第15話
「なあ、これ何だ?」
食堂の入り口の前で、エオルが口を曲げていた。
彼が見つめているのは、看板に書かれた文字だった。
そこに通りかかったカンタルは、笑って見せる。
「目玉焼きですよ。生みたて作り立てです」
「何で金を取るんだよ」
エオルの言う通り、暁光の傭兵団では食堂で食べるものは、基本的に給与から天引きという形をとっている。
それ以上に食べたり飲んだりしたければ、町へ行って金を払うのが普通だ。
「糧食班でお金を出し合って、鶏を飼い始めたんですよ。やっぱり出来立てを食べてもらいたくてね。玉子焼きも美味しいですよ」
「はぁ、そんなにきついのか」
口を曲げたままのエオルだったが、糧食班の人員不足は知っているらしい。
この別メニュー作成について、輜重長のタルマルには既に許可を貰っている。
名目上は、傭兵の福利厚生の一環となっており、本当は応援の人員を雇うための資金作りだ。
エオルが目を細め、看板に書かれたメニューを見た。
「うえ、玉子焼き? が銅貨二枚もすんのか」
「持ち帰りにも出来ますよ。当日に食べきってくださいね」
「食ったことが無いもん何て買えるかよ」
「お酒のつまみになりますけど」
カンタルは微笑みを崩さなかった。
鶏ガラでじっくりと煮だした汁に、濃い目の味付けをした出汁巻き玉子である。
柔らかでしっとりした触感と、食欲をそそる鶏の香ばしい香りが鼻を抜ける一品だ。
和風出汁が手に入らないので西洋出汁のフォンを使ったが、これはこれで違った味わいがある。
それに何といっても、鶏ガラは手に入りやすいし、相性も良い。
「あと言っておきますが、一日限定の十食限りです」
「はあ?」
エオルが目を白黒させていた。
たくさん売ればたくさん儲かるじゃないか、というのは一般論だ。
鶏ガラのために、毎日鶏ばかり絞められるはずもない。
卵も生んで貰わなければならないのだ。
それに、希少価値は購入意欲を煽る。
多用できないし諸刃の剣だが、今はそれで良いとするべきだ。
「かあー、まあ、いいか。持ち帰り出来るんだなぁ? 半分は持ち帰りだ。土産にする」
「毎度あり」
カンタルは厨房に入り、支度を始めた。
専用の器具など無く、フライパンで出汁巻き玉子を作るものだから、カンタルにしか作れないのだった。
竈の直火は強すぎるので、フライパンを上下しながら火力を調節し、時には濡れた布巾でフライパンを冷ます。
出来上がれば適度なサイズに切り分け、半分を包装用の木箱に入れる。
もう半分は、今日の昼食に添えて、エオルのところへ持っていった。
「どうぞ」
「遅かったなぁ。で、これが例のアレかよ。焼き菓子みてぇだな」
初めは難色を示していたエオルも、目の前に出されてみれば、恐れも無く玉子焼きを摘まんで口に放り込んだ。
「ほう? ほうほうほう……ふん。まあ、うん。そうだな。悪くない」
「ありがとうございます」
「お前、料理人だったのか」
「ああ、いえ、郷土料理をアレンジしたものです。家庭料理ですよ」
カンタルは満足して貰ったことに安心し、会釈して厨房に戻った。
売れ行きは、割と順調であった。
その大半は値段の安い目玉焼きであるが、肉体労働が主流の傭兵たちにとって、気分でおかずが一品増えるのが良いらしい。
牛丼に卵をつけられる贅沢を味わいたい、と言うやつだろう。
人員の補充についても、クレリアの紹介で何とかなりそうだった。
これで楽になるぞ、と思っていたら、食堂が僅かにどよめいていた。
カンタルが何事かと思っていると、厨房へリョカが顔を出していた。
「ちょっと」
「?」
手招きをされるが、彼女の意図が分からないので二の足を踏んでしまう。
このまま、また何処かに連れていかれるのでは、という不安もある。
カンタルが居なければ、出汁巻き玉子は作れない。
そうしていると、リョカが無言で腰の剣に手をかけたので、彼は慌てて飛び出した。
「な、なにやってるんですか」
「……アレ、よろしく。持ってきてくれないかな」
不意にリョカから銅貨二枚を渡され、顎で看板を示される。
返事を聞くことも無く、彼女がそのまま去っていった。
「配達はやってないんだけどなぁ」
呟いてはみるものの、逆らうことは出来ないだろう。
剣を抜かれるのは、とても困る。
代金も貰ってしまっている。
「あのー……」
厨房を振り向くと、糧食班の全員が首を横に振っていた。
誰も届けにはいってくれないことが確認出来てしまった。
「ですよねぇ」
愛想笑いを浮かべたカンタルは、玉子焼きを作り、木箱に詰める。
あえて食堂を通らず、厨房の裏口から外に出た。
もう見慣れてしまった丘陵の景色を横目に流し、会議用の陣幕を通り過ぎる。
傭兵たちの生活空間である天幕の中にある、高級士官用天幕の一つが、リョカに与えられた私室だ。
どうして彼がそんな場所を知っているかと聞かれれば、掃除させられるから、と言い返すしかない。
「入りますよー」
カンタルは声を掛けて、入り口の幕から割って入った。
風通し用の小窓が開いて、光が入っているものの、若干は薄暗い。
彼が天幕の中に頭を入れた瞬間、飛びつかれた。
「ははははさまー!」
「誰それ」
腰元に飛びついてきたリョカが、猫のように額をぐりぐりと押し付けてくる。
スキルを使ったっけ、とカンタルが首を傾げるも、彼女の目が木箱に釘付けとなっていた。
「ね、ね、ははさま! それ、それ!」
「はいはい、待って待って」
興奮するリョカの手を外して座らせ、木箱の蓋を外して渡してやる。
彼女が意外にも冷静に、木箱をそっと置き、中の玉子焼きを詰まんで頬張った。
「んふー、おいしい!」
「よかった」
自分の作った食べ物を喜んで貰えるのは、素直に嬉しいものだ。
彼女がひょいひょいと玉子焼きを口に入れ――――途中で手を止めた。
「どうかした?」
「あー、うん。えっとね、これは残しておくの」
「そうなんだ」
「そうだよ、『リョカ』ちゃんにあげるの」
「そっか、偉いねぇ。……ん?」
カンタルは反射的にリョカの頭を撫で、そして動きを止めた。
それじゃあこの子は誰なんだと、疑問が浮き上がる。
「えっと、君は――――」
「何よこの手は」
彼女の目つきが鋭かった。
頭を撫でていた手は乱暴に振り払われ、澄ました顔で睨まれる。
カンタルが何も言えないでいると、彼女が残っていた玉子焼きを食べた。
「……悪くないわね」
「ありがとう」
彼が笑うと、更にリョカが睨んできた。
ただし、口調自体は優しいものだった。
「これ、甘くても良いんじゃない?」
「材料があれば作れますけどね。ここは砂糖が高いんですよ。売り物にはならないですねぇ」
出来れば味醂や鰹節なんかもあれば、和風の懐かしい味が再現可能だった。
商会を呼んで、金に糸目もつけず依頼すれば何とかなるかもしれないが、黄金より価値のある玉子焼きになってしまう。
リョカの視線が上を向く。
「砂糖、かぁ。手に入れば作れるってことね。今度、セルディに会ったら頼んでみるわ」
「どれだけ仕入れるつもりなんですか。……そういやあの人、焼き菓子食べてましたね」
色々な伝手を持ってそうなシスターなので、どうにかして大量の砂糖を手に入れそうな気がする。
妙な依頼をされそうで怖いが、頼むのはリョカなので関係ないとしよう。
「さて」
もうそろそろ、厨房が心配になって来たカンタルだった。
荒くれ者の傭兵が、玉子焼きを求めて無理を言ってきても困る。
「では、帰りますね――――」
天幕から出ると、何やら外が騒がしい。
高級士官用の天幕が慌ただしくなっているということは、事態の急変も考えねばならない。
陣幕に伝令が飛び込み、すぐに警鐘が鳴らされた。
傭兵団の陣地が、蜂の巣を突いたように騒がしくなった。
背後から出て来た黒衣の姫が、カンタルを簡単に小脇へ抱える。
「良いタイミング、ってやつかしら」
「いえ、厨房が心配なのですが」
「食事どころじゃないはずよ。それに、ここで仕留めれば帰還するから、食事の心配はいらないんじゃない?」
そう言ったリョカが、特徴的な口元で笑っていたのだった。