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第3話


 勇ましい表情を浮かべた彼は、ゆっくりと歩きながら考え事を始めた。


 一先ずは、川を下っていくことにする。

 リーナの後を追うことになるが、これから何をするにも人里に出る必要がある。


「あー、筆記用具欲しいなぁ」


 紙とシャーペンさえあれば、大抵の計画行動表は作ることが出来る。

 計算も出来れば、忘れることの無い記憶メモとしても使える。


 上司から言い渡される無茶なシフト管理とて、手帳がなければ実現は不可能だっただろう。


「さぁて、はて。無いものは無いか。まずはリーナを助ける事なんだけどなぁ」


 本人の前で決して名前を呼び捨てになど出来はしない童貞だが、脳内では既に知り合い感覚となっていた。


 ただ、それで命を賭すか、と言えば難しいところだ。

 助けることに失敗し、すぐに殺されていればまだ幸せのような扱いを受けて、リーナを恨まないでいるかといえば約束は出来ない。


「それで納得してくれるとは思えないけど」


 加えて、リーナを助け出すだけならば話は簡単だ。

 彼女を捕まえて逃げ出せばいいだけである。


 しかし、リーナの目的とは、実家の存続――――つまりは領民の平穏にある。

 その解決策としては、敵対勢力の排除または敵対行動を止める事だ。


「相手は同等以上の貴族、か」


 集まる金も人も、一般家庭とは桁違いの勢力だ。

 もっと手に余ることは、軍事力と司法も併せ持つことだろう。


 現代風に言うならば、裁判所と警察署と市役所と周辺住民が全部敵になったようなものだ。


「……うわぁ」


 巨悪に立ち向かうと表現すれば、美談になるかもしれない。


 しかし、美談は美談。

 美しいものは希少だから美しいのだ。


 そこら辺に転がっていたら、それは当たり前で普遍的なものだ。

 誰も尊んでくれなどしない。


 戦力差は絶望的で、正面切って戦うことはまず無理な案件だ。


「あー、腹減ったなぁ」


 さっきから情けない事しか呟いていないが、彼の頭脳はフル回転していた。


 ――――情報が足りない。


 更に詳しく言うのなら、リーナが勝利するための条件に合致する情報が少ない。


 だからこそ、町に行きたい。

 ついでに衣食住を揃えたい。


 問題は山積みだ。

 そして彼の経験からすると、問題は問題を生む。


「上手くいくときは、不思議なくらい何もないのにねぇ」


 もう苦笑いしか浮かべることが出来ない。

 彼の視界の遠くに、三頭の騎馬が見えた。


 遠くで何を言っているのかわからないが、こちらへ一直線に向かってくる。

 慌てて逃げ出しても逃げる先は無いし、逃げ切れるわけも無い、と考えると足が動かなかった。


 結果、不思議そうな顔で誤魔化しながら、騎馬たちが来るのを待っていた。

 馬というものは便利なもので、すぐに近づいてくる。

 

 一番若そうに見える男が馬を寄せてきて、偉そうに言う。


「おい、お前」

「はあ、何ですか?」


 惚けた顔は、彼の得意顔である。

 激怒したお客様や理不尽な上司に鍛えられた結果だった。


「ちっ」


 若そうな男が、これ見よがしに舌打ちをした。

 物分かりの悪そうな平民に苛立っている様子だ。


 あまり刺激しすぎても殺されそうなので、彼は愛想笑いを浮かべて平身低頭する。


「すいません、何か御用でしょうか」

「お前に関係ない!」


 だいぶん苛立ってんなこいつ、とは彼の素直な感想だ。

 相手の怒りの原因を見定めて対応しないと、とても面倒なことになりかねない。


 彼が困った様子で立ち尽くしていると、彼と同年代ほどの男が話に入ってきた。


「随分と冷静だな」

「そうですか?」


 内心を見透かされたようで、心臓に悪い受け答えだった。

 年齢や言動から、若者の上司と言ったところだろう。


 堂に入った喋り方と態度から、出来る管理職と思って対応する。

 相手は人を見る目があったりするので、出来るだけ嘘はつけない。


「まあ、騎士さま達には、少しばかり慣れてまして。実家から逃げ出してきた若輩者です」

「ふん。元貴族か……名は?」

「お耳に入れるほどのものでは無いかと」


 彼はそう言いながら、一生懸命に適当な名前を考えていた。

 案の定、若者の一喝が飛び、剣まで向けられる。


「お前! サムネル様が訊ねられたら素直に答えろ!」

「は、はい。貫太郎ですっ」


 彼の本名は、オオヤマ・カンタロウだった。

 怖がり過ぎて本名を口にしてしまった。


 先ほどから値踏みするサムネルの視線にも、真剣に怯えている様子が見えていることだろう。

 何故ならば、演技ではなく本気でしかないからだ。


「カンタウロ? カンタル? この辺りでは聞かん名だ。……まあいい、殺せ」

「うえ?」


 彼は、こんなに簡単に処刑命令が出るのものなのか、と半ば放心状態で聞いていた。

 命令された若者の方も、少し驚いた後に、何かを飲み込むようにして剣を振り上げた。


 刃に陽光が煌めく。


 彼は逃げ出そうとして、足が動かないことに気付いた。

 転生してすぐにこれはないよ、と悲しむ暇も無い。

 ブラック企業の次は、ブラック異世界とは救いがない。


 どさり、と湿った音が響く。


「ぐあぁぁぁぁぁっ」


 苦悶の叫びが、腹の底から溢れ出ている。

 どれもすべてが他人事のように思えた。


 それはつまり、他人事だったからである。


「え?」


 腕を斬り飛ばされて、馬から転げ落ちる若者がいた。

 嘶く馬を抑え込み、突然現れた人影をサムネルが睨みつける。


「貴様ぁっ! こちらをケトフェス家の者と知っての狼藉か!」


 ――――暗闇に、三日月が浮かぶような笑みだった。


 擦り切れた黒い外套を身に纏い、櫛に持ち手を付けたような剣を手にしていた。

 長い黒髪と、陰鬱な瞳を覗かせている。


 病的に白い肌には、青い血管さえ透き通って見えそうだ。

 その女が、眼だけを動かして彼を見た。


「さっき、『スキル』を使ったのは君か?」

「スキル、ですか」


 彼は首を傾げた。

 使おうと思って使ったものでもなく、使おうとしても使えないからだ。


 勝手に頭に響くもの、としか言いようが無い。

 それをどう受け取ったのか、暗い表情の女が剣を振るった。


「ぎゃあぁぁぁぁっ」


 地面で蹲っていた若者の、残っていた片腕が飛ぶ。

 女の視線が、再び彼に戻る。


「君か?」

「そうですね」


 そうでも言わないと、地面に倒れている若者が細切れにされそうだった。

 対して女が、陰鬱な表情に朱を滲ませた。


「ああ、そうかぁ、君かぁ。うふふふふ、ようやく、だ。ようやく女神が寄こしたか。僥倖だね――――」

「サムネル様、お逃げください! こいつはっ」


 彼女の背中に向かって、残っていた騎馬が突撃した。

 それが、馬ごと真っ二つにされ、河原の石へ打ち付けられた。


 サムネルの表情が悔し気に歪む。


「その剣、その容貌――――『呪いの暗黒姫』か。冒険者風情が貴族に歯向かって、無事でいられると思うなよ」

「私は今、とても気分が良い。帰っていいよ」


 下から貫き上げる彼女の視線は、まさに呪いを喚起させるものだった。

 それに耐えられなくなったサムネルが、馬の手綱を振るう。


「ぐぅう、覚えていろ!」

「私が? 嫌だよ」


 薄く笑って返す女が、首を裏返して彼を見た。

 目を細め、眉が歪む。


「で、スキルは? 見せて」

「と、言われましても、自分では使えません」


 彼はそう言うしかなかった。

 嘘でも吐こうものなら、腕が飛んでいくかもしれないときに、適当なことは言えない。


 だが、相手はそれに満足しないことも分かっていた。


「使って。何とかして」

「えっと、頑張ります」


 横暴な上司を思い出しつつ、玉虫色の返事を言う。

 彼は言葉通り、頑張った。


 しかし、念じても、身体に力を入れても、何も起こらなかった。

 恐る恐る、女の方を見てみると、現状に飽き始めているようだった。


「あぁ、これ間違いだったのかな。もういっか」


 櫛のような刃が幾つもついた剣が振り上げられる。

 その時、地面に蹲っていた若者が言葉を呟いた。


「――――母さん」

「黙れっ! これは私のだ!」


 異形の剣が若者に振り下ろされた。

 若者の視線が、一瞬だけ彼に向けられる。


 その瞳には、涙が滲んでいた。


 ――――オカンスキル、発動します。


「この、馬鹿たれ!」


 ばちん、と彼の張り手が奇麗に炸裂した。


 食らうと思っていなかった攻撃を受け、女が態勢を崩す。

 そう彼が思った途端、女が体幹を使って無理やりに上半身を曲げ、更に顔を寄せてきた。


 暗い瞳が、全てを物語っていた。


「――――ははさま、ごめんなさい」


 口調とは裏腹に、とても歓喜に満ち溢れた言葉だった。


 黒い外套を羽織った陰鬱な女が、その場で正座し、深々と頭を下げる。

 さっきまで傲岸不遜な態度で、兵士の腕を斬り飛ばしていたとは思えない豹変ぶりだ。


 彼は難しい顔をした後で、若い兵士の亡骸を見た。


「……埋めるから、手伝って」

「あい、ははさま」


 まるで幼子のように素直に頷き、若い兵士の背中に突き刺さっていた剣を引き抜く。

 そのまま異形の剣を地面に向かって突き刺し、簡単に掘り返して見せた。


「ありがとうね」

「あい」


 彼の言葉に、女が本当に嬉しそうに微笑む。

 彼はどうしようもない、といった体で鼻から息を抜き、両手を拾ってきて若者を埋葬した。


 そうしている間に、馬ごと真っ二つになった騎士も彼女に埋められていた。

 彼が屈んで手を合わせると、女も隣に来て同じ格好の真似をする。


「いいかい。許してくれなくても、ちゃんとごめんなさいは言うんだよ」

「ははさまのために、そうします」


 頬を赤くした女が頭を下げてそういうので、彼は頭を撫でてやった。

 すると、雪解けを思わせる笑みが零れた。


「うん、良い子だね……あれ?」


 そこで気が抜けた彼は、すとん、と腰が落ちた。

 座り込んでいる所に、女からのビンタが飛ぶ。


「あいたっ」

「君、よくもやってくれたね」


 彼が顔を上げると、初めて会った時の陰鬱な女が睨んでいた。

 先ほどまでの雰囲気は霧散しており、冷たく沈む威圧を感じさせる。


 今度は女の方が溜息を吐き、横を向いた。


「確かに『スキル』は本物みたいだ。この私に手を上げておいて、偽物だったら首を斬り飛ばしてるところだよ、まったく」

「……はあ」


 頬を押さえて座り込んでいる彼に、返す言葉は見当たらない。

 どうしていいかわからないでいると、彼女の視線が戻された。


「私はリョカ・エルトベルトだけど、君は?」

「カンタロウ・オオヤマです」

「カンタル・オーママ? 変な名前ね。でもわかった。君は私の『ははさま』になってもらうわ。いいよね、カンタル」


 名前間違ってますよ、とも言い出せず、それよりも気になることがあった。

 そもそも、なれるものなのか、といった疑問もある。


「えぇ、どういうことですか」

「それは追々に話したげるけど、私に逆らうつもり? 君を殺して『次』を待ってもいいんだけど」


 異形の剣が肩に担がれる。

 彼女――――リョカの傍若無人さは、現れた時から知っていた。


「あ、いえ、殺さないでください」

「よろしい、では出発します」

「え?」

「え? じゃない。君はスキルを自由に使えないんでしょう? 私としては、常時発動状態でいて欲しいんだ。なら、ふつーはスキルの専門家に任せるよね」

「でしょうね」


 アクの強い人間に対し、あまり反論しない彼――――カンタルは頷いた。

 リョカも頷く。


「なら、教会に行くしかないよね」

「はあ」


 黒い擦り切れた外套を翻し、彼女が歩き始めた。

 教会がどういうところかはわからないが、人のいるところであることは確かだ。


 とにかく、今の彼にとって、情報が得られることは間違いない。


 彼はリーナの事を考える。

 追手をどうにかしてしまったのだから、時間稼ぎくらいは出来ているだろう。


 後は、この状況をどうにかしなきゃなぁ、と思うのであった。


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