紅い生き霊3
慣れた足取りで浴室に向かうと、
『やっほー昨日ぶりっ。』
と言ってお気楽な笑顔で浮遊している水晶玉に腰かけて、手を振っている青色の小人がいた。
「うわっ!また出た!!」
『失礼ダナー。そんな悪霊が出たみたいに言わなくても良いじゃないか。』
アオは私の反応に不満そうに頬を膨らませた。
「いや、昨日の今日でまたいるなんて思わなかったから。」
『いなくならないよー。アスカとは契約を交わした仲だしね。』
ん?
「け、契約とな?」
『そう。け・い・や・く。』
聞き取れなかったと思われたのか、ものすごく強調して繰り返された。
いやいや、意味が分からなかったとか、聞こえなかった訳じゃなくて。
「私、いつそんなことした?」
『ん?昨日だよー。忘れちゃったの?』
忘れるわけがない、昨日のことなのだから。
しかし、いくら頭を捻っても契約なんぞを交わした記憶が全くない。
契約ってなに?
もしかしてお金請求されちゃうわけ?
頭の中であっちの世界でのいわゆる架空請求みたいなものが過った。
聖霊でも、そんな詐欺紛いなことするの?
「み……身に覚えがありませんので、その契約は無かったことに……。」
『えー!?そりゃないよぉ。アスカが付けてくれた""アオ"って名前気に入ってるのにィ。』
アオは、わざとらしく泣き真似をしだした。
嘘泣きだと分かっているのに、良心が痛む。
「だ……だって、本当に覚えがないんだよ。一体いつ契約なんてしたわけ?」
『え?ホントに覚えてないの?』
嘘泣きをすぐに辞めたアオは、顔を上げポカンとした表情を見せた。
私はアオの質問に答えるように首を縦に振る。
『無自覚だったんだー。アスカに弄ばれたー。』
またもやわざとらしいリアクションで頭を抱え、見た目に似つかわしくない言葉を口にするアオ。
いや、弄ばれたって、私は軟派男か。
「ごめんって。でもホントに何なの?ワケわからないまま話を進められても着いていけないんだけど……。」
『まあ、まだ"覚醒"してないみたいだし、分からないのも無理はないか。』
アオは、やれやれといったように両手を広げてため息を付いた。
バカにされてるように見えるのは気のせいだろうか?
『いいかい?昨日、君は僕に名前を付けてくれたよね?』
「うん、まぁ……水の聖霊なんて名前呼びずらいし。」
『そこで、まず仮契約を結んだわけだ。』
「……うん?」
おっと、序盤から話が全くわからなくなったぞ?
『そして、君の魔力をこの水晶玉を介して僕は受け取った。』
「そこは、未だに原理が良く分からないけど、そうだね。」
あの時、言われるまま水晶玉を触ったら魔法が発動して体が綺麗になった。私の魔力を貰ったって言ってたけど、私には微塵も自覚がないから違和感しかない。
『それで、最終的に本契約が結ばれた訳だよ。』
「ふーん……ってまって。それだけ!?それだけで契約したことになっちゃうの?」
『そうだね。』
私がやったことは、アオに名前をつけて、言われるままに水晶玉を触ったこと。
それだけで、いつの間にか私とアオの間に契約が発生してしまった。
契約前に果たすべき、説明が何もないまま。
「詐欺じゃん!詐欺以外の何物でもないじゃん!私全く同意した覚えないんですけど!」
『えー?そうだっけ?』
アオは、特に詫びれる様子もなくあっけらかんとしている。
こいつ……!
見た目が可愛いからって油断してたわ。聖霊って純粋で素直な存在だと思い込んでた。
だが実際は、こんなにもずる賢い奴だったなんて……。
……仕方がない、騙されてしまったのは油断していた私が悪いのだから。
こうなったら、契約の詳細を聞き出して解約できないか模索するしかない。
「……とりあえず、その契約の内容ってどんななの?」
『簡単にいえば、主従関係になったってことかな?』
「えっ!?私もしかしてアオの手下!?」
『えー?それも面白そうだけど、違うよ。アスカは僕に名前をつけてくれたでしょ?』
私は肯定の意を込めて頷いた。
『名前をつけるってことは、その対象を自分の配下に置くよっていう宣言な訳だよ。人間の親が、自分の子供にするのと一緒だね。名前っていうのは、その人自身を表す大切な言語。ある意味分身みたいなものなんだ。』
名前。
この世に生まれて、初めてもらう親からの贈り物。
誰かがそんなことを言っていた気はするが、この世界ではそれだけでなく自身の分身という考え方をしているらしい。
即ち、その分身を他者に決められるということは、その人に身を委ねるのと同様ということだ。
『そして、それに同意し、魔力を相手から受けとることで契約が成立するというわけ。』
つまり、私はアオに名前を付けたことで、配下に入りなさいと宣言し、アオはそれに同意して私の魔力を受け取ったことで契約が成立してしまい、晴れて主従関係となってしまったわけだ。
「そ、そんな大それたことしてたなんて……。」
無知ということが、いかに私に不利に働いているかが嫌というほど実感した。
『そ、だから僕はアスカの専属の聖霊になったわけさ。これからよろしくね!』
「……まあ、なっちゃったものは仕方ない……か。よろしく、アオ。」
諦めたように返事をする私を見て、アオは満足そうに笑っていた。
この世界で頼れる人はまだまだ数少ない。そんななか、聖霊が側にいてくれるのは寧ろ有難いことかもしれない。
そんなことを考えて自分をなんとか納得させた私は、本来の目的だった体の洗浄をしようと、昨日同様に水晶玉に手をかざそうとした。