第20話【6月10日その1】ファンタジー小説を語る
「早苗先輩ありがとうございました。とってもおもしろかったです!」
梅雨入りをして雨が降っている放課後の図書準備室。わたしは借りていた『精霊の守り人』『闇の守り人』を早苗先輩に手渡した。
「でしょ。守り人シリーズが終わったら獣の奏者シリーズを貸してあげる。もったいないから焦らずに味わって読むのよ」
わたしはお礼を言いつつ大きく頷いた。
中間テストが終わったあと、わたしは早苗先輩から小野不由美さんの十二国記シリーズをまとめて借りた。文芸部のみんなが薦めていた作品である、当然というべきか圧倒的なおもしろさだった。いや予想以上だったかもしれない。わたしは夢中になって読み続けて、しばらくの間ずっと寝不足だった。
文芸部のみんなと共通の本について話せるということも楽しかった。わたしがあまりにも熱っぽく語っていたからだろう。「瑞希はファンタジーが好きなのかもね」と先週末に早苗先輩が貸してくれたのが、上橋菜穂子さんの守り人シリーズだったのだ。
まだ最初の二冊しか読んでいないがとてもおもしろい。早く続きが読みたくてうずうずしている。主人公である短槍使いのバルサが特に好きだった。腕っぷしが強いだけでなく芯の強さと優しさを持っている。
わたしが知っているファンタジーと大きく異なる点は、彼女の年齢が三十歳と高めなことだろう。凄腕の用心棒でありながら母親のような慈愛を持っており、そこがこの作品の魅力的なところだと思う。
あとリアルな生活感がするというのだろうか、食事の描写が多いのだがどれもおいしそうで読んでいるだけでお腹が空く。なにげない旅の様子や寝泊りの場面からでも土の匂いや風の冷たさを感じることができた。
作者の上橋菜穂子さんは文化人類学者でもあるという。フィールドワークとしてアボリジニと行動をともにしていたそうだが、その経験が作風に影響しているというのはとても納得できた。
わたしは今日もそんなことを熱っぽく語っていた。最近は早苗先輩よりもわたしが話している時間のほうが長いかもしれない。
わたしが話している時は結城先輩も本を読まずに聞いていてくれる。それは早苗先輩に失礼なのではと思ったのだが、早苗先輩の話はすでに聞いたことがあるからとのことだった。
「そういえば十二国記も守り人シリーズも女性作家さんなのが驚きました。ファンタジーって男性が書いて男性が読むものだと思っていたので」
どうしても剣や魔法を使っての戦闘というイメージがあった。当然そういったものは男性向けだろうと。
「それは認識が甘いねえ。むしろファンタジーは女性作家のほうが強いかもよ。特に日本はそうかもね。小野不由美、上橋菜穂子、荻原規子、亡くなったけど栗本薫。茅田砂胡、乾石智子、他にもいっぱいいるよ。海外だってハリーポッターを書いたJ・K・ローリングは女性だしね」
「早苗先輩はファンタジーもたくさん読んでいるんですね」
「まあね。絶対数が少ないからミステリほどじゃないけど。逆にいえば早川と創元から出版されてるのはほとんど読んでるかなあ」
それは凄い。結城先輩がいるから目立たないが、早苗先輩もかなりの読書家だということをあらためて認識した。
「亜子ちゃんはファンタジーはどのくらい読んでるの?」
わたしは隣に顔を向ける。すでに十二国記と守り人シリーズを読んでいることは聞いていた。
「わたしは海外の児童文学ファンタジーが多いかな」
「さっきでたハリーポッターとか?」
「他にもミヒャエル・エンデとかロアルド・ダールとか。ダイアナ・ウィン・ジョーンズも好きだよ」
……困った、全然知らない。やっぱり少し読んだぐらいで調子にのって語るのは控えよう。
結城先輩がそんなわたしを見て補足してくれた。
「いま北条があげたのはみんな児童文学ファンタジーの大家だよ。映画になっている作品も多いから有村も知ってると思う。
エンデの『はてしない物語』は『ネバーエンディング・ストーリー』、ダールの『チョコレート工場の秘密』は『チャーリーとチョコレート工場』、ダイアナ・ジョーンズは『魔法使いハウルと火の悪魔』がジブリ映画の『ハウルの動く城』になっている。
どの映画もおもしろいけれど原作はそれ以上だな。どれだけ映像が素晴らしくても人が脳内で作り出す想像力には敵わないと思う」
たしかに映画のタイトルは知っている。『ハウルの動く城』は観たこともある。ただどの作品も原作があってそれが児童文学だったというのには驚きだ。
「ダールってさ、あたしの中だと『あなたに似た人』や『キス・キス』のミステリ作家っていうイメージが強いんだよね。純粋な謎解きじゃない、いわゆる奇妙な味の短編の名手っていう」
「それは児童文学ファンタジーにも表れているぞ。子供が読むと怖かったり、不可解に思う場面も多いと思う。俺は『おばけ桃の冒険』とか好きだけどな」
早苗先輩が言うことから察するに、ダールという人はミステリも書いているらしい。本当にみんな読書量が多い。はたして追いつける日は来るのだろうか。
「やっぱり結城先輩もファンタジーはかなり読んでいるんですか?」
「俺は鈴木に比べたらたいしたことないよ。児童文学ファンタジーだと北条よりも少ないと思う。たとえばさっきのエンデだと『はしてない物語』の他は『モモ』しか読んでいない。
もちろん『指輪物語』みたいなエポックメイキングな作品は読んでいるし、その他の有名作品もひと通りは読んでいる。でも最近のは鈴木に薦められたのぐらいしか読んでいないな」
『指輪物語』はわたしでも知っている。映画『ロード・オブ・ザ・リング』の原作でファンタジーの祖とも呼ばれている小説だ。読んでいないけれど……。
ところがそんなわたしと同じ人がいた。
「そういえばあたしさ『指輪物語』って全部読んでないんだよね」
早苗先輩である。
しかしこのカミングアウトはかなり衝撃的だったらしい。結城先輩が驚愕する姿というのは初めて見た。
「冗談……だよな?」
「なによ。「読むべき本なんてない」と言ってるあんたが、読んでないことにケチをつけるわけ?」
早苗先輩は若干動揺を見せつつも、開き直ったように結城先輩を睨んだ。
「前提条件が違うだろ! なんで出版されたのはほとんど読んでいると豪語してる奴が基本中の基本の『指輪物語』を読んでないんだよ!」
「まったく読んでないわけじゃないわよ! 途中で挫折しただけ! だいたい指輪ひとつ捨てるのにちんたらしているんじゃないわよ! 旅立ちからしてお茶ばっかり飲んでてちっとも出発しない。それだけで一巻終わってるじゃない!」
「あれはそういう冗長なところがおもしろいんだろうが!」
先輩たちは珍しく本気でやり合っている。
そういえば早苗先輩は以前、ミステリについては結城先輩と評価が一致するけれど、SFやファンタジーでは意見が合わないことがあると言っていたはずだ。
二人が睨み合うのを、わたしと亜子ちゃんは見守ることしかできない。
先に視線を切ったのは結城先輩だった。首を振って大袈裟にため息をつく。
「信じられん。おまえを見る目が変わったぞ」
「勝手に変えればいいでしょ! とにかくあたしはあんなに展開が遅い話は嫌いなのよ!」
わたしは二人の気をそらすために慌てて質問をした。
「それじゃあ先輩たちの一押しファンタジーってなんでしょう?」
尋ねてから早苗先輩はともかく結城先輩が答えてくれるはずがないと気づいた。
ところが興奮していたからだろうか、結城先輩も思わずポリシーを忘れてしまったようだ。
そして二人の答えが被った。
「『氷と炎の歌』だね」
「『氷と炎の歌』だな」
せっかく意見が合ったのだから、また睨み合うのはやめてほしい。わたしは再び言い争いが始まる前に『氷と炎の歌』がどんな小説なのか聞いてみた。
「『ゲーム・オブ・スローンズ』っていうアメリカのテレビドラマシリーズを知らない? 最近は日本でも動画配信されるようになって大人気だけど、あれの原作がジョージ・R・R・マーティンが書いた『氷と炎の歌』だよ。ドラマの出来も良いけどさ、原作はあれの百倍おもしろいからね!
あたしさ、ドラマしか観てない人間がSNSで偉そうに「これ最高。お薦め!」とか言ってるのを見ると頭にくるんだよね。そういう奴に限って原作があることすら知らないのよ。あんたが観ているそれは登場人物も大幅に減らされて、いろんな設定が削られ簡略版だっていうのよ!」
早苗先輩が興奮した様子でまくし立てた。ミステリじゃなくても暗黒面が顔を出すらしい。
それはともかく『ゲーム・オブ・スローンズ』は聞いたことがある。早苗先輩の言うように最近もSNSで話題になっていたはずだ。
結城先輩も参戦してきた。
「たしかにドラマの映像は、あの世界観をよくぞここまで再現したというぐらい素晴らしいんだけどな。ただ鈴木の言うように話のスケールが小さくなっているし、シーズンが進むにつれて原作から離れていってる。
まあそれも仕方ない、なにせ原作はまだ完結していないからな。それどころか本当に終わるのか怪しいもんだぞ。どんどん出版間隔が開いているし、本国で最後のシリーズが発売されてからもう八年経っているんじゃないか?」
「それさ、ジョージ・R・R・マーティンがドラマ版にも製作で関わってるせいだよね。まあテレビプロデューサーや脚本家としても活動してるから仕方ないけど、個人的には小説家に専念して欲しいなあ」
「それを言ったら製作総指揮を執っているデイヴィッド・ベニオフもなんだよなあ。あの人こそ文筆業に専念して欲しいんだが」
「あー、あんたベニオフの書いた『卵をめぐる祖父の戦争』を絶賛してたもんね」
さっきまでいがみ合っていたのはどこへやら、先輩たちは二人だけの世界で絶妙の掛け合いをしている。
仲が良いのか悪いのかわからないが、とにかくこちらを置いていかないでもらいたい。まだ内容については話してもらっていないのだから。




