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苦情

 亜矢子は三日で小説「革命とウサギ」を完読した。だが、三日で完読したのには理由があった。休み時間はおろか、授業中でも隙をみては小説を読んでいたからである。数学の時間に亜矢子がこそこそしているのを発見した担当教師が、亜矢子の机の中に小説が開かれているのを見て「そんなに本が好きなのか?」と訪ねると、「川柳部の課題なんです」と答える亜矢子に「川柳と同じくらい、数学も好きになってほしいな」と告げると、「文字だけの本は苦手なんです。あっ、数学もですけど」と亜矢子が答えて教室に爆笑が起きた。数学教師は苦笑して亜矢子に小説を仕舞うよう促して授業を続けたのである。他の教科でも似たような事が起きたが、どの教師も亜矢子を叱る事はなかった。


 亜矢子は「革命とウサギ」を読んで作った川柳を「思ってたより早かったでしょ?」とばかりに遠藤に提出した。遠藤は亜矢子の川柳を見て頭を抱えた。

「川澄が二句投句したぞ。みんな聴いてくれ」

 高杉以外、誰も期待していなかった。

「革命は痛いし死ぬししんどいし」

 麻山と政美は顔を見合わせて冷笑した。

「ただの説明じゃん」

「川澄はああ感じたんだろ?」

 亜矢子は麻山達の元へ歩み寄った。

「なっ、何だよ?」

「麻山先輩、北先輩。拷問って知ってます? 十三歳の男の子が家族に温かいスープを食べさせたいって理由で革命グループに入って、でも国の兵隊に捕まって鞭で叩かれたり、顔に溶けた蝋燭を垂らされたり、それでも秘密を守って『家族に温かいスープを!』って言い残して死んじゃうんですよ。アタシ、涙が止まらなくて」

 高杉は亜矢子の感受性の強さに、川柳部の未来を託せるかもしれないと感じた。

「川澄、席に戻れ。もう一句読むぞ」

 高杉は密かに期待した。

「なんて事するのひどいよウサギ狩り」

 里子は大きなため息をついた。

「じゃ、あんたは肉や魚は食べないのか」

 亜矢子は里子の元へ歩み寄ろうとしたが、高杉に止められた。

「だって、ウサギが可哀想だから」

「日本では兎は愛玩動物だ。だが、国によっては食用だったり、衣料品の原料に使用しているんだ。日本だって鯨を食用にしている地域もあるんだ」

「そういえば、小学校の給食でクジラの竜田揚げが出てたな」

「だろ? 自分の価値観だけで物事を決めつけては駄目だ」

 遠藤は咳払いをして、亜矢子と高杉の会話を中断させた。

「川澄、授業中に小説を読むのはよせ。川柳に熱心なのはいいが、授業は真面目に受けろ」

「だって、休み時間にずっと本を読んでるとクラスのみんなが心配するんです。だから、授業中に…」

 高杉は亜矢子が良いクラスメートに囲まれているなと安心した。

「それに、早弁したり漫画読んでる訳じゃないから、先生達も怒んないし」

「俺に苦情が来た。川柳部では授業中に課題をさせてるのかってな」

 遠藤は亜矢子の行動に呆れるしかなかった。まさか、授業中に小説を読むとは思ってもみなかったからである。

「先生、少しだけ川澄の指導をさせて下さい」

「若柳、十五分だけだぞ」

 高杉は亜矢子を右隣に着席させた。

「高杉先輩、折角早く読んで川柳二つも作ったのに、どこがいけないんですか?」

「さっき、拷問を受けて死んだ少年の事で感情的になってただろ? それを川柳にするんだよ」

「拷問の酷さを?」

「拷問を受けた少年の事をだよ。川澄はその少年に感情移入したんなら、それを川柳にすべきだよ」

「アタシ、拷問のシーン読んでて国の兵隊にアッタマ来て」

 高杉は亜矢子に色々な本を読ませたいと思った。だが、現時点では一冊読むのにかなりの時間がかかってしまうので、亜矢子に本を薦めるのは控える事にした。

「それとだ。本を早く読む必要はない。授業はちゃんと受けて、休み時間は友達と喋ったりしてもいいから、川澄のペースで本を読んで川柳を作ればいい」

 遠藤は自分が言いたい事を高杉に言われて、顧問として立つ瀬がなかった。

「川澄、明日句会をするから。お前は見学して川柳の句会がどのように行われるか、じっくりと学べ」

「句会? 鹿おどしとか用意するんですか?」

 高杉以外の先輩達が大爆笑した。

「川澄、テレビの見すぎだよ」

「別に和室で句会する訳じゃないからさ」

 亜矢子はテレビドラマのワンシーンで、鹿おどしが響く中、和室で和服姿の男女が短冊を持って句を読み上げているのを思い浮かべたのだ。

「川澄、今から席題をやるぞ。『遠足』で一句作ってみろ」

 席題とは、その場で出される川柳のお題である。短時間で作句しなければならないが故に、日頃の勉強が試され、自分の実力が分かると席題を好む者もいる。高杉もその一人なのだ。

「えっ? 今すぐ?」

「今から三十分で川柳を作れ。遠足は行った事があるだろ?」

「ありますけど~」

 高杉は亜矢子にアドバイスしようとしたが、遠藤が彼を制した。

「若柳、お前は自分の作句をしろ。川澄に構い過ぎるな」

 高杉は渋々、遠藤の指示に従った。

「遠足にまつわる事を川柳にすればいいんですよね?」

 亜矢子は大学ノートにシャープペンシルを走らせた。

「ハイッ‼ 出来ました!」

 亜矢子は遠藤にノートを提出した。遠藤は亜矢子の頭の中はこれしかないのかと、ため息すら惜しむように彼女の川柳を読み上げた。

「分けあえばおやつ三百円を越す」

 高杉は亜矢子が多くの友人に囲まれているなと感じた。

「訳がわからん。川澄、説明しろ」

 亜矢子は立ち上がって先輩達を見渡した。

「先輩達は分かりますよね? 遠足のおやつは三百円までってルール。バナナはおやつに入るのかって、担任の先生ともめませんでした?」

 高杉以外の先輩達は亜矢子から視線を外した。

「川澄、僕は何となくわかるよ。きっと友達とおやつを分け合えば、その人数分だけおやつの種類が増えるって事だろ?」

「そう! さすがは高杉クン。御名答‼」

 亜矢子は高杉にピースサインを送った。高杉もそっとピースサインを返した。

「川澄、まずは座れ。つまり、若柳が言ったように、おやつを分け合って三百円以上の菓子を食べられるって事か?」

「はい。その通りです」

 亜矢子はニンマリと答えた。遠藤は亜矢子の感性を理解する事をあきらめた。

「川澄、俺ならこう言う川柳を作る。『城壁よいくさの叫び聴いたのか』とな」

 亜矢子は腹を抱えて笑った。

「キャハハハハッ‼ 先生、ギャグの天才。お城の壁が叫びを聴くって、有り得ない。それ狂句ですか?」

 遠藤は亜矢子に「擬人化」を説明しても無駄だと思い、もう少し分かりやすい川柳にすれば良かったかとため息を堪えた。

「川澄、川柳を勉強していけば先生の句がどれだけ素晴らしいか分かるはずだ」

 高杉はレボート用紙にサインペンで遠藤の句を縦に書いて、亜矢子に渡した。

「高杉クン、字上手だね。習字もやってんの?」

「短冊に書く時に意識するからかな?」

 亜矢子は高杉からのレポート用紙を二つに折って大学ノートに挟み込んだ。遠藤は亜矢子の席に歩み寄った。

「何ですか? 先生」

「川澄、くれぐれも授業中に俺の川柳の意味を考えたりするなよ。これ以上の苦情はかなわん。あと、高杉クンじゃない、高杉先輩だ。いいな!」

「は~い。じゃ、今日の部活が終わるまで、先生の川柳の意味を考えてていいですか?」

 亜矢子は大学ノートに遠藤の川柳から連想した言葉を書き出した。遠藤はチラッと亜矢子のノートを覗き込んでから大原と里子に「駄目だこれは」とばかりに、人さし指を額に当てて自分の机に戻って行った。

「川澄、部長命令だ。ノートを見せろ」

 亜矢子は渋々ノートを大原に渡した。大原はノートに書かれた「テレパシー」「超能力」「タイムワープ」などの単語を見て、亜矢子のレベルが自分達とはあまりにかけ離れているとあらためて実感し、里子にノートを渡した。里子は笑いを必死に堪えて亜矢子にノートを返却した。

「川澄さん、川柳を考える時は漫画を頭から外しなさい」

「え~! アタシの頭ん中はほぼ漫画で占めてるんですけど~」

「あんた、よく青葉に入学出来たわね?」

「友達と離れたくないから必死に勉強したんです~」

 高杉は亜矢子の潜在能力をどう引き出すかを考え始めた。その日の部活は遠藤の句会の流れの説明で終了した。亜矢子は政美と共に図書室へ行き、名作短編集を借りる手続きをさせられた。政美はくれぐれも授業中に小説を読むなと念を押し、これからもっと大変になると告げて立ち去った。亜矢子は短編集をパラパラとめくって、このくらいの文章量なら土曜日の午後で一編は読めそうだなと図書室をあとにした。翌日から亜矢子が授業中に小説を読まなくなり、クラスメートや各教科担任達は胸を撫で下ろした。





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