作戦会議
教頭は今野と県立青葉高校創立七十周年記念の川柳大会について、清音のスケジュールを含めた協議を重ねた。いつまでに生徒からの投句を集めればいいか、そもそも清音が来校する事を告知してよいのかなど高杉の意見も取り入れながら、大会の準備を薦めていた。
新年度が始まり、高杉と佐藤は新入生達を指導しつつ、川柳大会の運営を秘密裏に進めていた。校内ホームページで川柳動画を載せ、ゲーム感覚で生徒達に川柳を指導し、手応えを探っている高杉である。
「高杉先生、午後から用事とかあります?」
土曜日の授業が終わり、職員室で帰宅の準備をしていた佐藤が声をかけてきた。
「投句メールが来てるか確認して帰ろうかと思ってます」
佐藤は高杉のパソコンを覗き込み、新着メールが無いことを確認中した。
「来てないみたいですね、さあ帰りましょう」
「はあ? 僕はいいですが、佐藤先生はバレー部の指導しなくていいんですか?」
「顧問は他にもいますし、基本は部員達の自主性でプログラム組ませてますから」
高杉は「今時だな」と思いながら、帰宅の準備を始めた。
「僕も演劇部の指導は脚本の誤字脱字や文法の確認くらいしかしてないので」
青葉高校の川柳部は二十数年前に廃部、生徒はおろか教師の中にもその存在を知る者はごくごくわずかとなっている。
「最寄駅近くの喫茶店って覚えてます?」
「確か『ひまわり』って店でしたよね? まだあるんですか?」
高杉は車通勤なので最寄駅の最新事情を全く知らないのだ。ちなみに佐藤も車通勤である。
「店名は変わりましたが」
高杉は時の流れを感じた。
「お昼ご飯も兼ねて、川柳大会について話しません? 高杉先生、今お一人で暮らしてらっしゃいますでしょ?」
「ま、まあ。でも、佐藤先生の方は大丈夫なんですか? お家の方とか」
「LINEしとけば問題ないです」
「御理解あるんですね」
「家事とかしつけてあるんで」
高杉はこれ以上佐藤の家庭についての質問はやめておこうと、急いで荷物をまとめた。
「高杉先生、急がなくても大丈夫ですよ。あんまり混まないんで」
高杉は調理の腕に左右されないメニューを選ぶ事にした。
「その店、駐車場ないんで歩いて行きますよ」
佐藤は高杉の了解を得る事なく、職員室を後にした。高杉は三十分くらいで退店するつもりで、彼女に続いた。
高杉は三十数年ぶりに青葉高校の最寄駅を見た。改札機がICカード対応になっているのと、すぐ近くに全国チェーンのコンビニエンスストアが出来ている事以外に変化をみつけられなかった。
「高杉先生、あの店です」
佐藤はかつて喫茶店「ひまわり」だったカフェ「オリーブ」へと高杉を誘った。壁が濃緑に塗られガラスのドアに薄い水色の店名ロゴと「Wi-Fiスポット」と書かれたシールが貼られているのを見て、時の流れを感じた高杉である。
「いらっしゃっいませ」
入店した高杉は眼を疑った。二十歳前後の末永洋子が濃緑のエプロンをつけて出迎えたからである。
「若柳君、お久し振り」
彼女の声が聞き覚えのある洋子の声よりやや高いと気づき、高杉は我にかえった。
「いたずら好きは、お母さん譲りかな?」
「バレたか‼」
舌を出して「お好きな席にどうぞ」とばかりに、店内を見渡す若い女性店主である。
「私はお婆様に大変お世話になったから、華蓮ちゃん」
佐藤は華蓮の肩を叩いて空いてる窓側のテーブルへと高杉を誘った。
「僕は彼女のお母さんの結婚式以来、会っていないから。娘さんが産まれた事は聞いてましたが」
高杉は佐藤にメニュー表を差し出すが、もう決まっているからと差し戻された。
「華蓮ちゃん、スパゲティのミートソースと食後にホットコーヒー」
高杉はメニュー表内の鉄板焼そばの写真を見て、華蓮の調理の腕を確かめる事にした。
「僕は鉄板焼そばと食後にホットコーヒーにします」
華蓮はサッと伝票に注文品を書き込み、まずは高杉達に水とおしぼりを用意した。
「佐藤先生はこの店をよく来られるんですか?」
佐藤はおしぼりをビニール袋から取り出し、手を拭きながら頷いた。
「バレー部の指導方針について他の顧問と相談したり、試合の作戦会議をしたりする時に利用しますね」
「作戦会議? ですか」
「職員室とかだと、なんか落ち着かなくて。気分転換にもなりますし」
高杉は青葉高校教師の人間関係に不安を抱いた。
「それより、生徒への川柳指導はどうされます? 校内のホームページで川柳動画上げてるみたいだけど」
「教頭は全校生徒の投句を希望されてましたが、文芸は無理矢理やるものじゃないと、そこは強く主張しておきました」
佐藤は高杉も案外自己主張するのだなと、頼もしく感じた。華蓮がミートソーススパゲティを佐藤の前に置くと、続いて厨房にいた華蓮と同棲中のサトシが鉄板焼そばを運んできた。
「お待たせしました、鉄板焼そばです。大変熱くなってますので、お気をつけ下さい」
サトシは高杉に一礼して厨房に戻った。
「華蓮ちゃん、ちょっと」
佐藤は「私に伝票まわして」と耳打ちして、タバスコを手にした。
「いただきます」
高杉は合掌礼拝して、割箸を割った。佐藤も慌てて手を合わせ「いただきます」と呟き、タバスコと粉チーズをスパゲティに振り入れた。
「高杉先生、生卵は苦手ですか?」
高杉が目玉焼きを箸でひっくり返し、鉄板の熱で生の面を焼き付けているのを見て、佐藤はたまらず声を出した。
「ええ、温泉卵とか有り得ないです」
「そうですか? ホテルの朝食バイキングで絶対チョイスしますけど」
「僕はすき焼き以外で生卵は使わないです」
高杉は焼そばをひと口食べて、先程の目玉焼きの焼き具合を確認した。
「佐藤先生は川柳やった事はありますか?」
佐藤は首を横に振り、スパゲティをフォークで一巻きした。
「でしょうね、短歌や俳句は教科書に出てきますが」
「いやいや、清音先生の川柳を読んだら。とても素人の私なんかが」
高杉は佐藤が清音の句集を読んだ事に、川柳愛好家として嬉しくなった。
「どうでしょう? 生徒達の前に教員側で投句してみるのは」
佐藤はスパゲティを吹き出しそうになるのを、必死に堪えた。
「なっ何言い出すんですか?」
「生徒達だけにやらせるのは今時ではありません。まずは我々が手本を示すべきかと」
高杉は目玉焼きが両面焼けたのを確認して、塩を少し振ってひと口食べた。
「高杉先生がお手本をお示しになればよろしいじゃないですか」
「動画で手本を示しておりますが」
佐藤は川柳動画を見ていない事が高杉に露見したと思い、水をゴクリと飲んだ。
「佐藤先生、清音先生の川柳で気に入った句を動画の中で披露されるのは?」
佐藤は全校生徒に自分のセンスをさらすのが怖くなった。
「あっ、あの。素人の私なんかが清音先生の川柳を選ぶなんて」
「川柳は数学ではありません。答えは人それぞれです」
高杉は目玉焼きを平らげると、いい具合に冷めた焼そばをやや多めに口にした。
「あ、あの。高杉先生と語り合うのはどうでしょう? 清音先生の川柳について」
高杉は佐藤を川柳未経験者の代表として、動画を通じて生徒はおろか教師側にも川柳に親しんでもらえないかと一計を案じた。
「ほぼ記憶は無いとは言え、我々は旧知の間柄です。五分くらいでパパっと清音先生の川柳で気に入ったのを披露しましょう」
「五分ですか?」
「今時は長い動画は敬遠されます」
佐藤は高杉が意外に若者の事情を理解している事に驚きつつ、スパゲティを平らげて左手を挙げた。
「華蓮ちゃん、食後のコーヒーお願い!」
華蓮はコーヒー豆を二人分計量し、ミルに入れて挽き始めた。
「高杉先生もご一緒でいいですか?」
「あ、はい」
高杉は華蓮が使用しているコーヒーミルに懐しさを覚えた。高校時代の店主がいつも手入れしていたのを思い出したからである。
「空いた食器、お下げします」
サトシが佐藤が使用した食器をお盆に乗せると、高杉に一礼した。
「あの、失礼ですが。高杉先生って、昔『川柳界の若様』って言われてたんですよね?」
高杉は恥ずかしさに堪えながら、若いサトシの好意に応えようと焼そばを飲み込んだ。
「よく知っているね。川柳に興味あるの?」
「祖父が『いぶき』の同人で、小学校の低学年まで僕もやってました」
サトシは一礼して厨房に戻った。高杉はサトシら若い世代が胸を張って「川柳やってます!」と言えるような川柳界にしなければいけないと痛感した。
「彼、清音先生のファンらしいですよ」
「佐藤先生は彼等とどんな関係なんですか?」
「ゲーム友達です。『アニマルライフアドベンチャー』って知りません? ミジンコからシロナガスクジラまで動物アバターを選んで地球はおろか、月や火星まで色んな環境で一生を送るゲームですけど」
「あの『ALA』ってゲームですか? ネットニュースで流行っているのは知ってますが、テレビゲームは通ってこなかったので」
佐藤は高杉らしいなと思い、コーヒーに角砂糖一個とコーヒー用クリームを入れてひと口飲んだ。
「佐藤先生、来週中に動画を撮りますので」
「無茶ぶりが過ぎません? 面白そうですけど」
佐藤はさらっとしか見ていない清音の句集をこの土日をかけて、じっくり読んでみる事にした。コーヒーを飲み終えた高杉と佐藤は、動画の撮影予定を決めて帰路についた。




