五 奥田さん(二)
鳥井は、豆鉄砲でも喰らったみたいに、目に見えて狼狽していた。
「は? どういうこと? そんなこと一言も言ってないんだよなあ?」
鳥井の言う通りではあった。しかし寺井は引き下がらなかった。
「でもそういう意味なんだろ。だってお前は――」
ここで区切った彼は、少し悩んで遂に続けた。
「お前は「奥田さんファンクラブ」の一人なんだろ」
僕は、今まで少しずつ沸き起こってきた予感が適中して、まずいなと思った。
「奥田さんファンクラブ」なんてものは存在しない。僕が知らないだけで、似たような団体が存在していたのかもしれないが、とにかく「奥田さんファンクラブ」なるものは、僕が勝手に言い出した、架空のクラブだった。まるで実体がないのでもなく、仮にクラブが発足したら、是非入らなければならない人が何人かいた。その人達の名前を挙げて、僕がクラブ名を命名した時、鳥井はほとんど嘲弄するように笑った。そんな鳥井を見て、僕は内心、彼もクラブの一員だろうと思っていた。思うだけで、言わずに蔵った言葉を寺井が代弁した。僕は、寺井の発言を聞いて、今言ったのは寺井ではなく自分ではなかったかと錯覚したほどだった。
「そういうわけではない」
鳥井の語気は語尾に至るまでに段々鋭くなっていった。
「そうは言うけど、お前、奥田さんと話してる時の雰囲気は充分怪しいもんだけどな」
奥田さんが鳥井と話している場面は数少ない目撃で知るのみだったが、その時の鳥井の様子は、彼が女子に対していつも構える無愛想から逸していないとはいえ、寺井の言う通り、どこかに照れがないことはなかった。肝心の奥田さんはというと、格別何かの感情を鳥井へ寄せているのではなく、彼女が多くの男子へ見せる分け隔てのない平静で、愛敬のある態度だった。
「ああ、それはもう気のせいだ」
「そう言われるならこれ以上何も言えん。けど、どうしてそこまで否定しようとするんだよ。別にいいじゃないか、俺達が言うほど、お前が奥田さんを好きとかじゃなくても、何かあるだろう、何か。あの奥田さんのことだからな。誰だって好い感じを持ってたって全然不思議じゃないじゃないか。なあ、そう思うよな?」
今度は僕が彼に応える番になったらしい。しかし僕は、二人の会話に、それどころか、二人の話す話題についてすら、何の意見も作ってはいなかった。言うべきことは、寺井が先にすべてを言ってしまっており、僕は自分が形骸になった気分で、二人の話を聞いていたのだ。僕はどう答えていいか分からなかった。寺井の言い分を肯定すれば、鳥井を敵にしてしまう。鳥井を擁護すれば、寺井は気分を害するかもしれない。
「自分も、奥田さんは、好い人だと思うな」
「だよなあ?」
自分にとっては、うまく難所をかわしたと思う。僕の曖昧な返事によって、鳥井と寺井の問答がどう転んだか、はっきりと憶えていない。多分、間もなく会話は行き着く処をなくし、鎮火したのだろう。僕の記憶を探らなくとも、あの二人に明確な決着がついたとは考えられない。三人の中で、最も分かれ道の近かった寺井が僕達から姿を消すことで、問題は永遠の終着に閉じられたのだ。以来、鳥井が奥田さんをどう思っているかは、二度と問われなかった。あの時、寺井と鳥井の関係は、一瞬不穏に見えたものの、翌日からはすべて忘れたかのように、二度と影を差そうとはしなかった。
奥田さんはいつの間にか彼と別れていた。鳥井の予想は当たったことになる。だけど僕は彼を予言者だとは思わなかった。鳥井も自分の予言について何も言わなかった。そうは言っても、奥田さんの別れを速報にして笑ってはいた。いつもより騒ぎ立てなかったのは、寺井との一件が影響していたからかもしれないが、それよりも、僕等には卒業が近付いており、進路のことを考えれば、奥田さんの続報が些事に見えるのだった。
僕の中学時代は平穏に終わった。年が経つほどにそう強く思う。結局僕は最後まで彼等と真に仲良くせず、距離を意識していた。もちろん恋愛だってなかった。だけどあの頃の僕等は、傍から見られても、少しも惨めじゃなかった。むしろ、僕等が僕等としてあることが、彼等の誰よりも優れているように感じられた。これは僕等がまだ幼い中学生だったから持ち得た自己愛だったとも言えよう。しかし、僕の抱える問題は、加齢による心理の成長とは少し違うようだ。