若柳ってあだ名?
土曜日の午後、亜矢子の部屋に美智子が来ていた。ラジカセには美智子が谷口から薦められたイギリスのビジュアル系ロックバンドのカセットテープがセットされ、軽快な演奏と艶やかで高い男性ボーカルの歌声が亜矢子の部屋に響いていた。
「このロック、あんまりやかましくないね」
「でしょ? このボーカル、少年合唱団で独唱してたんだよ」
「合唱団? じゃ、大人になってからグレたんだね」
「ロック=不良って発想、古すぎるよ。音大を首席で卒業したんだから」
「美智子こそ、学歴が人間の全てみたいな発想、どうかと思うよ。ある漫才師が言ってたけど、一流のテレビマンになるんだって東大出てマサチューセッツ工科大学出てテレビ局入ったら、中卒の芸人に弁当の置き方が悪いって殴られてやめちゃったんだって」
美智子は亜矢子の反論に意を介さず、カセットテープのパッケージ(ジャケット)を差し出した。
「何? このオカマ‼」
パッケージには女装したメインボーカルを中心にバンドのメンバー四人が載っている。
「オカマって言うな! ニューファッションなんだよ、それが」
亜矢子は音楽は気に入ったがビジュアルは好きになれなかった。
「谷口君、こういう趣味があるんだね。美智子みたいにクラシックしか聴かないと思ってた」
亜矢子は作句用ノートにシャープペンシルを走らせた。
「なっ、何?」
美智子は亜矢子が書き物をしているのが信じられなかった。
「女装より歌声もっと色っぽい」
亜矢子はカセットテープのパッケージを指差して、ノートに書き記した川柳を美智子に見せつけた。
「あ、亜矢姉。なんかすごい」
美智子は亜矢子の川柳に僅かながらセンスを感じた。だが、今それを言ってしまうと、亜矢子が調子に乗ってしまうと思い、平静を装った。
「ふ~ん。まっ、初心者が作りそうな川柳だね」
亜矢子は美智子に川柳の機関誌「息吹き」を渡した。
「また、何?」
「高杉クンがパラパラって読めって貸してくれたんだけど、なんか共感出来なくてさ」
美智子は「息吹き」にサッと目を通した。「すいとん」「赤紙」「もんぺ」等戦時中を連想させる単語を見て、川柳愛好家の年齢層が想像出来た。その中にある人物の名前をみつけた。
「亜矢姉、この中に高杉君の川柳が載ってるの知ってる?」
亜矢子は美智子から「息吹き」を取り返し、必死に「高杉進也」の文字を探した。
「美智子~、今日はエイプリルフールじゃないんだよ~。どこにも『高杉進也』って書いてないじゃ~ん」
美智子は大きな溜め息をついて、亜矢子から「息吹き」を取り上げると「若柳」と言う文字を指差した。
「ちょっと、いい加減にしてよ。これ『わかやなぎ』って書いてあるじゃん」
「あのね、これ『わかやなぎ』じゃなくて『じゃくりゅう』! 高杉君の柳名だよ」
「りゅうめい? 何それ、あだ名?」
美智子は首を横に振った。
「あっ、思い出した。先輩や先生が高杉クンの事を、じゃくりゅうって呼んでた。アタシ、変なあだ名だなあって」
亜矢子は「若柳」を文字を探した。
「あった! フムフム、さすがは高杉クン」
「よく言うよ。川柳だけでは分からないくせに」
亜矢子は唇を尖らせながらも、高杉の川柳を理解しようと努力した。
「亜矢姉。高杉君が『川柳界の若様』って呼ばれてるの知ってる?」
亜矢子は腹を抱えて爆笑した。
「キャハハハハハ‼ 若様って、時代劇じやないんだから。まあさ、高杉クンって見た目は中学生だから。キャハハハハハ‼」
何も知らない亜矢子をある意味で羨ましく思う美智子である。
「亜矢姉、あと柳名って雅号と一緒だから。決してあだ名とかじゃないから」
「ガゴウ? ノートに漢字で書いて。後で意味調べるから」
亜矢子の口から「調べる」と言う言葉が出ただけでも彼女の成長を感じる美智子である。
「辞書貸して」
美智子は亜矢子から国語辞典を借りて「雅号」の意味を差し示した。
「ほう、風流な別名か~。アタシだったらどんな雅号がいいかな~」
「亜矢姉、雅号とか柳名って師匠につけてもらうもんなんだよ」
「師匠? えっ! じゃあ、遠藤先生がつけるって事? 絶対無理だよ」
亜矢子は柳名をつける事を諦めた。
「亜矢姉、このテープが終わったら帰るから」
「分かった。また、なんか変わった音楽あったら教えて」
「おっ? 洋楽に興味でた?」
亜矢子は「息吹き」を一句ずつ、その意味を少しでも読み取ろうと鑑賞し始めた。だが、他の川柳部員との差は中々縮まらなかった。




