?」
「すいません、助かります」
邪な思いを抱いた自分に罪悪感を抱きつつ、カンタルは礼を言う。
運動に塩分と水分は必要だし、ハンガーノック対策の糖分もパンには含まれている。
とても合理的な行いであり、彼女の口をつけたパンが食べたいのでは、決して無い。
無いったら無い。
「というわけで頂きます」
「うむ」
口を引き結んだルフェンが、パンを食べるカンタルを見つめていた。
少々、食べ心地が悪いカンタルであったが、食べない訳にもいかない。
食べながら、理由を聞いてみる。
「えっと、何かありましたか?」
「いや、初めての弟子というのも、可愛いものだと思ってな。世話を焼きたくなってしまう」
「あ、ありがとうございます」
朝昼晩の三食を作って食べさせたり、ルフェンの部屋まで掃除をしているのはカンタルの方だが、温かい表情で気を使ってもらえるのは、とても心地良いものだった。
気恥ずかしくなって視線を彷徨わせると、貴族屋敷の門の方に人影が見えた。
「あれ? お客さんですか」
「ん? ああ、そうだった。行ってくる」
そう言いながら、腕組みをしたルフェンがゆっくり歩いて行った。
出迎えた彼女が、門前に立っていた二人と会話をした後に、一人だけ連れて戻って来る。
その男は、ちょっとした男前だが、疲れたような険のある表情をしていた。
地味だが意匠の凝ったジャケットを羽織っており、身分の高さが伺える。
そして、腰には武骨な剣を差していた。
「やれやれ、主人を待たせる羽目になってしまいますね」
呆れた風に、やって来た男が言う。
戻ったルフェンが真顔で答えた。
「今のところ、毒に警戒する必要は無いが、万が一もある。あの男が『死ぬことはない』だろうが、『緋毒』の機嫌を損ねて良いことは無い」
「儀礼ってものがあるでしょうに」
エングレスが渋そうに溜息を吐いた。
彼の鋭い視線が、ゆっくりとカンタルを捉える。
「さて、私はエングレス。君が例の、人質で使用人の弟子になった色男ですか?」
「はあ、良く分かりませんが、カンタルと言います」
なんのこっちゃ、と首を傾げながら自己紹介となった。
貴族の男が、曖昧に頷く。
「……確かに、報告書通りですね。平凡でしかない」
「すいません」
カンタルは適当に謝った。
軽く微笑んだエングレスが、片手を軽く上げる。
「謝罪を受けますよ、カンタル。それは貴方の非ではありません。しかしまあ、難儀な状況に置かれていますね。男として同情します」
「ありがとうございます?」
同情って何のことだろう、と疑問に思いつつも軽く頭を下げる。
そして、エングレスが口を開きかけたところで、異変があった。
ルフェンが屋敷の外を横目で睨み、口の前で人差し指を立てる。
その場に居る全員が、耳を澄ませた。
葉の騒めき、鳥の鳴き声の合間に、馬の駆ける音が交じっている。
メイドが表情を殺し、エングレスに向けて呟く。
「馬が三、屋敷の南側からだ」
「タイミングが悪かったのか、良かったのか、判断に迷うところですね。賃金に見合う仕事を頼みますよ、ルフェン。私は伯爵様の護衛に回ります」
腰の剣を抜いたエングレスが、門へ駆けようとする。
ルフェンがそれに声を荒げた。
「行くな!」
「――――遅かりし」
いきなり空から、老執事が降って来た。
真っ白の手袋に包まれた拳が、エングレスを打ち据える。
「がはあっ」
圧倒的な拳圧に叩き潰されたエングレスが、地面に倒れて動かない。
その戦果を見ようともせず、老執事が優雅に一礼する。
「初めまして、カンタル様。わたくし、レイナ・ゴルト・ルウィング様の執事をしております、シュミットと申す者です。以後、御見知りおき下さい」
「あ、はい」
丁寧な挨拶をされて、思わず頷いてしまうカンタルであった。
空から老人が降って来て、反応に困った上での対応だ。
その老人が、片眉を上げて門の方を見た。
「おや、『あちら様』も到着されたようで、何よりで御座いますな」
シュミットの口元にある皴が深くなる。
門のところで、叫ぶ男の声があった。
どうやら地面に倒れているエングレスを呼んだようだが、聞こえてはいないだろう。
「心配召されるな。姫様からは、殺しは御法度と仰せつかっております。骨くらいは我慢して頂きたいですが、息の根を止めることなどしませぬよ」
にっこりと笑う老執事だった。
そうしていると、ルフェンがカンタルの前に出た。
「逃げろ、カンタル」
「ええ、お逃げください、カンタル様。足は用意してございます」
「?」
シュミットの言葉に、カンタルが首を傾げた。
次第に、蹄の音が近づいてくる。
飛び出そうとするルフェンに対し、それに組み付いて動きを止めるシュミットだった。
緑の庭を突き破って、馬に乗った少女が現れた。
「ひゃっはー!」
動きやすい軽鎧だが、意匠の限りが尽くされている。
見る者すべてが理解するほどの、高貴な顔立ちが印象に残る。
ただし、言動は蛮族だった。
「獲物は頂いていくわ!」
器用に片手で手綱を操り、馬に横乗りになってカンタルの胴を掻き抱く。
そのまま強引に引き上げて、馬の背に乗せられてしまった。
「うげふぅっ」
馬とは言え、巨大な生物が迫って来て動けないでいたカンタルは、成すがままだ。
馬の背に顔をぶつけて、前が見えない。
馬の嘶きが聞こえて、腹の底に振動が伝わってくる。
振り回される手足が風を受け、馬が走り出したのが分かった。
え、拉致された、と思ったのは、暫く経った後の事であった。




