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第28話


 汲み上げた水が流れ、音が響き渡る。

 低位へ広がる水が一面に、石畳の上に幕を張った。


 やわらかく揺蕩う湯気が、頼りなさげに消えていく。


「……どうしてこうなった」


 カンタルは呟き、口の端を歪めた。


 自らの行動を思い返しても、己に非は無いと言い切れる。

 悪意など一欠けらも抱かなかったと断言しよう。


 ただ、しかし。

 悔恨を抱くとするのであれば、己の油断であっただろう。


 湯面の下から、艶やかな指が割って現れる。

 暖かな吐息と共に、エリンの声がした。


「湯舟って、久しぶりだけど良いものね」

「……うっす」


 彼は視線を向けずに言う。

 何せ相手は素っ裸だった。


 あえて言わなければならないかもしれないが、カンタルは童貞だ。


 いい歳をしていようが、慣れないものは慣れない。

 この機会に是非、と言えるような男であれば、転生などしていない。


 今の彼は、妙に慣れた振りをして強がって、平気な顔をして何も見ず、後で歯を食いしばる哀れな生き物なのだ。


 そもそもの発端は、自分が風呂に入りたくて、貴族の屋敷で浴室を発見したことだ。


 掃除して湯を張ったところで、エリンに見つかった。

 彼女が浴室にずかずかと入って来て、服を脱ぎ始めてしまっては、カンタルに出来ることは多くない。


 湯船の権利を主張するか、逃げるかだ。

 そして彼は、その両方を断られた。


「自分の屋敷の風呂に入っては、いけないの?」

「そりゃまあ、そうですね。では――――」

「あ、そうそう。話がしたいのだけど」

「今ですか」

「ええ、今が良いわ」


 カンタルの心臓は、こんな時に正常運転出来る程、強靭に作られてはいない。

 思考能力も格段に落ちている。


「はあ」


 と彼女の願いも振り切ることなく、視線を向けないようにして立っていた。


 そして、今に至る。

 彼女が動く度に、水の音が聞こえてきた。


 吐息も、気配も、何もかもが生々しい。

 生きているのだから当然と言えば当然なのだが、今は非常に困ってしまう。


 何も言葉を発しない彼をどう思ったのか、エリンが小さく息を吐いた。


「ところで、ルフェンのこと、どう思ったのかしら」

「どう、とは?」


 質問の意味が掴めないカンタルは、首を傾げた。

 そうねぇ、と口元に指を当てた彼女が言う。


「あの子、私に勝てると思う?」

「条件次第でしょうね」

「カンタルさんが協力してあげたら、どうかしら」

「え?」


 彼は思いがけない言葉に耳を疑い、彼女を見た。

 エリンが浴槽の端に両腕を乗せ、微笑んでいる。


「毒の無い私なら、好きなように出来るんじゃない?」

「……理由がありませんよ。それに、」


 ――――オカンスキル、発動します。


 あ、何か久しぶりに来たなこれ、とカンタルは色々と諦めた。


 身体が勝手に動き、浴槽の前で両膝を着いた。

 泰然としていたエリンの瞳が、細められる。


「今でも好きなように出来ると言いたいのかしら」

『愛が欲しいのか?』

「何を言っているの? ……あなた誰」


 彼女が敵を見る眼となった。

 殺意も隠さず、遠慮も無い。


 カンタルは平然な顔をして言う。


『愛に条件など無い。心から湧きだすもの、それが愛だ。愛を知らずとも、愛はある』


 彼の腕がするりと伸びて、彼女の肩に回された。

 浴槽を挟んで、抱きしめたようになっている。


 呆然とするエリンと、勝手に口が開くカンタルだった。


『愛に善悪など無い。だからこそ、喜びも苦悩もするのだ』

「あのね、知ったようなことを言わないで。そんなに愛を賛美したいなら、教会にでも行くがいいわ」

『誰も賛美なんかしておらん。頭と運の悪い娘よ。それでも我が子らだ。捨て置けん。困ったものだ』

「な、何ですって……っ! 誰が! この! 優しくすればいい気になって!」

『何が優しくだ。さっきから毒を流し続けておるくせに。無駄であるぞ。それは【我】の一部だからな』

「はあ?」

『乳を放り出して、そう間の抜けた顔をするでない。宿主様が戻るぞ』


 カンタルは、自分が笑っていることに気付いた。

 皮膚感覚が戻って来て、彼女の華奢な両肩に手を置いていることを確認する。


 そして、怒りを湛えたエリンの口が開かれる。


「何、何なの?」

「すいません……」


 どうすることも出来ず、謝るカンタルであった。

 視線を下に向けると、エリンの胸が視界に入りそうになって、思いっきり上を向いた。


 彼の視線を追った彼女が、自分の胸を隠しながら叫ぶ。


「いますぐ出て行って!」

「は、はい!」


 飛び跳ねたカンタルは、急いで浴室から出る。

 濡れた足元が廊下を濡らすが、そんなことを気にしている場合ではない。


 小走りで浴室から離れ、廊下の突き当りで止まった。

 背後を振り返れども、気配は無い。


 ふと気になって、窓の外を見る。


「うわあっ……って、何やってんですか」


 ルフェンが窓枠にしがみついていた。


 コンコン、と彼女が窓の鍵を叩くので、外してやると、器用に窓を開けて入って来た。

 カンタルの姿を眺めて言う。


「覗きか? 中々やるな」

「むしろ、逃げようとしたら止められたんですけどね」

「……ほう。エリン嬢は裸になったか」

「なりましたね」


 彼が頷くと、ルフェンの顔が険しくなった。

 敗戦間際の勝負師のような雰囲気で、最後の一手を模索している。


 恐る恐る、彼女の険しい視線が向けられた。


「カンタル。今すぐにでもこの屋敷を逃げ出して遠くへ行け。衛兵に殺されるかも知らんが、その時は『緋毒』を受けたと説明しろ」

「あー……そのことですが」

「体中から血を噴き出し、激痛で筋肉が硬直して棒立ちになり、正気を失って自らの手で頭の皮膚を引き裂いてしまう、恐ろしい毒だ。遠目から見れば華のように見えるらしいがね」


 ルフェンが力なく、首を横に振った。


「既に私も手遅れだ。これから一戦、挑んでくる。カンタルの飯は美味かったな。ありがとう」


 覚悟完了した戦士の眼だった。


 戦いに赴くのであれば、彼女の隣に居たいと思うほどに頼もしい。

 威風堂々、肩で風を切る。


 敵わぬまでも、一矢報いる気が溢れ出ていた。


「いや、ちょっと待ってください」

「何だ? 童貞卒業の手伝いをしている時間は無いぞ」

「何で知ってんですか!」

「……冗談のつもりだったんだが」

「そうですか……あ、いえ、そういうことでは無く。俺には『緋毒』が効きません」


 彼は、女精霊の言葉を思い出していた。

 理屈など分かるはずも無いが、どうやらカンタルに『緋毒』が通用しないことは証明されている。


「そんなことがあるか? どんな薬師も助けられなかった猛毒だ。国が一つ、滅んだのだぞ」


 彼女の拳が、力強く握られる。

 強い思いがあったのかもしれない。


 しかし、ルフェンがすぐさま顔を上げた。


「もしや、『解毒』の天命持ちか?」

「違う……と思います。ですが、天命の効果ではあります」

「ならば、自分以外の『解毒』も可能か?」

「ええ、まあ。程度にもよると思いますが」


 何処までの毒が無効化できるか実験していないが、アサに向けられた毒は解除出来ている。


「なんという――――世界を滅ぼす毒に、対抗できるだと?」

「どうしてでしょうねぇ」


 カンタルも不思議なくらいなので、説明出来ない。

 『緋毒』に関して分かることは、ルフェンの言葉から類推するに、肌の露出や密着によって効果が激増し、その効果が残留するものだろう。


 それも、カンタルの母乳で解毒可能だった。

 彼がその気になれば、『緋毒』を無効化した兵士たちを作り出し、集団で一気に制圧することも可能となる。


 考え事をしていた様子のルフェンが、その強すぎる視線を彼へ向けた。


「取引をしないか、カンタル」

「あまり内容を聞きたくありませんけど、拒否権無さそうですね」


 彼の苦笑いは、黙殺された。

 冗談ではない雰囲気がある。


 そもそも、ルフェンの実力的には彼を脅して従わすことの出来る実力があった。

 それをしないというのは、好意の表れとして受け取れる。


「私の手伝いをしてくれ。そうすれば、私の持っているものは何でも差し出そう」

「ん?」


 てっきり暗殺でも頼まれるかと思っていたら、手伝いと言われてしまった。

 彼が訝しんでいると、ルフェンが人差し指を立てた。


「資産はあまり無いので期待されても困るのだが、一回解毒するごとに、私が言うことを聞くというのはどうだ」

「いえ、解毒、というのは何ですか?」

「何って、私がエリン嬢に挑んで負けた時の保険だろう。毒殺されれば一回しか挑めないが、解毒できれば何度も挑戦できるじゃないか」

「……ああ、なるほど。本気で『楽しい』んですね」

「だからそう言ってるじゃないか」


 ルフェンが口を尖らせる。

 カンタルはそれに溜息で返した。


「はあ」


 他人の尖った趣味に何か言おうと思わないが、それで被害者を出すのは困る。

 加担させられる彼の気持ちにもなって貰いたい。


「ちょっと、考えさせてもらって良いですか?」

「無論だ。良い返答を待っている」


 うんうん、と頷いて、彼女は窓から出て行ってしまった。


 一人残されたカンタルは、一度だけ浴室を振り返った。

 エリンの裸を思い出しそうになり、慌てて今日の献立を考え始めるのだった。




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