第33話
ガーオレン王国の城下町の外れには、ひどく煌びやかな建物があった。
並みの貴族でさえ立ち入りが許されない場所であり、厳重な警備が敷かれている。
美しい白壁と神殿のような装飾が為された豪邸の一室で、呟きが漏れた。
「上手くいかん」
腕組みをして、椅子の背もたれに身体を預ける男――――ジャン・ファルマ伯爵が視線を空中に溶かした。
傭兵上がりの引き締められた肉体を、貴族服に詰め込んで無精髭を生やした男だった。
彼の目前にある執務机には、厚みのある報告書が置かれていた。
その様子を細目で見ていた小姓のエングレスが言う。
「そうですか? 目論見通りでは?」
利発そうな青年の顔に、疑念は無い。
高位貴族に代々使える家柄の出自で、有能ではあるが歯に衣着せぬ物言いがあだとなり、ファルマの部下しか就職先が見つからなかった男である。
そんなエングレスを、ファルマが睨みつける。
「そうだ。『目論見通り』だから、予定外なんだよ」
「いや、何言ってるかわかりませんけど。貴方の望んだ戦争ですよ。何がいけないんですか」
「いけないことは無いんだがなぁ。面白くねぇ」
ファルマが背もたれから体を起こし、机を指で叩く。
「いいか。ケストネの町の領土問題を解決するために、フォルデノン王国へ喧嘩を売るのは既定路線だ。王族が望むってんだから、そいつは伯爵の仕事だろうがよ」
「はいはい」
エングレスが適当な相槌を入れる。
それなりに部下として働いているので、ファルマの癖は知っていた。
他人に語っているように見えて、実は自分で頭の中を整理しているだけなのだ。
「俺ぁ、ラタリア商会に魔獣を用意させたし、『隠れ里』も呼び出した。『緋毒』だって用意した――――なのに、何で『何も』起こらねぇんだ?」
「報告書の三枚目を見て頂けましたか? ちゃんとフォルデノン王国から抗議文が届いているかと思いますが」
青年の目線が、報告書へ注がれる。
ファルマが舌打ちした。
「それだよ。言いがかりはつけてくると思ってたが、内容が珍妙過ぎんだろ。婚約者だぁ?」
「婚約者ですね」
「しかも、フォルデノンの一人娘と教会の秘蔵っ子の二股だぜ。うける」
「男として、尊敬を禁じ得ません」
エングレスが短い息を吐いた。
どちらを選んでも地獄が待っているというのに、どちらも同時に踏み抜くとは、まさに英雄の器だった。
それからさらに『呪いの暗黒姫』と『緋毒』から狙われているとは、知る由も無い。
ファルマが不機嫌な顔をする。
「冗談ならまだ良いんだがよ。俺の勘だと、これは本気だ。なんならケストネの町すら必要ねぇって感じだ。……そいつを『緋毒』が連れて帰って来るってのも、話が上手くねぇ」
「暗黒姫の件ですか?」
「まぁ、俺の恩人の娘だ。しかるべき恩を返さなきゃならねぇ。俺が貴族になる条件の一つだぜ。忘れちゃいねえんだろう?」
「いえ、必要であれば誘拐専門の業者に頼めば良いかと」
「なっちゃいねぇぜ、エングレス」
ファルマが口を曲げ、腕組みをした。
「俺が『緋毒』を用意したのは、それが必要だったからだ。天命にも相性があんのさ」
「ええ、そこに問題はありません。ご自由にどうぞ」
肩を竦めるエングレスであった。
責任の及ばぬところで何をしようが、知ったことでは無い。
いや、知るべきではない。
流浪の傭兵から伯爵家の襲名など、本来ならばあり得ない。
無理矢理にでも形を整えるために、他家の養子縁組まで利用しての伯爵家の乗っ取りだ。
王家が認めねば、通らない無理筋だった。
むしろ、王家が主導したとしか考えられない。
無理を成すのであれば、成すだけの理由があるものだ。
エングレスが小姓として選ばれたのと、同様だ。
彼が弄んだ想像は、すぐに霧散した。
そしてファルマが、表情を難しいものにする。
「……ただなぁ、『緋毒』が失敗するのは、まだ良いとしよう。俺の見込みが甘かったって話だからな。だからって、違う人間を攫ってくるか?」
「『緋毒』から報告は受けていますよ。人質に使えるそうです」
彼の視線が、再び報告書に向けられる。
ファルマがそれを無視した。
「確かにまあ、人質には使えるだろうよ。婚約者ってのは嘘だろうが、そうまでして取り戻したいってことだ。確かに価値はあるらしいな。……さて、どう使うかね」
「ですが、『緋毒』がその男の引き渡しを拒否しています」
エングレスが短く溜息を吐いた。
ファルマが顔を上げる。
「はあ?」
「報酬として貰い受けたいそうです」
「何言ってるか、わかってんのかね」
後頭部をぼりぼり掻くファルマが、面倒そうに報告書を睨んでいた。
エングレスが口元を僅かに緩める。
「理解した上での発言でしょう。『緋毒』の戦力を失うには惜しいですからね。ならば、貸し一つとして、言うことを聞かせる方が良いでしょう」
「そうだなぁ、俺の仕込みが終わるまでは止むを得んな。それで、その男は今、何してる?」
「ルフェンの代わりに家事をしています」
「あ?」
「『緋毒』とルフェンが戦闘行為を行った際には、怪我の手当てもしているそうですね。その件が理由かどうかは知りませんが、ルフェンに弟子入りしているそうです」
ファルマが顎に手を当てて斜め上を見上げ、首を捻った。
「何やってんだそいつ?」
「……もう一度言わなければいけませんか?」
エングレスの冷たい視線が注がれた。
手を頭の上で振ったファルマが、嫌そうな顔をする。
「ともかく、一度は会っておかねばなるまい。俺が行くから手配しろ。あと、戦争の準備も忘れるな?」
「戦争の準備については、滞りありません。しかし、伯爵様が出向かれるのはどうかと思いますが」
「城下町に『緋毒』を入れるわけにはいかんだろう。お前が責任取れんのか」
「無理ですね。責任は責任者が取るべきでしょう」
「だから俺が行くってんだろうが」
「わかりました。手配いたします」
何食わぬ顔で言うエングレスであった。
ファルマが目を細める。
「このくだり、必要だったか?」
「はい。伯爵様の貴族としての規範を説明する必要があったのと、貴方様の御覚悟のほどを聞く必要がありました」
「ほぉん。それで、お前も来るつもりか?」
「当然です。小姓として、露払いくらいは致しましょう」
「とか何とか言いやがって、俺に何かあったら王家に責任取らされて拷問されるのが嫌なんだろう」
「ええ。ついでに、色男の顔も拝見してみたいですね」
真顔で受け答えするエングレスだった。
ファルマが口を曲げる。
「相変わらず、気に食わねぇ。『あいつ』と喋ってるみてぇだ」
小姓が何かを言う前に、伯爵が立ち上がった。
机をコツコツと指で叩いて、ファルマが窓の外を眺める。
その視線が、景色ではないものを見つめていることは、明らかであった。




