表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/44

第29話


 重苦しい空気の中、テーブルの上に硬質な音が響き渡る。

 普段の厨房の雰囲気とは、遠く離れていた。


 カンタルは、手を伸ばして置いた小瓶から、指を離した。


「これが、例のアレです」

「……ほう、これが例のソレか」


 ルフェンが小瓶を、指で摘まみ上げる。

 

 透明なガラスの中で、乳白色の液体が揺れた。

 小瓶を光に透かして見たが、特に何かある訳でもない。


 ルフェンの視線が、彼を射抜く。


「これを、飲むのか」

「ええ。大抵の人は、そうやって使いますね」


 カンタルは頷いた。

 他にも塗ったりすることもあるが、怪我の場合くらいなものだろう。


 彼女の不安そうな顔を見ると、まあそれが普通の反応ですよね、と納得せざるを得ない。


 カンタルとしても、無理をしてまで飲んで欲しいとは思わなかった。

 むしろこれから戦いがある度に、胸から母乳を出すとなれば、彼もメンタルと戦う羽目になってしまう。


「止めときましょうか」


 彼は優しく頷いた。


 そうすれば、カンタルは心穏やかでいられるし、エリンも戦わなくて済むし、ルフェンも毒を受ける必要は無くなる。


「むう」


 ルフェンが唸る。


 すると、いつのまにか現れたアサが、テーブルの端から頭だけを覗かせてきた。

 彼女の視線は、じっと小瓶に注がれている。


 ルフェンがアサを一瞥した。


「これが……欲しそうだな」

「敵ぃう」


 アサが頷く。

 表情こそ変化が無いものの、架空の尻尾があれば振り回すくらいに彼女の尻が揺れている。


「飲んだことがある、と?」

「敵ぁ」


 小瓶から視線を動かすことなく、アサが返事をした。

 ルフェンが笑う。


「旨かったか?」

「敵ぃぃう」

「ふむ、何を言っているかよくわからん。だが、アサ嬢も持っていると聞いたが」


 彼女の挑発的な笑みに、アサも胸元のポケットから小瓶を取り出した。


「敵ぃあ」

「ふむふむ。では、それを譲って欲し――――」

「敵ん」


 アサが言葉の終わりを待たずに小瓶をポケットへ仕舞い込み、走って逃げた。

 ルフェンの顔がカンタルへ向けられる。


「……中毒性は、あると思って良いものだろうか」

「飲んだことが無いので分かりませんが、禁断症状が出たとは聞いてませんね」


 否定しきれないのが難儀であるが、アサの様子を見ている限り、苦しむ様子は見られなかった。


 ただアサの目的が、嗜好品なのか、毒から身を守るための保険なのかは知らないが、常にカンタルの母乳を気にしていることは見受けられる。


 ルフェンが難しい顔をして、息を吐いた。


「いや、悪いね。これの効果を疑っているわけではないんだ。スキルはそういうものだと理解しているつもりだ。だがな」

「はい」


 彼は頷いた。

 そして、言葉の続きを持った。


「これは母乳なのか? それとも父乳なのか。どちらだろうか」

「え、そこですか」


 彼は転びそうになった。

 気にしても仕方ない事だと考えるが、彼女の真面目な顔が揺らぐことは無い。


「言葉遊びと笑うかもしれんが、スキルは『ことわり』を違えることは無い。『さだめ』と言い換えてもいい。であるならば、方向性は絞れるというものだ」

「あー、つまり、スキルにも規則性がある訳ですか。でも、それなら母乳ですね」


 彼が持つのはオカンスキルなわけで、オカンから父乳が出ることは規則に反する。

 それなら、どうして男であるカンタルが、母性を内包するオカンスキルなどを使えるのか、という疑問が沸いて出た。


 思い当たる節がないでもない。

 顕著なのは、肉体の一部が女体化したことである。


 これはつまり、スキルによって肉体を捻じ曲げられているのでは、という不安が過った。

 精霊様に寄生されている身としては、いつか乗っ取られてしまう可能性を否定できない。


「……マジか」

「どうして君がそこで、深刻そうな顔をするんだ」

「いえ、スキル怖いと思いまして」

「天命だろう? 恐れを抱くのは当然のことだな。だがまあ、成すべき事があるのだろう。授かる、ということの受け止め方次第だね」


 好戦的に笑ったルフェンが、手の中にある小瓶のコルクを抜いた。

 くぃ、と一息に飲み干し、喉を動かす。


 乾いた音を立てて、空の小瓶をテーブルに置いた。


「なに、人はどんな道でも『選ぶ』ことは出来るのだ。選ぶことしか出来ないかもしれんが、それが自由と言う奴だ。道から外れさえしなければいい。その道の果てにあるものこそ、誇るべき価値があると思うよ。見えない果てが、崖だったとしてもね」


 私はそれが見たい、と。

 宝物を見つけた子供のように、目を輝かせて言う。


 カンタルはそれを見て、感動していた。


「そう、ですよね」


 精霊様に身体を乗っ取られて女体化したとして、カンタルの生き様は残る。

 自分で自分を恥ずかしいと思う必要は無い。


 人助けであれば、男が母乳を出しても構わないだろう。


「男が母乳を出しても、いいですよね」

「え?」


 ルフェンが真顔になる。

 カンタルも真顔になる。


「え?」


 彼女が乾いた笑いを浮かべる。


「……あー、ああ。そんなに悩んでいたのか。うん。……大丈夫だ」

「ですよね!」


 こんな上司が欲しかった、とカンタルは感慨深く自分の両手を握りしめた。


 ルフェンの事は尊敬できる。

 自分の楽しみのためには、道を外さない限り手段を問わない辺りが、生粋の趣味人であるからだ。


 自分の命すら投げうって、楽しみに全力を尽くす姿は、敬意を表するに値する。


 彼は声を抑えながら言った。


「あの、ルフェンさんのことを、師匠と呼んでも良いですか?」

「へ? ちょっと意味が、よくわからないのだが」


 珍しくルフェンが狼狽えていた。


 恐らく、尊敬され慣れていないのだろう、とカンタルは考えた。

 何故なら、生粋の趣味人であるほど、常人には理解され難いものだからだ。


 彼は、深く頷いた。


「わかってます」

「どういうことだ? 私に理解させて欲しいのだよ」


 困惑と言うよりは、懇願に近い態度だった。

 彼は優しく首を横に振った。


「ルフェンさんは今まで通りでいてください。俺が、そうしたいだけなんです。理由が必要であれば、俺が母乳を提供することを理由にしてもらって構いません」

「……ふむぅ、つまり君は、私を師匠と呼びたいがためだけに、『緋毒』を無効化する母乳を提供する、ということか」


 彼女が眉を寄せて腕組みし、硬いものを飲み込むような態度をしていた。

 薄目を開いたルフェンが言う。


「確かに言うことを聞くとは言ったがね。……ところで、私が断ればどうなる?」

「はあ、どうもなりませんけど」


 対するカンタルは、何も考えていない顔をしていた。

 何故なら、何も考えていないからだ。


 そもそも母乳だって、条件を出して渡すようなものでもない。

 もしも『緋毒』が無効化できなかったとして、カンタルに取れる責任などないのだ。


 効かなかったことで文句を言われるくらいなら、あなたの責任で使ってくださいね、と最初から無償で渡した方が気楽でいられる。


「ぬう」


 ルフェンが額に手を当てて悩む。


 ありもしないカンタルの利益を必死に考えるが、彼の思考を読めずにいた。

 カンタルの思考など、読む必要すら無いことが、教えられるまでわからない。


 結局ルフェンが、渋々といった態度で頷いた。


「まあ、正式なものでは無く、呼び方だけという話ならば良いぞ」

「大丈夫です」


 カンタルは満面の笑みで頷いた。

 彼女が溜息を吐く。


「私の門下、と言うことにしよう。間違っても流派は名乗るなよ。あと、師父と呼ぶことも禁止だ」

「はあ、了解しました」


 気の抜けた返事だが、それも仕方ない。


 武門における拝師制度では、親子関係と同等以上の制約が鉄則だ。

 しかしカンタルとて、厳しい修行の果てに技術の継承をしたいわけではなかった。


 精神的に尊敬できる先達の敬称として、師匠と呼びたいだけなのだ。


 ルフェンとしても、後で武門の何たるかを説明すればいい、などと面倒を後回しにしたのだから言い訳はできない。


「さて、そろそろ母乳の効果が表れるだろう。行ってみるかね」

「はい、師匠」


 二人が椅子から立ち上がり、約束の場所まで向かう。

 朽ち果てた庭園で、エリンが紅茶を飲みながら待っていることだろう。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ