黒い騎士
すぐ横を通空を切る音が通り過ぎるのと同時に、聞いたこともない獣のような声が聞こえ、生暖かいものが体に降りかかった。
……何が起きた?
未だに動く気配を見せない体には、避けられず豪快に浴びた生臭い謎の液体がまとわりつく。
気持ち悪い……。
ていうか、寒過ぎる……
生暖かかった液体は、外気に晒され一気にその熱を失い、私の体温を奪っていく。
固まっていたはずの体も、耐えきれず再びガタガタと震え始めた。
「……大丈夫ですか?」
ビリっ
そう聞こえたのと同時に、体に何かが掛けられた。
……布?
布と呼ぶにしては生地がしっかりしているというか、高級感があるというか。
しかし、有難い。
たった一枚の布ではあるが、先程よりかは寒気が和らいだ。
「……怪我はないようですね。」
心配してくれている声に反応し、顔を上げる。
そこには、先程まで私に剣を向けていた黒い鎧が佇んでいた。
よく見ると、背中に乱暴に破かれて短くなっているマントのようなものが顔を出していた。
あれ
もしかしてこれ!?
自分の体を包んでくれている布を見ると、鎧から出ているマントのそれと同じものだった。
道理で高級感あると思ったわ。
どうやら、彼は私に危害を加えるつもりでは無かったらしい。
そうでなければ、自分の鎧のマントを破ってまで暖をとらせようなどとは思わないはずだ。
「あ……あの。すいません。なんか大事なマント頂いてしまって……。」
マントが肩甲骨までほどしか丈がなく、なんとも不格好な見た目になってしまっている。
暴漢と勘違いしてしまったことも相まって申し訳ない気持ちになり、もはや手遅れだというのに貰ったマントを返そうと一歩踏み出た。
びちゃ……
「!?」
足元の水音に視線を落とすと、真っ二つになってしまった獣のような死骸が転がっていて声にならない悲鳴があがった。
獣がどんな姿をしているのか確かめる勇気はなかった。
どうやらこの体にまとわりついている謎の液体はやつの体液のようだ。
それがわかった途端、胃から何かが湧き出そうな感覚に襲われる。
……やばい、夜食に食べたおにぎりが出そう。
「あまり、見ない方がいいと思いますよ。」
他人事のように呟き、黒い鎧の人はこびりついた体液を払うように剣を振り華麗な動作で剣を鞘に納める。
……ゲームでよく見る場面だ。
場違いながらも少し感動してしまう。
よもやゲームやマンガの世界にしかないと思っていたファンタジーのような存在が実際にみられるなんて思ってもみなかった。
いや、夢なんだけどね。
異様にリアルすぎて勘違いしてしまいそうになる。
夢にまで見た光景に感動し呆けていると、鎧の人は私に向かいあい右手で敬礼のよいなポーズを取った。
「申し遅れました。私は国衛騎士のジェダ・クラウスです。
何をしていたのか知りませんが、こんな夜更けに森の中を彷徨くのは自殺行為かと。もう少し危機感をお持ちになって頂きたい。」
ん?
私もしかしなくても怒られてる?
ジェダ・クラウスと西洋人のような名前を名乗った彼(声が低いので多分男の人だと判断)は、いい終えるのと同時に、踵を返して歩き出してしまった。
「……っえ、ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
こんな気味の悪いところに再び一人にされるのは御免だ。
置いていかれてなるものかと、未だに震えている足に鞭をうって早足で彼の後を追いかける。
ジェダさんは私の制止が聞こえていないはずはないのに、こちらには全く視線をむける気配がない。
「……まだ何か?」
必死に追いかける私に諦めがついたのか、軽くため息を吐き迷惑そうに此方に視線を向けるジェダさん。
しかし、足は止まる気配はない。
た……ため息……
正直そんなに人付き合いが得意な方ではない(看護師のクセにとか思わないで)ため、初対面の人にこーゆう距離を置くような態度を取られるとこの先に進むのを躊躇してしまう。
だが、そうは言ってられない状況だ。
背にはらは代えられないと覚悟し、意を決して話を続ける。
「あ……あの!助けていただいてありがとうございます。私は日野明日香って言います。」
「……はあ。どうも。もう遅い時間です。先程のような目に会う前に、早く帰られたほうがよろしいですよ。」
自分のことはお構い無く。と話を続け、さっさとこの場を去りたいのか、彼の足は更に早くなる。
リーチの差がありすぎて、彼は早足なのに対し、私の足はもはや駆け足になっていた。
てか
人が話し掛けてるのにこのスピード感はありえない!
つか普通足止めるだろ!
「いやいや!帰れって言われても帰り道がわからないんですよ!お願いだから置いていかないで!」
息が切れそうになるのを堪えて、距離が開いてしまったジェダさんに聞こえるように精一杯声を張る。
私の必死さが伝わったのか、彼はようやく足を止めて振り返ってくれた。
ほっとした私は、声の届く距離まで歩き、息を整える。
……久しぶりにこんなに走ったわ。
「帰り道がわからないって、霊具を持っていないんですか?」
ん?れいぐ?
「えーと、よくわからないですけど持ってないです。」
雨具と聞き間違えたのかとも思ったが、今日は快晴の熱帯夜との予報だったため、折り畳み傘は家に置いてきていた。
持っているのは財布とケータイと仕事で使う参考書が入ったバックだけだ。
それも今や奴の体液でベトベトになっているが。
中身が無事なのか非常に心配だ。
なんてことを考えてたら、再びため息が聞こえてきた。
……この人ため息多くない?
「こんな森の中を霊具も無しに入るなんて。また悪霊に襲われても文句は言えませんよ。いい大人がとる行動とは思えない。」
……助けてもらっておいてなんだがこの人、人の話も聞かずに決めつけたように話すのはどうにかならないのだろうか。
若干勘に障る。
しかもさっきから訳のわからないことばっかり言って。
れいぐ?あくりょう?中二病ですかっての。
「あなたが言ってる"れいぐ"だとか"あくりょう"だとかなんのことだかさっぱりわかりませんけど、勘違いされているのはよくわかりました。
私は好きでこんな所に一人でいた訳じゃありません。家に帰ってくる途中で突然知らないところに場所が変わってたんです。」
って言っても信じてくれないだろうけど。
自分で言ってても突拍子無さすぎると思ってしまう。
何を言ってるんだこいつは。なんて思われてまたため息をつかれるだろうと思いながら、彼の様子を伺う。
会って間もないが、ため息以外の反応をされたのは初めてで不覚にも若干胸がドキリと反応してしまった。
いや
だって
お互いの息遣いが聞こえるほどの距離まで、彼が顔を近づけてくるんだもの。
そんな私を気にもせず、彼はため息をするでもなく淡々と言葉を発した。
「……それは本当ですか?」