第25話
重苦しい空気が立ち込めていた。
陽光に照らされて光る埃の欠片すら、静かに深く沈み込む。
ケストネの町から一番近くにある教会の貴賓室で、錚々たる面々が押し黙っていた。
重厚なテーブルの上には、冷めてしまった茶器が、ただ鎮座している。
鉛のような沈黙を破ったのは、教会を代表して派遣されたセルディだった。
「事の重大さを、皆様はお判りでしょうか」
冷たく鋭い糾弾の声だった。
誰もが責められているような言葉だが、彼女にその意思は無い。
責めてどうにかなるならば、誰であれ責め尽くして責任を取らせただろう。
それが、継承権第一位の王子であろうと。
暁光の傭兵団を率いる、団長であろうと。
隠れ里から産み落とされた戦士であろうと。
それほどまでに、事態は悪化していた。
相手は、災厄と同等の忌まわしい『何か』だ。
セルディが言う。
「『緋毒』が現れて、ガーオレン王国と協力状態であるという事実が、何をもたらすかなど、考えるだけで頭が痛いものです」
スキル名と同じ通称で呼ばれる女。
それこそが『緋毒』。
一説では、とある国の国民すべてを毒で殺害せしめた、途方も無い天命の持ち主だった。
毒に侵された国民が、喀血した血で手を赤く染め、救いを求めて手を天に伸ばした状態で絶命していたと言われている。
赤く濡れた手が無数に敷き詰められた光景は、死臭の舞う緋色の華が狂い咲いているようだった。
それ故に『緋毒』。
許しを乞うても避けられないのであれば、災害と同じだ。
運が無かったと天を仰ぐしか出来ない。
しかし、隣国と与するというのなら、話は変わってくる。
それは兵器と同じだろう。
黙って毒で殺されるわけにはいかない。
何も手を打たず、のうのうと怯えているだけでは、上に立つ者の意味が無い。
クラウス王子が、小さく息を吐いた。
「さて、詳しいことが聞きたいものだね、コウエン君」
「発言の許可を得たと考えてもよろしいのですか、殿下」
団長が、物怖じせずに応える。
クラウスが何も言わず、仕方なさげに息を吐いた。
食えない男の代表格の一人が、薄笑いを浮かべて言う。
「我ら暁光の傭兵団に、『緋毒』と敵対するつもりはありませんでした」
「あー、言っておくが、傭兵の君たちに責任を取らせるつもりは無いよ」
「では、生贄が他にあるのですか?」
コウエンが、見え透いた心配げな表情で反応する。
『緋毒』が現れた件について、暁光の傭兵団が責任を負わされる可能性は高かった。
彼らが呼び寄せた訳では無いにせよ、原因として考えられて当然だ。
謝罪代わりに、傭兵団全員の首がガーオレン王国へ届けられることもあり得る。
団長として、それだけは避けたい筋書であった。
クラウスの居るフォルデノン王国としては、傭兵団の首一つで『緋毒』と敵対しなくて良いのであれば、喜んで差し出す部類の生贄だった。
しかし、クラウスが馬鹿にした顔で言う。
「白々しい真似は好かないね。どう生贄を用意したところで、時間稼ぎだ。隣国に『緋毒』がいるとなれば、大抵の要求は呑まねばなるまい。傭兵団一つで納得するものかよ」
最早、傭兵団だけで済む話では無く、国家規模の話であった。
真偽をいかにするにせよ、『緋毒』の攻撃が国家を滅ぼすものであると、一般的に認知されている。
ガーオレン王国がどう動くか、要求を受け取った訳では無いので、未だ見えてこない。
フォルデノン王国の身内さえ、どう動くか分からないのだ。
先走って傭兵団を殺すことも、間違った選択肢となるかもしれない。
クラウスが、挑戦的な笑みを見せる。
「まあ、しかしだね。その気があるなら、我らが騎士たちの前で肉壁にでも成りたまえ。その方が余程、役に立つ」
「ご配慮、感謝いたします」
コウエンが頭を下げた。
今は殺さない、という確約さえ手に入れれば、団長としてはそれ以外どうでも良かった。
王子の物騒な物言いさえ、『危険になったら逃げれば?』程度の意訳として受け取っている。
だからこそ、コウエンが切り札を見せた。
「ところで、殿下。これまでの事は事前にお伝えした通りですが、一つ言い忘れていたことがございます」
「こいつは不敬だな。良い話で無ければ、許さないぞ」
クラウスが笑顔になるが、眼は笑っていない。
王族の発言で許さないとなれば、一族皆殺しまで考慮される。
コウエンが涼しい顔で言う。
「はい。実はリョカが毒の回復のために使った液体が、まだ残っております」
セルディの腰が浮いた。
それをクラウスが手で制する。
「ほう。それは、『緋毒』であるエリンという女が、『呪いの暗黒姫』を行動不能にした毒を無効化した――――カンタルの母乳か」
「そうなりますね」
「……まったく、こうなるとわかっていれば、手段など選ばず彼を引き入れていたのだが」
クラウスの視線が、セルディに突き刺さった。
彼女が軽く両手を上げる。
「彼が王子を選ばなかった――――それが答えでは?」
「そうだな。次は国が傾く程度には引き留め工作をしてみよう。我が最愛の妹を、嫁に出す覚悟まで決めておくことにする」
「それ、厄介払いよね。碌な兄弟がいないんだから」
セルディが眼を細めた。
クラウスが咳払いをする。
「失礼な。国として考えるのであれば、どこの馬の骨とも分からない異邦人を王族として迎えるのだよ? それなりの贅沢はさせてあげられるさ。それに、婚姻したとて一緒に居られるほど、我が妹は大人しくない。カンタルが愛人を作っても許す度量はあるつもりだ」
「王族って、人としてどうかしてるわよね」
セルディが呆れて、手元のティーカップを持ち上げた。
クラウスの表情に変化は無かった。
「人ではあるつもりだが? どうかしているのは王族という役割の方だ」
「それを実行できる時点で、普通の人と器が違うと言ったのよ」
「君から言われると、鳥肌が立つので止めて欲しい」
「あの、殿下?」
コウエンが苦笑いで声を出した。
クラウスが片目を閉じる。
「そうだね。君の話はわかっている。『緋毒』に対抗しうる解毒剤を、リョカの影に隠しているのだろう? だから、彼女を使って『緋毒』の暗殺と、カンタル君の奪還をさせたい訳だ。……いや、ガーオレン王国のファルマ伯爵を殺害するから、その免赦が欲しい、といったところか」
うわ怖っ、陰湿、と呟くセルディだった。
コウエンも眼に光が灯る。
「よくご存じですね。では、僕の悲願もご存じですね?」
「ああ、優秀な部下が、命令もしていないのに調べてくるのさ」
クラウスの背後に控えているメイドが、一度だけ咳払いをした。
くくく、と王子が笑う。
「さて、彼女は優秀と言ったことに怒ったのかな? それとも、命令もしていないのに、と言ったことに怒ったのだろうか」
「いや、面倒なんで止めて貰っていい? それよりカンタルくんの話がしたいんですけどぉ」
セルディが素面で言う。
公式な場であれば、不敬罪で処刑されかねない暴言であるし、クラウス直属のメイドたちの殺気も漏れ出してきていた。
クラウスも、薄笑いをしていた。
「それだ。カンタル君には、我が妹と結婚して貰う」
「何言っちゃってんの、ついに頭がパーになったの?」
セルディがそう言ったところで、メイドたちが一歩前に出た。
すると、部屋の暗がりから、一人の神父が姿を現す。
メイドと神父の壮絶な対立を余所に、クラウスが両手を広げて言った。
「いや、ガーオレン王国が何か言ってくる前に、先制攻撃だ。我が妹とカンタル君との婚約発表をしてから、花婿が攫われたことにしよう。彼をこっちに引き込む材料になるし」
「ちょっと」
そこでリョカが、椅子から腰を上げた。
クラウスの広げられていた手が合わさる。
「そちらも考慮しよう。彼がフォルデノン王国を選ばない限り、無理強いはしない。彼が好きにすることを止めないと約束する。これを断ると言うのであれば、今後一切、君には何も協力しない」
「…………わかった」
リョカが一瞬、コウエンを意識してから椅子に座り込んだ。
権力で無理矢理認めさせられた格好だが、彼女に従う以外の選択肢は無い。
権力とは、そういうものだからだ。
最悪の場合は、権力の及ばぬところまで逃げなければならない。
セルディが挙手する。
「はーい、はい」
「何だね」
クラウスが面倒そうに反応した。
彼女が満面の笑みを浮かべる。
「私、カンタルくんと結婚します」
「アホかね。いや、アホだな君。纏まった話をひっくり返さないでくれ」
「『教会』の娘の花婿を奪還する筋書でもいいんじゃない?」
「カンタル君を取り戻す前から、取り分の話かね?」
「黙って見てるわけないでしょうが。私が先に見つけたのよ?」
「一番は私だ」
リョカも参戦する。
黙っていられないのは、誰もが同じだ。
喧々囂々と言い合いが加速し、部屋中に声が響き渡る。
コウエンがテーブルに肘を突き、頬杖しながら呟く。
「彼も大変だね」
その呟きが、喧騒の中に届くことは無いのだった。
いつも御拝読ありがとうございます。
何とか3日更新を続けてきたのですが、諸事情で更新が伸びそうです。
読んでくださる方には申し訳ありませんが、すこし気長にお待ちください。
すいません。




