第10話
「だから、余は王家を正さんと立ち上がった訳だ。この世界を良きものに変えるには、そなたらの協力が必要なのだ。許せ」
ヨーゼフ王子が、背を向けた。
話は終わったとばかりに、部屋から出て行こうとする。
事態を飲み込めていないナイハンが、王子を追った。
「王子、この者らの処分はどうするのです」
「ん、ああ。良きに計らえ」
「え――――ぬぐっ」
ナイハンの腹から、剣が突き出た。
全身鎧の一人が、背後から襲い掛かったのだ。
ナイハン卿が後ろを振り返ろうとして、全身鎧が剣を捩じる。
「ぐうぅぅ、なぜ、なぜですか、王子ぃぃ……」
彼の声に、ヨーゼフが答えることも無かった。
もう片方の全身鎧が、剣を抜いてレオンに向ける。
「王の命に従え、小娘。貴族とはそういうものだ」
「その声――――」
レオンの身が強張った。
カンタルは、無意識に膝を震わせていた。
全身鎧の面当てが、外される。
「そこの小僧、また会ったな」
「サムネル……」
ケトフェス家に仕える騎士で、レオンを追い回していた男だった。
この男が王子と一緒にいて、ドイデン家の当主を殺害したとなると、どういう意図がめぐらされていたのか、予想もつくというものだ。
「これは王に対する反逆だぞ!」
レオンが叫ぶ。
王子を抱き込んで、血統を維持した上での反乱騒ぎだ。
幾らケトフェス家が大きかろうと、王国を敵に回して勝てるはずがない。
しかし、サムネルが態度を変えることは無かった。
「ふん、王冠を受け継ぐものがヨーゼフ様だけになれば、戴冠は滞りなく進むだろうよ」
「貴様ら、他の王子を狙うつもりか! それでよく貴族が語れたものだ!」
レオンの凛とした声が響く。
正しさに裏打ちされた言葉は、時として、拳よりも強く相手を打ち付ける。
サムネルの口角が上がった。
「ならば問うが、偽りの身で貴族を名乗ることに罪は無いのか? 汚点の一つも無い人間などいるものか」
「だからと言って、貴様の殺しが正当化されるわけでは無い!」
「ほう、罪に多寡があるというのだな。だが、それは誰が定めるのかね。それこそ、王にしか出来ぬ所業だろう。そして、王とは誰だ? んん? 決まっているさ――――王冠を手にしたものを、皆が王と呼ぶのだ。王とは役割であって、人ではない」
剣が振り上げられた。
防ぐ術は無い。
ただただ、鉄の刃が柔らかい肉を裂いて進むだけのことだ。
誤算があったとすれば、剣の前に飛び出たカンタルが、逆に庇われたことだろう。
彼女が切り伏せられ、身体がくの字に折れ曲がる。
うつ伏せになったレオンの身体から、湧き出るように血が広がっていった。
「あ、あ、血が、血が」
狼狽えるカンタルは、振り回された手甲になぎ倒された。
「邪魔だ、小僧。この小娘には、死体でも利用価値があってな。アルトス領の刑場に吊り下げて、腐り果てるまで領民の恨みを担ってもらわねばならん」
「――――っ」
彼の目の前で、髪を掴まれて持ち上げられるレオンがいた。
胸元から腰まで斬り裂かれ、下半身は血に染まっている。
――――アアアアアアアアァァァァァアアアアァァァァァァァ。
叫び声が、響き渡る。
真に鋭敏な者であれば、何処にいても聞き取れただろう悲哀だ。
愛を失った者の悲痛さが、幾重にも積み上がって溶け出していた。
カンタルの顔は、赤く染まっている。
床に溢れたレオンの血を、自らの手で何度も塗りつけた。
スキルの発動を知らせる天啓が、叫びと共に彼の精神を侵食している。
「――――我の、愛しい子を、とったのは誰だ」
「何だ、小僧。気でも触れたか? だがな、お前に用は無い」
サムネルが背を向け、レオンを引きずりながら歩き出した。
もう一人の全身鎧が大きく頷き、カンタルへ剣を向ける。
「……愛を蔑ろにする愚か者め」
カンタルは口を曲げ、鼻で息を抜いた。
直後、部屋の窓が吹き飛び、黒衣の女が転がり込んできた。
擦り切れた黒い外套から、ガラスの破片が舞い散って光る。
普段の特徴的な口元は、落ち着いているようだった。
「ははさま!」
「うん、どうした」
年端のいかぬ童女が、母親に縋って抱き着く。
そんな光景と見間違ってしまうように、黒衣の女――――リョカが心配そうにカンタルの顔を下から覗き込んだ。
「聞こえたよ、ははさま。とても悲しそう」
「うん、悲しいなぁ。だからな、『我が子ら』よ。我が子を取り返す手伝いをしておくれ」
「わかった。じょうずにできたら、ほめてくれる?」
「もちろんだ」
カンタルは微笑んだ。
それだけで、やる気充分となったリョカが、床に投げ捨てていた異形の剣を持ち上げる。
臨戦態勢だった全身鎧の一人が、脅威として映るリョカに対して飛び込んできた。
「この、暗黒姫が!」
「うるさいなぁ」
その細身に、信じられないほどの膂力が詰められていた。
横振りしただけの異形の剣が、全身鎧を潰しながら吹き飛ばす。
木製のサイドテーブルを木っ端微塵にして、鉄の鎧を壁に埋めた。
カンタルは眉を寄せた。
「それも誰かしらの子だからな。殺すでないぞ」
「だいじょうぶだよ。後からセルちゃん来るし」
「セルちゃん? ……ああ、教会の娘だな。ふむ、まあよい」
カンタルがリョカの頭を撫でていると、サムネルが後ろへ下がる。
手を離したために、ごん、と大きな音を立てて、レオンの頭が床に激突した。
サムネルの恨みがましい目が細められた。
「小僧、スキル持ちか。流石にスキル持ち二人相手では分が悪い!」
「……二人、とな? 少し見くびり過ぎてはないか」
「何だと?」
一瞬の静寂のうちに、兵舎の至る所で勝鬨が上がった。
それらの声が纏まり、大きな集団となって向かってくる。
先ほど出て行ったヨーゼフが、慌てた様子で部屋に戻ってきた。
「な、何事だ、これは。ナイハンの手引きか?」
王子が倒れ伏すナイハンを見つめるも、動き出す気配はない。
既に行進の足音が隊列を成し、屋敷を取り囲んでいた。
それは、ドイデン家が自衛のために集めていた兵隊達だった。
ケトフェス家がアルトス家を取り込めば、次はドイデン家が襲撃されると思ったナイハンが集結させていたのだ。
兵隊たちが忠誠を誓うのはナイハンだが、倒れている当人が命令を下せるわけも無い。
ならば誰が、と誰もが疑問に思ったところで、カンタルが頬を緩めた。
「この『器』がまだ小さいからなぁ。この程度だろうて」
「ちいさいの?」
リョカがカンタルの一部を見つめながら言う。
彼は、くくく、と含み笑いを漏らす。
「まあ、『我』を顕現させた才覚は認めてやっても良い。権能も幾つか開けたことだしな。……ただ、我も長く目を覚ませてはおれんらしい」
「ええ、いやだよ! ははさま!」
カンタルは再び、慈愛の微笑みを浮かべて彼女の頬に手を滑らせた。
「であれば、『この者』の手助けをするがよい。『器』が満たされたときは、共に歩もうぞ」
「――――うん!」
飛び跳ねて喜ぶリョカだった。
「余の邪魔をしているのは貴様か! 今すぐ兵を下げさせろ!」
状況を飲み込めないヨーゼフが、大きく叫ぶ。
無遠慮に足音を響かせてカンタルに近づいた。
「じゃま」
リョカが斬りかかろうとして、カンタルに手で制される。
その様子を恐れることなく、ヨーゼフが言う。
「スキルだか何だか知らんが、余に逆らうつもりか」
「そうさな。お前は少し反省するとよい」
「なんだと――――べぶっ」
ヨーゼフの身体が大きく傾いだ。
頭を吹き飛ばされ、それに胴体がついていく。
地面を幾度も転がった後で、動かなくなってしまった。
カンタルは、自分の掌を見た。
「これが『ビンタ』か。異界の仕組みはよう分からんが、確かに叩いた方も痛い」
「ははさま、いたい? あいつころす?」
今にも襲い掛かりそうなリョカを抑え、彼はヨーゼフに近づく。
「命までは奪わぬ。ただ、こやつが奪ってきた命の償いはさせんとな」
「ひゃ、ひゃんだ! 王にもぶたれたことは無いのだぞ! ……っ、ぐっ。何だ、余に何をした!」
ヨーゼフが、頭を押さえて苦悶の表情を浮かべた。
次第に彼の瞳から光が薄らぎ、感情が抜け落ちる。
両手を垂らして立ち上がり、ふらつきながら言った。
「……あー、う、う、うむ。余は良い子になりますぅ」
「ほう、『ビンタ』は精神汚染するらしい。やはり異界は分からん」
カンタルが首を捻っていると、全身鎧を派手に鳴らしてサムネルが近づいてきた。
「貴様ぁ! 王族に手を上げ、洗脳するとは何事だ!」
「うん? お前も食らいたいか」
「ひいっ」
彼が手を振り上げると、サムネルが肩を震わせた。
目の前で王子の精神を崩壊させているため、その威力に恐れをなしているのだ。
カンタルはその様子に頷き、頬を吊って笑った。
「それではな、『交渉』といこう。お前は家族を連れ、山奥で静かに暮らせ。家財くらいは持っていくことを許そう」
「な、何だと! そのようなことが出来ると思うか! ケトフェス家からも追手がかかるわ!」
「しゅっ」
「ひわぁっ」
カンタルが『ビンタ』の素振りをしただけで、サムネルが本気で怯えていた。
「その辺りは心配しなくともよい。そこの改心した『我が子』に上手くやらせるのでな。反省せよ。言うことを聞かぬのであれば――――わかっておろう?」
「ぐぅ、うう」
苦悩に歪んだサムネルが、振り上げられたカンタルの手を一瞥し、心を失った王子のことも見比べる。
大きく息を吸い、頷いた彼が、肩を落として部屋から出て行った。
サムネルの姿が消えると同時に、リョカが飛びついてきた。
子供の体格であれば腰に抱き着いてぶら下がるのであろうが、彼女の体躯では縋りついている様にしか見えない。
「は、は、さまーっ!」
「これこれ、はしゃぐでない。どれ、我も後片付けをせねばなぁ」
カンタルは手を二度、叩いて見せた。
すると、兵舎の外に集まっていた兵士たちが、一様に我を取り戻していた。
リョカが口を小さくする。
「なに、あれ」
「我の『手料理』を食べた者たちであろう。母を守るために集まってきただけだ。優しい子らなのだよ。本当は、誰もがそうなのだ」
「ふーん」
「さて、そなたにも頼みがある」
リョカがくるりと回ってカンタルの腹に抱き着き、満面の笑みで頷いた。
「うんうん、いいよ、ははさまのお手伝いするーっ!」
「ではな。後から渡す『もの』を、そこで倒れている娘と、男に塗り付けるがよい。余った分は、教会の娘に渡して、この『器』の言うことを聞かせよ」
「わかった!」
「愛い愛い。特別なそなたには、これを」
そう言ったカンタルは、髪の毛を一房掴んで、ちぎり渡した。
受け取ったリョカが、心配そうな顔をする。
「ははさま、だいじょうぶ?」
「そうだな。これでそなたの『願い』も、少しは和らぐことであろう。もう一人のそなたにも届けばよいのだが――――異界の者では難しいか」
カンタルは哀しそうに笑い、彼女の頭に手を置いた。
反対の手を自分の胸元に差し入れ、ペタペタと触る。
「さて、渡すものであるが。おのこの胸は、硬いな。……出るのであろうか」
解放された権能自体を疑うわけでは無かったが、未だに体験したことがないことに対して疑問が出るのは仕方がない。
そして、『器』の気持ちを考えると、中々に複雑な気分が胸に残る。
「……まあよい。なんぞ考えておくとしよう。ではな」
難題を棚に上げ、『彼女』の意識は薄れて行った。
そして入れ替わりに、カンタルの意識が戻って来るのだった。