小さな一歩
亜矢子と高杉は会場に戻り、句会が始まるまで「息吹き」を読んでいた。
「先輩、雅号はいつ頃ついたの?」
「中学生になった時かな。祖父の『玄柳』から一字もらってね」
高杉は「息吹き」の中の祖父の句を指差した。
「ほお、玄人から若人へ世代交代って事ですか? 流石は川柳界の若様ってとこですなあ」
亜矢子が評論家ぶっているのが、可笑しくて仕方がない高杉である。七十歳前後の女性進行役が黒板の前に立ったのを見て、高杉は「始まるぞ」と亜矢子に告げて前を向くよう促した。他の参加者も雑談をやめて席に着いた。
「ただ今より、昭和五十九年六月の定例句会を開催致します」
会場内で拍手がおこり、亜矢子もあわてて拍手をする。
「本日、初参加の方が一名いらっしゃいます。青葉高校川柳部の川澄亜矢子さんです」
進行役が亜矢子に起立を促すと、亜矢子は黒板の前に立った。会場が少しざわつき出した。
「県立青葉高校川柳部一年、川澄亜矢子。昭和四十三年四月三日生まれ、ピッチピチの十六歳で~す‼」
亜矢子は満面の笑みでアイドル歌手のポーズを真似た。会場で大爆笑が起きた。亜矢子が調子に乗って様々なポーズを披露する度に拍手や爆笑が起き、会場は異様な熱気を帯びてきた。
「川澄、いい加減にしろ!」
高杉は亜矢子を元の席に連れ戻した。
「凄く受けてたのに~」
高杉は進行役に詫びを入れて、亜矢子にも頭を下げさせた。
「若柳さん、いいのよ。中々面白いお嬢さんじゃないの」
亜矢子は左手で拒否したが、表情は「よく言われる」と語っていた。
「川澄、どうせなら川柳で皆さんを唸らせてみろ」
「言ったな! 一句でも選ばれたらいいんだよね?」
会場からまた拍手が起こった。
「皆さま、御静粛に。では、私が本日の席題の選者を務めました。ですので、早速披講と参ります」
会場、一気に静まりかえる。
「では、本日の席題『未来』の入選句を読み上げて参ります」
進行役が一句ずつ読み上げ、投句者が下の名前を答える。そのやり取りを亜矢子は緊張しながら眺めていた。
「ハネムーンほんとに月へ行くのかも」
「若柳!」
亜矢子は独りよがりに高杉と結婚するシーンを思い浮かべた。
「キャー‼ 高杉クンったら、想像力がたくましいんだから」
会場でまたも爆笑が起きた。
「川澄、月旅行に行くのは想像力じゃなくて、体力そのものが問われるんだ。SF漫画みたいに簡単に火星に行ける訳じゃないんだ」
亜矢子は高杉との思考のズレを痛感した。
「そろそろ、続きを始めますよ。この句を読んだとき、正直言って選句に迷いました。ですが、投句者の感性を重視して披講を決めました」
会場が一気に静まりかえった。
「高齢化社会見ちゃったこの句会」
亜矢子は高杉に川柳ノートを見せ、自分の句であると伝えた。高杉は「下の名前を言うんだ」とノートの端っこに書いた。
「あっ、亜矢子!」
会場に大きな拍手が起こった。
「まあ、ほんとに正直な句ですね。恐らくここに来ている人のほとんどが貴方のお爺様やお婆様と同年代かと思います。そんな年代でも、年寄り扱いされたくないって思う方もいるでしょう。ですが、亜矢子さんは初めて句会に参加して、お年寄りばかりで『高齢化社会』と言う言葉が浮かんだ。その発想、着眼点を大事にしてほしいと、この句を選びました」
「息吹き」の会長である八十歳の男性が黒板の前に出てきた。
「皆さん、新たなる若き才能に万歳三唱しましょう‼」
高杉は会長を止めようとするが、周囲になだめられて見守ることにした。
「川澄亜矢子さん、ばんざーい‼」
「ばんざーい‼」
「新たな才能の誕生にばんざーい‼」
「ばんざーい‼」
亜矢子は起立して会場全体に一礼した。この句会で亜矢子の川柳が入選したのは先の一句だけであった。だが、この句会初参加で一句入選した事が、亜矢子の人生を大きく変えて行くことなど、本人はおろか高杉や他の参加者誰一人として想像出来なかった。




