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第11話


 静謐な空気が、その場に舞い降りていた。

 職人の手で丹精込められて描かれた天井画の天使が、聖人の誕生を祝うかのように見守っている。


 華美では無いが、こだわり抜かれた装飾が散りばめられている部屋だった。


「で、何でウチに集まってるわけ?」


 美しい銀髪にベールを被り、セルディが不服そうに言う。


 王国のどの派閥にも属さず、一切中立を保つ存在として『教会』が選ばれたのは必然と言えるが、それがどうして自分のところなのか、という不満だった。


 彼女の正面に座る優男が両手を広げた。


「そう邪険にしないで欲しいね。今年の献金も、済んでいるはずだろう」

「そう言われましてもねぇ、王子様」


 彼女の物怖じしない態度に周囲の者が驚くが、当の本人が気にしていない様子だ。

 王国の第一継承権を持つ男が、乾いた笑いを浮かべた。


「まだむしり取る気か?」

「人聞きが悪いわね。献金は『教会』に対してでしょう? 私個人に『報酬』を出したのは、そこのカンタルくんだけよ。私はカンタルくんの味方をします」

「ああ、それでいい。愚弟が迷惑をかけたからね。悪かったと思ってるよ」

「悪いと思っているなら帰りなさいよ」

「君には悪いと思っていないぞ。私も暇ではないし、愚弟の件が収まれば帰るさ。それでいいかね?」


 二人の視線が注がれた先に、カンタルは居た。

 重鎮が立ち並ぶその中で、まさかの上座に、重厚なクッションで包まれた椅子の上へ鎮座していたのだ。


「あっ……えっと」


 偉い人が勝手に話し合っている分には、聞き流しているだけで良かった。

 しかし、偉い人に許可を求められても、カンタルにはどうしてよいかわからない。


 この封建社会において、適当に断って無礼だと斬り殺されても困るのだ。


 彼の表情を見たセルディが、微笑みを湛えて言う。


「この子はね、あんた誰、って思ってるわよ」

「ふむ。これは失礼した。私はヨーゼフの兄で、クラウスだ。今日は父である国王の名代として、反乱の事後処理に来ているのだ」

「はあ……」


 カンタルの生返事に嫌な顔一つせず、クラウスが優男らしい態度で笑う。


「ま、このようなことで国王が動くわけにはいかんし、身内のやらかしは秘密裏に身内で処理したいのが心情というものだ」

「そうですか」

「つまりは、私は非常に弱い立場でね。希望があれば聞き届けるが?」

「あー……」


 絶対嘘だ、とカンタルは考えていた。

 これは飲み会で偉い人が言う『無礼講』と同じなのだ。


 社会人としての礼節を超えないラインで自分の希望を言い、楽しくなくても楽しい振りをして、最大限の謝意を表明しないといけないイベントである。

 ただ、彼は王子様に願うことなど無かった。


「俺は特にありませんが……」


 クラウスの視線を受け流すために、彼は横を向いた。


 其処には、不動の体勢で屹立しているレオンがいる。

 彼女が冷や汗を流しながら、小声で喋る。


「わ、私に振らないでください……」


 二人のやり取りを、微笑ましいものでも見るようにして、王子が言う。


「いや、しかしながら、君も怪我が治って何よりだったね」

「はっ! 殿下。ありがとうございます!」


 ピシリと音が聞こえそうな勢いで、彼女の背筋が伸びる。

 それを見たクラウスが、眼を細めた。


「うん、君の父親は覚えているよ。惜しいことをした。これも私が愚弟を抑えられなかったためだ」

「いえ、そのような――――」

「それはそれとして、君、女の子だったんだね」

「――――あ」


 レオンの顔から、表情が抜け落ちた。

 王家を騙していたとなれば、罪は免れない。


 それも直系の王子が直接問いただしたのであれば、これ以上の偽証を続けることなど不可能だ。


「は、はい。私は、リーナ・アルトスと申します」

「そうか。ならば、アルトス家の嫡子には消えて貰おう。王家に対する偽証は、まかりならん」


 王子の言葉に、カンタルは腰を浮かせた。

 いつでも彼女を掴んで逃げ出せるようにするつもりだった。


 しかし、クラウスが噴き出して笑う。


「ぶはっ! わはははは、いや、悪い。君の勇気を笑ったつもりではない。許せ。それと、教皇猊下の娘殿。ティーカップは投げて使うものでは無いからテーブルに置きたまえ」

「ちっ」


 言われた通りにティーカップを置き、セルディがソファにどっかりと座り込む。


 王子が柔和な笑みを浮かべ、手を振った。

 すると、部屋の隅に立っていたメイドが一歩身を引く。


「私もこういう身の上でね。本当は冗談ばかりを言って過ごしたいのだが、私の冗談で行方不明者が出ることもあるのだよ。迂闊なことは言えんな。あっはっは。まあ悪いようにはせんよ。座りたまえ」

「は、はあ」


 カンタルは言われた通りに座った。

 それに王子がウィンクを返す。


「素直だね、君は」

「そうですか、すいません」


 自分よりもかなり年若い王子に評価され、複雑な気分だった。

 とはいえ、相手は幼少期から帝王学を履修し、王になるべくして育てられたエリート中のエリートである。


 貫禄も態度も堂に入ったものがあり、王の威厳が垣間見える。

 そんな人間に頭を下げることなど、社会人経験豊富なカンタルにとっては何の痛痒も感じられない。

 ただ、王子の方は何が面白いのか、笑顔が続いていた。


「謝ることは無い。さっきの謝意とは別にして、私は君と仲良くしたいだけだ。私と友になってくれ」

「友、ですか」


 年下から友達になって欲しいと頼まれたことは、生れてはじめてのカンタルだった。

 そこへセルディが飛び込んでくる。


「ちょっとぉ? 横入りするの止めてくださいますぅ? 王子はとっとと、そこのアホぼん連れて帰って貰えませんこと?」

「いやまあ、確かに愚弟は連れて帰るけれどね。しかしだね、リーナくんのことは、ここで何とかした方が良いだろう」

「あ、ずるっ。この王子、部下の女を使って篭絡する気ね!」

「わはは、私は王子であるぞ。有能な者がいれば、何を使っても招き入れるさ! 手段を選ぶのは、勝利が確定しているときだけだ!」


 王子が高らかに笑い、その表情がカンタルに向けられる。


「どうだね。王族というのも、意外と詰まらんだろう」

「大変そうですね」


 王侯貴族という特権階級にも、それなりの苦労というものがあるだろう。

 そう考えたカンタルの思いとは裏腹に、王子が苦笑いを浮かべる。


「いや、大変かどうかと言われると、それがそうでもない。詰まらないことを楽しむ才能が、私にあっただけかもしれないが」


 鼻歌でも歌いそうな態度で、王子が懐から勲章を取り出した。

 それを『リーナ』に放り投げる。


 彼女が慌てて勲章を受け取った。


「これ、は?」

「私の直系の諸侯に渡している勲章だな。近習衆になれるとまでは言わんが、近衛と呼ばれることはある」

「それほどの勲章、なのですね」


 まるで重さが増えた気がするリーナであったが、王子の表情が変わることは無かった。


「勲章など金属の塊に過ぎん。大切なのは、その勲章を持つことの価値だ」

「はっ! 肝に銘じます」


 王子が小さく頷き、背をソファにもたれさせた。


「レオンという戸籍には、没して貰うより他ない。要するに、偽証でなければよいのだ」

「――――はい」

「だからリーナ君は、私の指示で近衛に抜擢されていたと言えば、多少の無理は通るはずだ。御家の大事に出戻ったとて、文句は出ん。この国で正式な女性の領主は初めてのことだが、これでアルトス家の再興となろう。私が後ろ盾だ」

「ありがとうございます!」


 リーナが深く、頭を下げた。

 第一王子の直系に加わるなど、王臣としての将来が約束されたことと同義だ。


 王国で正当な最大勢力が後ろ盾につくものだから、アルトス家もそれなりの格を要求されることになる。

 領地は確実に増加するし、流入する物資や金銭も桁違いとなるだろう。


 それを上手く乗りこなして見せろよ、と王子が彼女へ言葉ならずに問いかけていた。

 対するリーナも、礼を以って受け入れた。


 彼女も貴族の端くれなのだ。

 自らの力を試してみたい気持ちが無いはずがない。


 小さく拳を握りしめる彼女を横目に、王子がカンタルを見た。


「で、君はどうする? それなりの席を用意させてもらうが」

「ちょーっと待ったぁ!」


 再びセルディが飛び込んで来た。

 流石に王子も呆れ顔で対応する。


「それはもう、後でやって欲しいのだが?」

「だまらっしゃい! カンタルくんは、ウチの派閥ですぅー。『神の石板』を壊した責任も取ってもらいますぅー。『おっぱい』だって渡しませんからね!」


 セルディが、自分の胸元を押さえて言う。

 正確には、自分の胸元に隠してあるものだ。


「独占は良くないと思うぞ。彼の『おっぱい』は国の宝に匹敵するものだ。それに、被害で言うなら私の愚弟を見てみるがいい。輪をかけてアホになってしまったではないか」

「それは元からでしょう?」

「どうかな。セルディ君の持つ『おっぱい』で試してみるか?」

「馬鹿を言わないで欲しいものね。これは私が貰った『おっぱい』なのよ!」

「いや、もうその話題は止めて下さい……」


 カンタルは、消え入りそうな声を出して、顔を真っ赤にしていた。


 彼がスキルを開放し、開いた権能の中に『母乳』があった。

 それは、瞬く間に瀕死の重傷を癒す効能を発揮し、リーナを救った秘薬として存在を知られたのだった。


 特にセルディなどは、余った『母乳』を小瓶で受け取っている。

 奇跡の御業として使うもよし、売ってよし、自分で使ってよし、の便利アイテムを手放すはずがない。


「駄目よ、カンタルくん! ここでキチンと断っておかないと、搾り取られてしまうわ! ……ところで、汗かいてない? 私とお風呂に入る?」

「いつもながらに感心するが、教皇猊下は娘にどういう教育をされたのであろうな。……ところで友よ。疲れたのであれば、メイドを何人か連れて部屋で休むと良い」


 二人の贈賄攻勢に対し、落ち着かないカンタルであった。

 少なからず心が浮くことは、男として当然のことだ。


 しかしながら彼は、若くして大成した後輩の管理職に話を聞いたことがある。

 曰く、営業してくる奴の話を鵜呑みにするな。


 後輩は、甘い言葉を投げかける取引先の営業に、数字を誤魔化されて酷い目にあったらしい。


 そして偉い人も言っている。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、と。


 きっと偉い人も、同じ失敗をして後悔したに違いない。


「それは、ですね……」


 そもそも女性に対する意識が中学生の頃と、ちっとも変っていないカンタルだ。

 色仕掛けをされても、ちょっと怖い。

 責任を取れと言われたら、なし崩しに頷く自信がある。


「どう?」

「どうかね?」


 銀髪の美女と、奇麗なメイドを引きつれた優男の問いに――――反応があった。

 部屋のドアが開いて、黒衣の女性が姿を現したのだ。


「……何をやっているの?」


 セルディが誘いを諦めて、深くソファに沈み込んだ。

 王子も短く息を吐いて、仕方なく笑う。


「勧誘さ。時間切れみたいだけれどね。『墜ちた英雄』に粗相はしないよ」

「その呼び名、やめてくれる? 英雄だったつもりは無いもの」

「そうかね。呪いの方は良いのかい」

「おかげさまで」


 リョカの視線が、間抜けな顔をしているカンタルへ向けられた。

 彼女の首元には、今まで無かったペンダントが釣り下がっている。


「君、行くよ」


 つかつかと歩み寄ってきたリョカが、彼の手を取る。

 そのまま連れて行かれそうになるところで、『リーナ』が口を開いた。


「あ、待ってください」

「何?」


 リョカが振り向く。

 そして呼び止められたのが自分では無いことに気付いて、カンタルを見た。


 リーナが駆け寄って来て、彼の手を握る。


「本当に、助かりました。今の私には何も返すことが出来ませんが、いずれ、アルトス家が大成した暁には、迎えに参ります。私を守ると言ってくださったことに、その時であれば答えられます。……あと、『趣味』の方もお願いします」

「え? あ、うん?」


 カンタルは訳が分からなかった。


 彼女が言う趣味と言えば――――反動による赤ちゃんプレイに他ならないのだが、何を意味しているのか理解できない。


 困ったカンタルを見て、リーナが更に顔を赤くする。


「その、初めは恥ずかしいだけだったのですが、ちょっと、こう、クセになってしまったといいますか、なんといいますか……。こんなこと、誰にも頼めませんし」

「おぅふ」


 このストレス社会で、趣味はとても大事なものだ。


 生きる希望となり、ストレスを発散し、健康的な生活を送るために必要不可欠であろう。

 特に封建制度の貴族社会などは、アブノーマル趣味のオンパレードでも不思議では無い。


 だが、まさか赤ちゃんプレイを布教してしまうとは思ってもみなかった。


 リーナを眺めていたクラウス王子が、顎に手を当てて言う。


「ほう、やることはやっていたのだね。つまり、うちのリーナ君が一歩リード、といったところかな」

「……帰って来られたら、の話よねぇ」


 セルディが、諦めの混じった溜息を漏らす。

 今まで黙っていたリョカが、異形の剣を抜き、リーナに突き付ける。


「これは、私のものよ」

「ええ、誰のものでも構いません。ですが、その剣では私の身体は斬れても――――私の気持ちを斬ることは出来ませんよ」

「………そう」


 黒衣の女が、静かに剣を引いた。

 話は終わったとばかりに、カンタルの手を持ったまま部屋から出て行こうとする。


 半ば引きずられる形の彼は、最後にリーナの頭を撫でた。


 ――――オカンスキル、発動します。


 その手は優しさに満ち溢れ、一人で立とうとするものを祝福した。

 大切なものに触れる、というのは、相手にも伝わるものだ。


「大丈夫。頑張って。……それでも辛くなったら、帰っておいで」


 彼の言葉は、部屋にいる全員に響いた。

 天命の慈愛に触れたものが、どうして心振るわされずにはいられようか。


 セルディが唇を尖らせる。

 クラウスが眉を上げた。

 護衛のメイドたちが、無表情で涙を流した。


 リーナが、笑顔で頷く。


「はい、頑張ってみます!」

「うん」


 カンタルは、大きく頷いて見せた。

 すると、強く手を引かれる。


「ははさま、いくよ!」


 頬を膨らませたリョカが、肩を上げて力強く走り出した。

 仕方なしに苦笑いを浮かべたカンタルは、彼女に引かれて走るのだった。


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