第12話【5月7日その1】憂鬱な読み合い
令和になって初めての登校日だった。
教室の話題は大型連休中の旅行の話か、やっぱり改元についてだった。
しかしわたしはクラスメイトとの話に集中できない、それどころか授業までもが上の空だった。そしてそのまま放課後を迎えた。
図書準備室のドアを開けるのがこれほど憂鬱なのは初めてのことだ。
休み前に出された文芸部の課題『転換点』をテーマとする短編小説。わたしは元号が令和に変わった日に一気にそれを書き上げた。
ところが一晩たって読み返した自作は酷いものだった。
執筆中は我ながら良い出来だと感じていた。恥を忍んで言えば初めてでこれだけ書けるなら、ひょっとして才能があるのではと思っていた。
勘違いだった。
その後はひたすら推敲を重ねて書き直したのだが、手を入れるほどに何が正しいのかわからなくなった。そもそもあの内容では転換点というお題を消化できているかも怪しい。
連休最後の週末に家族で旅行に出掛けた際にも、頭の中は小説のことでいっぱいだった。
結局、昨日の夜になってパソコンを使って清書したのだが、もはやどうにでもなれという投げやりな心境である。
部屋にはすでにみんなが揃っていた。挨拶をしてわたしも椅子に座る。
しばらくは連休中にどう過ごしたかや、令和についての話に花を咲かせる。しかし教室の時といっしょでわたしはここでも会話に集中できない。
一段落したところで早苗先輩が手を打った。
「じゃあそろそろ始めよっか」
そう言いながら鞄から課題の小説と思われるA4用紙を机の上に置いた。結城先輩と亜子ちゃんもそれに倣う。わたしも覚悟を決めて自作『時代を超えた邂逅』を取り出した。
「最初に全員のを回し読みして、終わってから各作品を合評ってことで」
早苗先輩は向かいの亜子ちゃんに自作を手渡し、隣の結城先輩から作品を受け取った。自然と亜子ちゃんはわたしに渡すことになる、となるとわたしは結城先輩に渡すしかなかった。
よりによって最初にこの人に読まれることになるとは……。
みんなが作品に目を落とし始めても、わたしは結城先輩を盗み見ていた。だがその表情は変わらず、どう思っているのか窺い知れない。
わたしも気持ちを切り替えて亜子ちゃんの小説に集中する。みんなだって真剣に書いたはずだ、ちゃんと読まないと失礼にあたる。それにこの後は合評するのだ。その時に何も言えないでは話にならない。
亜子ちゃんの小説は亜子ちゃんらしいものだった。
舞台は明確にされていないが昔の外国のようだった。ひょっとしたらファンタジー世界かもしれない。
そこで両親のいないひとりの少女が見たことのない不思議な種を拾う。それを育て始めたことによって変わっていく少女の生活を描いていた。
亜子ちゃんも小説を書くのは初めてのはずだがよく書けていると思う。少なくとも誤字脱字や文章におかしなところはなかった。お題の消化も問題ない。
ただ偉そうに評価するのなら物語の展開が少しゆっくりな気がするのと、童話などでありそうな話かなと思った。それと終わり方が唐突な気もする。
顔を上げると結城先輩はすでにわたしの小説を読み終わっていた。その表情はやはり変わらず、どのように評価したのかはわからなかった。
次に回ってきたのは早苗先輩の作品だ。やはりミステリなのだろうか?
だとしたら正しく読解できるか不安である。気を引き締めて読まなくてはいけない。しかしその予想は外れた。
二十九歳の女性が主人公だった。
一部上場企業で総合職、年下の恋人がいて、父親は有名企業の役員で裕福な実家暮らし。周囲が羨む生活を送っている彼女だったが実は鬱積が溜まっている。
要求だけ厳しい上司と無能で言い訳ばかりの部下、甘えれば何でも許してくれると思っている恋人、早く結婚しろとうるさい母親。それらのことで神経が尖っているせいか最近では些細な事でも気に障る。
そんなある日、帰宅時にコンビニで買い物をした時に硬貨を落としたのに気づかずに外へと出た。親切にも彼女を追ってそれを届けてくれたのは塾帰りだろうとおぼしき小学生だった。
少年は足早に去っていく彼女を呼び止めるために声をかけた「おばさん、落としましたよ」と。
彼に悪気はなかっただろうし、その歳の子から見れば二十九歳はすでにおばさんなのだろう。しかしその一言で彼女の中で何かが崩れた。
それを機に彼女は会社を辞め、恋人と別れ、実家を出て新たな生活を始めるという物語だった。
おもしろい――と言ったら不謹慎かもしれないがよく書けていると思った。
主人公の心理描写も上手いし、畳みかけるように不満が溜まっていくのもスピーディーで一気に読ませる。
続けて読むと早苗先輩に比べると亜子ちゃんの文章は、書き慣れていないせいかどこか固いということがわかる。
しかし自己紹介の時に読み専と言っていたが、あれは謙遜だったのだ。正直ここまで書ける人だとは思っていなかった。
そして最後に回ってきたのが結城先輩の作品だった。
とても楽しみだ。どんな小説を書くのだろう?
社会派か純文と思っていたのだが予想はまたも大きく外れた。
地球ではない惑星が舞台だった。
そしてその惑星を支配しているのは不定形生物(わたしは描写からアメーバのようなものを想像した)だった。
彼らは人類と変わらない知能を有しているが科学文明を発達させることはなく、自然と調和した穏やかな生活を送っていた。ところが突然変異で生まれた生物が彼らの天敵となって種の存続の危機を迎える。
彼らはそんな事態を迎えても争おうとはせずに、そのまま淘汰されるのを受け入れようとしていた。しかしそんな中でひとりの若者(アメーバにだって若者はいるのだ!)が立ち上がる。このまま淘汰されるのを待つのではなく、今こそ自分たちは進化して戦う時なのだと。
しかし大多数を占める穏健派は彼の言うことになど耳を貸さない。彼の身近な家族、友人、恋人でさえ(アメーバにだって家族や恋人が!)行動をともにしようとはしなかった。
だがたったひとりでも彼は天敵に立ち向かうことを決め、見事なメタモルフォーゼを遂げるのだった。
発想が独創的である。ジャンルで言えばSFファンタジーなのだろうか?
結城先輩がこのような小説を書くというのが意外だった。
物語は深刻なのに、惑星の住人である不定形生物が議論している描写などにはユーモラスなところがあり、思わず笑ってしまい肩ひじ張らずに読み進めることができる。
それでいて最後のメタモルフォーゼの場面では感動するし、読後にカタルシスがあった。
早苗先輩もそうだったが結城先輩も文章が上手い。こなれているというのだろうか、読んでいて引っかかるところや、わかりにくい箇所がなかった。わたしの作品に比べると格段に完成度が高い。
もっとも二人とも去年の文集には寄稿しているのだし、練習として他にも何作か書いた経験があるはずだ。上手くて当然、そう考えて自分を慰めることにした。
「よし。全員のを読み終わったけど合評に移る前に、追加の文章作法についてちょっとアドバイスしておこうかな」
早苗先輩はわたしと亜子ちゃんを見ながら立ち上がった。文章作法なら連休に入る前にも教えて貰ったが他にもあるらしい。
「二人は『漢字を開く、閉じる』って聞いたことある?」
わたしは知らなかったので首を振る。亜子ちゃんも同様らしい。
「文章を読みやすくしたり、逆に堅い印象をあたえるために表記を統一させることをいうんだけど、小説なんかだと基本的には開いたほうがいいんだよね。それだけで文章がかなり読みやすくなるの」
そう言うと早苗先輩はわたしの作品を手に取り、それを見ながらホワイトボードへ単語を書き出す。
「たとえば瑞希の小説だと冒頭の『何処』は『どこ』、三行目の『辺り』は『あたり』、六行目の『一応』は『いちおう』にしたほうがいい開くべき漢字だね。もちろん絶対じゃないし、意識して堅い感じを演出する時には閉じてもいいんだけど、どちらにしても同一作品内では統一したほうがいい。二人とも統一できていない箇所があったから気をつけて。
何が開くべき漢字かっていうのも明確には決まっていないけど、ネットで調べれば大まかな一覧みたいなのは見つかるだろうから参考にするといいかな」
開くべき漢字。
わたしはそんなものがあるとはまったく知らなかった。早苗先輩たちの文章が読みやすかったのには、そういう理由もあったのだろう。
「次は文語と口語の違いかな。といってもこれは突き詰めると難しくなるから簡単に言うけど、会話文と同じ感覚で地の文を書いたら駄目ってことだね。そのくらいはわかってるって顔だけど――」
早苗先輩は苦笑する。いけない、そんな表情をしてしまっていただろうか。
「気をつけないといけないのは、いわゆる『ら抜き言葉』とあとは『い抜き』だね。これは二人ともけっこうできていなかったな」
ら抜き言葉というのは聞いたことがあるが、い抜きとは初耳だった。
「会話の中なら「あんなのは見れない」って使ってもいいと思う。でも地の文では『あんなのは見られない』ってちゃんと『ら』を入れるべきだね。『い』のほうは「わたしは信じてる」っていう会話はいいけど、地の文なら『わたしは信じている』って書くべき。
厳密にいえば会話でも『ら』『い』を抜かないのが正しいんだろうけど、そうするとリズムが悪くなるし現代風の会話にならないんだよね」
これも意識していなかった。
さすがに普段喋っているような感覚で文章を書いたりはしていなかったが、そこまで細かくは気にしていなかった。勉強になる。
自分の中に小説を書くための知識が蓄えられていくのが嬉しかった。




