全国高校川柳大会
十月の第三日曜日、東京文芸会館大ホールにて、全国高校川柳大会が開催されようとしていた。1960年代までは俳句や短歌など共に短詩型文芸として、川柳をたしなむ者も多く、高校にも川柳部や文芸部の川柳班などが多数あったのだが、70年代になると徐々に減って80年代には希少な部活となってしまった。かつては地区大会を勝ち抜いた高校が全国大会に出場したものだが、1984年現在では希望すれば全国大会に参加できる程、川柳部が少なくなっているのだ。そんな中でも県立青葉高校川柳部のレベルは高く、特に高杉は昨年の初参加で大賞を受賞して「若柳」の名を全国の川柳部に知らしめたのである。
東京文芸会館の最寄駅に特急列車が到着し、亜矢子ら青葉高校川柳部の面々が下車した。
「わあ、ここが東京かあ」
亜矢子は地元では見られない高層ビルを見上げた。そんな亜矢子と同じ川柳部であることを恥じる高杉以外の部員達である。
「川澄さん、みっともないからやめなさい。田舎者に思われたらどうするの?」
「だって副部長、私達の住んでるとこって県庁所在地でもないし、大物芸能人がコンサートやれる会場もないし、映画館もないし」
遠藤はこれ以上、亜矢子にしゃべらすと青葉高校川柳部の恥だと思い、ある提案を思い付いた。
「川澄、東京に来て感じたことを川柳にしなさい。大会に支障のないようにな」
麻山がニヤニヤと亜矢子に近づいてきた。
「な、何ですか? 麻山先輩」
「その川柳、俺が見てやる。新部長としてな」
麻山は亜矢子の背中を叩いて先に行った。
「いった~い! ひど~い! ねえ高杉クン、背中赤くなってないか見て~」
亜矢子は制服の襟を引っ張って高杉に背中を見せようとしたが、その背中を覗き込んだのは里子と政美である。
「川澄さん、大丈夫よ。全然赤くなってないから」
「そうそう、新旧副部長が言うんだから間違いない! さあ、いくわよ」
里子と政美は亜矢子を抱えるように会場に向かった。
「高杉クン、助けて~」
高杉は苦笑して遠藤や大原に頭を下げた。
「すみません。大会ではもう少し落ち着くように言い聞かせます」
「あの態度はどうしようもないだろ? 俺はあいつの川柳だけを見ることにした。まさか、この大会まで続けるとはな」
「僕も同感です。春に比べると別人のように川柳が成長しています。大会に出しても恥ずかしくないレベルまで来ましたから。川澄みたいな奴が川柳部を変えるのかも知れない」
大原は高杉の肩を強く叩いた。
「えっ? 何です?」
「お前を新部長にしなかったのは、川澄の川柳を成長させるためだ」
この大会をもって、大原と里子は川柳部を引退する。新部長には麻山、新副部長には政美の就任が決定している。高杉は亜矢子の川柳を指導するべく、一部員にとどまる事にしたのだ。
会館に到着した亜矢子は「昭和五十九年度全国高等学校川柳大会」の看板に緊張した。
「川澄、今日はすでに作句したものを投句するだけだ。全国大会の雰囲気を楽しめばいい」
「高杉クン、甲子園球児ってこの何倍ものプレッシャーを感じてんのかな?」
高杉は亜矢子が自分と甲子園球児の心情を比較しているのが面白く感じた。
「あっ!」
亜矢子は鞄から作句用ノートを取り出し、シャープペンシルで川柳を書きだした。
「川澄、それくらいにしとけ。まずは会場で手続きを済まさんとな」
遠藤は亜矢子の川柳への真摯な態度に、自分の眼の狂いを認めた。
「中へ入るぞ。はぐれない様に単独行動は慎め‼」
亜矢子らは会館に入り参加者受付に向かい、政美が鞄から角2封筒を取り出した。
「大会本部から参加票が届いてますので、今から配ります」
政美は封筒に書かれた名前を確認しながら、部員達に配布した。
「さあ、お前たち。参加票を持ったら受け付けを済ませて来なさい」
亜矢子は高杉にピッタリとくっついていた。
「川澄、どうした? 緊張してるのか?」
「だって~、先生がはぐれない様にって」
頭を抱える遠藤を大原と里子がなだめた。
「先生、川澄は若柳がいたからこそ、ここまで続いたんです。今回は多めに見てあげましょう」
「大原君の言う通りです。私も毎月、川澄さんの川柳ノートを見てましたが、成長振りには驚きました」
遠藤は大原と里子をここまで納得させる亜矢子の川柳に、微かな川柳界の希望が見えた気がした。受付に到着した亜矢子らは、係員に参加票を提示すると今大会の投句用紙と昼食引換券を受け取った。
「全員、受け取りましたか?」
政美の問い掛けに投句用紙を振って答える部員たち。亜矢子だけは「は~い」と大きく左手を振った。遠藤は亜矢子の行動に一々反応するのをやめようとした。
「さ、席に向かうぞ」
遠藤は政美に青葉高校の座席を確認させ、亜矢子に近づいて彼女の投句用紙を取り上げた。
「先生、何するんですか?」
「川澄、この用紙をお前が持つ事など春には想像出来なかった。一字一句、誤字脱字や、てにをはの間違いはないか、何度も見直せよ。投句後に『間違ってました~』は通用しないぞ」
遠藤は投句用紙を亜矢子に返して、政美がみつけた青葉高校の座席に向かった。むくれる亜矢子をなだめながら高杉は参加票内の受付番号を確認した。
「テーブルに受付番号が貼ってあるはずだ。さあ、いくぞ」
高杉は自分の受付番号を亜矢子に見せて、遠藤に続いた。亜矢子は自分の受付番号を見て、高杉の次であることに気づき、慌てて彼のあとを追った。
青葉高校と指定された座席に到着した亜矢子らは、投句用紙と川柳ノート、辞書等をテーブルに出して、最後の確認を始めた。遠藤は一切口出しせず、部員達を見守っていた。
「若柳、今年も楽しみにしてるぞ」
他校の生徒が青葉高校の座席近くを通りかかると、高杉の邪魔にならないように声をかけていった。その光景を見て、高杉の川柳の実力をあらためて認識する亜矢子である。
「いよっ! さすがは、川柳界の若様‼」
高杉がたしなめようとする前に、遠藤が亜矢子に近づいていた。
「川澄、川柳に集中しろ! そして、若柳や他の者の邪魔をするな」
他校の生徒が亜矢子を指差して声をたてずに笑った。亜矢子はテーブルを叩きたい気持ちを必死にこらえ、静かに立ち上り自分を笑った他校の生徒を睨みつけた。
「あの、人を指差しちゃダメって教わりませんでした?」
高杉は亜矢子の両肩を押さえつけて、無理矢理着席させた。
「高杉クン、なんで止めるの?」
「つまらない事に時間を使うな。言い返すなら川柳(の実力)で言い返せばいい」
亜矢子は高杉に従い、より一層の集中力で推敲にのぞんだ。他の部員達も亜矢子に負けじと一字一句を辞書と生活ノートを見比べた。数回の推敲を経て亜矢子は意を決して投句用紙に2B鉛筆で川柳と受付番号を書き、高杉らが推敲を終えるのを待った。高杉も推敲と投句用紙の記入を終え、遠藤に先に投句する旨を伝えて亜矢子と共に投句箱に向かった。
「俺らもそろそろ、腹を決めますか」
麻山は新部長としてリーダーシップを発揮しようと、他の部員に投句を促した。
「部長、若柳と川澄を待たせておけ。くれぐれも勝手な行動をさせるな」
遠藤は大原、里子、政美が推敲を終えるのを見守り、麻山には投句をさせる事にした。麻山は小さく舌打ちをして、投句を済ませて亜矢子らの元に歩み寄り、青葉高校川柳部全員が投句するまでそこで待機させたのである。
投句を済ませた青葉高校川柳部の面々は、昼食引換券を折詰弁当とお茶に交換し、先程の座席で少し早い昼食にしていた。
「ねえ、高杉クン。句会まで時間あるよね? お弁当食べたら何するの?」
「そうだな。各地域の柳誌を見るとか、交流をはかるとか」
亜矢子は周囲を見て、入部した頃の高杉以外の先輩達を思い出した。
「川澄、単独行動は許さんぞ」
遠藤は昼食を終えた亜矢子の背後に立った。高杉はやや急いで昼食を終えた。
「先生、川澄を連れて閲覧コーナーに行ってきます」
高杉は亜矢子と共に席を離れた。
「ふう、川澄が原因で若柳の句に影響がなければいいが」
心配する遠藤の元へ大原と里子が歩み寄ってきた。
「先生、川澄の川柳を見て、判断しましょう」
「大原君の言う通りです。それより、先生もお昼済ませちゃって下さい」
里子に促され、遠藤は売店に弁当を買いに向かった。
「顧問には弁当出ないんだよな」
「仕方ないよ、参加費払ってないんだから」
弁当を食べている麻山と政美は顔を見合わせた。
「川澄みたいに何やらかすかわかんかない奴、去年はいなかったもんな」
「ほんと、お行儀良かったもんね、私達」
大原は麻山と政美の肩に手を置き、里子も彼等の元へ歩み寄った。
「来年は先に弁当を買わせとけよ」
「先生、弁当持参してくれればいいのに」
「無理よ、麻山。先生の奥さん、看護婦で無茶苦茶忙しいらしいから」
「よく知ってるわね? 北さん」
「飽くまで噂ですけど」
大原は政美の肩を叩いて、その場を立ち去った。
「プライバシーをあちこち言いふらすんじゃないわよ」
里子は知りあいの他校生徒をみつけ、手を振って彼女の元へ向かった。
「ったく、くそ真面目だよなあ。前部長達は」
「あんたがちゃらんぽらんなんだよ」
「お前だって、川柳への情熱ねえじゃんか。あ~あ、川澄さえ居なかったら、若柳に部長やらせるんだけどな」
「若柳の代わりに、川澄さんの面倒見る?」
麻山は首を横に振り、弁当を掻き込んだ。麻山も政美も亜矢子の川柳が上達しているのは認めているが、高杉の様に懇切丁寧に指導出来る自信はなかった。添削ぐらいはしても負担にはならないが、奥深い所まで伝える術を持っていないからである。
大会開始まで十分を切った。亜矢子は高杉と共に席に戻り、静まり返っている会場を見渡していた。参加者のほとんどが投句した内容と受付番号を確認し、呼名に備えて小さく咳払いをして開始を待っていた。その雰囲気に飲まれそうになる亜矢子である。
「高杉クン、帰っちゃダメかな?」
亜矢子が緊張する位に川柳に真剣に取り組んでいる事を、高杉は嬉しく思った。
「僕も大会開始までは緊張する。だが、部活や結社の句会では味わえない醍醐味が、全国大会にはある」
「そんなもんかなぁ? はあ~」
亜矢子は高杉の言葉を信じて会場に留まる事にした。会場内に開始五分前を告げるアナウンスが流れて、いよいよ参加者達は司会者が会場入りするのを待った。
「あっ、来たぞ」
参加者の一人が呟くと、会場前方の扉から五十歳代で小太りの男性司会者が入場し、参加者側から見て左端のマイクスタンドの前に立った。前方の長机が短辺で二個繋げてあり、各机にマイクが二本置かれている。
「開始時刻まで一分を切りました。選者の先生や文台(投句用紙への記名や呼名後の披講を行う係)の方が入られましたら、大きな拍手でお迎え下さい」
司会者が参加者に呼び掛け、会場前方の扉から六十歳以上の男女五名が入場し、大きな拍手が起こった。
「開始時刻となりました。参加者の皆様、御起立下さい」
司会者に従い、起立する参加者達。入場した選者らも各々の席の前で起立している。
「只今より、昭和五十九年度全国高等学校川柳大会を開催いたします!」
更に大きな拍手が起こる。
「一同、礼!」
会場にいる全ての者が一礼し、司会者が咳払いをした。
「では、今大会の委員長より挨拶がございます」
司会者の一番近くにいた七十歳代の女性がマイクスタンドの前に移動した。彼女が大会委員長であり、三番目の題「自由題」の選者でもあるのだ。
「皆様、まずはお座り下さい」
司会者がまず他の選者や文台らを着席させ、続いて参加者達に着席を促した。選者らが着席したのを確認して参加者達も着席した。
「手短に話させて頂きます。年々参加者が減少し今年は約千二百名の参加、川柳界の未来に希望が持てません。私も含め川柳を単なる言葉遊びではなく、短誌型文芸のひとつとして真剣に取り組まなくては、作者と読者がイコールとなっている現状を打破出来ません! 私はその様な思いで選句致しました」
委員長の言葉を聞いて、ラクそうだとの理由で川柳部に入部した事を強く恥じる亜矢子である。委員長は一度会場から出ていき、司会者が大会を進行させた。
「では、披講に入らせて頂きます。各題ごとに佳作十五句、秀作四句、大賞一句の合計二十句を入選とします。まずは題『時間』から…」
一番目の題「時間」の披講が始まった。「時間ない…」「…の時間」など題を読み込んだ句、つまり「時間」と言う単語を入れた川柳を数句披講後、選者は「ここからは、読み込まない句を披講していきます」と告げた。亜矢子は九月から題を読み込まない川柳を作るようにと、高杉から指導を受けていた。題を読み込まない、つまり題「時間」なら「時間」と言う単語を入れずに「時間」を表現した川柳を作る事である。だが亜矢子が読み込まない川柳を作ると、遠藤から「意味が分からん!」と頭ごなしに叱られてしまい、麻山からは「読み込まない川柳はお前にはまだ早い」と言われ、自分を指導してくれた高杉を否定されていると感じ、必死に題を読み込まない川柳を作り、十月には少しずつ川柳部内の句会で遠藤に選ばられる様になり、この大会でも題を読み込まない句に挑戦したのだ。
「駅着いて焦って走る八時半」
「二百四十七番、麻山茂」
麻山が受付番号と氏名を叫ぶと、会場から「青葉(高校)か」「ここで抜か(選らば)れたか」との呟きが起きる。亜矢子は青葉高校川柳部の知名度とレベルの高さを痛感した。選者が再度、麻山の句を読み上げると文台の一人が彼の受付番号と氏名を呼称し、もう一人が投句用紙の右下に「麻山茂」と記名した。投句者が受付番号を呼称したらすぐに、文台の二人は参加者名簿の受付番号をさがして投句者の氏名を確認するのだ。
「佳作はここまで、続いて秀作の披講に入ります」
会場が少しざわついた。佳作で高杉の句が出なかった事で、彼の句が秀作に選ばれると囁きあっているからである。秀作の一句目が披講され、高杉の句でないことにざわめく会場。
「良い映画観たなジ・エンドすぐに出た」
「二百四十九番、高杉若柳」
会場のあちこちで「おお!」「さすがは若柳、ジ・エンドできたか」と称賛の声が上がった。亜矢子も「やったね‼」と声を上げそうになったが、高杉の真剣な姿勢を見て「おめでとう」と呟くだけに留めた。
「若き日の母の写真に時を知る」
「二百四十六番、森川里子」
会場から「続けて青葉か」「三年の意地を見せたな」等の声が上がった。以降、青葉高校川柳部の入選はなく一題目の披講は終了し、選者が入れ替わった。
「続きまして、題『鞄』の披講に入ります。私は題を読み込む、読み込まないに関わらずに選句しました」
会場で笑いが起こる中、一題目の選者だけが顔を歪めた。亜矢子は「川柳やってる人同士って、基本仲悪いんだな」と思い込んだ。
「いつもより軽い弁当忘れてた」
「二百四十八番、北政美」
佳作が残り三句での披講に「ここで来たか」「秀作でもおかしくないのに」との声が上がった。特に明言されている訳ではないが、後で披講される程良い句とされている。
「弟子にしか持たせぬ手品師の鞄」
「二百四十五番、大原利明」
会場がざわつく中、佳作最後の句が披講される。
「西に雲折りたたみ傘入れとくか」
「二百四十九番、高杉若柳」
会場が更にざわついた。佳作で高杉の名が上がったからである。昨年、高杉がレベルの高い川柳を披露した事に触発され、他校生徒も川柳のレベルアップに勤しんで来た。遠藤もそれを感じており、いつになく青葉高校川柳部が苦戦している事を認めた。秀作に青葉高校が一句も入らず終わり、大賞の披講を参加者の誰もが固唾を飲んで待ち構えた。
「では大賞の句を披講します。私はこの句が一番好きです」
会場が静まり返った。
「夢だけを詰め込むバッグ軽かろう」
「二百四十九番、高杉若柳」
会場で拍手とざわめきが混ざりあい、この句への評価が「夢に向かう軽やかさを詠んでいる」や「高尚すぎて意味が分からん」等と様々出るなか、亜矢子は高杉の川柳が大賞となった理由を考えていた。
「静かに! 川柳に正解はありません。この大賞句に疑問を持つ人もいる事は想定済みです。その評価が別れる事を承知で投句した勇気に、私は拍手を送りたい」
選者は高杉に拍手してマイクスタンドから離れた。亜矢子はノートに先程の大賞句をメモして、意味は後日考える事にした。最後の題「自由題」の選者である大会委員長がマイクスタンドの前に立った。
「いよいよ、今大会最後の題の披講となります。『自由題』見させて頂きました。中には考えるのが面倒臭いのか、『時間』『鞄』の題で投句しなかったものを『自由題』としたとおぼしき句も見受けられました。自由って便利な言葉だなあって勉強になりました」
会場に緊張が走った。亜矢子は「自由題」も真剣に取り組んで投句した事を、委員長に目で訴えた。
「では、披講を始めます」
亜矢子は次こそは自分の句が詠まれると思い、川柳ノートをじっと見つめていた。
「青春はオバンになって語るもの」
「二百四十六番、森川里子」
委員長は「なんか『時間』の句と思えなくもないのですが」と言いつつ、披講を続けた。里子は『時間』の川柳をひねる中で捨てるには惜しいと「自由題」に先程の句を選んだ事を後悔した。
「土曜日の夜はレコードはしごする」
「二百四十七番、麻山茂」
委員長は首を捻りながら披講を続けた。
「本あれば退屈なんて無縁です」
「二百四十九番、高杉若柳」
会場からは「若柳がまた佳作?」「時間の句と見られたか?」等の声が上がった。
「ここからは、秀作の披講になります」
亜矢子は佳作で自分の句が選ばれなかった事で、今大会での入選を諦めかけた。高杉ら先輩の川柳は元より他校生徒の川柳のレベルの高さに、到底自分の川柳が及ばない事を認めたからである。
「新札はちょっとスリムでまだ慣れぬ」
「二百四十五番、大原利明」
「ワンピースおさがり嫌でアルバイト」
「二百四十八番、北政美」
亜矢子は「私以外、みんな二句は抜け(選ばれ)てるじゃん。もうやだ‼」と泣きそうになった。高杉は亜矢子を見守るしかなかった。
「では大賞の句を披講します。心して聞いて下さい」
亜矢子は自分の句が詠まれる事はないと、ノートを閉じて帰る準備を始めた。
「青白い月のようだとプール出て」
「二百四十九番、高杉若柳」
会場で大きな拍手が起こった。亜矢子も自分の事のように喜び、彼の背中を何度も叩いた。
「やったね、高杉クン‼ さすがは私の高杉クンだよ」
「あ、ありがとう」
高杉は委員長がマイクスタンドから立ち去らない事に気付き、亜矢子に前を向くよう促した。亜矢子は早く会場から出ていきたかったのだが、高杉に従う事にした。
「例年ならここで終わりなのですが、今年は委員長の独断で、大会委員長賞を創設しました。早速、披講します」
会場は再び静まり返った。
「句をひねる」
「えっ?!」
亜矢子は川柳ノートを開いて句を確認した。
「横顔ずっと見れたなら」
「に、二百五十番、川澄亜矢子!」
委員長は投句用紙の受付番号を見て、亜矢子に起立を促した。戸惑う亜矢子の肩をそっと叩く高杉。
「いいの?」
亜矢子は高杉が頷くのを見て、ようやく起立した。会場にいる全員が亜矢子を見ていた。
「句をひねる横顔ずっと見れたなら」
委員長は亜矢子に小さな拍手を送った。文台の一人が参加者名簿の受付番号を確認し、もう一人の確認も得た。
「二百五十番、川澄亜矢子」
会場で本日一の大きな拍手が起こった。亜矢子は参加者達を見渡した。大会前に亜矢子を冷笑した他校生徒達も惜しみなく拍手をしていた。
「貴方の句には、川柳の将来を感じました。皆様、川澄さんに今一度大きな拍手を!」
会場は更に大きな拍手に包まれていった。亜矢子は高杉の袖を引っ張って起立を要望し、高杉はそれに応えて起立した。
「川澄、よくやったな。おめでとう」
亜矢子は賞をもらった事よりも、高杉に労ってもらった事が嬉しくて仕方なかった。
「高杉クン、私やったよ。読み込まない句で投句したよ。全ボツだったけど」
高杉は首を横に振ることで、亜矢子の努力や苦しみを理解している事を示した。亜矢子は高杉に抱きついて大声で泣き出した。高杉は遠藤から注意されるのを覚悟の上で、亜矢子を抱き締めた。二人を引き離そうとする遠藤を委員長が制した。亜矢子が高杉から離れた事で、昭和五十九年度全国高校川柳大会は終了した。




