第21話
遠方からでも見えていた山々が、徐々に近づいてきた。
背の低い草が風で波打ち、生き物のように逃げていく。
団長から貰った地図には、山の麓にある森へ印が付けらえていた。
周囲に身を隠せる木々は無く、迂回しようも無い。
その只中に、ぽつりと人影があった。
先頭に居るエオルが呟く。
「気付かれてるし、絶対罠だろ」
彼がそう断言できる程度には、人影は異質だった。
遠目で判別は出来ないが、こちらを見ているだろう不快感がある。
そして、人影が迷いなくこちらへ動き出した。
歩き出したものが、早足になり、頭を下げて疾走が始まる。
エオルが旅装を脱ぎ捨てた。
腰から剣を抜き、振り向かずに言う。
「カンタルは下がれ! 野郎ども、やるぞ」
警戒していた二人の傭兵が、口を開かずに剣を抜く。
彼らの背後から圧力を感じたカンタルは、逡巡した後で距離を取った。
喉を鳴らしながら迫る人影を見つめる。
長い白髪の少女が、リョカと同じ剣を担いで迫って来た。
「これは、当たりかなぁ」
カンタルの背後で、底冷えのする声が響いた。
親しみなど剥ぎ取った、悪意の滲む態度だった。
彼と初めて出会った時を彷彿とさせる笑いをしたリョカが、ふわりと飛び出した。
矢の如く飛び込んで来た白髪の少女が、剣を振う。
「敵敵敵いいぃぃぃっ!」
血飛沫が舞った。
カンタルの護衛をしていた傭兵の二人が、受け身も取らずに頭から崩れ落ちた。
それでも尚、勢いは止まらない。
「うふふふふっ、馬鹿な子ね」
異形の剣同士が、無遠慮に激突する。
衝撃が破裂し、二つの影が後退した。
対抗する二人が離れたところで、間髪を入れずエオルの剣戟が飛ぶ。
異形の剣と彼の長剣が絡んだ。
「ふっ」
エオルが体格差を利用して長剣で鍔迫り合いを制し、空いた左手でもう一振りの剣を抜く。
長剣の二刀流だった。
一方、離れたはずのリョカが、地面に降り立つ――――勢いをそのままに『影』へ沈んだ。
そして、白髪の少女の背後にある『影』から飛び出す。
「――――影渡り」
振り上げられた異形の剣が、必殺の間合いで放たれる。
白髪の少女が、口元を吊り上げた。
「敵ぃ」
後ろを振り向きもせず、異形の剣で正確にリョカの攻撃を防いだ。
彼女の正面から迫るエオルの剣は、白髪の少女に触れる寸前に素手で掴み取る。
「敵ぃいい?」
こんなもので私が殺せるのか、と嘲笑う様子で、白髪の少女が掴んだ剣を払った。
エオルも後ろに距離を取る。
「こんな人間離れした手合いなんぞ、まともに相手したくねぇ」
「そんなに強いんですか」
カンタルは腕組みをして言う。
幾多の戦闘や戦場を漫画やアニメで学習してきた彼だが、本物の剣戟は地味だった。
そして、何をやっているか見えない。
剣技も戦技も理解出来ないはずなのに、あ、こりゃ無理だわ、と納得させられた。
故に、諦めた。
蛇に飲み込まれる蛙の気分なので、逃げられもせずに立っている。
エオルが渋面になった。
「強ぇは強ぇが、仮に勝てたとして、あいつが金を持ってそうに見えるか?」
「確かに。お金どころか生活費もなさそうですね、あの子」
傭兵にとって、戦いとは商売だ。
苦労して勝ったとして、ボーナスも貰えない戦闘で、しかも偵察の途中で命を落とすわけにもいかない。
いつの間にか、影を渡ってカンタルの隣に戻って来たリョカが言う。
「命が惜しくないの?」
「そこが辛いとこなんだよなぁ、リョカちゃん。どうしよう」
「どうしようも無いかな。『導化兵』だから――――隠れ里のためなら地の果てまで追いかけてくるはずなんだけど」
リョカが首を横に振る。
「隠れ里の気配が無いかな。捨て石にされたか、はぐれたか、だと思う」
「つまり?」
カンタルは問うた。
殺意の込められた両眼を揺らす白髪の少女が、今にも襲い掛かってきそうで怖い。
リョカが肩を竦める。
「放っておくのが一番、かな。これが居るなら、確かに隠れ里はあったんだろうけど、移動した後ね。偵察の仕事としてはこれでおしまいだし、こんなの相手に怪我をしたくないかな」
「それなら、逃げるか」
エオルが懐から、尖った鉄片を取り出した。
それを白髪の少女に投げつけるか、地面にばらまいて撒き菱として使うのだろう。
カンタルは腕を組んで、立っているだけだった。
はぐれてしまった、白髪の少女。
何か可哀そうだな、と思ったその時だった。
――――オカンスキル、発動します。
カンタルは、静かに頷いた。
なるほど、敵味方関係無しかい、と心の中で呟く。
「敵ぃ!」
白髪の少女が驚いて、後ろに飛んだ。
明らかにカンタルを警戒している表情だ。
怯えているようにも見える。
それが確かなら、ついに超絶スキルで敵を圧倒する展開があっても不思議では無い。
「うーん、試してみるか」
カンタルが右手を上げる。
「敵っ!」
白髪の少女が、背筋を震わせて後ずさった。
これはひょっとして、ひょっとするかもしれない、と疑問が確信に変わる。
カンタルは調子に乗って、左手を上げた。
姿勢としては、万歳した格好だ。
そして、胸が震えた。
「…………え?」
比喩的に、何かに感動したわけでは無い。
カンタルは視線を下げた。
そこでは、物理的に、二つの豊かな胸が、プルンとしていた。
「お、お、おう」
事実を認めるのが怖い。
助けを求めて横を向くと、驚愕した顔のエオルがいた。
「いや、おい待て、理解が追い付かねぇ……こっち向かないでくれ」
傭兵団のエースが、本気で怖がっていた。
その反応だけで、カンタルの心情は乱れて叫んでしまう。
「何故だっ! この試練はちょっと耐えきれないでしょうが! そんなに俺のメンタルがぶっ壊れるのが見たいのか!」
空に向かって放たれる、哀惜の咆哮だった。
しかし、カンタルの声が虚空に吸い込まれるだけで、何も変わらなかった。
その代わりに、頬を染めるリーナの顔が思い出された。
彼は頭を振って、その光景を消し去った。
心の整理が出来なくなっている。
もう他に、頼れる者など一人しかいなかった。
「リョカ?」
カンタルは振り向こうとして、身体をぶつけた。
背中に手を回されて、胸に顔を埋められている。
「ははんさまー」
「おい。シノか? くすぐったいから、やめようか。ね?」
「えー、おねがいです、ははさま」
何よりもこの幸せを手放したくないと、シノが哀願する。
苦笑いを浮かべながら、カンタルは考える。
俺にとっての幸せって何だろうか、と。
果たして今までの人生で、幸せを得るために、誰かの胸に顔を埋めるなどと言う経験はあったのだろうか、と自問した。
答えは、否だ。
即答できた。
そういう悲しき存在だったことを、不意に思い出した。
「あー……、うん。いや。本当にそうか?」
確かに、世間一般論でいえば悲しいのだろうが、真の意味で悲しければ行動していたはずである。
だから、経験したことが無いので分からない、というのが正しい気持ちだったかもしれない。
そりゃ幸せって良いものなんだろうさ、とお金持ちを羨む気分と変わりないだろう。
だって、経験が無いんだから。
それが今はどうしたことだ。
与えられたことは無いが、与えることは出来る。
「なんだそりゃ」
悲しさの分からない欠陥品が、何様のつもりだ。
ちょっと、二つの膨らみと共に、人生がどうでもよく成りかけたときだった。
シノの雰囲気が変わる。
カンタルを両手で押して胸から離れ、不敵に笑った。
『さて、初めましてかな。宿主様よ』
「だ、誰さん?」
彼がリョカの多重人格説を疑い出したところで、シノが目を細める。
『そうさな、我は哀れなこの星の――――精霊のようなものよ。今はこの娘のスキルを借りて、顕現しておる。今も宿主様に寄生しとる身だがな』
「何それ怖い」
寄生と言われて、心が落ち着くものがどれだけ存在するだろうか。
シノが鼻で笑った。
『時間が無いので直截に言え。何が欲しい。言祝いでやろう』
「え、何かくれるんですか。そんなにお金とか持ってませんけど」
『代償は必要ない。宿主様に死なれては困るから、無理をして出てきておるのだ。早う言え』
シノの眼が、真剣そのものに見えた。
無理をしているというもの、本当だろうと思える。
だとすれば問題は、何を願うか、ということだ。
使いきれないお金も、彼女も、不老不死の肉体も、選べるものなら選びたいのが、俗にまみれたカンタルの本音だった。
血の涙を流し、喉から手が出るほど、欲しい。
「ぐぎぎぎぎっ」
現実世界を追い出された俺がチート武器を手に入れて悪役令嬢のハートも手に入れてハーレムを作ってキャッキャウフフのスローライフ生活。
そういう物語の主人公に、俺は成りたい。
慎重に選ばなければならなかった。
何も持たず転生して、変な使命まで背負わされた男の、最後の御褒美かもしれないのだから。
「か、彼女を」
選択肢を選んだ。
世界の半分を選ぶのと、同等の決意を示した。
カンタルは人差し指を、怯える白髪の少女へ向ける。
とても納得などしていない顔で、とても善人には見えない俗物の表情で、言う。
「助けてやってください」
『…………良いのか。力も、酒も、金も、女も欲しいのではないか? 言っておくが、宿主様の強く溢れ出した感情くらい、読み取っておるぞ。そんなだから、仕事を押し付けられ、苦労をする羽目になったのではないか。それにあの小娘を救ったところで、嫁にはなって貰えんぞ。多分』
「いえ、余計なこと言わなくていいんですよ。俺の本音を言葉にして聞きたくなかったです」
実際に口にされると、俗物感が増して聞こえた。
彼は心に決めている。
ここから生きて帰ったらハレナ商会で、価格のお高い酒を、絶対に買ってやるのだ、と。
――――オカンスキルがレベルアップしました。
――――母の得意料理。母の手習い。母の小さな親切。が解放されました。
ちょっと最後のどうなんだよ、とカンタルは苦い顔をした。
大きなお世話と言いたいのか。
シノの表情が、緩まる。
『あははは、これは面白きことよ。確かに宿主様の器は小さいかもしれんが、底が抜けておれば器の大小など関係が無いものな。馬鹿な子よ』
「え、ここにきて悪口?」
カンタルは、さらに落ち込む。
彼女の眉が、悪戯っぽく上げられたのだった。
『馬鹿な子ほど可愛いものぞ。それでこそ、無理をして出て来た甲斐があったというものよ』




