名古屋の夜
清音はマネージャーの菊田を伴い、JR名古屋駅で新幹線を降りた。菊田は平成生まれの三十二歳、大学卒業後も定職に就かずゲームばかりていた頃、清音の川柳ファンだった祖母から「今野事務所」の求人募集を進められ、芸能人に出会えるかも知れないと思い込み応募、社長である今野にマネージャー業務を叩き込まれ現在に至っている。
「菊田君、今夜のラジオの生放送って午後八時からだよね?」
「そうっすけど。また単独行動っすか?」
清音は仕事で東京を離れる時は「その土地を知りたいから」と言って、早めに現地入りするのだ。
「アンタだって自由時間が出来て嬉しくない? 今午後五時前でしょ? 錦三行けるじゃん」
錦三とは名古屋の歓楽街のひとつ「錦三丁目」の略称である。
「仕事残ってるのに呑めないっしょ?」
「ソフトドリンクでいいでしよ? 七時にはラジオ局入っときなさいよ」
清音はホームの立ち食いきしめん屋に入って行った。
「ったく、稼いでるくせに。安いもんが好きなんだから」
菊田はブツクサ言いながら、名古屋在住のキャバクラ嬢キララにLINEを送って名古屋駅を出た。
清音は新しくなった栄(名古屋の繁華街の一つ)のセントラルパークを散策していた。もう少し暖かくなったら芝生で腰を降ろして川柳を捻りたいと思いながら、日が沈むのを見つめていた。
「清音先生!」
声を掛けてきたのはラジオパーソナリーのMi-Ca、本名「斉藤美佳」で五十歳を越えている。
「本番前にこんな所にいていいの?」
清音は旧知の間柄であるMi-Caとハイタッチした。美佳はスマホのLINE画面を清音に見せつけた。
「何? アンタの交遊自慢?」
Mi-Caは番組やイベント等で知り合った有名人との写真をインスタグラムに掲載し、フォロワー数を上げようと必死なのだ。
「違うって、先生の目撃情報!」
清音はMi-Caのスマホの画面を見て、暇人が多い事に心底呆れた。
「他人ごとに首突っ込む暇があったら、川柳でもやればいいのに」
「簡単に言わないの‼ 素人は五七五にするだけても苦労するんだから」
Mi-Caはハンドバッグから車の鍵を取り出し、清音に「行くよ」とばかりに駐車場へと歩き出した。
「局まで歩いて行けるじゃん。エコじゃないよ」
「電気自動車だから」
清音はMi-Caの自慢話をタクシー料金代わりに聞いてやろうと、彼女についていった。
午後八時、Mi-Caがメインパーソナリティーを務めるラジオ番組「夜の給湯室」の生放送が始まった。
「今夜は素敵なゲストがいらっしゃっています。川柳作家の川澄清音先生です!」
Mi-Caをはじめ、スタッフ全員が拍手をする中、菊田だけが退屈そうにスマホをいじっていた。
「名古屋及び中部地方の皆様、今晩は。川柳をやっております、川澄清音です」
清音らは三十年以上の付き合いである事から、幼馴染みであるかの如く会話を繰り広げ出した。
「しかしさあ、川柳がここまで認知度が上がるなんて、アンタのコーナーを担当してた時は想像すらしなかったわよ」
「あの深夜番組だよね? 毎回若手芸人がパンツ脱いで新人アナだったアンタが『ギャー‼』って」
「そりゃあ悲鳴もあげるって、二十二歳の嫁入り前の女の子だもん」
清音は「よく言うよ」とばかりに苦笑した。
「私だってアンタと同い年だけど、川柳作家として呼ばれてたからナメられちゃいけないと思って、指し棒で股間突っついてやったわよ‼」
「やったわよって、アンタもだけど放送するプロデューサーもプロデューサーだよ。いくら深夜だからって」
「頭おかしかったよね、成り立てでいきり立っててさ」
Mi-Caはこのまま思い出話で生放送を終える訳にいかないと、無理矢理話題を変える事にした。
「そろそろ本題入りますよ、清音先生」
「はいはい、川柳の話題ね。Mi-Caさんは前句付けってご存知?」
清音は川柳の歴史を語ったが、Mi-Caは急に興味なさそうな表情を浮かべた。
「ちょっと、自分から(話題)振っといてそのお顔は?」
「前句付けって、よく分かんないから」
「日曜の夕方に寄席番組やってんじゃん。そこの大喜利コーナーで五七五七七の七七がお題で、五七五を回答して」
「その五七五が前句って訳?」
「そうです。七七が無くなって五七五が独立した感じになって、選者の柄井川柳の名前から川柳と言う短詩型文芸が出来たんです」
清音はMi-Caがポカ~ンとしているのを見て、リスナーの反応を想像した。
「ハイハイッ! 本番中!」
清音は文芸番組意外で川柳の話をするのはやめようと痛感した。
「あっ、はい。じゃ、曲行きましょうか」
曲を流している間に清音は「だから川柳の話はやめよって言ったじゃん!」とMi-Caに訴えた。
「仕様がないよ、スポンサーの社長さんがアンタの川柳ファンなんだから」
曲が終わるのを見計らってマイクのスイッチをオンにするMi-Caである。
「さ、番組もそろそろ終わりに近づいて参りました」
「爪跡残しちゃおうっかな〜」
「それだけはやめて!」
合掌して懇願するMi-Caを見て「美味しいワインおごってもらお!」と頷く清音である。
「今夜は川柳や懐かしい話が出来て、とても楽しかったです。リスナーの皆様、よかったら川柳にトライしてみてください。川柳作家の川澄清音でした」
「ちょっと! 勝手に締めないで、では今夜もお相手はMi-caでした。また来週」
エンディングテーマが流れて生放送は終了した。
ラジオ局のロビーで明日の打ち合わせをしている清音と菊田。そこへMi-Caが歩み寄った。
「打ち合わせ、まだかかる?」
「あっ、もういいよ。ね? 菊田君」
「明朝七時にはホテル出ますからね。お願いしますよ」
「菊田君こそ、錦三で遊びすぎんじゃないよ。一応、出張なんだからお持ち帰りは駄目よ」
「しませんよ、じゃお先に失礼します」
菊田は清音らに一礼してラジオ局を後にした。
「今日はごめんね。わざわざ名古屋まで来てもらって」
「アンタとは古い付き合いだから、社長もOKしてくれたし」
「本番でも言ったように、スポンサーがさ」
「分かったって、それより予習くらいしときなよ」
「悪かった。もうさ、仕事なんか忘れて呑みに行こうよ」
「車は?」
「もうすぐ旦那が来るから」
Mi-Caのスマホに「局に到着」のLINEが来て、清音らは席を立った。駐車場にはMi-Caの夫がスマホを見ながらMi-Caの車の脇に立っていた。
「清音先生、その節はどうも」
清音は目を疑った。Mi-Caの夫が件のプロデューサーだからである。
「アンタの旦那って?」
「そっ、頭のおかしいプロデューサー。今は制作会社の社長、火の車だけど」
清音はこれ以上の詮索は無用とばかりに彼に一礼した。
「もう少しだけ、奥様お借りします」
Mi-Caは車の解錠をすると鍵を夫に投げ渡した。
「あの店までお願い」
夫は運転席に清音らは後部座席に乗り込んだ。
清音とMi-Ca夫妻は名古屋の隠れ家的レストランで二時間程度会食(Mi-Caの夫は運転のため飲酒せず)、清音はホテルまで送ってもらい、Mi-Ca夫妻と別れた。
「1968年製のワイン、交際費で落とすのかな」
清音は入浴を済ませホテルの部屋着でテレビを見ていた。かつてMi-Caが在籍していたテレビ局の深夜番組である。
「社長と名古屋のビジネスホテルで番組見て『川柳の品位が下がる』って、一晩中説教されたなあ」
パンツを脱いだ若手芸人の股関を清音が指し棒でつついたシーンを見た今野の反応を、シティーホテルの高層階の窓を見つめながら懐かしむ清音であった。




