第27話
朽ち果てた貴族屋敷の厨房に、鶏肉の焼ける香ばしい香りが漂っていた。
備え付けのオーブンで焼かれた丸鶏にナイフを入れると、狐色の皮が音を立てて割れ、柔らかな肉が肉汁と共に溢れる。
更に、果実ベースの甘いソースと青菜が添えられた。
「はい、完成っと」
これらの食材は、何処かで購入してきたものでは無い。
ファルマ伯爵の部下から、夜明け前に屋敷の前へ届けられているものだ。
屋敷の外には見張りもいるらしく、気軽に外へ出られる状況でもなかった。
ただ、外といっても、目が届く範囲は全てこの屋敷の敷地内だった。
広すぎて庭園で遭難しそうな程である。
「これが、特権階級というやつか……」
カンタルは、思わず口から言葉を漏らしつつ、メインディッシュを運ぶ。
広すぎる厨房には、古ぼけた食卓が置かれていた。
この屋敷に住む者たちは、会食が出来る食堂など使わない。
冷めた料理を貴族宜しく気取って食べるより、熱々の出来立てをその場で食べたい者しか居ないからだ。
既にエリンが昼食を食べ終えて自室に帰り、アサなどは食後の運動とばかりに散歩へ出かけてしまっている。
今、この食卓に座っているのは、メイド服を着た黒髪長髪の女性だった。
背が高く細長い印象を受けるが、力仕事は得意だと自分で言っていた。
しかし、カンタルは彼女が働いている所を見たことが無い。
「いや、美味しそうよな」
このメイド――――ルフェン・タンロウが、当然のように食事が出されるのを待っていた。
カンタルは、丸鶏のオーブン焼きをルフェンの前に置く。
「どうぞ」
「うんうん、カンタルは良いお嫁さんになれるなぁ。……ところで、御代わりはある?」
「ありますよ」
「それでこそだ。あと二皿程お願いしたい。バゲット追加で」
「かしこまり」
彼はもう、驚きもせずに気の置けない返事をする。
ルフェンの食事量は、成人男性を遥かに凌駕していた。
つまり、よく食べる。
屋敷へ届けられる食材も多いので、彼女の食事量は織り込み済みなのだろう。
カンタルは、彼女の健啖家ぶりを見て呆れつつも、頼まれた料理と、別に作って置いた蕪のスープを並べた。
「野菜も食べないと駄目ですよ」
「ん」
鶏肉に齧りつきながら考える風体で斜め上を見たルフェンが、真顔で言う。
「私の嫁に来たいのか?」
「どうですかね」
冗談を受けて微笑を浮かべたカンタルは、彼女と同じ食卓に座る。
自分で淹れた紅茶を飲み、汚れた食器の後片付けのことを考えていた。
甘い香りがふわりと通り過ぎていく。
「あー、やっぱ良い茶葉は違うなぁ。貴族は凄いね」
単に高いお茶というのは、彼も接待で飲んだことがある。
しかし、本当に高いお茶と言うのはレベルからして違っていた。
資本家階級という上層の一端を垣間見てしまうと、後戻り出来なさそうで怖い。
バゲットを千切っては、ぽいぽいと口の中に投げ込むルフェンが、彼も見ずに言う。
「カンタルに貴族は似合わんと思うよ」
「ですよね。才能無いですから」
彼はもう一口、紅茶を口に含む。
ルフェンが首を傾げた。
「はて、才能の話はしてないと思うが?」
「いえ。貴族が似合う人間ということは、領地を上手く治めて、領民に慕われるほどの才能が必要かな、と」
ふん、と息を抜きながら、彼女が蕪のスープを一飲みした。
「そんな貴族が、居ればいいな」
「そうですね」
「ところで、私の仕事のことを聞いたのか」
一瞬の間があった。
カンタルは、答えて良いものか分からなかったが、別に口止めされている訳でもない。
取引のカードにされている以上、殺されはしないだろう、という曖昧な予想を頼りに返事をした。
「はい。よくわかりましたね」
「……私に会ってから、カンタルの腰が浮いていた。手先にも緊張が見える。意識は身体に現れるものだ。私に告白するのかと思ったよ」
「洞察力が凄いですね。告白していたら、受けてくれましたか?」
作られた微笑と軽口というものは、場慣れした営業や販売員なら誰もが持っている。
態度を何も飾らない店員が居たならば、お客様が殴り掛かって来るか、それとも自分から殴り掛かっていることが、一年に何度かあるだろう。
営業スマイルだって、一種の武装なのである。
ルフェンもそれは理解していた。
「その威勢も嫌いでは無いよ? ただ、私は止めておいた方が良い。例えそれが軽口であっても、だ」
「要するに、俺はお断りされたんですね」
カンタルは苦笑する。
用意されていた答えを受け取った態度だった。
彼女が首を横に振る。
「心は身なりと言ってね。気持ちは言葉となり、言葉は声となる。思いが振動となって、世界に刻まれるんだ。良し悪しに関わらず、残ってしまう。古代の人などは、言葉に魂が宿ると考えていたらしい」
「言霊ですか?」
口を曲げて笑ったルフェンが、肩を竦める。
「まだ言葉が希少だった時代だね。言葉とは、魔法であり、呪いであった。現実を歪める……いや、現実を書き換える代物だったんだよ」
彼女が鶏肉の繊維を歯で噛み千切り、軟骨までゴリゴリと咀嚼する。
そして、残っていたスープを一気に飲み干し、頬を緩めた。
この笑顔には悪意が含まれており、悪戯を思いついた者のそれだった。
「うん。カンタルだから言うんだが、私は天命とやらを持っていない」
「はあ。いいんじゃないですか?」
生きるために必要不可欠、という訳でもない。
むしろ、『教会』のシスターが言うには、天命には困難がセットでついてくるものらしい。
ルフェンが頷く。
「だから、『緋毒』と戦ってみたい」
「……えっと?」
カンタルは首を傾げた。
理由になってないような気がしたからだ。
彼女の瞳に熱が帯びる。
「まだ勝ち筋は見えないが、手掛かりはある。出来なかったことが出来るようになるのは、楽しいものでね。国を揺るがすほどの天命を相手に、天命も持たぬ個人が、戦って勝つというのは痛快なものだろう」
それだけで。
それだけのことで、『緋毒』に戦いを挑むと言う。
「俺に言っていいんですか?」
「エリン嬢には、出会った初日に伝えてある」
「普通、本人目の前にして言わないと思いますけど、そんなこと……」
「笑っていたよ? やれるものならお好きにどうぞ、と言われたな。実に清々しい。己が負けるとは、露とも思わぬ者の所業だ。やりがいがある」
「止めておいた方がいいです」
彼としては珍しく、断言する口調だった。
一度でも『緋毒』と相対したことがあれば、理解できることがある。
そもそも毒を相手にすることは、勝敗をつけるものでは無い、ということだ。
ルフェンが苦笑する。
「確かに馬鹿らしいことだろう。毒を克服する『天命』でもあれば別だろうがね」
「そうです」
首筋に冷たいものが流れるカンタルであったが、見透かされぬよう平静を保つ。
彼女が、バゲットの最後の欠片を放り投げ、口の中に入れた。
「ふむん。だが、私は戦って勝ちたいのだが」
「無茶すぎません?」
「それでは理不尽を認めてしまうことになる。敵わぬものに諦念で立ち向かうのは賢いのかもしれん。とどのつまり、悪徳貴族は強くて偉いのだから、逆らっても損するだけで意味が無い、と言うのと同じだ」
彼は息を吐いた。
ルフェンに戦いを止めるが全くないことを感じてしまったのだ。
彼女が自分の身を、考慮の外に置いている状況だった。
であるならば、無謀さを説いても仕方がない。
だが、お節介としても、言葉が止まらない。
「いえ、勝てる見込みによるでしょう。せめて意趣返し出来る程度の戦力を整えてから反撃しますよ」
「いいね、その通りだよ」
得意気な顔で、ルフェンが席を立った。
食卓の上に置かれてあった林檎に、掌を触れさせる。
「この世に『楽しい』以上の価値があるものを、私は知らん。才能や天命が、あろうと無かろうとね。まあ、だからな。私は楽しんでいるんだよ?」
彼女が林檎から手を離し、音も無く背を向けて歩いて行った。
カンタルは腕を組んで唸った。
「うーん、これはどうしたものか……」
ルフェンの言葉を整理してみると、才能無くても楽しければいいんだよ、と受け取れるだろう。
『緋毒』に挑むことが悲惨なことなどでは無く、楽しみであるのだから気にしないでも良い、と言われたようなものだ。
ただ、やはり、カンタルとしての言い分もある。
「だからって、命のやり取りは駄目だと思うんだよなぁ……お?」
彼の心の奥底で、深く静かに身じろぎするものがあった。
気の所為とも思えた『それ』は、すぐに消えてしまう。
そして、食卓の上にあった林檎が、ぷるりと震える。
直後、林檎の赤い皮だけを残して、底面から潰れた中身が漏れ出していくのだった。




