呼名にドッキリ‼
翌日、川柳部では句会が行われようとしていた。亜矢子以外の部員に宿題(前もって出される川柳のお題)が出されており、藁半紙を細長く切った短冊に川柳を一句ずつ2B鉛筆で清書し、無記名で二句を投句するのである。亜矢子は遠藤から「句会の手引き」と言うレジュメを渡され、句会の流れを掴むようにと指示されていた。
「川澄、再来週はお前も投句するんだ。しっかり今日の句会を見とけよ」
亜矢子はレジュメを読み始めた。遠藤は黒板に「鉛筆」とチョークで書いた。
「出来た者は教卓の提出箱に短冊を入れなさい」
遠藤は教卓に菓子折りの空き箱を置くと、教師用の机に着席した。高杉らはノートに書いた川柳と国語辞典を照らし合わせて、誤字脱字や意味が間違っていないか確認して、短冊に川柳を書いていった。亜矢子は高杉の川柳に対するひたむきさに、あらためて尊敬の念を抱いた。
「出来ました!」
高杉は短冊二枚を提出箱に入れると、遠藤の元へ歩み寄った。
「なんだ?」
「披講が始まるまで、川澄を指導したいのですが」
遠藤は高杉が早く投句した事が気になっていた。いつもは締切り近くまで川柳を見直しているのに、今日は早々と投句したからである。
「誤字脱字はないんだろうな?」
「あったら僕の注意力不足と言うことで」
高杉は遠藤に一礼して、亜矢子の元へ向かった。遠藤はチラッと高杉の川柳を確認したが、誤字脱字はもちろん内容も申し分なかった。
「他の者も早く出せ。若柳、呼名と記名を手伝ってくれ」
高杉は「ごめん、先生に呼ばれた」と言わんばかりに、亜矢子に手を合わせた。
「いいよ、いつもありがとう」
亜矢子は右手を振って高杉を見送った。他の部員も投句して、遠藤は五分程で入選句五句を選んだ。麻山と政美は遠藤の選句、つまり川柳の選択に疑問をもった。
「さっ、披講するぞ! 若柳、準備はいいか?」
「はい! 先生」
高杉は教卓の右隣に机を移動させ、遠藤から短冊の記名に使用する赤鉛筆を受け取った。披講を前に部室は静まりかえった。亜矢子は「何? この緊張感は」と言いたいのを必死にこらえた。遠藤は咳ばらいして、入選句を読み始めた。
「鉛筆で書いていました年賀状」
選者に入選句を読み上げられた者が、下の名前を答える事を「呼名」と言う。
「里子!」
部室の静寂を撃ち破ったのは、亜矢子の動揺である。
「えっ? 何? 何なの?」
遠藤は亜矢子の元へ歩み寄った。
「疑問には後で答える。しばらく黙ってろ!」
遠藤はレジュメの呼名の説明文を亜矢子に指し示して、教卓に戻った。
「続けるぞ。鉛筆で書いていました年賀状」
遠藤の二回目の披講に続き、高杉が川柳の作者名を答えた。
「里子!」
高杉は遠藤から短冊を受けとると、隅に赤鉛筆でサッと作者の記名をした。まさしく「記名」である。
「小刀で削るとカスがあまり出ぬ」
「茂!」
「1ダース買って十本まだ残る」
「若柳!」
「記名して芯が折れちゃうテスト中」
「利明!」
披講と呼名、記名が三回行われた。亜矢子は大原の句に共感、さすがは部長と拍手しようとしたが高杉に「句会では静かにしろ」と首を横に振られ、口を尖らせて彼に従った。
「次の句は入選ではないが、面白かったので読み上げる。ただし、呼名はしなくていい」
高杉は赤鉛筆を置いた。
「鉛筆で答え占い二十点」
大原、里子、麻山は亜矢子を見て失笑した。亜矢子は「自分の川柳じゃない!」と右手を振って強く否定した。
「呼名するなと言った意味を考えろ。さ、今日の最優秀句を読み上げるぞ。デッサンで袖につけてた削りカス」
「若柳!」
「デッサンで袖につけてた削りカス」
「じゃ、若柳」
高杉は恥ずかしそうに、呼名を続けて短冊に自分の名(柳名)を赤鉛筆で書いた。
「川澄、この句会で何を学んだ?」
遠藤は亜矢子の席の右隣に立っていた。
「あの~、川柳部の先輩でも二十点取っちゃうんだって事は分かりました」
大原、里子、麻山は大爆笑した。遠藤は政美がムスッとしている事で、「鉛筆で答え占い二十点」を作句したのが彼女だと推測した。
「川澄、川柳は必ずしも事実だけを詠む訳ではない。創作もOKなんだ」
「十七音字の小説って事ですか?」
「まあな。ただし、他人の悪口は御法度だ」
遠藤が教師用の机に戻ると同時に、高杉が亜矢子の隣に座った。
「呼名に驚いていたみたいだな」
「だって、いきなり名前を叫ぶんだもん! 何なの? って思ったよ」
「先生ももう少し説明してくれてもいいのにな」
「だよね? なんか不親切」
高杉は遠藤の亜矢子への態度に不信感を禁じ得なかった。
「川澄、気を悪くしないでくれ。初心者が川柳部に入部する事を想定してなかったんだ」
「いちげんさんお断りって事?」
「そう受け取られても仕方無い」
亜矢子と高杉が談笑しているのを、遠藤は苦々しく見つめていた。
「だが、僕は川澄が川柳界を変えてくれるんじゃないかと期待している」
「せ、川柳会? 句会じゃなくて?」
「いや、かいは世界の界だ。つまり、川柳の古いしきたりを変えてくれる事を、僕は期待しているんだ」
「やっだ! アタシに革命を起こせって事? やだ~、拷問受けたくないよ~」
政美は荷物を片付けて始めていた。
「先生、句会終わったんなら帰ってもいいですよね?」
遠藤は政美と話す機会を見つけようと思いつつ、今日は解散する事にした。
「よし、今日はこれで終わる。川澄、来週の宿題は『淡い』だ。来週の水曜日までここに来なくていい」
亜矢子は高杉に「淡いってこの字?」とノートに書き記した。高杉はそうだと頷いた。政美は早々と荷物をまとめて部室をあとにした。
「北先輩、なんか機嫌悪そう」
麻山がニヤニヤして亜矢子に近づいてきた。
「何ですか? 麻山先輩」
「北の奴、俺達ん中では入選率低いんだ」
「麻山、よさないか! 川澄、北の事は気にするな。川柳をやってる人間は得てして気難しい所があるんだ」
亜矢子は高杉とだけ親しくなれればいいと思った。高杉は亜矢子に小冊子を渡した。表紙には「息吹き」と毛筆で記されている。
「何これ?」
「川柳結社の機関誌だ。暇な時にペラペラってみてごらん」
「ペラペラっとねえ。分かりました、高杉先輩!」
亜矢子は高杉に敬礼して部室をあとにした。
「若柳、構いすぎるなと言ったはずだ」
「川柳部の先輩として、新入部員に指導したまでです」
高杉もまた、荷物をまとめて足早に部室を出ていった。遠藤は麻山にも早く下校をさせると、大原と里子に政美の事で意見を求めた。大原は政美から再来年の受験に向けて学習塾に通う時間がほしいと相談された事を、遠藤と里子に告白した。遠藤は川柳部がそんなに長時間活動してないと切って捨てたが、里子は政美に理解を示した。
「先生、北さんには私からそれとなくアドバイスしておきます」
「いや、俺が相談されたんだから」
政美の事は大原らに任せようと思う遠藤であった。大原は政美に川柳と勉強の両立は難しいかたずねた。政美は川柳も勉強もスランプであることを打ち明けた。そのスランプに悩む政美を尻目に、亜矢子が自由奔放に部活動をしているの事、そして高杉が何かと亜矢子の面倒を見ている事が許せないのだ。大原は亜矢子の事は小学生とでも思っておけと伝えると、政美は少しだけ気分が落ちつき、不調を亜矢子のせいにしていた自分を恥じた。大原は政美の件を遠藤に報告し、そっとしておく事を提案した。遠藤は亜矢子が入部してからろくな事がないと溜め息をもらすのだった。




