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第1話

 木漏れ日から差し込む陽光が、瞼に突き刺さる。

 それを嫌がって身じろぎすると、クッション代わりの落ち葉が潰れた。


「……お、おぉう」


 寝ぼけた瞼を押し上げると、実に鬱蒼とした木々が生い茂っている。

 身体を起こして落ち葉を払い落すと、これからの生活に不安を覚えた。


「――――どうすればいいんだ」


 両手で顔を覆う。

 心の底から転生を願っておいて、いざ転生してみれば不安しかない。


 独身で恋愛経験なしのおっさんが託した最後の望み――――それが転生。


 未来が無ければ、次の未来へ願いを託すのは、当然と言えよう。

 ただ、運命の女神さまの思惑は、彼の理想と違っていた。


「母になれ、って言われてもなぁ」


 正確には、『あなたは母になるのです』と言い放たれた。

 細々とした説明は無く、恩恵は与えたから自分で確かめろ、とのことだ。

 ちなみに、彼の姿は若返っても居なければ、女体化しているわけでもない。


「女装、しなきゃならんのか?」


 一応は真面目に考えてみるものの、女装したいわけではないし、森の中では何ともしがたい問題である。

 それよりも、もっと重要なことがあった。


「何も持ってない……」


 食料はおろか、ナイフや貨幣も持ち合わせていない。

 最低限の衣服だけで森に放り出されて、どうやって生きて行けと言うのか。


 サバイバルの基本を思い出し、周囲を見渡した。


「まずは、川だな。次に、生活道具を準備しよう。後は、川沿いに下れば何処かに村でもあるだろ」


 独身貴族だった彼は、サバイバルコミックを熟読していた。

 ジャンルを問わずマンガを読み、ライトノベルを読み、時には専門知識をネットで検索していた男だ。

 使いもしないキャンプ道具を集め、見えない敵と戦っていたのである。


 まさか転生後に頼ることになるとは思ってもいなかったが、役に立っているので良しとする。


「魔法で水の一つでも出せれば良かったのになぁ」


 念じても水は出ない。

 適当に良さげな木の枝を拾い上げ、近くの木に傷をつけておいた。

 戻って来ても分かるようなマーキングだ。


 意味があるかどうかは知らないが、損が無いことはやっておく。


「さて、川を目指しますか」


 歩き出して気付くが、太陽は一つしかなかった。

 木々の植生も、彼が想像していたような禍々しいものでは無い。


「何とかなるかな」


 彼は能天気だった。

 能天気過ぎて結婚適齢期を逃し、彼女の一人も出来なかったのだとは、気付いていない。


 ――――これは、そんな男の物語である。


 自然の中には、音がたくさん溢れていた。

 風が木々を揺らし、葉の小波を引き起こす。


 静かになったと思えば、枝が落ちたりして驚かされる。

 五感が敏感になっているのだ。


「怖えぇぇ、動物とか来ないよなぁ」


 彼は、野生動物と殺し合いなど経験したことは無い。

 武器を持っていたとしても、小型犬でさえ戦いたいと思わない。

 挙動不審さを隠せもせず、不整地を歩き続ける。


「はあ、はあ、はあ」


 いつしか周囲の音は消え、自身の呼吸しか聞こえなくなっていた。

 ぶっちゃけ、運動不足である。


 日頃から運動しない壮年のサラリーマンにとって、舗装されていない山歩きはハードワーク過ぎた。

 汗が滝のように流れ、喉は張り付いて乾ききっている。


 学生の頃を思い出すが、身体は正直だった。


「これが、若さを失うということか。……水、水が飲みたい、自販機欲しい……コンビニくださいぃ」


 自販機があったとしても、小銭すら持ってない事さえ忘れている。


 しかし、大自然の中でいつしか研ぎ澄まされたのか、はたまた命の危機を感じて鋭敏になったのか。

 彼の耳に、水の流れる音が届いた。


「は、はあ、やった。み、水、水ぅ」


 残った気力を振り絞り、枯葉だらけの斜面を下っていく。

 すると木々の間から抜け出たところに、そこそこ大きな川が流れていた。


 両側を砂利に挟まれていて、水量は充分だ。

 むしろ、飛び込めば溺れかねない深さがありそうだった。


「あー、はー、あー」


 ふらつく足で水を求める様は、まるでゾンビだ。

 生水は衛生上、飲料水には向いていない。


 ただ、水を求めるゾンビに思考力は皆無だった。

 布靴のまま砂利の上に立ち、透明な水を掬い上げ、一気に煽る。


 三度ほど喉を鳴らした後で、顔を洗った。


「ぶはー、ふはー、うまいー」


 運動した後の冷たい水が、これほど有難いと思ったことは無い。

 今後の水問題も解決しそうなところで、水面から頭を出している岩陰に、鈍く光る金属を見つけた。


「あ、あ? あぁ……」


 先ほどから語彙力を失いかけている彼だったが、表情は豊かだった。

 驚き、現実を確かめ、これからの作業に嫌気がさしていた。


 それはつまり、川の中の岩陰に、軽鎧をつけた人間が引っかかっていたことが原因だ。

 軽鎧の人間が死んでいた場合、流水とはいえ死体の浸かった水を飲んだことになる。


「う、吐きそう。でもなぁ」


 社会的通念として、まずは助けるという行動が思い浮かぶ。


 しかし、ここは異世界だった。

 生きていたら攻撃してくる可能性もあり得る。


 相手の身なりから考えても、西洋ファンタジーを基盤とした世界に違いない。


 となれば、相手は職業軍人、そうでなくても戦闘職種の一員だ(盗賊含む)。

 山歩きで精魂尽き果てたおっさんが、無暗に立ち向かえる相手ではないだろう。


「多分、大丈夫でしょう……多分」


 そう自分に言い訳しつつ、助けるために岩場へ向かう経路を考える。

 どうにか川に点在する岩場を経由すれば近づけそうだった。


 疲れた足腰に鞭打って、へっぴり腰で救出に向かう。

 四つん這いで岩場を進み、軽鎧の人間に近づいた。


「……い、生きてますかー。おーい」


 声を掛けても返事は無い。

 近づいて分かったことがあるが、この軽鎧の人間は、とても美形であった。


 蝋のように青白く、唇は紫色だった。

 その唇が、微かに動く。


「うぅ、母様……」

「え?」


 こいつ、動くぞ、などと思っていたところ、彼の頭の中に天啓が降りた。


 ――――オカンスキル、発動します。


 なにそれ、と考える暇もなく、彼の心が発火する。


 何としてでも、この可愛い子を助けねばならぬ。

 万難を排し、子を救うのだ。

 この子の笑顔こそ、我が使命。


「うおおおおぉぉぉっ」


 とてつもないやる気が沸いてくる。

 何でも出来そうな気がするが、期待したほどの力が出るわけでは無かった。


 結局、はあはあと息を切らしながら、軽鎧の美形を陸地まで引きずり上げる。

 美形の口元に耳を近づけてみると、弱々しいが呼吸していた。


「よし、生きてる!」


 彼は、優しく美形を河原へ寝かせ、装具を取っ払っていった。

 最後に革のベルトで留められた胸甲を外したところで、胸の僅かな盛り上がりに気付く。


「あれ? 女……の子?」


 濡れた衣服が張り付いた肢体は、まさに彼女の性別を主張していた。


 何度も確認しなくて良い事だが、彼は童貞だった。

 このまま脱がせて良いものか、気を使って考え込んでしまいそうになる。


 ――――オカンスキル、発動しています。


 彼の頭の中に、再び天啓が響いた。


 この子の命より大事なものは無い。

 この子が助かるのであれば、恥など捨ててしまえ。

 助かってからの文句であれば、幾らでも受け入れられるのだ。


「助ける、助けるぞ!」


 何故か慣れた手つきで彼女の衣服を引っぺがし、胸を押しつぶしていたコルセットを取り上げ、素っ裸にしてしまった。


 生まれたままの姿で寝転がる美形の横で、彼は急いで服を脱ぎ始めた。

 彼も生まれたままの姿となる。


 状況だけ見れば証拠が揃ったようなもので、いつの時代でも即逮捕な案件だろう。

 

 だが、彼は命を救おうとしていた。


 こんな美人の裸を前にして、彼の息子は少しも反応しないのである。

 それは、彼としても不思議な感覚だった。


「何か、何かないか……」


 乾いた自分の服を彼女に着せてやってから、美形の荷物を探した。


 小さめの袋から、生活用具が出てきた。

 ナイフと糸、火打石、ちょっと汚れた布、油紙で包まれた干し肉などが見つかる。


「よっしゃ!」


 河原の石を集めて簡単な竈を造り、周囲の枯れ草を集めて放り込む。

 ナイフで枯れ木を削り、それを火打石で火種にした。


 パチパチと草木の爆ぜる音がして、立派な焚火となった。

 枯枝を山のように用意して、竈の前に美形を移動させる。

 

 そして、彼女を背中から抱きしめて座り、上から服をかぶせた。


「うううう、冷たいっ、けど、大丈夫、大丈夫だからな」


 冷えた人間を裸で抱えるのは、予想以上に冷たいものだった。

 動いていないと、自分まで意識が遠のきそうだ。


 それでも。

 それでも尚、この子を温めるのだ。


 そう、彼は誓っていた。


 必死に彼女の腕をさすって、熱を作る。

 熱と一緒に生命力も分け与えるかの如く、それを続けた。

 

 いつしか、彼の意識も飛びかけていた。






いつもお世話になっております。

更新は不定期の予定です。

申し訳ありません。

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