なんで亜矢姉?
翌朝、亜矢子は男子生徒と一緒にいる美智子を見つけ、彼等の前へと駆けつけた。
「あっ、やっぱり谷口君だ。これから美智子がお世話になります」
亜矢子が谷口雄平に頭を下げると、谷口も彼女に礼を尽くして頭を下げた。ちなみに谷口は二年生である。
「や、やめて、谷口君。亜矢姉に頭下げる必要なんてないから」
「いや、川澄さん? だったよね。去年の秋、県内美術コンクール展で僕の絵を理解してくれた一人だから」
「だって、衝撃的だったもん。薄い黄緑の窓ガラスが何枚も並ぶ中で、一枚だけ割れて破片が赤黒くなるって、すっごく考えたんだろうね」
「参ったな。そこまで見抜かれてるなんて」
「谷口君、真面目に受け取らなくていいから。それより、亜矢姉は何部に入るの?」
「よくぞ聞いてくれました。わたくし、川澄亜矢子は川柳部に入ります! じゃ、美智子! 谷口君にしっかり絵を教えてもらうんだよ」
亜矢子は谷口に一礼して校門へと駆けていった。
「彼女、川柳部に入るのか。きっといい句を作るんだろうな」
美智子は思いっきりため息をついた。谷口が亜矢子を過大評価していることが、残念でならないのである。
「どうした? 美智子ちゃん。気分でも悪い? 保健室行く?」
「はあ、谷口君にはがっかりだよ。どうせ、亜矢姉がちょっとばかり可愛いからって、評価まで高くしちゃってさ」
「いや、彼女の観察眼はかなりのものだよ。僕が絵を描いてる過程まで見抜くんだから」
「大袈裟‼ きっと川柳部だって、季語の無い五・七・五くらいにしか思ってないんだよ」
美智子がなぜ怒っているのか、谷口にはさっぱり理解出来なかった。
「そもそも、なんで亜矢姉って呼んでるの? 同い年なんだよね?」
「そこ? 単に亜矢子が4月3日生まれなだけ。入学早々、亜矢子はすでに16歳になってるから“姉”って付けてるだけの事」
美智子は谷口が亜矢子に関心を持つことが許せなかった。
昨年の秋、県内美術コンクール中学生の部の静物画部門で美智子のパステル画が最優秀賞となった。そのコンクール展が亜矢子達の学区で開催され、美智子は亜矢子と鑑賞しに行った。まずは美智子のパステル画を観て「写真みたいだ」と感じた亜矢子は、会場内の作品をサーッと鑑賞した。一方、美智子は一つ一つの作品をじっくりと観て、色彩や構図、作品の意図等を自分なりに評価を下していた。鑑賞方法が違うため、亜矢子と美智子は会場内で離ればなれになっていた。
「この絵、すっごい!」
亜矢子は高校生の部の抽象画部門最優秀賞の油絵の前から離れられずにいた。
「この絵、そんなに気になる?」
声を掛けてきた谷口に亜矢子は人見知りすることなく、作品について語り合いたいと思った。
「もしかして、この絵を描いた人?」
亜矢子は作品の下のネームプレートで谷口の氏名と学年、作品名を確認した。
「谷口君ですか? 高校一年でこの絵描くってすごいね」
「いや、君中学生? 絵、やってんの?」
亜矢子は首を横に振りながら谷口の左手を掴み、美智子を探しに向かった。
「紹介したい子がいるんです」
亜矢子は谷口を引っ張って美智子を探しあてた。
「美智子! この人の絵、すっごいよ。一緒に来て」
「えっ? この人誰?」
「高校一年の谷口君、高校生の部で抽象画の最優秀賞の絵を描いた人」
亜矢子は戸惑う美智子をよそに、谷口の作品の前に彼女を案内した。
「どう? 高校一年でこの絵描くってすごくない?」
美智子は谷口の左手から亜矢子に手を離させた。
「ご、ごめんなさいね。痛かったでしょ? 亜矢姉、まずは谷口君に謝りなよ」
谷口は大丈夫だとばかりに、左手を亜矢子と美智子に向かって軽く振った。
「僕は大丈夫だから」
「ご、ごめんなさい。つい、美智子に谷口君の絵を見せたくて」
「私のせいみたいにいわないで」
美智子は呆れながらも谷口の作品を観て、自分の絵の下手さを強く痛感した。
「谷口君、この美智子って子も中学生の部の静物画で最優秀賞になったんです。後で観てあげて」
美智子は亜矢子の無神経さに呆れながらも、谷口の作品の本質を見抜く観察眼に動揺を隠せなかった。
「なんで亜矢子がこの絵の凄さを理解できるの?」
美智子は思わず本音をもらしてしまった。
「美智子、アタシはこれで帰るから。谷口君と絵について語り合いなよ。じゃ、谷口君、美智子の事、よろしくお願いします」
亜矢子は谷口に一礼し、美智子にはサムズアップをして会場から出ていった。
「亜矢姉! もう、勝手なんだから」
「えっと、美智子さん? よかったら君の静物画を観てもいいかな?」
美智子は谷口に自分の絵の下手さをさらすのが恥ずかしくなった。だが、谷口の評価を受けてみたいと言う気持ちも涌き出てきた。
「ま、まずは谷口君の絵をじっくりと観たいかな? アイデアとかどこから出たんですか?」
美智子は谷口に色々質問してから自分の絵を彼に見せた。谷口は美智子の描写力を高く評価し、青葉高校への入学を勧めた。二人は意気投合し、美智子の受験勉強に差し支えないよう、美術館へと出掛けるようになったのだ。
亜矢子は下駄箱で体育館に向かう理恵とさゆりに出会った。
「二人とも朝練?」
「今日はまだ見学、入部前だから。亜矢姉こそ部活決まったの?」
「川柳部に入ります!」
「川柳? あの五・七・五の? 亜矢姉が?」
「アンタ達がバレーボールに青春を掛けるように、アタシも川柳に青春を掛けるのだ~」
理恵とさゆりは顔を見合せて「どうせ、ラクそうって理由で入ったんだよ」とため息をついた。
「亜矢姉、頑張ってね。私ら、明日からは朝練で放課後の部活も夜遅くなるから、しばらく会えないかもね」
「うわ~、大変そう。でも、アンタ達ならすぐレギュラーだよね?」
「甘いよ、亜矢姉は」
「理恵、そろそろ行こ! 亜矢姉も頑張ってね、川柳部」
理恵とさゆりは亜矢子に手を振って体育館へ向かった。亜矢子は彼女らがバレーボール部でしごかれるのを心配しつつ、自分はラクな部活動で良かったと思い込んで教室へと向かうのであった。