第24話
辛うじて平面を保っていた粗末なテーブルでも、テーブルクロスを掛ければ気にならない。
テーブルの中心には燭台が置かれ、蝋燭の灯りが揺れていた。
バスケットに入ったパンは焼きたてで、表面を指で押せば、小気味よい音を立てて割れていく。
乾燥パセリの散らされた羊肉のスープに、沢山の野菜が入っていた。
特に祈ることもせず、エオルや傭兵たちが勢いよく食べ物を口の中へ放り込んでいった。
男たちはエールが無いことを悔しがっていたが、その分を食事量で取り返す勢いである。
意外にも、リョカが行儀よく食事していた。
時折、アサが視線を泳がせるのは、シノが気になっていたのかもしれない。
「ふぅ」
カンタルは、スープを口に含んで、その旨味に驚いた。
羊肉のクセが感じられない。
彼の目が、給仕をしてくれているエリンを捕える。
「美味しいですね、これ」
「郷土料理なのよ。あまり臭いがしないでしょう。新鮮だからね」
「新鮮……」
彼は、護身術を教わっていた時に聞いた、羊の鳴き声を思い出していた。
断末魔というものに未だ慣れていないので、少々複雑な気持ちだった。
しかし、旨味は大抵の事を忘れさせてくれる。
パンに塗ったバターが甘い。
ナイフで塗り付けられたバターが、湯気の立つパンと絡み合って溶け流れ、黄金の川を想起させる。
あえて言おう、出来立ては美味い。
噛めばほぐれる羊肉と、ホクホクしたジャガイモで何杯でもスープが飲めそうだった。
エリンが微笑む。
「いいわね。自分の出した食事がこんなに喜ばれるのは光栄だわ」
「いやぁ、美味いです。これなら、何処へ行ってもやっていけますね」
「ふふ、そんなことは無いわ。駄目なときは駄目だもの。ほら、あの子を見て?」
彼女が示した方向には、食事に手を付けていないアサがいた。
食べて良いのか迷っている様子に見えたが、それにしては焦っている。
カンタルは、アサに声をかけようとして、肩を掴まれた。
エリンが言う。
「大丈夫よ。料理にだけ、毒は入れていないから」
その言葉を聞いたリョカが、テーブルを蹴り飛ばして後ろに飛んだ。
鍋や皿がひっくり返り、巻き込まれたエオルたちが地面に倒れる。
椅子に座ったカンタルと、その彼の肩に手を置いて立つエリンが取り残される形となった。
リョカが影から、異形の剣を抜き放った。
エリンの小さい笑い声が響く。
「ふふふ、今更遅いわ。けれど、心配しなくていいのよ。あなた達を毒殺するつもりなら、とうの昔に暁光の傭兵団ごと殺せてたもの」
「毒如きで――――」
リョカの眼が細められた。
地面に屈んで、影の中に手を入れる。
エリンが、それを上から見つめていた。
「無駄よ。暗黒スキルで吸収してから、毒だけ取り出そうとしているようだけどね。私言ったわよね。料理に毒は入れていない、って。どれだけ毒を取り除いても、延々と流し込まれる毒の方が早いわ」
「ぐっ」
リョカが膝を着き、剣から手を離してうつ伏せに倒れてしまった。
エオルも、起き上がって来る様子は無い。
カンタルの肩に置かれた手が、僅かに強く握られる。
「ところで、どうしてカンタルは倒れないの?」
「ど、どうしてでしょうねぇ」
彼にも分からないことぐらいある、というか、分からないことだらけだった。
可能性としては、いつのまにかオカンスキルで解毒していることくらいだ。
いつもの天啓が聞こえないので、確証は持てていない。
「予定外、ね。本来ならリョカだけ連れて帰るつもりだったんだけど……」
エリンが人の好い表情を消し、妖艶に口を尖らせる。
甘い吐息と、触れられる指。
カンタルは、それをくすぐったく感じて払いのけた。
「ちょ、あはは、止めて下さいよ」
「…………あなた、おかしいわ」
「え?」
彼の顔は、エリンの両手に挟まれて寄せられてしまった。
眼の奥を覗き込まれながら、彼女に語り掛けられる。
「本当なら、全身の穴という穴から血を噴き出して絶命しているはずなんだけど」
「恐ろしいっすね」
「そうね」
不意に視線を外したエリンが、地面に倒れていた椅子を掴んだ。
カンタルの正面に椅子を置いて、彼女が座って足を組む。
「お話しましょう? あなたのスキルは、オカンスキルで良かったかしら」
「そうですけど、リョカたちは大丈夫なんですか?」
「ええ、今のうちは平気よ」
エリンが部屋中を見回した。
小首を傾げて言う。
「村人たちも、同じ状況になっていると思うわ。ついでに白状すると、この村が避難する切欠となった疫病も、私の仕業よ?」
一緒に働いていたときの彼女と、同じ笑顔だった。
これが本心からのものでないとすると、女性不信に陥る気分のカンタルだ。
彼は視線を巡らせ、大きく息をする。
「ふぅ」
状況は、すこぶる悪い。
今のところ毒攻撃が効いていないだけで、相手は殺しにかかってきている。
味方は毒にやられ、警察も上司もいないので、事態を放り投げることも出来ない。
それでも探して出てくる唯一の利点は、命を懸けている限りカンタルの決定が全てだということだ。
最悪の失敗は、全員がお陀仏すること。
それ以上の結果を、一つ一つ勝ち取っていかねばならない。
カンタルは足を組もうとして失敗し、笑って誤魔化した。
「エリンさん――――」
「ちょっと待って。次の質問は私よ」
「あ、はい」
彼は頷いた。
この会話って順番だったのか、と変な納得をする。
エリンが腕組みをして言う。
「私は、リョカとあなた、どちらを攫うべきだと思う?」
「どっちも攫わないんですか?」
「暗黒スキルとオカンスキル――――この二つを同時に拘束したくないわ。出来なくはないけど、そこまでリスクを負いたくないもの」
「どっちも攫わないというのは?」
「無いわね。儲けが無いじゃないの。そもそも、私は『隠れ里』と戦う気なんて一つも無かったのに、相手をさせられたのよ? 働き過ぎだわ」
一人で隠れ里を撃退したのか、とカンタルは眼を剥いた。
団長から話を聞いた限り、並みの傭兵団では歯が立たないほどの勢力だろう。
単純な比較にはならないが、エリン一人で武装勢力の一つと渡り合える実力があるというわけだ。
そして、アサを残して隠れ里が消えていた理由も判明した。
退却したのだ。
この目の前にいる一人の女性を恐れて。
エリンが薄目になって言う。
「だからね。ファルマ伯爵から依頼された、リョカを攫ってくる依頼を果たすかどうか迷っているのよ」
「は、はあ」
カンタルが困惑した顔をする。
彼女が眉を上げた。
「知らないの? シャルネ・エルトベルトが命を落とした原因――――コウエン・ディオルを裏切って、ガーオレン王国の貴族になった男よ」
「なるほど」
今更のように頷くカンタルであった。
事の発端は、ファルマ伯爵がエリンにリョカの誘拐を依頼したことだったのだ。
その所為でエリンが、毒の効かないカンタルと出会ってしまったのだろう。
彼は再び、頷く。
「攫うなら、俺が良いと思いますよ。ファルマ伯爵には意趣返しになりますし、毒が効かない俺を手元に置いておく方が、都合がいいでしょう」
「そう? あなたにとっては敵地よ。拷問も処刑も、受け入れる覚悟があるということなのね」
エリンの酷薄な微笑が浮かぶ。
それが本質で無いと、カンタルは確証があった。
「毒の効かない理由も知らずに、簡単に俺を殺すとは思えませんね。それに、俺を味方に引き入れた方が、得だと思いますよ」
「それは私が決めることではないの?」
「そうですよ。決して、ファルマ伯爵が決める事じゃない」
「……ええ、そうね。誰が偉いかくらいは、わかっているのね」
エリンが、すっと気配を柔らかいものにした。
椅子から立ち上がって、テーブルクロスを持ち上げて見せる。
その下から、異形の剣を胸に抱いたアサが姿を現した。
「敵?」
見つかって動きが固まり、震え始め、視線だけでカンタルに助けを求めてくる。
「あら、この子、壊れたままなのね。毒だけ治すなんて、器用なことをするわね」
「ええ、まあ」
カンタルは、肩を落とした。
彼はアサに、治療として母乳を飲ませていた。
恐らく毒が効いていないのではないかと、予想はしていた。
いざとなれば声を掛けて最後の抵抗をしようと考えていたのだが、あっさりと見つかってしまった。
エリンがテーブルクロスを放り投げる。
「殺し合いにならなくて、良かったわね」
白い布が落ちた、その向こう側――――村長の家の扉が、ゆっくりと開く。
そこから、涎を垂らした村人たちが、先の鋭い農具を持って入って来た。
洗脳、毒、操る、といった言葉がカンタルの頭に巡っていく。
単純な武力衝突でも、エリンの方が勝っていた、ということだ。
カンタルは、ポケットに手を入れた。
「どうします?」
「そうね。あなたと、そこの少女はついてきて。後は見逃してあげる」
「……ありがとうございます」
「いいのよ、私とカンタルさんの仲だもの」
厨房にいたときの、エリンの顔だった。
彼女が背を向けて、村長の家から出て行った。
最後のお別れをしてもいい、ということなのだろう。
好意は素直に受け取っておくことにする。
カンタルは、倒れているリョカの隣に近づいた。
「ごめんね、リョカ。シノ。俺じゃあ、どうにもならなかったよ。でもまあ、生きてる。最悪じゃあないさ」
さよなら。
彼はそう呟いて、ポケットの中に入っていた瓶を、リョカの影に置いた。
立ち上がって、アサを見る。
「敵ぃぃぃっ」
私も行かなきゃならんですか、と情けない表情をして口を曲げている。
これにはカンタルも、苦笑いを浮かべるしかない。
「悪いね。今日のところは完敗だ。アサも付き合ってよ」
「敵ぃい?」
伏せた横目で見つめてくるあたり、何かおねだりをしている様子だった。
彼も、ご褒美も無しに彼女を付き合わせることに抵抗はある。
「何が欲しい?」
「敵ぅいっ!」
眼を輝かせるアサを連れて、村長の家から出た。
松明を掲げ、村人が道を作っていた。
その先に、四頭の馬がつなげられた豪華な装飾のされた馬車が鎮座している。
まるで貴族の小部屋に無理やり車輪を取り付けたような格好だった。
その儀装馬車から、エリンが手を振っている。
カンタルとアサは、土を踏みしめながら、向かっていくのだった。




