第32話
穏やかな日差しのもと、自然あふれる庭園にて、カンタルは立ち続けていた。
緩やかに手を前へ出しつつ、膝も股関節も緩め、視線は手元を見つめながら、限りなく遠くへやっておく。
怪我の治ったルフェンが、天気が良いのでついでに武術を体験してみるか、と言ってくれたので、カンタルも頷いたのだ。
「ま、基本だ。まずは立つことから始める」
同じような恰好をしたルフェンが言った。
二人の見た目こそ違いは無さそうだが、表情の差が歴然としていた。
ルフェンが涼やかにしているのに対し、カンタルの顔は苦悶に呻いている。
「ぬ、ぐぅう?」
普通、立つだけなら難しいということは無い。
しかし普段の生活では、同じ姿勢で立ち続けることは無いだろう。
ルフェンが構えを崩して、カンタルに笑いかける。
「辛いだろう? それはつまり、『いつも使っている筋肉』を使っているからだ。裏を返せば、『いつも使っていない筋肉』を使えばいいということだな。慣れれば体の中のどの筋肉を使っているか理解できる」
「は、はぁ」
彼にとって、理解しがたい言葉だった。
使っていない筋肉を自分の意志でコントロールする、という発想が無かったのである。
そもそも出来るものなのか、といった疑問さえ浮かんだ。
カンタルの顔を見たルフェンが、小さく笑う。
「私の言うことの全てが理解出来れば、すぐに私と同じになれるかもしれない。……絶対とは言わんが」
「そ、そんなもんですか」
姿勢を保つのも苦しい中では、考えごとさえ至難の業だ。
それらを見透かした上で、彼女が口を曲げる。
「自分で気づかねば、どうしようもない。私はカンタルでは無いからな。気付くまで私を信じて練習できるか? 結局は、私とカンタルの信頼関係だ」
「な、るほど?」
カンタルはそう呟いて、地面に倒れ込んだ。
彼の顔に、ルフェンの影が差す。
彼女の覗き込んだ顔が、間近にあった。
「武術など、苦しいことだらけだ。辞めておくに越したことは無い」
「あ、ええ――――はい」
カンタルは興奮していた。
不謹慎だと理解はしているが、女性の顔が息もかかるくらい間近にあるだけで、ちょっとエッチな気分になっていた。
毎日これをやってもらえるなら、苦行など何するものぞ、と言いたくなる。
彼は顔を赤らめて、横を向いた。
ルフェンが立ち上がる。
「……別に、不出来を責めている訳では無いぞ? 門下にしたからには、その程度で見捨てはせん。ただ、武術を続けるにしても、苦しむだけならどうかと思ってな」
「はい……」
基本の立ち方だけでぶっ倒れたことを、気にしていると思われたカンタルだった。
今更ながら気付いて、恥ずかしくなる。
彼女が苦笑いを浮かべた。
「敗北した身の上で言うのもどうかと思うが、やはり私は、楽しいから武術をやっている。だから、苦しむために武術をやる者の気持ちを汲んでやることが出来ない。それだけは分かって欲しい」
「はい」
カンタルは、真摯に頷いた。
真剣な気持ちで向き合ってくれるルフェンに対し、ちょっとエッチな気持ちを抱いた自分が本っ当に恥ずかしい。
顔を覆いたくなる気持ちを抑え、立ち上がった。
真剣さには真剣さで返すのが、礼儀というものだ。
「まあその、恥ずかしい話なんですけど、俺は強くなりたいんですよ。守りたいものが守れなかったり、助けたい人が助けられないのは、辛いし悔しいですし」
家族を殺され追手をかけられた貴族の少女を、その場で助けてやれなかったことがあった。
凄いスキルで追手を退治し、黒幕を締め上げてやれるくらい強ければ良かったと。
願っても手に入らないものを渇望した。
だから、結局はいつもと一緒なのだ。
英雄に成れない男の意地しか、この手には残されていないのだ。
「ふむ」
ルフェンが神妙な顔で、彼の言葉を待つ。
カンタルは、恥ずかしそうに言った。
「なので、悪い奴を思いっきりぶん殴れたら、とても気持ちが良いと思います」
「……褒められた理由ではないのは私も一緒だが、まあ、気持ちは分かる」
彼女が、仕方なさそうに苦笑した。
そして、何かに気付いて目を開く。
「ああ、そうか」
「どうしたんですか?」
「いやなに、私事だ」
「聞いてもいいですか」
むしろ聞きたい、くらいの勢いで尋ねるカンタルだった。
まあいいか、とルフェンが小声で呟く。
「私の師父の気持ちに気付いただけだ。その立場になってみなければ分からんこともあるのだな。昔、師父は私に、死ぬなよ、と言って下さった」
頬を掻いたルフェンが、視線を背けた。
「その時は、修行の過酷さを伝えたいのだと思っていたが、そうではないのだな。私の身を案じてくださっていたのだ。私もその言葉を、伝えたいと思う。カンタルが居なくなるだけで、悲しい思いをする者がいることを考えて欲しい」
「……はい」
カンタルは頷く。
そういえば、皆は元気にしているかなぁ、などと考えた。
リョカやシノのことが気にならない訳では無かった。
感傷めいた気持ちに浸っていると、足音が聞こえてくる。
「ん?」
彼が振り向いた先には、真剣な顔をして駆け寄って来るアサがいた。
彼女も敵地で怯えた生活をしているのだと思うと、カンタルも胸が痛くなる。
「やあ、どうした――――」
「敵っ!」
両手を広げたアサが、飛び込んで来た。
敵地で寂しいのだな、と彼は頷いた。
それならば大人として、受け止めてやらねばなるまい。
彼女の両手が、カンタルの腰元に回される。
「――――んだ?」
すぽん、と。
カンタルの下半身が露になった。
「うわ、はうっ!」
そのまま突っ込んで来たアサの頭突きが、股間に直撃する。
正直、悶絶どころの騒ぎではない。
二人はもつれ合って地面に転がるも、アサがむくりと起き上がり、掴んだままのズボンを剥ぎ取った。
そして下着を掴むと戦利品を誇示するように天へ掲げ、一目散に屋敷の方へ駆けていった。
「敵ぃぃぃっ!」
「ぐうぅ、おおぉぉ、うぉぉぉぉっ」
下腹から突き上げてくる痛みを誤魔化すために、股間を隠して地面を転がるカンタルだった。
見かねたルフェンが、メイド服のエプロンを外して、カンタルの下半身に被せる。
「その痛みは私には分からんが、痛そうなことだけは伝わってくるぞ」
「……うぅ、すいません」
「しかし、あの子はどうしてカンタルの下着を奪ったんだ?」
「何でで、しょうねぇ?」
彼は痛みに顔を顰めつつ、首を傾げながら自分のズボンを探す。
とりあえず、このエプロンは洗って返すとして、やはり武術を学ぶべきだと考えるカンタルだった。




