同じD組
その日の授業が終わり、亜矢子は川柳部の部室である第三学習室に来た。まだ誰もおらず、真ん中くらいの席に着き、椅子を揺らして退屈しのぎをし始めた。そこへ、中学生とおぼしき男子生徒が入ってきて、亜矢子は即座に声をかけた。
「ねえ? こっちこっち」
亜矢子は手招きして男子生徒を右隣の席にいざなった。男子生徒は亜矢子の誘いに応じた。
「アタシは川澄亜矢子。君、名前は?」
「僕は高杉進也。よろしく」
「よろしく! 高杉クンって何組?」
「D組だけど」
「えっ? 高杉クンってウチのクラスにいたっけ?」
「二年D組なんだけど、ほら」
高杉は詰め襟の左側を指差した。白地に赤文字で「D」と表記されたクラスバッジが、亜矢子の眼に止まった。
「えっ? クラスバッジって学年で色が違うの?」
「そう、僕ら二年生は赤、一年生は青、三年生は緑なんだ」
亜矢子は左胸のクラスバッジを見て、青文字で「D」と表記されているのを確認した。
「あっ! そう言えば谷口君のクラスバッジも赤でDって書いてあった」
「えっ? 谷口知ってるの? 同じ中学だったの?」
「ううん、去年の秋に友達が美術コンクールに入賞して展覧会に付き合った時に、谷口君の絵を観て衝撃を受けて」
「あの緑色の窓ガラスの絵を観たんだ? すごいね、谷口の絵を理解出来るって」
「構図とか難しい事は分かんないけど、ずっと観ていたい絵だなって感じた」
高杉は亜矢子に高い期待を寄せた。
「おっ! 若柳。来てたのか?」
「やっと先生(医師)から登校の許可が出たよ」
麻山は部室に入り高杉に近づいて、亜矢子の存在に気づいた。
「麻山先輩、どうも」
「お、来たか」
麻山は「来やがったか」とため息をついて、一番うしろの窓側の席に着いた。続いて入ってきたのは政美である。
「北先輩、こんにちは」
「こ、こんにちは? はあ」
政美は首をかしげながら、麻山に「来ちゃったね」とアイコンタクトを送り、彼の右二つ離れた席に着いた。そして五分とたたずに大原と里子、そして顧問の遠藤健作が入ってきて教卓の前に立った。四十歳代後半の遠藤を見て、亜矢子は「お父さんより年上だな」と呟いた。
「起立!」
高杉の号令に麻山と政美が従った。
「えっ? 立つの?」
亜矢子は高杉に再度促されてようやく起立した。
「礼! 今日もよろしくお願いします!」
「お願いします!」
高杉がお辞儀するのを見て亜矢子も軽く頭を下げたが、挨拶までは出来なかった。高杉ら二年生の挨拶を受けて、遠藤、大原、里子が軽く頭を下げた。
「着席!」
高杉に続いて亜矢子も着席した。亜矢子は思ったより、厳しい部だなあと入部を少し後悔した。
「今年の新入部員は一人だけか。君、クラスと名前は?」
「一年D組の川澄亜矢子です。よろしくお願いします」
「川柳部の顧問、遠藤健作です。川柳の経験は?」
「全くの初心者です。川柳が季語の無い五・七・五だと言う事は知っています」
大原と里子は頭を抱えた。
「部長と副部長も着席しなさい」
「は、はい」
大原と里子は教卓の近くに着席した。亜矢子は大原らに「どうも」と小声で挨拶した。大原は軽く右手をあげ、里子は小さく頷いた。
「新入部員への説明は私がしよう。他の者は『春』を題材に作句(川柳の制作)を始めなさい」
「はい! 先生」
高杉らは川柳用の大学ノートと2B鉛筆、国語辞典や類語辞典を机に出し、「春」を題材に川柳を考え始めた。
「川澄、今日は川柳の歴史を話そう。そもそもは前句付の選者だった『柄井川柳』の名前から…」
亜矢子は思った以上に川柳部が面倒臭い部だなあと、入部初日からテンション下がり気味になり、ラクそうな部活だと言う亜矢子の期待はものの見事に外れてしまった。遠藤もまた、亜矢子のやる気を見出だせないので、川柳の説明を中止した。
「川澄、入部早々に講義は退屈だろう。この本を貸すから今日は帰りなさい。この本を最後まで読んで感じた事を、五・七・五にしてきなさい。そうだな? 来週の月曜日までには完読出来るだろう。それまでは部活に来なくていい」
「本当に? 今週はもう来なくていいの?」
亜矢子の言葉遣いを注意しようとした高杉を遠藤が制した。
「この『ヤングのための川柳入門』に川柳の歴史から名句、作り方まで一通り書いてある。それをどれだけ理解出来たか、お前の川柳で確認する」
遠藤は「ヤングのための川柳入門」を亜矢子の机の上に置いた。亜矢子はその本をペラペラのめくって文字しかないことにたじろいだ。
「あの~、これを来週の月曜日までに読めって事ですか?」
遠藤は亜矢子が読書をしない事に頭を抱えた。高杉ら川柳部員なら一晩あれば完読出来るだろうにと、亜矢子のレベルにため息を堪えるのが精一杯だった。
「暗記しろとは言わん。さらっと読んで感じた事を川柳にしてみなさい」
「げっ! つまり、感想文を五・七・五にしろって事ですか?」
「それでもいい。まずはその本を読む所からだ。さ、今日は帰りなさい」
亜矢子は早く帰宅出来るのは嬉しかったが、普段読まない文字だけの本を読む事の面倒臭さを思うと、気が落ち込むばかりだった。
「じゃ、これで失礼します。高杉ク、いや高杉先輩も色々ありがとう」
亜矢子は荷物をまとめて部室を後にした。高杉は亜矢子に川柳の句集を貸そうかと思ったが、亜矢子に負担をかけてはいけないと思い彼女を見送る事にした。