それぞれの道
職員室を出た亜矢子を、理恵、さゆり、美智子の三人が待ち構えていた。
「な、何してるの?」
「亜矢姉が無事に川柳部を続けた事を祝おうと思って」
「何それ?」
「いいから、行くよ」
理恵と美智子は亜矢子の背中を押して歩き出し、さゆりは右足を少し引きづりながら彼女らに続いた。
青葉高校の最寄駅近くにある喫茶店「ひまわり」に入店した亜矢子ら四人。
「いらっしゃい! 珍しいね、四人お揃いなんて」
店主の房子は末永洋子の母である。洋子がアルバイトしていた縁で、高齢の前店主より店舗を春から受け継ぎ、洋子同様に亜矢子を可愛がっているのだ。
「空いてるとこ、どうぞ」
美智子は窓側のテーブル席を差し「あそこ座ろ」とサッと着席した。理恵は「座ろっか」と亜矢子とさゆりを伴い美智子に続いた。
「あんた達も部活引退なんでしょ? お疲れさま」
房子は四人分の水とおしぼりを運んできた。亜矢子はそれらを各人の前に並べた。
「今日はおばちゃんが御馳走するから」
「いいの?」
「なんたって、青葉の誇りだからね。あんた達は」
亜矢子らは顔を見合わせ「ちょっと大袈裟だよね」と目で確認しながらも、房子の好意に甘える事にした。
「じゃ、せっかくだからケーキセット頂いちゃおっかな?」
亜矢子はメニュー表のケーキ欄を美智子らに提示した。理恵は甘い物が苦手なので、夕食が入る位の軽食をさがした。
「良ければ、あんた達のお家に電話しようか? ウチの店で晩御飯食べてくって」
亜矢子ら四人は首を横に振った。母親が夕食の準備をしてくれている事は分かっているし、何より普段から亜矢子は元より美智子ら三人も何かとサービスを受けているので、ガッツリとした食事までは御馳走になれないと思ったからである。
「私は苺ショートとレモンティーのセットで」
亜矢子が注文品を決めた事で、美智子らも急いで決めた。
「私はチョコレートケーキとミルクティーのセット」
「私はモンブランとレモンティー」
「うわっ! さゆりったら贅沢~」
「いいんだよ、亜矢子ちゃん。今年は良い栗が入ったってケーキ屋さんも言ってたし」
「うわ~! 私もモンブランにしようかな~」
「亜矢姉も? でもここのチョコレートケーキも捨てがたいしな~」
「美智子も欲張りすぎだよ。私はトマトジュースにします」
房子は理恵が人一倍健康管理をしている事を知っているので、これ以上何も勧めない事にした。
「じゃ、私は苺ショートからモンブランにします」
「私はチョコレートケーキからモンブランに変更します」
房子は残してもいいから一人二品頼めばと言おうと思ったが、亜矢子らが社会に出て消費意欲をコントロール出来なくなる事を怖れて、彼女らの注文に応じる事にした。
「理恵もケーキとか頼めばいいのに」
「亜矢姉、理恵は甘い物が苦手なんだよ」
「そうだっけ? あっ、さゆりのお誕生会でケーキ二切れ食べて吐いちゃったんだよね」
「やめてよ‼ 小学校ん時の話じゃん」
房子は苦笑しながら注文の品を各人の前に並べた。
「はいどうぞ、今年もすごかったよね。亜矢子ちゃんは全国(高校)川柳大会で三年連続大会委員長賞、美智子ちゃんは美術コンクールで大人を押し退けての静物画部門第三位、理恵ちゃんとさゆりちゃんはバレーボールで全国ベスト8。本当にすごいよ」
房子は厨房へと立ち去っていった。
「なんか恥ずかしいな。あんた達は兎も角、私は去年の夏に右足骨折して使い物にならなくなって」
さゆりは右足を差して紅茶をひと口飲んだ。
「でもさ、さゆりはコーチとして理恵の後継者を育てたんでしょ?」
「やめてよ、美智子」
「否、美智子の言う通りだよ。図書室でスポーツ指導入門を読んでるさゆり見て、たまげたもん」
「亜矢姉こそ、中学までは漫画しか読まなかったのに、世界文学全集とか読んじゃって」
さゆりはモンブランのクリームをひと口食べて、栗本来の甘さに両手をバタつかせた。
「亜矢姉、美智子。早く食べな!」
亜矢子は未使用のティースプーンでモンブランのクリームを掬い、理恵に渡した。
「理恵、さゆりがおいしいって言ってるから。ひと口食べときな」
亜矢子の薦めに仕方なく応じる理恵である。
「そんなに甘くない…」
理恵は心で呟きつつ、水でモンブランの味を流してトマトジュースを口にした。
「所でさ、亜矢姉は本当に川柳の先生に弟子入りするの?」
「そう、東京のデパートで働きながら先生の指導を受けるんだよ」
「東京行くんだったら、大学行けばいいじゃん! それこそ高杉君が行ってる大学にさ」
「理恵の言う通りだよ。今の亜矢姉だったら頑張れば」
「理恵! さゆり! やめなよ」
憤る美智子を亜矢子がなだめた。
「いいよ、美智子。理恵もさゆりもバレーひと筋で恋愛してこなかったから興味あるんだよ」
亜矢子は紅茶をひと口飲んだ。
「去年の今頃、高杉クンが川柳部引退して大学受験に専念するから、会うのやめたんだ」
亜矢子は高校生になってから美智子らと同じクラスにならず、互いの部活が忙しかったり高校で出来た友人との付き合いが多くなってしまい、校内でたまに顔を合わせる位の間柄になっていた。だが、部活を引退し少し時間が出来たので、美智子の呼び掛けで今回の集まりが実現したのだ。
「でもさ、電話ぐらいしなかったの?」
理恵の質問が無神経だと感じた美智子は「よしなって」と言おうとしたが、亜矢子が「いいから」と美智子の肩を軽く叩いた。
「たまに電話くれた。でもなんか川柳部にいた時みたいに話盛り上がらなくて、結局別れちゃった」
理恵とさゆりは黙り込んでしまった。
「美智子は谷口君とうまくいってるんでしょ? 一緒の芸大に行くんだよね」
「実技試験の指導してくれてる」
「何の実技なんだか~」
亜矢子は美智子のお腹をさすった。
「えっ? 美智子、まさか谷口君の…?」
美智子はフォークの先を包んでいた紙ナプキンを丸めて、理恵に投げつけた。さゆりは反射的に紙ナプキンをレシーブし、理恵が左手でキャッチした。
「もう、あんた達のバレーの凄さは分かってるって」
美智子は口を尖らせてモンブランにフォークをいれた。さゆりと理恵は「美智子の不満を受け止めとけばよかったかな?」と、投げつけられた紙ナプキンを美智子に差し戻した。
「美智子、ごめん」
「私もふざけすぎた。ごめん」
亜矢子にも頭を下げられ、美智子は振り上げた拳を下げるしかなかった。
「いいよ、もう。それよりさ、理恵とさゆりのコンビも見納めなんだよね」
美智子が話題を変えてくれた事にホッとする亜矢子達である。
「骨折しちゃったからね。選手としてはもう、無理かなぁ」
「私は一緒に体育大行きたかったんだけど、さゆりは指導者めざして教育大受けるんだよね」
亜矢子は理恵とさゆりも各々の人生を歩んで行くんだなと、寂しさを受け入れる事にした。
「さっきさ、高杉クンと同じ大学行けばいいのにって言ってたけど、それも違うと思うんだよ」
美智子は「これ以上はいいよ」と話題を変えようとするが、それを察した亜矢子が美智子の肩を触り話を続けた。
「今年の夏休みに高杉クンと二泊三日の旅行に行ったんだ」
理恵とさゆりは顔を見合わせた。
「でもさ、高杉クンが見てる景色と私が見てる景色が違うのか、話も噛み合わないし、体調悪くなったって言って、二日目で帰ってきちゃった」
理恵に「知ってた?」と小声でたずねられた美智子は小さく頷いた。
「ケンカしたとかならスッキリするけど、高杉クンは色々抱え込んでたっぽくて。それで自然消滅」
「亜矢姉は高杉君を嫌いになってないんでしょ? だったらさ」
さゆりは亜矢子が川柳部を続けてきた理由が高杉である事を知っているので、亜矢子と高杉が別れてしまう事が切なくて仕方なかった。
「さゆり、これは亜矢姉と高杉君の問題だよ。私達が口出す事じゃないよ」
「理恵の言う通りだよ。私達が亜矢姉と高杉君がずっと一緒にいてほしいと望むのは、単なる我が儘だよ。そんな事言うなら、理恵とさゆりにもずっとコンビでいてほしいってなっちゃうよ」
「何よ! 私に足引きづりながらコートに立てっていいたいの? それこそ、理恵の足を引っ張る事になるじゃんか‼」
「もうやめな!」
亜矢子は声を荒げ、美智子らは全てを受け入れるしかないと覚悟を決めた。
「今でも高杉クンの事が好きだよ。でも、高杉クンにずっとくっついて行くのとは違うと思う。私は川柳の先生に川柳を認められて弟子入りを勧められた」
美智子らは亜矢子が少し遠くに行ってしまったと感じた。
「高杉クンは大学の勉強が大変だからって川柳をやめた。それを聞いた時、すごくさびしかった。きっと、小さい頃から川柳ばっかやってて、大学で他に面白い事が見つかったんだと思う」
理恵とさゆりは亜矢子と高杉の間に温度差が出来たのだろうと、チラッと目を合わせた。
「私は学校の勉強に意味を見出だせない。資格試験の方がやる気出るし」
亜矢子は就職コースを選択し、日商簿記三級等の資格を取得していた。
「美智子は谷口君といても、何の不満もないんでしょ?」
「まあ、賃貸がいいか持ち家がいいかで揉めるけど」
「ウソッ! あんたらそんな話してんの? ちょっとほんとに大丈夫?」
亜矢子は再び美智子のお腹をさすろうとしたが、見事にはね除けられてしまった。
「だから、一般論としてだよ。結納とか交わした訳じゃないし」
亜矢子は場が和んだまま、この集まりを解散させようと思った。
「あんた達は受験があるんでしょ? 私も部活引退して、アニメとか漫画見たいし」
亜矢子が気を使っている事を見抜いた美智子らは、当たり障りのない話題で場を繋ぎ、全員が完食した所で房子に礼を言って帰路についた。
亜矢子は卒業まで近所のスーパーマーケットでアルバイトをしつつ、川柳結社「いぶき」の句会にも参加して川柳向上に勤しんだ。理恵、さゆり、美智子の三人は受験勉強の甲斐あり志望した大学に合格した。
1987年春、高校を卒業した亜矢子は就職のために上京、デパートで働きながら高名な川柳作家の元で「読者」が出来る川柳を目標に、来る日も来る日も句をひねってはダメ出しをされるのだった。




