絶望の淵にいた悪役令嬢は、最後の最後で救いの手が伸ばされる
彼女はすべてに絶望していた。今この場にいるのは非常に苦痛であり、どこかへと逃げたいという気持ちでいっぱいであった。そうはいっても逃げる場所もなく、どこへ行くこともできないのもわかっていた。
それに、今ここで逃げれば、自分の結末がさらにわからなくなるのである。よりつらい現実を見るのであれば、彼女は知っている悲しい結末を選ぶほかはなかったのである。
彼女は転生者であった。といっても記憶のほとんどはあやふやであったが。自分の名前も、家族も、どんな死に方をしたのかもわからなかった。絶対に忘れたくなかった記憶があったということをどこかで感じていたので、彼女は思いだそうとしたが、彼女が常に鮮明に思いだせたのはある事柄だけであった。
それは自分が大好きでやりこんだ乙女ゲームのことであった。
だが、彼女はどうして、その記憶を思い出してしまったのだろうか、と思っていたのだずっと。そうすればここまでの絶望を味わわずに済んだのだから。
彼女の転生先は自分が鮮明に思い出すことができた乙女ゲームの悪役令嬢であるミランダであった。
この悪役令嬢の最後は、学園の卒業記念パーティーで行っていた悪行の数々をヒロインと攻略対象者に暴露されるというものであった。そして、その時感じた絶望と悔しさと悲しさから化け物へと変貌し、それをヒロインと攻略対象によって倒されるというものであった。
どのルートであっても、その結末は変わらなかった。ミランダはゲームにとってラスボスであったのだ。
彼女はそれに気づいたとき、その結末を回避すべく、奔走した。ヒロインと攻略対象者、いやそれだけでなく、乙女ゲームの舞台であったアリアス王国のために、そこに住まう人々のために、すべてを投げうった。自分の破滅の結末を、自分の死の未来を回避し、明るい先がある未来をつかみ取るために。
だが、どれだけ努力をしても、その努力が実ることはなかった。どれだけ良い行いをしても、それはすべて別の人の手柄になり、むしろそれを妨害していた、そもそも問題を起こしたのは彼女であるという風にすべてが悪い方へ、悪い方へと流れていった。
それに加えて、自分が信じてきた人たちにもどんどんと裏切られていった。例え命を助けた人物であっても、なぜか恨まれるようになっていた、
それでも、きっと誰かがいつか信じてくれる、誰かが助けてくれる、未来は変わるはずだ、と思いながら彼女は奔走し続けた。
何度泣いて、何度心が折れそうになったかはもう覚えていない。それでも彼女は明るい未来があると信じ続けた。
だが、結末の日である卒業記念パーティーになっても、自分の評価は最低最悪のままであり、自分のことを信じ、守ってくれる人もいないままであった。
そして、彼女はすべてに絶望したのである。自分がどんな行いをしてもゲームの強制力か何かによって未来は変わらない。
彼女はそのことに、結末の日にようやく気づいてしまった。彼女は卒業記念パーティーに最初行くつもりはなかった。だが、行かなかった場合の未来がどうなるかわからなかったし、どれだけあがいても行く羽目になるのであろうと思うと、もうどうでもよくなった。
涙はもう枯れてしまったらしく一滴も出なかった。
運命に従おうと、自分の破滅で、自分が助けてきた、信じてきた人たちが今後未来ある結末を送れればもう構わないということにした。
実際は彼女はそう思いこむことにしたのだった。もう彼女は希望を見たくなかったし、誰かを恨み、怒り、ねたむ気力も体力も使い果たしていたのだった。
彼女は卒業記念パーティーに参加した。たった一人で。今回のルートは王道である第一王子のルートだったようで、自分は第一王子と婚約していた。そのため、エスコートの相手は彼のはずであるが、彼は来なかった。
彼女は驚かなかった。知っているのだから。結末もその経緯も。
彼女はパーティーでヒロインと第一王子が来るのを一人で待つ。心の中は絶望一色であったが、それを表に出すことはなかった。それは最後の彼女の意地であった。
死ぬのであれば、破滅を迎えるのであれば、あのゲームのようにやってやろうと思ったのだ。
どうせ、自分は死ぬのであるから、疲れは全く気にすることはなかった。
今まで一度も着てこなかった、ゲームではミランダがいつも着ていた真っ赤なドレスを着て、彼女は待っていた。
そして、ついにその時が訪れた。会場が騒がしくなったと思ったら、第一王子の目の色である青いドレスを着たヒロインが第一王子と共に会場に入ってきていた。
彼女はようやくか、と思いながら、彼らが自分たちの前に来るのを待つ。
彼らはゆっくりとだが着実に、こちらへと向かってきていた。本来ゲームであれば、こちらが詰め寄るのではあるが、そこまでの気力も体力もなかった。ただどうして、という顔とふざけるな、という顔を足したような顔をしているので精いっぱいであった。
彼らは彼女の前に立つ。第一王子は彼女を冷たい目で見ていた。その冷たい視線にさらされながら、彼女は思う。
この第一王子のために、自分は何をしてきたのか、を。彼が困ることがないように、悲しむことがないように、辛いことがないように、と彼女は様々なことをしてきた。それが報われることなく、何度のこと視線を向けられたのだろうか、と。
「ミランダ、君の悪行の数々はもう白日のもとに晴らされる。君が今まで隠してきた証拠はもうこちらの手にある」
「何のことでしょうか」
彼女は声が震えてはいないだろうか、と心配しながらゲームと同じセリフを言う。
「とぼけるな」
第一王子は彼女に向かってそう怒鳴る。その声色も表情も彼女は知っていたものであった。そして、ヒロインが次になんて言うのかを。
「ミランダ様、私はあなたを許せない。だけど、まだやり直せるはずです、どうか自らの罪を認めてください」
ヒロインは温厚な性格という設定だった。だけどヒロインは最後、許せない、とミランダに言う。その後、例え彼女を諭すものだとしても。それがミランダの悪役令嬢の悪行の数々の重みをわからせるセリフだった。
これを言っているヒロインの表情は前半は毅然としたもので、後半は温厚な笑顔であった。ゲームと同じであった。
彼女はそれを聞いて、やはり変わらなかった、と絶望のままゲームと同じようなセリフを言おうとする。覚えているのだ、何度もこの卒業記念パーティーのシーンを見た、何度も感動した。
彼女はこのセリフを言う必要はないのかもしれない。彼女が自分の罪を認めれば、ヒロインは言葉通りに第一王子にとりなしてくれるかもしれないのである。
だけど、それは彼女にはできなかった。
だって、ずっと裏切られてきたのだ。この世界の人物に。
それに、罪を認めればより悲惨な結末が待っているかもしれない、そう思うと彼女は怖かった。だから、彼女はゲームの通りふるまう。
「私は悪くないわ。すべてあなたが悪いのよ、あなたさえいなければ、あなたがいるから」
そして、彼女は一度言葉を切ると、これに続くミランダの最後のセリフを言おうとする。
この一言を言えば、彼女は化け物になる。怒りと絶望に心を奪われた醜く、そして悲しい化け物に。
「そこまでだ」
誰かがそう大声で言った。彼女の言葉を遮るように。会場にいる全員がそれを言ったのは誰だ、と思い、その人物を探す。
そして、その人物を全員が認識する。
それは青年であった。格好からその人物はこの国の騎士であるようであった。
彼女はその人物を知っていた。だけど、彼はゲームの中ではモブどころではなく、ゲームでは登場しない人物であり、名をグスタフと言った。
しかも、彼女はほとんど彼とは面識がなかった。昔偶然王宮で会って、それ以来一度も会うことはなかったはずであった。
彼はまっすぐ、ミランダのところまで来る。そして、彼女の前に立つ。
「ミランダ嬢、あなたは何も悪くない。それにそこから先を言えば取り返しのつかないことになる。だから言ってはいけない」
グスタフは慈愛に満ちた視線を向けながらそう言った。彼女は驚きと困惑で心がいっぱいであった。なぜ、こんなことを彼は言っているのだろう、なぜ彼は自分のことをかばおうとしているのだろうか。
「貴様、何を言っている。その悪女をかばうのか」
第一王子はグスタフに向かって大声で言う。彼は第一王子のほうを振り向くと、第一王子に冷たい視線を、忠義の対象である王族に向けて言い放つ。
「悪女とは誰のことだ、ここにいる彼女は、ミランダ嬢はこの国きっての聖女だ」
ミランダはグスタフが言い放ったことを聞いて、一瞬心が揺らぐ。彼女は今ようやく未来が変わったのではないか、と思っていた。暗く絶望しかない未来から、明るい希望溢れる未来へ。
だがすぐに、そんなはずはないと心の中で断言する。彼はきっと私をはめに来ているのだ、と思っていた。自分が助かる、と思った瞬間に裏切ってくるのだ、と。
もう何度も裏切られてきたのだ。多くの人に、この世界に。
「貴様、何を言っている」
「僕は事実しか述べてない。彼女に罪などない」
「ミランダ、貴様。騎士をたぶらかしたのか」
第一王子はそう言ってミランダをにらむ。だが、それを阻むようにグスタフは彼女の前に立つ。そして、彼女のほうを向いて手を伸ばしながら言う。
「君を助けたい。でもそのために、僕の手を取ってほしい。そうでなければ君を救えない」
グスタフはそう言って彼女に手を伸ばす。
彼女はどうしたらいいのかを迷っていた。なぜなら、彼の手を取れば助かるかもしれない。暗く絶望しかない未来から、明るい希望溢れる未来に変わるかもしれない。
だけど、彼女は怖かった。だって今までそう信じて色々やってきたのだ。だけどそれは報われなかった。裏切られ、傷つけられ、思いを踏みにじられてきた。今更助けが来るなんて、都合が良すぎるのだ。
もう彼女は何にも期待したくなかった、何も誰も信じたくなかった。もう終わりにしたかった。もう何かに期待することは疲れてしまったのだ。
彼女が迷っている間に、二人の周りは騎士に囲まれていた。二人をとらえるために、第一王子が呼んだのであった。
グスタフは周りを一度見まわした後、もう一度ミランダのほうを向く。
「君は何度も裏切られた、何度も傷つけられた、何度も思いを踏みにじられてきたのは知っている。だから、もう何も期待したくないし、何も誰も信じられないと思っているのは知っている。信じることが怖くなっていることを知っている。今更、希望なんてないと思っているのも知っている」
ミランダはグスタフの言っていることがすべて当たっていることに驚く。騎士たちはじりじりと彼らににじり寄っていた。グスタフはそれをわかっていても、彼女だけを今見ていた。
「僕のことが怖いだろう、信じられないだろう、猜疑心で心の中がいっぱいになっているだろう。それにもう一度希望から絶望に落とされるならば、希望はいらないと思っているだろう。だけど信じてほしいこの僕を。自分にはまだ明るい希望溢れる未来があると信じてほしい。どれだけ怖くても。今僕の手を取ってほしい。もう一度だけ勇気を出してほしい。未来を変えるという選択をとることへの」
グスタフは訴えかける。ミランダの心に。彼女を救うために。彼の手は差し出されたままであった。
ミランダはまだ迷っていた。いや怖がっていた。
ミランダは裏切られた。傷つけられた、思いを踏みにじられてきた。
信じた人に、信じたことに、信じた未来に。
だから、彼女は怖いのだ。光を見るためにずっと頑張ってきた。
でもその光は見えなかった。
今は見えそうになっている、その求めてきた光が。
だけど、その光がもし見えなかったから、そう思うと彼女は怖かった。
だから彼女は手を伸ばせない、グスタフの手を取ろうとすることができなかった。
騎士はもうすぐにでも二人をとらえようとしていた。彼女とグスタフが騎士にとらえられれば、もうグスタフの手は取れない。彼女はそのまま破滅へと死へとまっすぐ向かうだけである。
(嫌だ)
突如その一言がミランダの胸の中に現れる。そして、その一言は胸の中をいっぱいにしていく。
この一言が増えるたびに、彼女の手はグスタフの手に伸びていく。
そもそもミランダはグスタフのことをよく知らない。どんな人物であるかも、どんな人生を送ってきたのかを知らない。
だけど、彼女の予感はずっと告げていた。グスタフが自分をかばおうとしてくれた時から。彼女はそれに気づかないようにしていたが。
この人は私を裏切らない、私を助けてくれる、と。
そして、ついにミランダの手はグスタフの手に触れる。ミランダはグスタフの手を取った。
その瞬間、彼女は無意識に一言を告げる。もう枯れてしまっていたと思っていた涙を流しながら。
「助けて」
グスタフはそのミランダの一言に笑顔で簡潔に返答する。自信満々に。その笑顔に彼女はなつかしさを覚えていた。
「任せて」
グスタフはその返答と共に、彼女の体を引き寄せる。
騎士はそれを見て、動き出す。彼らをとらえるべく、だが突如彼らがいた場所が大きな光に包まれる。
その場にいた人々が、突如とした光に目を潰され、次に目を開けた時には、ミランダとグスタフ二人がいた場所には誰もいなかった。
ミランダとグスタフはいつの間にか広大な花畑の中にいた。周りにはただ花畑しかない謎の世界へ。
「ここは?」
彼女は反射的につぶやく。グスタフは何も答えないまま、ただ無言で彼女の体を離す。そして、少し離れるとグスタフは頭を下げる。
「ミランダ嬢、遅くなって申し訳ない」
ミランダはそのグスタフの行動に驚く。
「そんな、謝ることなんて」
「いや、もっと前に君を救いだせたはずなんだ、僕は」
グスタフは悔しそうにそう言って、頭を上げないままであった。ミランダはそのことに動揺する。そして、とりあえず話しをそらすべく尋ねる。聞きたかったことを。
「あのなぜ私を助けてくれたのですか?」
「それは君が悪くないのに悪人にされかけていたから」
グスタフは顔をあげると、ミランダからは顔をそらしたまま、なにかを誤魔化すように、隠すように言う。ミランダにはその時の表情がまたどこかで見たものだった気がした。
「とりあえず、君には新しい未来が待っている。もう二度とあのようなことはない」
グスタフは笑顔でそう言う。ミランダは本当に?と心の中に一瞬その疑問が出てくるがすぐに、本当だ、もう私は救われたのだ、あの絶望しかない状況からとなぜか思えていた。どうしてかはわからなかった、自分の心は晴れやかであった・
「あの、そう言われても私はこれからどうなるの?」
「君は新たな自分でもう一度人生をやり直すことになる。あの地獄のような日々の記憶を消し去ってね」
グスタフはそう言った。ミランダはそれに一瞬怖さを覚える。もう一度転生するとグスタフは言ったのだから。
「心配することはない。君の新たな転生先は希望溢れる未来しかない。それは私が保証する」
グスタフは笑顔で言う。そんな保証に価値があるのか、と彼女は思うが。どうしてだかわからないが、それは信じて問題ないと思えていた。
そして、ミランダは突然なぜだかわからないが、徐々に眠気を感じていた。ミランダはその眠気に抗えず座り込む。
「さて、そろそろだな」
グスタフはつぶやく。ミランダはそのつぶやきを聞いて、おそらく、ここで眠れば自分の新しい人生が始まるのだろうと思えた。
ミランダは眠気の中、グスタフに問う。この時、突如わいてきた疑問を。
「あなたはどうなるの?」
「僕は君と同じだよ」
グスタフは笑顔でそう言った。だけど、ミランダの心がそれは嘘だ、と告げていた。
「嘘」
ミランダはグスタフに一言そう告げる。グスタフは困ったような笑みを浮かべる。それもどこかで見た気がした。その笑みを浮かべたまま、グスタフは何も言わない。
ミランダは眠気に抗う。寝てはいけない、寝たらいけないと本能が告げていた。
「だめよ、だめ。私はあなたと離れたくない。私はあなたと一緒にいたい。あなただけが信じてくれた、あなただけが助けてくれたの。だから」
ミランダが何かを続けようとすると、グスタフはそれを唇で塞ぐ。ミランダは突然のことに驚くが、この行為がどこかなつかしさを帯びていることに気づく。なぜだかはわからなかったが。
少しして、グスタフは唇を離す。
「ありがとう、そう思ってくれて。でも君のことを信じてくれるて助けてくれる人はこれからもっと現れるよ。だから君は大丈夫。僕がいなくても」
ミランダは嫌、待って、と言おうとする。だが、その言葉は口から出ない。ミランダの目は勝手に閉じて、目の前が暗くなる。どんどんと眠気に体が支配されていく。その最中、グスタフの言うことが聞こえた。
「幸せに、由希」
由希、それは前世のミランダの名であった。そして、その時、自分の前世の記憶のすべてを取り戻した。絶対に忘れたくなかったと思えた記憶を。前世の恋人との記憶を。
だけど、その記憶に従って何か言葉を紡ぐ前に、何か行動を起こす前に、彼女の意識は消えてしまう。
一人の少女は暗い部屋の中で目を覚ます。その少女は、自分の頭の中がごちゃごちゃしていた。
そして、その頭の中の整理がつくと、自分が転生していることに少女、いや由希は気づく。由希は自分が不慮の事故で死んでしまっていたということを前世の記憶から思い出す。
しかも、20歳という若さで。彼女は自分が寝ていたベッドから自分の体を起こす。少女としての記憶から、自分が5歳という若さで病気で死にかけていたことも思い出す。だが、今は病気から快復したようであった。
その時、彼女は自分の顔に触れると、自分が涙を流していたことがわかる。なぜこんな涙を流していたのかは思い出せない。
彼女は病気の苦しさで泣いていたのだろうと判断する。この涙にはあまり価値がないと思う。そして、これから先のことについて考える。
「今度は若くして死なないようにしよう。それに前世は恋愛事には関わりがなかったから、恋愛とかもしたいな。恋人は優しい人がいいよね、それに他にも色々やりたいことあるな」
彼女は夢を見ているかのような気分であった。これからやりたいことがどんどんと頭の中にあふれてきた。
彼女は自分の新しい人生がどうなるかを思うと、楽しかった。これから先、なんでもできるわけではない、でもどこか自分はこれから幸せになると思えていた。
彼女はそんなことをしばらく思っていたが、今は体力回復のために寝ようと決める。そして、ベッドに寝転がると目を閉じる。彼女は目を閉じたままでも、今後どうなりたい、どうしたいかを考えていたが、いつの間にか寝ていた。
彼女はその後、ずっと幸せな人生を送れたまま、初めてできた恋人であり、そのまま旦那になった人と長生きをして、たくさんの友人と家族に囲まれ、私は幸せだ、と思いながら死んでいった。
彼女が前世の恋人について記憶が蘇ることはなかった。それに絶望しかなかった悪役令嬢に転生していた時のことも。最後までずっと…