序 告白
「昔はよかった」なんて、絶対に言ってはならないと思う。それは自分が時代とともに歩けなくなったことを告白するのと同じであって、そうなったが最後、決して戻って来もしない、もう幻となってしまった時代に縋るしかなくなるのだ。
僕は若いから、「あの頃」と云い得るほどの人生の我執をまだ持たずにいる。確かに、例えば二〇〇九年という年が十年過ぎたことをふと実感して、時の流れや、自分の決して短くはない人生を認識せずにはいられないこともある。けれども、僕の年齢は、十年引いてしまえば瞬く間に小さな子供になってしまう。「ヨーロッパ」という国が独立して在ると思っていた頃の僕に、今自分がどういう世間に生きているか把握する力はない。そんな昔の僕をまだ根強く基点としている僕は、僕等の時代を持っている気がしない。
だけど最近、僕の周りは、僕に構わずどこかへ行ってしまったようだ。正確には、僕だけが違う世界へ転移した感じだ。いつからこうなっただろう? 僕にはそれがつい最近のことにも思えるし、実はもう何年も前から隠れて存在していたようにも思える。一つ言えるのは、「昔」とか「あの頃」とか言えるほどに時は経っていないことである。しかし何だか「あの頃」と言える気もする。
僕の捉える時代の変化は、携帯電話が有るか無いかとか、そういう話じゃない。生まれた時からインターネットはあったし、僕はそれ無しの生活をもう想像できない。僕は携帯電話を持つのが遅かったから、昔はガラケーであの時からスマートフォンといった話題にも乗れない。
僕の言う変化とは、僕が僕であることにどういう批評が「誰か」によってなされるかという話だ。これはとても抽象的であるけれど、それが僕のあり方をひどく疑問視するから、僕は時々、いや実は頻繁に悩みたくなる。嫌な気持になる。僕がこんなことで悩まなかった頃は、確実に「昔」になっている。だからいつか「昔はよかった」と言ってしまうかもしれない。だけどあれは、やっぱり大して昔のことでもないし、僕次第では、「あの頃」が僕の処へ戻って来る可能性もあるのだ。
僕はこれから、僕の捉える変化を説明したい。少し難しいから失敗するかもしれない。