第47話【9月25日】令和元年度 星霜 第七十三号
わたしは朝から落ち着きがなかった。
友達からも言われたし、授業中も上の空で先生から集中するようにと注意されてしまった。
そんなことは小中学校時代を通しても初めてのことである。顔から火が出るほど恥ずかしかった。
理由はわかっている。
文芸部の作った文集が今日届くのだ。そこにはわたしの書いた小説も載っている。
早苗先輩は去年、文集を盗み見るために図書準備室に忍び込むような真似をしたが、その気持ちがよくわかる。
学校の文集でもこれほどなら、もし自分の本が売りに出されたらどうなってしまうだろう。
そんな妄想をして、また集中していないと反省することの繰り返しだった。
放課後、廊下を小走りでやってきたわたしは図書準備室のドアを勢いよく開けた。
それを迎えた早苗先輩が苦笑する。
「そんなに息を切らせて来なくても。申し訳ないけど配送は明日に延期だってさ」
「ええっ!?」
あんなに楽しみにしていたのに……。
わたしはあからさまに落ち込んだ。
しかし早苗先輩はそんなわたしを見ても慰めてくれずに、お腹を抱えて笑っている。ちょっとひどい。
「ホント瑞希は可愛いなあ。ほら、これをあげるから元気を出しな」
そう言って差し出された冊子には『令和元年度 星霜 第七十三号』とある。
わたしはそれを見てしばし固まったあと早苗先輩に襲いかかった。
「悪ふざけが過ぎます! もう許しません!」
「ごめん、ごめん。まさかあそこまで落ち込むとは思わなかった。ちょっ、ごめんって。やめっ」
わたしは必死に逃げようとする早苗先輩を捕まえてくすぐった。
そこまで激しくはしていないのだが、どうも早苗先輩はくすぐったいのに弱いらしい。いろいろと弱点の多い人だ。
そこでドアが開いて結城先輩が顔を見せた。
喘ぐ早苗先輩に抱きついているわたしと目が合う。
すると結城先輩は表情を変えずに入りかけた部屋から出て行こうとした。
「すまない。邪魔をした」
「ちがいますっ!」
なんでこの人たちは揃いも揃ってからかい好きなのか。
息も絶え絶えの早苗先輩を解放すると、今度は結城先輩を引き留めるためにその腕をつかんだ。
すると再びドアが開いて亜子ちゃんが入ってきた。
結城先輩の腕に縋っているわたしと目が合う。
口を開きかけた亜子ちゃんの機先を制した。
「亜子ちゃんまでからかったらわたし本気で怒るからね」
ひと騒動がようやく落ち着いてみんなが席についた。
結城先輩と早苗先輩は謝ってくるが、笑いながらなので本当に悪いと思っているかは怪しいところだ。
そしてわたしは亜子ちゃんに謝っていた。
亜子ちゃんはからかうつもりなどまったくなく、わたしと結城先輩が喧嘩をしていると思って止めようとしたのだ。
たしかに必死の形相で結城先輩の腕をつかんでいたから、あの一瞬だけを見るとそう勘違いしてもおかしくない。
もっともそのことで先輩たちはさらに笑っていた。
本来なら星霜を前にして厳かな雰囲気になるはずなのに台無しである。
それでもいざ表紙をめくり目次に自分の名前があるのを見ると感動した。そしてさらにページを繰ると、そこにわたしの小説があった。
言葉にならない。
生きてきて一番感動したかもしれなかった。
先輩たちも亜子ちゃんも、それぞれ感慨深げに読んでいる。
三日後にはこれをみんなに読んでもらうために売るのだ。
そのための宣伝の準備はしてあった。
霧乃宮高校文化祭ではビラ配りは禁止されている。これは過去に大量のゴミとなって散らかったことで禁止されたらしい。また看板の設置も各企画スペース以外では禁止されていた。
残されたアピール方法はプラカードとポスターだけだが、こちらもきっちりと規定があった。
プラカードは各団体ごとにひとつだけで必ず人が持つこと。無人設置は禁止である。移動は自由であるが、他の出し物や企画の邪魔となってはいけない。
文芸部は部員が四名と少ないためプラカードは早々に諦めた。
残るはポスターであるが、これも貼れる場所が厳密に決められていた。
廊下のいくつかの壁に、文化祭実行委員によって枠が作られ番号が振られる。選挙ポスター用の掲示板をイメージしてもらえればわかりやすい。それを希望した団体に割り振るのだ。
文芸部ではそれを上限まで申請した。そしてポスターには各小説の一節か、みんなで考えたキャッチコピーだけを書いた。
あとは下に小さく文芸部『星霜』と図書室の場所が書いてあるだけである。
無地のバックに青や赤や黄色などの鮮やかな色で、文字だけが大きく書かれているのは目立つ。情報量が少ないために逆に興味を惹くし、目に留まりやすい。
自分のクラスのポスターと比べても良い出来だと思う。文芸部の自信作だ。
明後日の前日準備になったら手分けしてこれを貼る。
あとは呼び込みぐらいしかないが、これは結城先輩に禁止された。
学生に文集を「買って下さい」と言われたら、来場者はそれを断りにくいからという理由だ。価格も二百円と安いからなおさらだ。
同じ理由で交友関係にも義理での購入をさせないようにと申し渡された。
結城先輩は売ることではなく、ちゃんと読んでもらうことを重視しているのだ。
わたしもせっかく買ってもらった文集が、読まれずに放置されるのは嫌だった。
こうして宣伝方針も決まった。
ちなみに今みんなが読んでいる星霜は部員がもらえる分だ。
印刷したのは三十部である。そのうち四部が部員に、文芸部のバックナンバー、顧問提出用、図書室用、市の中央図書館に寄贈分が取り分けとなり、実際に売るのは二十二部となる。
わたしは少ないと感じたのだが、それでも毎年売れ残るものらしい。特に去年は積極的に売るつもりが皆無だったために、ほとんど売れなかったそうだ。
それも気になるが、他にも驚いたことがある。
「図書室に置いてあるのも知らなかったのですが、中央図書館にまで寄贈しているのですね?」
これはわたしの書いた小説が霧高の生徒だけでなく、一般市民にまで読まれるということを意味している。
「霧高だけじゃなくて市内の学校のは全部置いてあるよ。開架スペースにあるのは過去十年分だけで、それ以前のは書庫だけどね。まあ果たして読む人間がどれだけいるのかは謎だけど」
霧乃宮市が地元である早苗先輩がそう教えてくれた。
実は他にも気になることがあった。
文集は印刷所から直接学校に届いたのではなく、早苗先輩の家に届けられたのだ。今日はそこから部員の分だけを持ってきてくれている。
売る分は文化祭当日に運ぶ予定だ。いくら早苗先輩が地元で、自転車で通学できるとはいえ結構な荷物になる。
ではどうしてそんな面倒なことをするのかというと、
「去年みたいなことがあるかもしれないから念のためにだな。まあ、やったのは俺たちなんだが」
結城先輩は自嘲するように小さく笑った。
去年みたいなことというのは、作者名の入れ替えを先輩たちが直前に元に戻した事件のことだ。
この用心にわたしは驚いたし、少し怖くなった。
どうも先輩たちは当時の二年生、現在は三年生である文芸部の先輩を、いまだに警戒しているらしい。
これは当事者である先輩たちと、あくまでも話でしか聞いていないわたしとの差なのだろう。
そんな会話をしたあと、早苗先輩は慌ただしく図書準備室から退出した。
クラスの出し物である、シャッフル劇の稽古があるのだ。先週からこんな感じで忙しそうだ。
もっともそれは早苗先輩だけでなく、学校全体が文化祭へ向けての準備で活気づいている。亜子ちゃんも大正喫茶の衣装合わせで部活を休んだりした。
わたしはというとクラスの出し物はお化け屋敷だが、わたし自身は受付なのでお祭り騒ぎに加われなくて少し疎外感を味わっている。
もっとも探せば手伝うことはあるのだと思う。単にわたしが積極的に参加しようとしていないだけだ。これは企画の段階でまったく関わらなかった後ろめたさがあるからだ。言い訳になるがその時は文集のことで頭がいっぱいだったのだ。
文化祭前日は短縮授業で午後は設営の時間となる。その時はしっかり手伝おうと思っている。
結城先輩はというと、クラスの出し物であるデートボックスこと霧乃宮高校文化祭案内人派遣所の企画発案者であるが、最近はずっと部活に顔を出していた。
なんでもすでに先輩の手は離れたそうで、することがないそうだ。
文化祭まであと三日だった。
その日の夜、わたしは寝る前に星霜を開いた。
そこにはわたしが書いた小説がある。
少し照れるが誇らしかった。
わたしはゆっくりとそれを読み返し始めた。




