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曇天に舞う拳

作者: 川上鉄矢

初めて投稿します。拙い文章や誤字脱字、展開がおかしいと感じられることもあるかもしれませんが、読んでいただけると幸いです。よろしくお願いします。

 痛えな、チクショウ。

 左の頬に貼り付けられた一番大きなガーゼにそっと触れてみる。本来の肌とは相反する感触に、違和感を覚えずにはいられない。ガーゼのチクチクとした痒みと、その裏にある傷のズキズキとした痛みがないまぜになり、俺は思わず顔をしかめる。

 上を見れば暗雲の海。俺はその下の通学路を歩いている。最近は同じような空模様が続き、この閑静な住宅街はいつになくどんよりしているような気がする。

 事実、今の俺の心も曇り空に近い。

 昨日、チンピラの集団にフクロにされてしまったのだ。顔に貼られた無数のガーゼは、その刻印になる。

 帰り道、道端で中学生らしき男子二人にカツアゲをしているチンピラ五人を見かけて、追い払おうと声を荒げたところ、頭にきたのかすぐさま五人がかりで袋叩きにされてしまったのだ。その間に二人は逃げたため、とりあえず助けることができたが、その結果として俺は散々な目に遭ってしまった。

 実を言うと、こうして殴られるのは特別珍しいことではない。

 どうやら俺という人間は、とんだお人好しらしい。それ故なのか、自分でも驚くような自己犠牲を働くことがよくある。昨日のような、多勢に無勢の状況を見てしまったら、なぜか俺が腹が立ってしまう。で、そうこうしているうちにことごとく返り討ちに遭う、っていうのがオチだ。

 昨日の件も、その一例の一つに過ぎない。

 俺がもっと強かったら、あんなヤツらサクッと片付けられるのになあ。

「う」

 体中の傷が再び疼いて、呻き声が出る。同時に、理想と現実の違いを痛感して、はあ、とため息が洩れた。ちなみに言うと、そのチンピラ共は同じ学校だから、時々目をつけられて絡まれることもしばしばだ。

「おっはよう、裕太くん!」「いてっ!」

 バン!と俺の背中を叩くその正体は、俺の幼馴染の日菜だ。振り返って俺を見る表情は、いつも通りの満面の笑みで溢れている。

 日菜は、俺が一人で歩いていると必ずどこからか現れて、挨拶がわりと言わんばかりに背後からバンバン叩いてくる。心なしかその威力は、並の女子高生が成せるものではない。それはまるで壁に叩きつけられるような強みと重みがあるもんだから、今の一撃で傷の痛みがぶり返してしまった。

「ため息ばっかりついてると、幸せが逃げるよ?ってどうしたの、その顔⁉︎」

「うるせえな、お前には関係ねぇよ」

 すると日菜は、俺の顔を凝視しながら顎に手を当てて、考え込むような仕草をとる。小さな顔の割には猫のような大きな目に吸い込まれていくような錯覚に陥りそうになった。

 しばらくして、何かにピンときたのか口角をあげた。

「ははーん、裕太くんのことだから、さてはそういうことだよね?」

「そういうこと、ってどういうこと」

「弱いものいじめの現場を目撃して、勝てないケンカを売って返り討ちに遭った。どう?図星?」

「そうだよ」俺はぶっきらぼうに答えた。まったく、こいつの勘の鋭さにはほとほと参る。「からかうつもりなら、お好きにどうぞ」

「別にからかうつもりなんてないよー。ただ、どうしたんだろーなー、って。まあ、予想はできたけどね」

「ふん」「あ、そうだ」

 日菜は突然、鞄をまさぐり始める。取り出したのは一つの菓子パン。

「餡パン、食べる?」

 封を切って、俺たちの共通の好物である餡パンの半分を差し出した。

「食べる」


 日菜とはこれといった深い関係は無い。単なる腐れ縁だ。家が隣同士というだけで、幼い頃からよく遊ぶ仲だった。記憶は朧気だが、日菜の家の雛祭りに何度か招待されたことはなんとなく覚えている。

 ずっとお袋さんとの二人暮らしで、親父さんは日菜が生まれる前に女作って逃げたらしいが、それでも笑顔を絶やさない、底抜けに明るいのが日菜のいいところだ、と日菜のお袋さんは自慢気に話していた。

 確かに日菜はいつも笑っていて、常にポジティブに加え、周りにも気を利かせて、頼りがいのある存在、としてクラスでは評判を呼んでいる。そのため、友達も多い。今のこの自習の時間でも、何人かの女子生徒とガールズトークに花を咲かせていた。

 で、俺はというと、特に友達、と呼べる人はおらず、窓際の席で一人、空を覆い尽くしている黒雲を眺めている。

 と、そこで昼休み開始の鐘が鳴った。騒がしかった教室がさらに賑やかになる。

「裕太くん」

 雲から視線を外して前を見ると、日菜が椅子を片手に立っていた。

 そしてもう片方の手で、青と白の縞模様の風呂敷を掲げて見せる。

「お弁当、一緒に食べよう?」

「友達はどうしたんだよ?」

「なんかさ、みんな彼氏持ちみたいで、そっちに行っちゃった」口を尖らせる様子からして、こいつも不満なんだな。「だからさ、一緒に食べよう?」

 とはいえ、相手は日菜といえども、女子と二人で向かい合わせで弁当を食べる、なんていうのはこの上ない抵抗を感じずにはいられない。

 なんていう俺の思いを日菜はことごとく振り払って、よく昼休みに俺の元へとやってくる。

 しかもここ最近は毎日やってくるもんだから、俺としては非常にウザったらしく感じてしまう。

「うるせえな、一人で食べればいいじゃねえかよ」

「なんでよー、いいじゃんいいじゃん!どーせ今日も購買なんでしょ?私のお弁当、分けてあげるよ」

 そう言うが否や、持ってきた椅子に座って俺の机に風呂敷を広げる。

「てめー人の了解も取らないなんて、図々しいこの上ないな、コラ‼︎」

 周りに注目されるのはイヤなので極めて声を抑えて吠えた。

 しかし俺は、日菜の性格を改めて思い知らされることになる。

 突然俯いたと思ったら、

「グスッ」「へっ⁉︎」

 すすり泣きを始めた。

「ひどいよ、裕太くん。そんなこと、言うなんて」

「お、おい、なんで泣くんだバカ。しっかりしろよ。おい」

「なーんちゃって。うそ」

 また突然、ぱっと顔を上げて、いたずらっぽい小悪魔的な笑顔を見せた。

 嘘泣きだった。

 意表を突かれて、言葉が詰まってしまう。

「どう?びっくりした?びっくりしたでしょ!えへへ、上手かったんじゃない?」

 拳がわなわなと震える。己の愚かさへの憤りを八つ当たりしてやりたかったが、ニコニコ笑っているこいつを見てると、そんな自分がアホらしくなってしまった。

 日菜をただの女子と思い込んでいたのが大間違いだった。時々こうした強烈な茶目っ気を発動して凄まじい冗談をかますのが、日菜の特技なのだ。

 無意識のうちにため息が漏れる。「分かったよ、食べりゃいいんだろ」

「やったー!勝ったー!」

 あれは勝負だったのか。

「じゃ、ちょっと待ってろ。弁当買ってくるから」


 俺が荒れてしまったのは、中二の時だ。

 結論から言うと、世間が信じられなくなったから、というのが主な理由となる。

 バスケの部活動では、どれだけ努力してもレギュラー入りは叶わず、顧問やチームメイトからは鼻で笑われ、勉強面でも、なかなか思うようには成績は伸びずに教師や親からも見放される。そのくせ、どいつもこいつもでかいクチを叩く割には、都合の悪いことには背を向ける。実際、校内でのいじめの現場を見て見ぬふりをする教師や生徒を何度も見たことがあった。で、その度に俺の脆い正義感が裏目に出て、多数のチンピラから袋叩き遭ってしまうのだ。

 天才と凡人との壁と、周囲からの侮蔑のこもった冷ややかな視線。それらに耐えて生きていくのは、間違いなく拷問に等しかった。

 そしてついには俺の中で、何かが爆発した。

 その結果、ムカつく奴は片っ端から殴りつけるような、横暴な俺と化してしまった。凡人の気持ちを知らないチームメイト、落ちこぼれは切り捨てる教師でさえ、迷うことなく拳を振るった。時にはチンピラ共との勝てないケンカで、顔中傷だらけになることもあった。

 そんな俺は当然ながら、周りからどんどん見捨てられていった。同級生、教師、そして親からも。

 もう、俺には味方なんかいない。友達なんかいらない。一人で生きてやる。

 けれども一人だけ、学校の中でたった一人だけ俺に、変わらず純粋な笑顔を向ける人がいた。

 日菜だった。

 日菜は部活はしていなかったが他の何かで忙しかったらしく、学校でしか見ることはなかったが、見かけるたびに笑って接してきたり、背後からバンバン叩いてきたり。ふと気づいたら側に日菜がいる、という感覚に似ている。意地を張って、日菜との接触も避けようとしていたのに、だ。

 高校へは行かない、なんて言っていた俺の手を半ば強引に引っ張って、バカだった俺と受験勉強をし、ついには同じ学校に合格した。いや、してしまった。

 発表の日、二人の番号を発見した時、日菜は俺に抱きついてきた、と思う。それだけ、日菜にとっては嬉しかったのか。

 で、高校に入学してもうすぐ五ヶ月。特になんてことの無い毎日を送っている。


 購買の前はいつもとは打って変わって、ガラガラだった。お、ラッキー、なんて思いつつ、すぐさまカウンターの前に立つ。

「すいませーん。餡パンと唐揚げ弁当下さい」

 そう言い切る前に突然、ドンッ、と横から押し退けられる。「焼きそば一つちょーだいよ」

 そこには、昨日中坊にたかってた五人のチンピラがいた。制服を着ない奴、髪の毛に彩りを添えている奴、顔の至る所にピアスを通している奴。見た目だけでも完全にアウトローだ。

 購買のおばちゃんも、突然のこいつらの登場に、ぐうの音も出ないらしい。

「オラ、早くしろやババア‼︎」短い髪を茶色に染めたチンピラが喚く。恐らく、こいつが頭なんだろう。背が他の奴より一回り大きく、ガタイもある。

「おい」

「あ?何だテメーは?」

「いきなり割り込んでんじゃねーよ、順番くれー守れよバカ野郎」

「何だと、コラ」

「あ、こいつ、昨日チョロチョロしてた奴じゃねーか」一人が指を指して思い出したように口を開いた。真っ赤なTシャツに両耳に二つずつピアスを開けた奴だ。

「よく見りゃ、確かにそうだな。ヘヘッ、こいつはおめでてぇ馬鹿だぜ。昨日も殴られて、また殴られに来たのか?」

 周りがヘラヘラと笑い出す。

 すると、昨日の、こいつらが中学生を囲んでいる光景が蘇り、怒りが沸騰する。

 クズ野郎共が。

 拳を握った時には既に、相手が俺の胸ぐらを掴んでいた。チンピラは皆、手が早いのだろうか。

「離せよ」俺はそいつの手首を握って、顔を睨みつける。

「お?やる気か?それじゃあお望み通り」

 ぐいっ、と引っ張られると同時に「おい、やめろ。先公だ」という声で動きが止まる。

 首を捻ってその方を見ると、こちらに向かって歩いている教師がいた。

 目の前で舌打ちをし、「命拾いしたな」と吐き捨てた。

 乱暴に手を離し、「ずらかるぞ」と背を向けて立ち去っていく。

 その間際、

「今日の放課後、公園裏の空き地に来い。そこでたっぷりと遊んでやる。もし来なかったら、明日俺らがテメーんとこに来てやるよ」

 と言い放って姿を消した。

 くそったれ、とことんクズだな。

「おい君、何かあったのか」

 背後から声をかけられる。見るとさっきの教師だった。口調は優しいが、「また厄介ごと起こすんじゃねーだろーな」なんていう警戒心がありありと見える表情をしている。

「なんでもないっすよ」俺は毅然とした態度で教師から離れる。教師は、そうか、とだけ言い残して足早と去って行った。

 購買で餡パンと唐揚げ弁当を購入し、教室へ向かう。

 その道中、一番最初の曲がり角に、

「何してんだ?お前」

「ひっ⁉︎」

 日菜がいた。壁に背をつけていて、驚く反応からして俺を待ち伏せしていた訳ではなかったらしい。「教室で待ってるんじゃなかったのか」

「う、うん!でも、ちょっとトイレに行きたくて」

「何でわざわざ二階に?」ちなみに俺らの教室は三階にある。そこにもトイレはあるはずだから、トイレを理由に二階に降りるのは不自然に思えた。

「三階のトイレがさ、みんな使用中だったから、仕方なく降りてきたってわけ。あはは」

「そうか」各階にはトイレは三箇所ずつ配置されている。それらが全て使用中になるなんて、珍しいこともあるんだな。

 いや、もしかして、と一つ疑問が湧いた。

「さ、早く教室行こ!」

「日菜」

「ん?何?」

 質問しようと口を開いたが、ゆっくりと喉の奥に引っ込める。「やっぱいいや」

「えー、なんでよー。どうしたの?」

「何言おうとしたか、忘れた」「えー?何それー」

 もしかしてお前、さっき俺たちのこと、見てたんじゃないのか?

 なんていう疑問を投げてみたかったが、相変わらずニコニコしているのを見てると、日菜を俺たちのゴタゴタに巻き込むようなことをするわけにはいかなかった。

「それより飯、食ったのか?」

「ううん、まだ。あ!何それ、唐揚げ?おいしそう!あとで一つちょうだい!」

「へいへい」


 ***


 公園裏の、空き地って言ったら、あそこしかないよね。

 壁に背をつけて、あのチンピラが放った一言を反芻する。人気の無い場所に呼び出して大勢で殴りかかるなんて、チンピラはやることが汚いのね。

 餡パンを買おうと購買に向かったところ、たまたま「その現場」を見てしまった。さすがに、この公共の場で一触即発の空気に触れる度胸は据わってないから、つい盗み聞きをしてしまったのだ。

「何してんだ?お前」

 横から突然、ぬっ、と人影が飛び出してきて、「ひっ⁉︎」と心臓が大きく跳ねる。

 裕太くん⁉︎まさか、盗み聞きがバレた⁉︎

「教室で待ってるんじゃなかったのか」可愛らしい二重瞼からは疑惑の色は見つからない。

 よかった、気づかれてはなかったんだ。

 でも、これ以上この場にいて怪しまれるのはごめんだから、適当な口実をでっち上げて一緒に教室へと戻る。餡パンのことは既に頭から外れていた。

 裕太くん、本当にあいつらのところに行っちゃうのかな。それでもし、本当にまた殴られたら。

 ふと、六年前のあの光景が蘇る。

 誰よりもたくましくて、誰よりも大きく見えた裕太くんの背中。その背中が崩れていくのを、私はただ見ることしか出来なかった。助けたいのに、足がすくんで動かない。殴られても蹴られても、身を挺してそんな私を守る裕太くん。

 自分の無力さと裕太くんへの罪悪感が鮮明にぶり返してしまう。

 もう、あんな思いをするのは嫌だし、何より裕太くんがこれ以上ボロボロになるのは見たくない!

 私が終わらせる‼︎


 授業終了の鐘が鳴ると同時に、私は学校を飛び出した。行き先はもちろん、あいつらが言っていた「公園裏の空き地」。上を見れば、相変わらず暗雲の海。いつ降り出してもおかしくない。

 お家にある雨合羽、持って来た方がよかったかな、なんて考えながら、私は目的地に向かって走る。


「ふう」

 公園に到着する。天気がスッキリしないからか、だだっ広い公園には誰もいなかった。

 向かいの方に、いくつもの防風林がある。そのさらに向こうが、空き地だ。公園の出入り口からはけっこうな距離があるからか、あのあたりからは何も聞こえない。

 公園の四角い敷地を左の方から回り込んで、住宅街に入る。生まれも育ちもこの町だから、この辺りの地理的な情報は熟知している。迷うことなくその場所へと向った。

 住宅街に入ってすぐの方に、ひっそりと構える狭い路地がある。その道は二人並んでは入れないほどに狭い。この先にあるのが、「公園裏の空き地」だ。

 私は拳をぎゅっ、と握りしめて、狭い路地を進む。目立たない故に手入れもされていないのか、路地と家を仕切るブロック塀には所々にコケが生えていた。

 近づくにつれて、バカ笑いする声が聞こえる。子供のような無邪気な笑い声ではなく、卑しさを含んだ見下すような笑いだ。

 いる。確実に。

 狭い路地が途切れ、開けた場所がある。私はその手前でブロック塀に背をつけて、息を潜める。首を捻って、空き地を窺った。

 いた。

 そいつらは間違いなく、昼休みに裕太くんに絡んでいたチンピラ達だった。制服を着ない人、髪の毛に彩りを添えた人、顔の至る所にピアスを通してる人。この空き地は広くはないけれど誰の目にも付かないからか、タバコを吸う人もいた。おまけに暴走族にも憧れているのか、いくつかの自転車の荷台に様々な漢字が書かれた#のぼり__・__#が掲げられている。

 なるほど、ここなら確かに、好きなだけ踏んだり蹴ったりできるわけね。けれどもう、これで終いよ。

 願わくば平和的に解決したいけど、それが叶わないなら、仕方ないけどやってしまおう。

 私は空き地に足を踏み入れる。一人が私に気づいて「あ?何だテメェ」と威嚇した。すると他の四人も、ぐりん、と私の方を向く。

 私は念のため距離を置いた位置で、腹を括って口を開いた。

「あのー、裕太くんを殴るの、もうやめてほしいんだけど、ダメ?」努めて笑顔で交渉する。

「はあ?ゆうたくん?誰だそりゃ」

「今日の昼休みに、購買の前にいた人」

「ああ、あいつか。てことはおめー、あいつのオンナか⁉︎」

「そんでもって、カレシが弱いから、代わりに私が来ました、ってか?」

 狭い空き地が再びバカ笑いに包まれる。勝手に関係を進展させられた上に侮辱され、さすがにイラッ‼︎ときた。

 もういいや、ちょっと早いけどぶちのめしてしまおう。

 私は胸ポケットからヘアゴムを取り出して、肩まで刈りそろえた髪の毛を後ろに結ぶ。髪の毛がそのままだと、かえって邪魔になるからね。

「悪いが姉ちゃん、そのお願いは聞けねぇなあ。アイツは俺たちの遊びをジャマしたんだ。その落とし前は、きっちりつけなくちゃあいけないのよ」

 短い茶髪の、一番体の大きい人が私の方に歩み寄る。多分、こいつが頭かな。

 ってことはやっぱり、平和的解決は無理ってことね。

「あ、そう。じゃあ私が代わりにアンタらをぶちのめしてあげるわ。覚悟してね」久々のポニーテールが完成した私は、相手を睨みつけながら拳を突きつける。

「は」

 硬直したかと思えば、またまた空き地はバカ笑いに溢れかえった。

「コイツはおもしれーぜ‼︎」「ヤンキー漫画の見過ぎだろ‼︎」「ハッタリかますのも大概にしろや‼︎」「このご時世、スケ番気取りかよ‼︎」「相手見てケンカ売れや‼︎」

 なるほど、コイツらは完全に私をナメてるってわけだ。女だからって、ナメちゃいかんよ。

「ははは、おい姉ちゃん、何に影響されたのかは知らねぇケドよ、やるってんなら、俺ァ女であれ容赦しねぇぞ」不敵な笑みを浮かべながらボキボキと指から不気味な音を鳴らす。「そのハッタリを取り消して帰るってんなら、スカートめくってサイフ置いていきゃ無事に帰してやるよ」

「え?スカートの中見たいの?じゃあ、特別に見せてあげる」

「おお、こいつはイイモノが拝めるぜ」後ろにいる一人が興奮気味に喋った。他の四人も気色悪い笑みを浮かべている。

 下衆が。でも、世の中はそう思い通りにいかないよ。

 私はそっとスカートの端を摘む。焦らすようにゆっくりと捲って、そして一気にバッとスカートを引き上げた。

 その瞬間、ニヤニヤしていたチンピラ達の顔が凍りつく。

「じゃーん!実はスパッツでーす!パンツだと思った方、残念でしたー!」

 私は原則的にパンツではなくスパッツを穿く。運動する時はスパッツの方が動きやすいからだ。

 頭の奴が歯を剥き出しにして、怒りの表情を露わにした。「おちょくってんじゃねぇぞ、このクソアマが‼︎」

「分かったでしょ?私はハナから逃げ帰るつもりはないんだよ。だから、私とサシで勝負してよ」

「はあ?この俺とサシで勝負だ?どこまでハッタリこくつもりだよ。もう笑えねーよ」

「残念ながら私は、中坊ガジって喜んでるようなアンタらとは違って、ハッタリじゃないんだよ」私は目の前の敵を睨め上げて、ファイティグポーズを作る。

「へっ、そこまで言うなら相手してやる。てめぇらは手を出すな。この世間知らずにとことん恥かかせてやる。いいぜ、どこからでもかかってきな」

 私は、そう言う相手の姿を見て愕然とした。

 隙だらけも甚だしいな。両手を腰に置いといて、よく言うね。やっぱり素人なのか、それともまさか未だにハッタリだと思っているのか。

 敵との間合いはちょうど二歩分。

「オラ、どうした?サシで勝負するんだろ?来いよ。もしかして、今頃になって怖くなったか?」

「え、私から行っていいの?じゃ、遠慮なく」

 私はその二歩分の間合いを一気に詰める。右の拳を引いて、照準を敵の水月に定め、そこに正拳を突く。

 水月から拳を引き抜いてしばらくすると、ゆっくりと腹を折って膝から崩れて落ちる。ダンゴムシみたいに蹲ったと思ったら、激しく咳き込み始めた。

「言ったでしょ?ハッタリじゃないって。油断してるアンタが悪いのよ」蹲る頭を見下ろしながら言い放つ。

「て、テメェ何しやがった‼︎」

「みぞおちに正拳二発。見えなかったの?ま、そこらの素人には見えるわけないか」

「な、何モンだ」

 頭があっさりとやられてよっぽど動揺しているのか、四人とも冷や汗を浮かべている。なんだ、こんな頭やっただけで焦るのか。

「そうね。まあ、名もなき空手少女、とでも覚えていてよ」

「はあ?空手だと?ふざけやがって」

「空手の道におふざけはご法度なのよ。さ、次は誰が来る?」

 ダンゴムシ状態の頭を跨いで、ジリジリと詰め寄る。それに合わせて四人もジリジリと後ずさる。

 それでもどうやら、白旗を上げる気は無いらしかった。「冗談じゃねぇ!こいつを囲め‼︎一気にシメるぞ‼︎」

 すると、一箇所に固まっていた四人がバラバラに散って、私の四方位に立った。

「あはは、やっぱりクズだね、アンタら。女の子相手に四人がかりなんてさ」

「うるせぇ‼︎空手だかなんだか知らねぇが、俺たちゃナメられる訳にはいかねぇんだよ‼︎」

「ほうほう、そいつはご苦労だね。でも私は、相手が四人だろうと負けないよ」

「ぬかせ、クソアマ‼︎」

 左後ろのチンピラが飛びかかる。死角からの襲撃を狙ったらしいが、あいにく私の目はそれを捉えていた。

 キッ、と相手を睨みつけ、

「せいっ‼︎」

 体を左に反転させて、左足を軸に、右足の回し蹴りを当てる。

 真後ろから来る敵にくるりと向き直り、ヒザ上へ右足の下段蹴りで動きを封じる。すかさず左足の後ろ回し蹴りで敵はノびた。

 すると、

「あ」

「へへっ、捕まえたぜ‼︎」

 もう一人の敵に羽交い締めにされた。

 力ずくでは引き剥がせそうにない。だけど、すぐ横の顔から放たれるタバコの悪臭がこの上なく不愉快で、何としてもぶちのめしてやりたかった。

 気づけば目の前には、さっき回し蹴りを入れてやったやつが指をボキボキと鳴らしている。「てめぇ、さっきはよくもやってくれたな。たっぷりとお返ししてやるぜ」

 そんな言葉は右から左に流して、羽交い締めにしている敵を観察する。どこかにコイツを引き剥がせる穴はないのか。

 すると、その穴は意外と早くに見つかった。

 やっぱりチンピラは所詮、脳みそまで筋肉のバカばっかりね。

「いってぇっ!」

 不用心だったスネに、踵を思いっきりぶつけると案の定、引き剥がせた。スネも攻撃されたら結構痛いのよね。

 そして、怯んだ敵にすかさず、

「せやっ‼︎」

 水月への正拳突きをまともに食らわせ、あっさりとノックアウト。

 さっきの敵が背後から再び襲ってくる。振り向いて見ると、今度は拳を振るってきたものの、左の中段で払い、右の拳で鼻面に正拳突きを食らわせる。

 敵はうめき声を上げて二、三歩後ずさるが、これで終わらせる気はない。

 間合いを一歩詰めて、その勢いで左足で跳ぶ。

「てやっ‼︎」

 そのまま空中で敵の顔面に右足の蹴りを入れた。俗に言う、『飛び蹴り』だ。敵は地面に倒れ込んで、そのまま起きなくなった。

 しっかりと着地して、ふう、と一息吐く。久々にこんなに動いたなあ。

「ひい、ふう、みい、よ」そこで私の頭に疑問符が立った。「あれ、一人足りない。さっきまで五人いたはずなのに」

「あ、いましたアニキ、あいつっすよ」

 声がした方、空き地の出入口を向く。そこには二つの人影があった。一人はさっきまでここにいた、顔の至る所にピアスを通したチンピラ、そしてもう一人は、最初にノした頭よりもさらに一回り大きな体の男だった。

 どうやら、ピアスのチンピラが助っ人を呼んだらしい。うちの学校の制服を羽織っているから、先輩か?

「お前か、俺の可愛いコーハイ達をシメたふざけたヤツ、ってのは」

「そーだよ。けど、大したことないんだね、アンタの後輩も。こんなにあっさりとやられたんじゃ、ちっとも面白くない」

「これから面白くなるから、安心しな」

「アニキ、こんなヤツ、俺たち二人でやっちまいましょう。アニキもいりゃ、何とかなりますぜ」

「二人?お前、何か勘違いしていないか?」

 男がそのチンピラをギロリと睨む。と思ったら、チンピラの方が後ろに吹き飛んでいた。どうやら、自分の後輩を殴ったらしい。気づけば、既に右拳を振り切っていた。

 速い!見えなかった。

「な、何するんですか、アニキ」

「ウルセェ、タコ‼︎」さらに、顔面に蹴りを入れ、その衝撃でブロック塀に頭をぶつける。チンピラは今の蹴りで多分、完全にノびた。だけど、男の攻撃は終わらない。

「テメーらがナメられっぱなしだから、俺までナメられんだよ、ボケが‼︎ゴミヤローがこの俺に知ったクチ聞くんじゃねーよ、カス‼︎」

 ピアスのチンピラが蹴りと壁のサンドウィッチ状態になる。さすがの私も、あ、一人減った、ラッキー、なんて思える余裕は無かった。チンピラの意識が失くなっているのは明白で、顔面は見たこともないほど血だらけ。この男の残忍な性格に思わず、ぞっとする。

「アンタ、もうそこら辺にしてやめなよ。死んじまったらどうするのよ」

「不肖なコーハイにヤキ入れるのは、指導として当然だ。それに、俺たちはな、弱肉強食が掟なんだよ。それは身内でも同じこと。強いヤツが絶対なんだよ」

 あんなにめちゃくちゃにしても、当然のような振る舞いに血の気が引く。けれど私は怯みを見せるわけにはいかなかった。

「つくづく、アンタもクズね‼︎仲間をシメておいて、盗人猛々しいったらありゃしない」

「所詮、俺たちゃボンクラの集まりだ。けどよ、ナメられたらシメーなんだよ。たとえ、それが女であろうとな」

 すると、ズボンから長い棒キレのようなものを引き抜く。と思ったら、ただの棒キレではなかった。

 木刀か。百八十を下らないコイツの身長の半分はあるね。てゆーか、こんなモン学校に持ち込んでるのか。

 それに、刀身が生々しい赤に染まっている。

「こいつは思いのほか強力でよ、ドタマに食らったら一発で割れちまうぜ。そしてご覧のとーり、この赤く染まっているのは、血だ」

 コイツも、このチンピラ達と同じくらい下衆の部類か。いや、血を見て喜ぶ男性、というのは漫画や小説でしか見たことがないから、特殊な感性の持ち主か。いやいや、この男に限っては、単なる頭がおかしい野郎だ。

「俺ァ女だからって容赦しねえからよ、遠慮はしねぇぜ。テメーの血も、こいつに染めてやるよ‼︎」

 敵がついに木刀を振るってきた。私はその動きに集中する。

 右から迫り来る刀身を、しゃがんで回避する。突風のような風切り音が鳴った。

 大丈夫、動きは捉えられる!とりあえず、この二歩分の間合いをキープしながら攻撃を避けよう。

 左右上下から繰り出される攻撃を、次々と難なく避けていく。

「ほらほらどうしたぁ‼︎避けてばっかりだとなんにも始まらねぇぜ‼︎」

 無視!

 武器を相手にするのは初めてだから、今まで通りに立ち回るわけにはいかない。そこで、私は作戦を三つほど立て、少しでも可能性のあるものを検討していた。

 作戦一、こいつは木刀を振り切った時、僅かな隙が生じるから、その間に突っ込む。

 ううん、だめ。隙を突くとはいえ、両手両足を自由にしている敵に突っ込むなんて自殺行為。詰めている間に木刀でやられたらお終いね。

 作戦二、動く木刀を捕まえて、動きを封じる。

 これもだめ。それこそリスクが大きい。ちゃんと捕まえられるか分からないし、捕まえたとしても、痛みに喘ぐのは私の方になりかねない。それに、考えすぎかもしれないが、もしも敵が機転の利くヤツだったら、捕まえた瞬間に木刀から手を離して、その手で殴られる可能性もある。

 作戦三。

 多分、これしかないね。

 長期戦になるのは避けたいため、すぐさま実行に移す。けれどこれは、闇雲に動いては失敗に終わる。敵の木刀の嵐の中である特定の動きをした場合にのみ、実行できる。だから、敵の体全体の動きに集中しなくてはならない。

 攻撃を上手くかわしながら、そのタイミングをひたすらに待つ。飛んだり跳ねたりしているせいで、そろそろ肩が上下し始めた。

 と、その時、

 今だ‼︎

 待ちに待ったその動きを、私は見逃さなかった。瞬時に間合いを詰める。

 その動きとは、木刀を持っている右手を左手の方に引く動きだ。

 そして、渾身の力を込めて、振るった右腕を右の中段で受けて、敵の右手の動きを封じる。そうすれば、左手の攻撃も届かない。この時点で、両腕を封じたことになる。

 とはいうものの攻撃がとにかく重い。重すぎる。思いっきり体重を乗せて受けているが、私の方が先に崩れてもおかしくはない。正直に言うと、甘く見ていた。

 けれど、ここで怯んではいけない。足を踏ん張って懸命に堪える。堪えて、敵のボディに意識を向ける。

 たとえこんなにガタイのあるヤツでも、ここだけはどうしようもない弱点だ。

 お留守にしていた左肘で、思い切り敵の水月を突く。

 敵が水月を押さえてよろめいた。それを引き金に私は一気に畳みかける。

 ヒザ上に下段蹴り、水月に正拳突き、脇腹に中段回し蹴り、などなど。

 敵はよろよろと後ずさる。

 逃がさない!これで終わらせる‼︎

 距離を詰めて、今度は右足で跳ぶ。右足を思いっきり振り上げて、

「たあっ‼︎」

 そのまま砕いてしまうつもりで顎をぶち抜いた。そして、左足から着地する。

 作戦三は見事に成功。内容は簡潔に言うと、敵の右手を受けている間に水月に肘打ち。怯んだ隙にお返しと言わんばかりに怒涛のラッシュ。最後に顔面に蹴りをぶち込む、という感じだ。まあ、最後は正確には顎にキメたんだけど。

「くそ、ったれが」

「大丈夫?無理しない方がいいんじゃない?顎にキメたんだよ?」

 すると、足下に落ちている木刀を拾い上げた。

 うそでしょ。まだやる気?ちょっと足りなかったかな。

 敵は片膝に手を突いて、ギロリと鋭く睨みつける。まだやる気なのか。だけど、結局はそれも呆気なく崩れた。そりゃそうだよね。顎狙うと脳震盪起こすからね。

「ふう。あ」

 そういえば、まだやることが残っていた。一番肝心なことだ。ズンズンと、未だにダンゴムシ状態の頭へと歩み寄る。いつまで蹲ってるんだか。

「ねぇ」私はそいつの前にしゃがみ込んで、声をかける。「ねえ、起きてるんでしょ?」

 小さい声だが返事はあったため、幸いにも意識はあるらしい。

「アンタの仲間、全員シメちゃったよ。どう?これでも私の要件、聞き入れられない?」

「わ、分かった。約束する。あいつにはもう手を出さないよ」

「よし、約束だね。もし破ったら」ぐいっ、と胸ぐらを掴んで睨みつける。「正拳二発じゃすまさないよ?」

「は、はい」

「あと、さっき裕太くんは弱いとか何とか言ってたけど、私が思うに裕太くんは、どこの誰よりも強いよ」

 私はヘアゴムを外してポニーテールを解いた。

「誰かが困っていたら手を差し伸べる、誰かが殴られていたら自分が盾になる、弱い人間にそんなことできるわけがない。もし、アンタ達が誰かに殴られているのを裕太くんが見たら、多分、迷わず助けるんじゃないかな。で、裕太くんが殴られたら、今度は私が倍にしてそいつをぶん殴る。倍返しだ!ってね」

 目の前の頭のチンピラは、怯えているのか、何かを悟ったのか、どちらともとれないような表情になっている。

「はあ、なんか今日は疲れた。もう帰る」

 胸ぐらを離して立ち上がった時、

「アンタの名前、聞かしてくんねぇか?」

 そう呟くのが聞こえた。

 私は近くに置いてあった学生鞄の拾い上げ、雲の切れ間から日光が空き地に降り注ぐのと同時に、背を向けたまま言った。

「孤高の空手少女、日菜って覚えておきな」

 そして、空き地を後にする。狭い路地を歩きながら、「調子に乗りすぎちゃったかな」なんて考えて大きな通りに出ると、

「ひゃあ⁉︎」

 驚くことに裕太くんがいた。今この時になって心臓がバクバクしている。

「ゆ、裕太くん、どうしてここに?」私は裕太くんにも空手をしていたことを秘密にしているため、シラを切ることにした。

 すると無言で、大きめのポリ袋を手渡してきた。受け取ると、中にはタオルと雨合羽が入っている。いや、晴れちゃったんだけど。

「これ、どこから?」

「購買」

「へぇー、購買って雨合羽も置いてあるんだねー、って、ちょっと待ってよー!」

 いつの間にか先に歩いている裕太くんに追いつくと、「ねえ、どうしてここにいたの?」と聞き返す。

 だけど、なぜか裕太くんは口を開かない。

「ねえってば!何か言ってよぉ!」

「お前もけっこうおっかないんだな」

 ボソボソとしていたが、私の耳は聞き逃さなかった。

「え⁉︎え⁉︎うそ⁉︎裕太くん⁉︎まさか」

 裕太くんはだんまりしたまま早足で私を追い越して進んでいく。

「ねえー!なんで逃げるのー!何か言ってってばぁ!」


 私が空手を始めるきっかけとなったのは六年前、小学四年生の頃のあの日。

 裕太くんが六年生の不良から、私を守ってくれた時だ。

 その発端となった原因は、私にある。

 放課後、日直で教室の掃除をしていた私は、モップがけをするために使った、バケツに入った汚くなった水を誤って六年生の人にぶちまけてしまったのだ。私は必死になって謝ったが、相手が悪く、到底許してもらえそうになかった。その相手というのが、校内一番の、というか、学校の歴史上最悪の問題児と言われている二人組だった。この二人からリンチに遭って大怪我をした人は数知れず。校内では『サイコパスコンビ』などと囁かれていた。

 必死の謝罪も虚しく、挙句の果てにはパーで殴られる始末。事故とはいえ悪いのは私だから、我慢するしかなかった。

 そんな時だった。

 裕太くんが現れたのは。

 目の前に裕太くんがしゃがみ込むと、私はすがる思いで裕太くんに抱きついた。我慢していた涙がぼろぼろと頬を流れる。

 怖かった。

 痛かった。

 苦しかった。

 そんな私の苦痛を優しく受け止めるように、裕太くんも私の背中に腕を回してぎゅっと抱きしめ返した。

 それでも不良達は、攻撃を続ける。しかも今度は裕太くんに標的を変えた。自分の身体を盾にして、懸命に私を守ってくれている。

 目の前の大切な人が私のために、痛みに顔を歪ませるのを見ていると居ても立っても居られなかった。

「ゆうたくん、もういいよ!日菜のせいだから、日菜のせいだからゆうたくんははなれて!」

「い、いやだ」

「え?」

「俺が、ひなちゃんを守る。だから俺は、はなれない!」

 その一言が、私の心に深く刻まれている。嬉しかったのは言うまでもないが、「なんで私なんかのために」という悲しさも大きかったのだ。

 裕太くんは私のために耐え忍んだが、二人に無理やり引き剥がされて、そのまま袋叩きされてしまう。そのあまりの悲惨さに、私はぐうの音も出なかった。

 それでも裕太くんは、私を守ろうとしていた。

「ひなちゃん、逃げて‼︎」

「へ?」

「お、俺はいいから、逃げて‼︎」

「で、でも、ゆうたくん」

「早く‼︎」

 ボロボロな裕太くんの剣幕に押されるが、私が招いたこの現場から尻尾を巻いて逃げる、なんてことはすぐにはできなかった。

 助けなきゃ。心ではそう思っているのに、足がすくんで動かない。立ち向かっても、二人をやっつけられる腕力も無ければ、裕太くんの代わりになる勇気も無い私にできることは、一つしか無かった。

 職員室に行って先生を呼び出し、教室へと向かわせた。

 そして私は、傷ついた裕太くんを見るのが怖くて、そのまま逃げるように帰った。


 翌日、裕太くんは顔中に絆創膏を貼りつけて学校に来ていた。裕太くんは努めて平気そうな顔をしているが、時々苦痛に顔を歪ませる。その痛々しい姿を目にする度に、私は抉れるような思いだった。

 それに引き換え、昨日のあの二人組は、相変わらず横柄な振る舞いを崩さなかった。

 顔中傷だらけの裕太くんと、卑しい顔つきでヘラヘラしているサイコパスコンビ。この二つの差が、私はとことん気に入らなかった。人生で初めて、心の底から湧き上がる怒りを感じた。

 あの二人をやっつけられるくらい、強くなりたい。

 怒りが復讐心に変わる。これも、人生で初めてだった。

 私はその時、武道の道を進むことを決めた。柔道や剣道、あらゆる武道から選び抜いたのは、空手だった。動機としては、いつか校長先生が全校生徒の前で披露した空手の型を見て、カッコいい、と思ったから、というのも一つだが、彼らをこの拳でぶちのめさないことには、私の気持ちは晴れそうになかったのだ。

 お母さんからの許可を得て、校長先生のコネを利用し、裕太くんには内緒で私は、近くの空手道場の門を潜った。

 それから、修行の毎日が始まった。

 強くなりたい。ただ、その一心で。


 私が通っていた道場の掟として、「道場の外で他者に拳を振うべからず」というものがある。もちろん私も、それをちゃんと理解していた。

 その上で、サイコパスコンビ含む六年生の卒業式の日、人気のない体育館裏にその二人組を呼び出した。当然、目的は第二ボタンなどではない。鉄拳制裁を下すことだ。

 正直に言うと、怖かった。なんでこんなことしているんだろう、なんてノイローゼに陥りかけたくらいだ。たかだか半年ちょっとの修行の成果なんてたかが知れている。強いて言うなら、瓦割りがようやく二枚できるようになったくらいだ(今考えたら、半年で瓦割り二枚はけっこう凄いと思うが)。

 けれど、後には引けない。この日を逃しては、あの日の復讐を果たすことはできないのだ。破門も覚悟している。

 私は意を決して、瞬時に敵との間合いを詰めた。


 気がついたら、決着が着いていた。

 一人はダンゴムシ状態、もう一人は仰向けにノびていた。私は肩で息をしながら両足で立っている。体の至る所に鈍い痛みが走っていた。

 やった。

「裕太くん、勝ったよ」

 暖かな弥生の空を仰いで、静かに呟いた。そよそよと吹く春風が、私の髪を揺らす。


 後日、私は叱られるのを覚悟で、師範に卒業式にあったことを赤裸々に話した。隠蔽も可能だったかもしれなかったけれど、私の良心がそれを許さなかったし、それ以前に、顔や身体に貼られた絆創膏が何よりの証明になっていたのだ。

 私の予想に反して、師範の反応は優しかった。むしろ、褒められた。私はルールを破ったのに、だ。

 師範の言い分は、こうだった。

「自分勝手な感性で誰かを傷つける人に、空手の道も人の道も開かれない。でも、誰かのために、誰かを守るためなら、遠慮せずにぶっ飛ばしてやりなさい。僕は、そうやって自分の大切な人を守れる門下生を育てていきたいと思っているんだよ」

 最後に、「それでも、掟を破ったのは事実だからね、次は無いよ」と釘を刺され、話は終わった。

 当然ながら、周りの門下生からは白い目で見られた。師範の言い分がどうであれ、掟を破ったことには変わりはないのだから。詳細を話しても焼け石に水なのは当然なので、私は何も言えなかった。

 そうして、月日が流れていくうちに、裕太くんが変わった。中二の時だ。

 先生にも手を上げてしまうほど、荒れに荒れてしまったのだ。

 私をも避けようとしていた裕太くんにショックを受けたのは言うまでもないけれど、あの裕太くんが、わけも無く豹変するわけがなかった。私はそう確信していた。中学に入ってバスケを始めた裕太くんは、人一倍努力しているのに周りからは見下され、少し勉強ができないからって裕太くんを差別する先生たち、罪も無い人をいじめて楽しむ不良たち、その全てに嫌気がさした、ように私は見えた。

 理由もなく荒れたのなら、暴力から他人の盾になることなんて、しなかったはず。一方的な暴力を許さないのが、裕太くんだから。

 そんな裕太くんの信念を踏みにじって、弱い人にしか手を出さない奴らが、私は許せなかった。掟なんて、くそくらえだ。バレなければいい、なんて考えていた。

 それから、私の目の届く範囲で、一方的に暴力を振う輩を叩きのめし、「今度弱い者にヤキ入れようってんなら、また私がアンタにヤキ入れてやるよ」と釘を刺して回った。誰にも見られないようにして。

 裕太くんにとっては、余計なことだったかもしれない。迷惑だったかもしれない。私のしていたことは、決して正しいとは言えないのかもしれない。

 だからといって、ただ部外者面して見ているだけ、なんていうのは耐えられそうになかったから、たとえこの拳を凶器に変えてでも、やるしかなかった。

 もちろん、表では裕太くんとの時間を大切にした。


 中三になって、進路について考えなければならない時期に、裕太くんは、「高校へは行かない」なんて言い出した。当然、私は死ぬほど説得した。行かないで何するの?って聞いても、はっきりしたことは言わないから、余計に必死になった。

「行ったって、どうせつまんねーだけだ」その答えしか返って来ず、なかなか頷こうとはしなかった。

 それでも説得を続けて、ついにその努力が功を奏して、裕太くんが折れて、私と同じ地元の高校へ行くことを決意してくれた。十二月だった。

 その学校は程度は低いけれど、そこですらも危うい裕太くんと二人三脚で勉強した。そんな時でさえ先生方は「高校、行くことにしたのか。ま、せいぜい頑張るんだな」なんて言って裕太くんを相手にしなかったし、裕太くん自身も先生方をあてにしていなかったから(当然、私も腹が立ったのもある)、私が教えることにしたのだ。

 裕太くんは、本当に粘り強く頑張っていた。全然身に入らないのか、時々弱音を吐くこともあったけれど、自分で立ち直っていた。泣きそうになってた時もあったけど。

 そして、あっという間に受験が終わり、合格発表の日が来た。裕太くんはしれっとしていたのに対して、私は恐怖心を伴った緊張が体中を疾走している中、私たちの番号を探した。

「あ」裕太くんが合格者一覧の方を指さす。「あれ、日菜のじゃないか?」

 目を凝らしてよく見ると、確かに私の番号だった。

「よかったな、日菜」

「よくないよ、裕太くんのも見つけなきゃ」

 裕太くんの番号を改めて確認して、血眼になって探す。

 あれ、見つからない、うそでしょ。

 絶望の谷底へ落とされる気持ちになりそうな時、

「あ‼︎」

 思わず声を上げた。

 一覧表の一番右下の方に、裕太くんの番号があったのだ。

「やったぁ!やったね、裕太くん!」私は歓喜のあまり、体当たりするように裕太くんに抱きついた。「裕太くん、あっち見て、右下!ほらあったよ!」

「本当だ」

 静かに、そう呟く。「本当に受かったんだな、俺」

 私は、するりと抱きしめる腕をほどいて、裕太くんの手を握る。

「そう。裕太くんが頑張ったおかげなんだよ。それに裕太くんなら、きっと受かるって、私も信じてたよ」

「そうか」

 自分の番号を見つめながら、私の手をぎゅっと握り返す。口にはしないけど、裕太くんも心の中では喜んでるのかな。

 そう思うと、途端に私も嬉しくなる。

「そういえばさ、お母さんが合格祝いのご馳走、作ってくれているはずだから、私ン家行こうよ!お母さんのご馳走、とっても美味しいんだよ!」

「俺たちが受かる前提で作っているのか、日菜のお袋さん。もし落ちてたらどうするつもりなんだ」

「もー、受かったから別にいいじゃん!お母さんだって、裕太くんの合格を願っていたんだよ。とりあえずさ、ご馳走食べよ!ご馳走!」

「あ、おい、引っ張るなって」


 そして、高校に入学してもうすぐ五ヶ月。昨日の一悶着から一晩が経った。

「おっはよう、裕太くん!」「いてっ!」

「突然だけど、裕太くん、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「な、なんだよ、唐突にそんな真剣なツラして」

「私とさ」

 焦らすようにして鞄からあるものを取り出す。

「餡パン食べる?」

「食べる」

「ふふ、はい、半分」

 裕太くんと、こうして楽しい毎日を送っている。

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